性悪婚約者に見世物にされた私を連れ去ったのは、黒い噂の財閥会長でした のすべてのチャプター: チャプター 41 - チャプター 50

53 チャプター

41話

 愛佳は好奇心旺盛で、気になったことは徹底的に調べるタイプの女性だ。例え相手が嫌がっていても、そのことに気づかずに執拗に聞いてくることもしょっちゅうだ。 15時の休憩や帰りに問い詰められたら困ると思ったが、そんなことはなく終わった。安心したが、なんだか拍子抜けだ。 (これはこれで落ち着かないけど、詮索されるより、ずっといいわ) 百合は軽く伸びをすると、徒歩で帰路を辿る。家に着くと、庭に秋明の車が見当たらない。どうやらまだ仕事をしているようだ。 家に入ると、マリがにこやかに出迎えてくれた。 「おかえりなさいませ、奥様。お荷物お持ちしましょうか?」 「ただいま、マリちゃん。お気遣いありがとう。でも、大丈夫よ」 「かしこまりました。何か飲みますか?」 「アイスティーをお願いしてもいいかしら?」 「もちろんです。お持ちしますね」 「ありがとう、とても助かるわ」  リビングに行くとソファに座り、長めに息を吐く。まだ慣れないが、自宅こそが安息の地だ。 「お待たせしました」  リラックスしていると、小ぶりのドーナツとアイスティーが目の前に置かれた。 「ありがとう、マリちゃん」 「いえ。ご夕食、今から作るのですが、リクエストはありますか?」 考えてみるが、特にこれといって食べたいものがない。冷蔵庫の食材を把握していないため、リクエストをするのも難しい。 「そうね、さっぱりしたものを食べたいわ」 「それでしたら、菜麺はどうでしょう?」 「サイメン?」「お野菜を麺状にカットしたものです。きゅうりやズッキーニなどで作るんですよ」 聞き慣れない言葉に小首をかしげると、マリは分かりやすく説明してくれる。 「健康的でいいわね。じゃあ、それをお願い」 「かしこまりました」 マリはぺこりと一礼をすると、キッチンに行く。 アイスティーを飲んでドーナツをかじると、自然と頬がゆるむ。あの双子は飲み物に必ずと言っていいほど、ちょっとしたお菓子をくれる。それが嬉しい。  ドーナツの優しい甘さに癒やさ
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42話

「はぁ、やめやめ。せっかく新しい職場を提案してもらえたし、そっちのチェックしましょう」 あえて声に出すことで考えを振り払い、もう一度資料を見ようとバッグに手を伸ばそうとすると、玄関が開く音が聞こえた。  緊張が走り、百合は聞き耳を立てる。足音とマリと会話しているのが聞こえる。よく聞こえないが、きっと何か飲むか聞かれているのだろう。  秋明はリビングに来ると、百合の隣りに座った。それだけで背筋が伸びる。 「おかえりなさい」 「あぁ、ただいま。資料には目を通したか?」 「えぇ、職場じゃあまりゆっくり見れなかったから、ちょうど今見ようとしていたの」  バッグを手繰り寄せて開けるが、封筒がどこにもない。奥でぐしゃぐしゃになっているのかと思って探ってみるが、やはりない。 「あら?」 「どうした?」 「資料がないの」 「会社に忘れたんじゃないか?」 「それはないと思うわ。お昼に見て、同僚に声をかけられたから、急いでバッグに押し込んだもの。その時にぐしゃぐしゃになったから、後で直さないとって思ってたし……。それに、その後はバッグから出してないもの」 秋明は顎に手を添え、考える素振りを見せる。他の人がやったら気取っているようにしか見えないが、秋明だと絵になるから不思議だ。 マリは無言で秋明の前にアイス珈琲を置くと、そそくさとリビングから出ていく。秋明は運ばれてきたばかりのアイス珈琲を飲み、百合に視線を向ける。 「誰かに見せたり、話したりしたか?」 「まさか!」 「一応もう一度資料を用意しておくが、会社でも探しておけ」 「分かったわ」  返事をしながら今日のことを思い返してみるが、やはりどこかに置いた記憶はない。 (盗まれた? それこそまさかよね)  一瞬よぎった悪い考えを笑う。いくらプライベートに土足で入る人がいるからって、盗みをするような人までいるとは思いたくない。  だが翌朝、事件が起きた。いつも通り出勤してデスクの引き出しを開けると、例の封筒が入っていたのだ。封筒には「許さない」と赤いペンで書かれており、中の資料は切り刻まれている。
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43話

 驚いて振り返ると、後輩デザイナーの新田祐介が目を丸くして立っていた。 「驚かせてすいません。なんか、深刻な顔をしてたから、どうしたのかなって……。一応声かけたんですけど、気づかなかったみたいなので……」 「いえ、なんでもないわ。大声出してごめんなさいね」 軽く周囲を見ると、何事かとこちらを見る人がたくさんいた。百合は軽く頭を下げ、祐介を見上げる。彼は何故か、寂しそうな顔をしていた。 「僕じゃ、頼りないですか?」 「え?」 「だって先輩、明らかに困ってる顔してるし……。年下だし、デザイナーとしての歴も浅いから、頼りにならないかもしれないですけど、僕でよかったら、なんでも相談してくださいね。話すだけで楽になることだってありますし、必要ならボディーガードもしますよ」  拳を作って言うが、祐介は男性にしては小柄で、百合より少し高いくらいだ。顔立ちも優男といった感じで、とてもではないが頼りになる雰囲気ではない。 「ふふ、ボディーガードって」 「あ、笑いましたね? 僕、これでも柔道やってたんですから」 むすっとする祐介が可愛くて、自然と口角が上がる。 「ふふ、それは頼もしいわね。何かあったら頼ることにするわ」 「はい。いつでも声をかけてください。それじゃ」  百合がうなずいたことに満足したのか、祐介は自分のデスクに戻っていく。 (ふふ、可愛い)  学生のような隠しきれない祐介の恋心がくすぐったくも微笑ましい。秋明との契約さえなければ、彼との恋愛を楽しんでいたかもしれない。そう思うと今の状況がもどかしい。 秋明は周囲にバレなければ恋愛をしても構わないと言っていたが、隠し通す自信がない。何より、契約とはいえ結婚しているのに、他の男性と関係を持つのは気が引けた。  百合は封筒を丸めてゴミ箱に入れた。 (あの人には失くしたことにしよう……)  あまり大事にしたくなかったし、秋明が真面目に取り合ってくれるか怪しいところだ。それなら失くしたことにしておいた方が物事がスムーズに動く。 ここには人のものを勝手に見る人がいる。そういった人が、勝手に資料を見て、百合の転職に嫉妬したのだろう。そう思うことにした。(さてと、仕事仕事) 百合はスケッチブックを広げ、新しいデザインを描いていく。 しばらくするとスマホが震えた。時計を見ると9時半。(誰かしら
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44話

「もしもし?」 「今日、というよりも真夜中に、シェーンハイトにメールが来ていた。お前を雇うなとな」 「なんですって!?」 まだ目を通していなかったが、ジュエリーブランド・シェーンハイトの資料もあったことを思い出す。「エトワールではなく、何故シェーンハイトに……」 「さぁな。ただ、状況からして、お前の職場の人間が怪しい。本当に、誰にも話していないのか? 誰かに資料を見られたという可能性もあるだろう」  その声は、疑っているというより、念の為の確認のように感じられた。必死に思い返して、ひとりだけヒットした。 「もちろん、誰にも話してないし、資料も見せてないわ。けど……」 「けど、なんだ? はっきり言え」「松坂愛佳ちゃんっていう同期がいて、昨日食堂で見てる時に、いつの間にか私の後ろにいたの。もしかしたら、愛佳ちゃんかも……。会社へのメールってことは、メールアドレスとか名前とか書いたりするんじゃない? そこから何か得られないかしら」「メールの名前なんて、ああああという適当っぷりだ、なんとも言えないな……。アドレスも捨てアドだろう」 店へメールを送る際、フォームで名前やアドレスが必須項目になってることが多いが、何も得るものがなさそうだ。「お前を嫌ってる人物はいるか?」「いたけど、もう辞めてるの。良くも悪くも目立つ人だから、荷物を取りに来たなんて言って戻ってきたら、すぐ分かるでしょうし、来てもいないわ」「他には?」 仕事仲間のことを思い返してみるが、あからさまに敵意や嫌悪感をむき出しにしている人はいない。「いいえ、ないわ。皆ある程度うまくやってるもの」「そうか……」「実は、あの資料、見つかったの。でも、イタズラされてたのよ。中の紙がビリビリだし、封筒には、許さないって書いてあって……」 ここまで大事になったら、隠しているわけにはいかないと思い、今朝封筒を見つけたことを打ち明ける。 「いつ見つけた?」 「朝イチよ」 「何故すぐ連絡しなかった!?」  初めて聴く秋明の怒鳴り
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45話

 昼休憩、百合がコートを羽織ってバッグを持つと、愛佳が声をかけてきた。「百合ちゃん、外で食べるの?」「よく分かったわね」「分かるよ。だっていつも食堂に行く時は、コートなんて羽織ってないもの」「なんだ、そういうことだったの。ちょっと、人と会ってくるのよ」「彼氏? 私は見逃してませんよぉ? 薬指のゆ・び・わ」 愛佳はニヤニヤしながら百合の肩をつつく。「あぁ、これ?」 婚約指輪を見せると、愛佳の耳元に口を寄せる。「これ、偽物」「偽物?」「最近周りが、結婚しないの? ってうるさくて。だから、指輪買ったの」「なんだ、そういうこと。安心した。待ち合わせしてるんでしょ? いってらっしゃい」 愛佳に見送られながらオフィスを出ると、指輪に触れた。 本物の婚約指輪だと言ったら、きっとあれこれ聞かれる。そういったことは避けたかった。(それにしても、なんで女って、他人が先に結婚したり、恋人作ったりするの許せないんだろう?) 偽物だと言った瞬間、安堵した愛佳の顔が忘れられない。状況証拠しかないが、今のところ愛佳が1番怪しい。 外に出ると秋明がいた。彼は百合を見つけると、にこやかに手をあげる。「百合、こっちだ」「秋明さん」 早足で近寄ると、腰に腕を回される。「離れてる間、恋しかったよ。さぁ、食事をしに行こう」 歯の浮くようなセリフに鳥肌が立つ。なんとか笑顔を作ってうなずき、一緒に行く。歩き出したのと同じタイミングで、後ろで何か落ちるような音がしたが、エスコートされて振り返ることができなかった。 移動中は終始無言が続き、なんとも言えない気まずさがあった。 着いたのは職場から徒歩3分の飲食店で、全席個室だった。個室に入ると、秋明はいつもの鉄仮面に戻る。「資料は持ってきたか?」「えぇ、持ってきたわ」 ぐしゃぐしゃの資料を差し出すと、メニュー表を差し出される。「俺のぶんも適当に注文しておけ」 メニュー表を見た後、タ
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46話

 食事が終わると、秋明は百合を会社まで送った。百合は断ったが、自分が一緒にいたら向こうがアクションを起こすかもしれないからと言われ、結局送ってもらうことになった。 「今日も遅くなるから迎えに行けなさそうだ。ごめんな」 会社の前に着くと、秋明は申し訳無さそうに言う。よく、女は誰もが女優だと言うが、秋明もなかなかの役者だ。(また始まった……)「そんな、いいのよ。あなたが忙しいのは分かってるから」 仕方なく百合も芝居に合わせる。「理解があって助かるよ。また夜に」 秋明は百合の頬にキスをすると、颯爽と立ち去った。「職場ではこういうの、困るんだけど……」 まだ熱が残る頬に触れ、ため息をつく。言ったところで秋明が聞いてくれるとは思えない。それに契約でおしどり夫婦を演じなくてはならないのだから、これくらい我慢しなくてはいけない。 オフィスに戻ろうと体の向きを会社に向けると、ドアの向こうで愛佳を始めとした女性陣がニヤニヤしていた。(これだから職場でのキスは困るのよ) うんざりした顔をしないように気をつけながら建物に入ると、あっという間に女性陣に囲まれてしまった。「ちょっと、誰よあのイケメン!」「ねぇ、彼氏? あ、もしかして婚約者!? 指輪してるもんね」「ち、違うから! 知り合いよ。彼はその、帰国子女ってやつで、あのキスは挨拶なのよ」 咄嗟についた嘘は、あまりにも苦しい。誤魔化しきれる自信はなかったが、彼女達はがっくり肩を落とした。「なーんだ、つまんない」「でも待って、その指輪は?」 ひとりが百合の手を掴み、まじまじと指輪を見る。「あ、ホントだ!」「ちょっと、隠し事なんて無しよ? 私達の仲なんだから」(そんなに親しくないでしょ) 言葉をぐっと飲み込み、なんとか笑顔を保つ。私達の仲なんて言われたが、彼女達と一緒にどこかに遊びに行ったり、ランチを食べたりしたことなどない。もしかしたらランチくらいはあるかもしれないが、パッと出てこないあたり、遠い昔に1、2回行った程度だろう。その程度の関係で、私達の仲なんて言われても困る。「この指輪は、フェイクよ。男と親戚避け。指輪してれば親戚からも、結婚はやくしろなんて言われないし、ナンパしてもすんなり断れるでしょ?」「なんだ、そういうことか。でもいいなー。あんなイケメン帰国子女の知り合いがいるなんて」
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47話

 仕事が終わると、百合は考え事をしながらひとりで歩いて帰る。「あれでよかったのかしら……?」 声の大きな女性陣のせいで、百合が転職するつもりでいるのはほとんど全員に知れ渡ってしまった。おかげで仕事中もどこに行くつもりなのか、何故転職したいのか聞かれて、仕事どころではなかった。 自宅の敷地前に着くと、秋明の車がないことに気づいた。ちょうど秋明から着信が入った。「もしもし?」「スピーカーにして、俺に合わせて演技しろ。お前が家でひとりになることをアピールするんだ」 言われた通りスピーカーにすると、寂しがりの女性を演じ始める。「どうしたの、秋明さん。庭に車がないけど、どこにいるの? 寂しいじゃない」「ごめんな、百合。ちょっと仕事が立て込んでて……。君をひとりにするのは心苦しいけど、仕方ないんだ」「もう、仕事と私、どっちが大事なの?」 最初は演技することに不慣れで恥もあったが、だんだん楽しくなってきた。秋明がわざわざスピーカーにしろと言ったのだから、きっと資料を盗んだ犯人が着いてきていると予測しているのだろう。だったら、すぐそこにいるであろう犯人に、バカップルっぷりを披露してやろうではないか。「もちろん君さ。けど、稼がないと君と暮らしていけないだろ? 9時までには帰るから、先に食べてて待っててくれ。 寝る時は一緒だから、それまで我慢してほしい」「いっつもそうなんだから……。でも、分かったわ。待ってるから、はやく帰ってきて。寂しくて泣きそう。」「もちろん、急いで仕事を終わらせる。愛してるよ、百合」「えぇ、私も愛してるわ」 電話が切れ、静寂が訪れる。偽りの愛の言葉だというのに、胸の鼓動がうるさい。 家に入ると、秋明の靴はもちろんのこと、あの双子の片割れの靴すらない。(どこから見てたのよ?) 疑問に思いながらリビングに行ってソファに座ってると、玄関からわずかに物音がした。(な、なんなの?) 誰かが着いてきているかもしれないと思ったが、まさか家に入ってくるとは思いもしなかった。(き、気の所為よ! 鍵だって、ちゃんとかけたんだから) 自分に言い聞かせながら、未だに手の中にある鍵を握りしめるが、小さな足音が近づいてくる。 (どうしよう……) 家の構造上、リビングから玄関には行けないし、他の部屋に逃げるにしても、廊下に出ないといけないため、結
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48話

「クソ、離せ!」 音が落ち着くと、男の叫び声が聞こえた。「ルリ!」「はい!」 次に聞こえてきたのは、秋明とルリの声。ふたりの声で安心した百合は、そっと廊下を覗く。「祐介くん!?」 後輩の祐介が、秋明の下で逃げようと必死にもがいていた。百合の声に反応した祐介は、無理に笑って見せる。「百合さん! 待っててください、今すぐこの男を倒すんで!」 そうは言うが、祐介は秋明の下で顔を真赤にしてもがいている。 大柄の秋明に取り押さえられた祐介が抜け出すのは、不可能に近いだろう。「倒す? はっ、馬鹿言うな。不法侵入者が。ここは俺の家だ」「ふざけんな! 百合さんを返せ!」 祐介の叫びに、秋明はやれやれと言わんばかりに呆れ返る。百合も、祐介が何を言っているのか理解できなかった。「百合、お前は誰のものだ? 本来の苗字で自己紹介してやれ」「私はもう、宝生ではなく、妻夫木百合よ。祐介くん。あなたの上にいるのは、私の夫なの」「そんな、嘘だ……」 秋明は、ショックで固まる祐介を膝立ちさせて拘束する。ルリが手錠を秋明に渡し、手錠を祐介にかけると、無理やり立たせて玄関に引っ張っていった。「大丈夫ですか、奥様。何か飲みましょうか」「ありがとう、ルリちゃん。何か落ち着けるものをお願い」「では、ハーブティーなどいかがでしょう?」「いいわね」 ルリと一緒にキッチンに行くと、彼女は4人分のハーブティーとクッキーを用意した。疑問を口にする前に、マリがキッチンに入ってくる。「マリちゃん! あなたもいたのね」「はい。旦那様からの要請で待機してました」「どういうこと?」「こうなると分かっていたから、手伝ってもらってたんだ」 戻ってきた秋明は、百合の向かいに座る。「分かってたって?」「お前を迎えに行った時、わざとうちの鍵を落とした。資料を見ながら転職すると言わせ
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49話

 翌朝、朝食前に身支度を整えていると百合のスマホが鳴った。ディスプレイを見ると、会社からの電話だ。「こんなはやくに、何かしら?」 電話に出てみると上司からで、今日から1週間休むようにとのことだ。理由を聞いても、「色々大変だったでしょ」と曖昧なことしか言われず、電話は切れた。 きっと、祐介の件が上に伝わったのだろう。百合はスーツからラフな服装に着替え直し、キッチンに行く。秋明が珈琲を飲みながら新聞を読み、ルリが朝食を作っている最中だった。「秋明さん、ルリちゃん、おはよう」「あぁ、おはよう」「おはようございます。奥様、何か飲みますか?」「紅茶をお願い」「かしこまりました」 ルリは手を止め、紅茶を準備し始める。向かいに座っている秋明は、ちらりと百合を見ると、新聞に視線を戻す。「いつもと服装が違うな。仕事は休みか?」「急遽お休みになったのよ。たぶん、昨晩の件の影響だと思うわ」「当然と言えは当然だな。いい機会だし、エトワールの見学でもしないか?」「えぇ、是非。資料を見て気になっていたのよ」「分かった」 秋明は新聞を置いてスマホを操作した後、百合を見る。「しばらくしたら紫苑が迎えに来る。アイツと行くといい。それと、お前の車を手配しておく」「ありがとう」 礼を言うが、返事は返ってこない。「お待たせしました」 ルリは百合の前に鮭の塩焼きや味噌汁、ほうれん草の和物など、本格的な日本食を並べるが、秋明の前にはサンドイッチを置いた。「それだけ?」「もう行くんでな」 秋明は新聞を片手で持ったままサンドイッチを食べると、「いってきます」も言わずに行ってしまった。 百合は気にしないと自分に言い聞かせ、豪華な朝食をゆっくり味わう。 8時になると紫苑がリムジンで迎えに来た。「おはようございます、奥様。本日のご予定は、開店前のエトワールでの見学をした後に、作業場を見学です。そのあと昼食
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50話

 夜22時過ぎ、秋明は未だに帰らない。「今日は自分の寝室で寝れそうね」 作業部屋にいた百合は、時計を見上げてぽつりと呟くと、鉛筆をペンケースに仕舞った。正直そこまで眠くはないが、明日が休みだからって生活リズムを崩すつもりはない。 自分の寝室に入って布団をめくったのと同時に、玄関が開く音がした。「え、どうしよう……」 百合は困惑した。このまま狸寝入りでもしたいところだが、明かりで百合が起きていることは秋明にバレているかもしれない。だが、この寝室から出て、夫婦共用の寝室に行くのは億劫だ。 迷った挙げ句ベッドに潜り込み、電気を消して寝たふりをする。秋明の足音は、リビングへは向かわず、階段を登っている。(選択ミスだったかしら?) なんともいえない緊張感を抱えながら足音を聞いていると、寝室の前で止まり、ノックされた。「百合、起きてるか?」「えぇ、起きてるわ」 百合は急いで起き上がり、ドアノブに手をかけようとしたところで、ドアが開けられた。「開ける前に言ってよ」「時間の無駄だ。それより、あとでこれに目を通して選んでおけ」 秋明は百合に、不織布でできたバッグを押し付けるように渡す。部屋が暗いせいで中身は分からないが、ずしりと重たい。「今日はこっちで寝てて構わない」 百合がバッグの中身を聞く前にそう言われ、ドアを閉められる。「なんなのよ、もう……」 ため息をつきながらベッドに戻り、電気をつけて不織布バッグの中身をベッドの上に出すと、式場のパンフレットだった。「そっか、結婚したんだものね」 百合は思い出したように呟く。というより、職場で様々な騒動があって、結婚したことをすっかり忘れていた。 契約結婚という歪な形ではあるが、ようやく母にウエディングドレス姿の自分を見せられる。それだけが、この契約結婚での百合にとっての希望だ。「母さん、喜んでくれるかしら?」 幸い、秋明は母の前では良き夫を演じてくれる。それならきっと、藤子も安心して祝ってくれるだろう。 しんみりしていると、また勝手にドアを開けられた。「きゃっ!?」「言い忘れていたが、式で着るドレスとタキシードはお前がデザインしろ。宣伝になるからな」 またしても百合が何か言う前にドアが閉まってしまった。あまりにも唐突だったため、百合が秋明の言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。「
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