その日の夜、レストラン『一ノ瀬』へ予約リストにない人物が来店した。 業界で絶大な影響力を持つ料理評論家、西園寺(さいおんじ)だった。 彼の書くコラム一つで、レストランの運命が変わると言わるほどの人物である。「これは西園寺様。当店にご来店くださり、ありがとうございます」「ああ。評判の『一ノ瀬』の実力、堪能させてもらうよ」 西園寺の来店を確認した翔太は、ひどく焦った。 必死に自分に言い聞かせる。(いいや、待つんだ。どうして焦る必要がある? これはチャンスだ。彼のお眼鏡にかなえば、レストラン『一ノ瀬』はもう一段の飛躍が望めるぞ)「あの有名な西園寺氏が来られた。メインは鴨だ。レシピ通り、完璧に仕上げるぞ」 翔太はアシスタントたちに声をかけたが、その声は少し上ずっていた。 厨房には緊張が走る。 翔太はタイマーの数字を何度も確認し、ソースの塩気を慎重に確かめた。 やがて春菜のレシピ通り、寸分の狂いもない一皿が完成した。 メインディッシュが西園寺のテーブルへ運ばれていく。 翔太は厨房の隙間から、ダイニングの様子をうかがった。 西園寺は運ばれてきた鴨のローストをしばらく見つめてから、ナイフとフォークを入れた。 肉を口に運び、ゆっくりと咀嚼する。 その顔には、美味を堪能したときの喜びも、不満を表す歪みもなかった。 ただ淡々と、無表情に料理を口に運んでいる。(おかしい。西園寺氏は美味しい料理を食べた際は、もっと微笑むはずだ。料理雑誌では、彼自身が「真に美味な料理を口にすれば、自然と顔が緩む」と言っていたじゃないか。ということは……!?) 翔太の予感は的中した。 西園寺は皿の上の料理を半分ほど残したのである。 ナプキンで口元を拭うと、静かに席を立った。 やはり感想は特にない。 翔太は緊張に上ずる声で、立ち去ろうとする西園寺に話しかけた。「西園寺様、何か不備がございましたでしょうか。ご不満は&
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