ANMELDEN高校卒業を目前に迫った十八歳の冬。小説の新人賞で奨励賞という栄冠に輝いてから、壮絶な一年を過ごしたと聞き及んでいます。趣味ではなく、仕事として付き合うようになった創作は地獄の日々。社会へ投げ出され、右も左もわからない彼女はとにかく周りの大人達から指図されるとおりに動きました。 そして彼女は数多くの嫉妬と侮蔑を込めて、マリオネットと呼ばれるようになりました。しかしネットからデビューした作家の多くは必ずどこかで敵を作る——高度に情報化した社会でそれは沙我であり、ある意味での通過儀礼でもあります。 辛辣な意見や眼差しの矢面に立たされても悲憤なんか抱く暇も隙もなく、淡々と仕事をこなし、書き続けていたそうです。 事件が端を発したのは薫さんの作品の売れ行きに暗雲が立ち込め始めた、ちょうど半年くらい前の事。担当の編集者が変わったその日に告げられた一言でした。「君の作品は次巻で完結させて、別の企画で書いてもらう」 電話口の言葉。いつも掛けられていることとはニュアンスが違っていたけれど、導の彼らに疑いも考えもそんな余地なんてなく、即答で了承しました。 方針転換から三か月後。デビュー作は無事に完結を迎え、新企画の立ち上げがスタートする、最終巻まで付き合ってくれた元担当さんや応援してくれたファンにもっと佐伯 薫という人間の思い描く物語に心酔してもらう機転になる——はずでした。 企画書を整えて送付しても返答がない。まして彼女に関わる全ての人間から音信が途絶えたのでした。不信に思って編集部を訪れると待っていたのは心ない仕打ちの連続だったのです。「もううちのレーベルでは出せない」 「魅力的だけどうちじゃレーベルカラーにそぐわないから他を当たってくれ」 皆が口を揃えて投げ掛けてたらい回しに。そして極めつけが担当の言葉、「売れない作家に構っている暇はない。趣味としての小説を出す余力はないから、さっさと消えてくれ」 薫さんは愕然としました。デビューの時の温かさや交わした決意なんかは蝋で固められた能書きに過ぎなかったのです。 ふとした時、彼女は自らを示す蔑称『マリオネット』を思い出します。 人形は主人の掌で、彼らが満足するように踊り笑う。物の善悪、道徳、倫理、まして意思なんて人形にありはしない。繋がれた糸を切ったり離したりしたら、それでもうおしまい。喋ることは愚か動くこ
人生というのは数奇な巡り合わせの連続で、幸福と災難、不幸が絶妙に均衡し合って続いているのだと、そう物思いに耽っていました。 薫さんを見つけて保護したという連絡をクリスカさんから受けた私は祈る様に繋いでいた両手を振り解いて安堵します。 そして数十分が経過した現在。私は対面で食事を嗜む二人の傍で、彼女達の対談を見守るという大役をクリスカさんから与えられたのでした。それも吸血鬼の主様へお従えする給仕の正装、俗にいうメイド服の姿で。けれど彼女から一つだけ至上命令とも呼ぶべき禁忌を告げられます。「勝手な行動はしないこと。私の言うことに忠実に従いなさい」 拒否する理由は見当たりません。自信をもって頷いて了承しました。 ただ、会話のない重苦しい空気が漂う貸し切り状態のそこは現実感すらつかめない虚の世界。入り込む余地はない。人物は私達三人だけ、まるで他の人がこの世界からその存在を消し去ってしまったような静寂です。「……いつ」 「え?」 破ったのは薫さんでした。死に際で前にした光景が蘇るのか、あるいは首を吊った時の苦痛が肌を撫でているのか、憔悴しきった表情と瞳で問いました。「出会ったその瞬間からよ。貴方が列車に乗っていたとき、というほうが正しいかしら」 飄々としながらも、少し誇らしげに語り始めたのはクリスカさんです。「正確には私の同行者、要するに連れのこの娘かしらね。よく見つけてくれたと褒めてあげたいところだけど」 「あ、はい! ありがとうございます!」 「あなたのパソコンのフォルダに遺書というタイトルのテキストファイルがあった時点で、傍目だと希死念慮のある人間だと勘づくわ。けれど、貴方は作家。外面では腐っていても体裁ではそう。だからこそ、そういうタイトルの作品なのかともその事前情報さえあれば思えたかもしれない」 例え誰かを欺く嘘だったとしても、赤の他人なら関心なんてないのですから、鵜呑みにされるでしょう。「迷いはなかったのか?」 「それはご本人さんから聞いてください」 「えっ?! 私ですか!?」 「他に誰がいるの? 小さな救世主さん」 「えっとその。貴方と書いている文章の雰囲気が、まるでフィクションじゃないように感じたからです」 触れた程度でしたが、その文中や文末に「この命の代償に」とか「今までありがとう、ごめんなさい」などと述べられてい
意味を成さないと感じた瞬間、キーボードに触れていた指が止まった。言い合いを終えて無性に自分の世界にかぶりつきたくなって、溜飲が下がった途端に突き動かされた。 こんなことをしている場合ではない。宅配で部屋に送るバックにパソコンを詰めコート一枚を羽織って、私は外へ出た。雲一つない星の煌く夜空を一瞥すると、ロビーにいたコンシェルジュから「お出かけですか佐伯様?」と声を掛けられた。「星を見に」 ただ一言。それを聞いて朗らかな笑みを浮かべ、そのコンシェルジュは去る背中を見送る。 夜空は満点の星空だった。黒い世界で輝くその星々は都会の喧騒ではまずお目に掛かれない光景で、新鮮味さえある。 私が私自身を殺す日にはとても勿体ないくらいの空模様だ。深々と積もる雪野に足を沈めながら、か細い木々の枯れた森へと呑み込まれていった。 ここが自死の名所とか、そういう噂はない。ただ広大なわりに人の気配がない、厳戒な自然に律せられた、謂わば隔地だったからというのが理由の一つだ。 書き積んでいたパソコンの遺書は途中で投げ出してしまった。もはや必要もないんじゃないかとも。誰かに自分の秘めた感情や想いを伝えようとしたことが、この雪のように積んできたことの全てが無駄だった。そう結論づけて、私は手近で体重が掛かっても音一つ上げない丈夫な木を、俗にいう死に場所を求めて探した。 適当で良い。探し始めて十分と経っていない一角に剛腕な枝の大樹を見つけて、そこにしようと即断した。 バックから縄を取って頑丈そうな太い枝に巻き付けると、余った残りで輪っかを結わいて私の前に差し出す。バックから折りたたまれた踏み台も出して広げて置いて、質素で飾り気のない絞首台が完成した。 あとはこの輪に首を入れて、踵でもつま先でも良い。乗った台を蹴り飛ばせばそれで私はこの世界から発てる。 最後に星空を拝む。数えるのも億劫になるような夥しい数のそれらが色彩豊かな輝きを放って、人々を見下ろしている。ちっぽけな一人の死を眺めるように、暗闇を一筋の光が流れた。 心の中で唱える。願わくば、来世では理不尽を打ち破れるだけの力がありますように、と。 私は二度と戻れない旅に出る。暗く、孤立無援で、彩も声も人という存在もない旅に。そして絞首台の足場を落とした。 重力が身体を吸い寄せ、抗うように縄が首を支点にして私を吊るす。酸素を
二度も雪だるまになった私のナイタースキーはお開きになり、クリスカさんを残して私と薫さんはホテルへ帰りました。 用具を返却して、彼女を迎えるべく途中の喫茶コーナーへ入りました。つい数分前まで温もりとは掛け離れた厳寒に肌を晒していた私達に、湯気の立ち昇るコーヒーと紅茶は格別なご褒美に映ります。「スキーなんて、修学旅行ぶりだ」 「私と同じくらいブランクありましたね」 「あんた程、鈍っちゃいなかったけど」 「言わないでくださいよーそれ」 「また腹抱えて笑ってたな」 「えぇ。けれど満更でもないかも」 紅茶を片手に私がクスリと笑みを溢すと、神妙そうな面持ちを薫さんが向けていました。「さっきまでの威勢が嘘のようだ。風にでも攫われたのか?」 「ちょっとしたおふざけです。凄かったなぁクリスカさん」 鮮明に焼き付いた勇姿を振り返って惚け顔になります。控え目に言って格好良かったんですもの。「本当、不思議な旅人達だ」 深い溜息に混ぜた呟き。「案外、捨てたものでもないと思ってしまった」 「捨てたもの?」 「列車の旅も良い物だと思った。仕事が捗るとか、そういう不純なことを抜きにして」 「私も教えられた気がします。賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」 「なら私達は愚者だな」 「ですね。それも悪くない」 初めて知る感動。初めて触れる体験。五官の記憶にないことを経験するというのも存外悪いことではない。旅立ちから数日と思い知らされた気分です。 仮に私が賢者だとしたら、きっと文字だけの世界で終わっていたと追認させられます。 感嘆が呼び起こされて悦に浸り、惚けた表情を前に薫さんが立ち上がりました。「私に与えられたエスコートの務めはこれで果たしたはずだ」 「クリスカさんに伺ってみてください。直接、頼んだのは私じゃないので」 「いや、スキー場でも山だ。それも雪山。柵や仕切りで囲まれていようと、初心者一人置いておくのはリスクが大きい。けれど今はこうして温室で呑気に談議をしていられる。エスコート、護衛の意味も必要性ももはや感じられない」 「でも終わりという言葉をまだ言っていません」 「その言葉が無ければ、解放されないというのか。私は君達の奴隷か?」 沈黙。返す言葉が見つからず、何を言っているのと呆気に取られた表情をしていました。「君が始めたことだろう?
屹立する雪山の斜面をクリスカさんは雪上車の如く颯爽と滑走していました。小さな二つの紅玉がジグザグの航跡を描いて、向かってきます。 身も強張る急斜面。時折ジャンプしてみせたり、周りのスキーヤーの歓声を知ってか、宙返りしたりと、人が閑散としている超上級者向けのコースを逆手にやりたい放題です。怪我しないかとても心配ですが、血を吸えば大抵の病や怪我が治ることを思い出して杞憂だと悟りました。「ふぅ! 二人も一緒にどうかしら?」 「あんな人間離れした技はできんぞ。五輪選手じゃあるまいし」 「それもそっか」 「それで私は何をすればいい?」 「そうね。そこの小鹿ちゃんのエスコートかな」 「エスコートか。わかった」 赤面。思い出して縮みます。「撮影用パネルかと思ったわよ。あはははは」 高笑いを上げるクリスカさんにぶんぶんと拳を縦に振って抗弁します。「だ、だって。久々なんですもんスキー!」 件の出来事は遡ること数十分前。意気揚々とリフトを降りた私の身に降りかかりました。「のわぁぁぁぁ!」 絶叫と共に私は雪山を駆けています。滑走よりは滑落の方が正しいでしょう。悍ましい音を立てながらゴロゴロと転がる様は、さながら昔話のおむすびころりん。運動神経は良い方です。けれど雪上を滑るとなるとまるで勝手が違いました。 なお特殊な訓練を受けてる私は多少のことで怪我などしない身体です。吸血鬼に血を献上する身、治癒の能力が遺伝として残っているおかげか、見るからに重症な傷も一瞬で跡形もなくなります。「お、おい大丈夫か?」 えへへと笑って見せましたが、結構痛かったです。クリスカさんについていこうと無理をして選んだのが祟ってしまいました。 その後も、緩急の穏やかなコースを選んで滑っていましたが、結果は同じ。変わったことと言ったら怪我の度合いくらいなもの。そりゃ、実家の裏山を超えたらすぐに雪国ですけど、スキーは家を出てからやっていませんでしたから。「雪だるま……光莉の顔が入った雪だるま」 そして現在、リフトの袂で可憐な滑りを視た後、こうして初心者からやり直した私は薫さんに手取り足取り教えられているところでした。 顔を伏せて必死に笑いを堪えていましたが、笑い過ぎです。「私だって頑張って見返してやりますからねクリスカさん!」 「悪かったって! ごめん光莉。謝るからさ。ね
時間は少し遡って数十分前。手配していたホテルの一室に到着してからのことでした。 夜を徹して走る列車で一睡もしていないクリスカさんはぐっすりと寝てしまって暇を持て余していた私は一人ぼっちの部屋で悶々としていました。 ロビーカーで遭遇したあの文字列。あれはきっと空想じゃないと勝手に思い込んでいたのです。 紅茶を備え付けのティーポッドに用意しては呑み干して、しばらくしてまた淹れる。腕を錆びつかせぬようにとそんなことを反芻して夕刻。ぼーっと窓際のティーカップを握り考えていたところに彼女がやってきます。「私にも紅茶ぁ」 「は、はい! 只今!」 寝ぼけたか細い目で私を見て、クリスカさんが言いました。きっと屋敷に居る時の癖が出ているのだろうなぁ。口が綻びながら、満更でもない笑みでティーカップをテーブルに置きました。「お目覚めの一杯です」 ゆっくりと口を付けて一口含むと、そのスッキリした風味に覚めたようで眇めていた瞼が広がりました。「エレファンブランを選ぶなんて博学ね」 「ありがとうございます。朝だと、やはり柑橘系のスッキリした紅茶が良いかと思いまして」 「そういう気遣い、嫌いじゃないわ。ありがとう」 そっとカップを持っていない右手で撫でてくれました。「ありがたきお言葉」 「あなたも飲んで。冷めてしまうわよ?」 「で、では。反対に失礼します」 ぎこちなく、座って紅茶を飲み交わします。 ミルクや砂糖はありません。けれどお互いそんなことなど気にも留めず、弱まる気配のない吹雪を眺めながら、飾り気のない夕方のお茶会はのんびりと時を動かします。 紅茶はとても不思議な魔力を持っていて、考えに耽ってしまいます。それをクリスカさんは見逃しませんでした。「鬱蒼としてるの?」 「考え事です。私個人のことですから」 「言ってみなさいよ。頼りになるかどうかはわからないかもだけど」 「いえ、クリスカさんの手を煩わせるわけには——」 そう怪訝に言うと、彼女は不適な笑みを浮かべて両手を開けて顔を近づけます。「私達は対等と言ったでしょう。頼りなさいよ」 「で、ですがクリスカさん」 「もう、生意気な口にはこうしてやる」 肩を寄せて八重歯を唇に刺すと、じんわりと甘い快楽が流れ込みます。憂いが温かくぼんやりと蕩けて、肩の力ががっくりと墜ちました。 病みつきにな