Tous les chapitres de : Chapitre 31 - Chapitre 40

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31話

 風呂からあがると、少し迷った末に共用の寝室に入る。秋明は既にいて、ベッドに腰掛け、本を読んでいた。「あがったか」「えぇ、まぁ……」「この部屋に、小さなデスクを置こうと思ってる。欲しいものはあるか?」「えっと、そうね……」 室内を見回す。最低限の家具しか置いてない、シンプルな寝室を。確かに物足りなさはあるが、一般的な夫婦の寝室に何が置いてあるのか分からないし、特に欲しいものは思いつかない。「今のところ、特にないわ。まだ、ここで過ごしてないから……」「そうか。欲しいものができたら、自分で買うなり、俺に言うなりしてくれ」「分かったわ」 返事をしてドレッサーに座り、タオルで濡れた髪を拭いていると、タオルを取り上げられた。「ちょっと……!」「表で夫婦として演じるのなら、これくらいのことはしておいたほうがいいだろう。俺達はプロの役者じゃないんだ。ある程度触れ合っておいた方が、ボロが出にくいはずだ」「そう……」 どう返していいのか分からず、短く返すと、鏡越しに秋明を見た。何を考えているのか分からない、そっけないような顔をしているが、百合の髪を拭く手つきはとても丁寧で優しい。(これは本当に、表で演技をするためなの?) 百合の中にうずまく疑問や不安になどお構いなしに、秋明は淡々と百合の髪をドライヤーで乾かし、ヘアオイルまでつける。すべて終わる頃には百合の髪は美容院帰りのようにサラサラだ。「すごい……」「髪を伸ばすなら、ヘアオイルやヘアミルクくらい使え」「ありがとう……」「これくらい当然だ。タオルは明日、洗濯機にでも放り込んでおけ」 秋明は濡れたタオルを椅子の背もたれにかけ、百合の手を引く。「もう寝るぞ」「えぇ……」 ベッドに入ると隅で秋明に背を向けると、後ろから抱き寄せられた。驚いて秋明を見上げると、彼は不機嫌そうな顔をして百合を見下ろしている。「そんな隅で寝るな。落ちるだろう。セックスができるようになるまで、お前は俺の抱き枕だ。俺の腕の中で眠れ」「……おやすみなさい」 強引な行動と物言いになんと返していいのか分からず、挨拶をして目を閉じる。 秋明の腕の中は想像以上に安心し、百合はいつの間にか夢の世界に落ちていった。(まったく、無防備な女だ) 秋明は百合の寝顔を見ながら内心ため息をつく。この生活がしばらく続くから、自分がい
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32話

 翌朝、百合が目を覚ますと、秋明の姿が見えない。「仕事、かしら……?」 財閥の会長の仕事内容などひとつも知らないが、秋明本人が生活リズムが安定しないと言っていたのを思い出し、きっと仕事だろうと思う。 伸びをしてベッドから出ると、ドレッサーの椅子にかけていたタオルがないことに気づく。きっと秋明が洗濯機に入れてくれたのだろう。「あの人って、何ができて、何ができないんだろう……?」 秋明のことは、未だによく分からない。共に生活をするのだ。使用人が来て家事や料理をしてくれるが、それは朝から夕方までの話だ。秋明は明日来た使用人にやらせればいいと言うが、時には自分達で何かしないといけないことも出てくるだろう。 その時のために、秋明ができることは知っておきたい。「あとで、話せるといいけど……」 洗面所に行こうと廊下に出ると、食欲をそそるにおいがした。洗顔と着替えを済ませてキッチンに入ると、ベーコンエッグ、サラダ、トーストが並んでいる。「おはようございます、奥様」 双子のひとりが、爽やかな笑顔で挨拶してくれる。百合は彼女をじっと見つめ、左側の首筋に小さなほくろがあるをの見つける。「あなたは……。ルリ、ちゃん?」「正解です。旦那様は先にお仕事に行きましたよ」 当たっていたことに内心ガッツポーズをする。昨日、ふたりを観察して、片方の首筋にほくろがあるのを見つけていた。疲労でぼんやりしていたため、あまり自信がなかったが、これで今後見分けがつく。「そう、ありがとう」 席に座って食べてみると、どれもシンプルな料理だというのにとても美味しい。特に、トーストと一緒に出されたいちごジャムは、甘みも酸味も市販品のようなくどさがなく、さっぱりしていて素朴な味わいで食べやすい。サラダにかかったドレッシングも、今まで食べたことがないような味で、程よい酸味と香ばしさがある。「とても美味しいわ。こんなにシンプルな料理なのに、今までで1番美味しい」「ふふ、喜んでもらえて嬉しいです。ジャムもドレッシングも手作りなんですよ。ベーコンエッグにも、隠し味をちょっぴり」 ルリは茶目っ気たっぷりにウインクをし、笑ってみせる。(女の子って感じで可愛い……) 百合はガーリーな仕草が似合うルリを、微笑ましく見ていた。百合も彼女のような可愛らしい女性に憧れていた時期があったが、フリルやレー
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33話

 百合は少し遠回りをしてコンビニに行き、菓子折りとファミリーパックのお菓子をいくつか購入してから出社した。「皆さん、いきなり有給を取ってすいませんでした。これ、よかったら食べてください」「あら、わざわざ買ってきてくれたの? 宝生さんも大変だったんじゃない?」「宝生ちゃん、ありがとう」「こんなに気を使わなくてもいいのに」「ちょうど甘いの食べたかったの。これ食べて最高のドレスをデザインしちゃうんだから」 百合がテーブルにお菓子を並べると、他のデザイナーやスタッフは、優しい言葉をかけてくれる。問題の吉田は、テーブルの上に並んだお菓子を見て、鼻で笑った。「なにこれ。1週間も休んで、こんな子供だまし用意しちゃって、恥ずかしくないの? コンビニで買ってきたんでしょ? 非常識ねぇ。アンタが休んで、どれだけ迷惑かかったと思ってるの?」「すいません、吉田さん。非常識なのは分かっていますが、緊急の用があったので……」「緊急ぅ? へぇ、どんな? 納得するように皆に聞こえるように、大きな声で言ってくれる? どんな緊急の用なの?」 吉田はニヤニヤしながら百合を見る。他のスタッフ達は顔をしかめ、吉田を睨んだ。「ちょっと吉田さん。やめなよ」「そうですよ。宝生さん、こうして謝って、お菓子まで用意してくれたじゃないですか」「アンタ達って安上がりねぇ? 私はパリで修行してたから、本格的なものずっと食べてて、こんな安物美味しいと思えないのよねぇ。なにこれ、どこのメーカー? 知らないんだけど。中国かどこか?」 吉田はお菓子をつまみ上げて馬鹿にしたように笑うと、床に落として踏みつけた。「ちょっと!」「いきなり休んだのは謝ります。ですが、食べ物を粗末にしていい理由にはなりません」「こんな安っぽいものばっか食べてるから、大した賞も取れないんじゃないの? ちょーっとチヤホヤされてるからって、調子に乗らないでよね」 吉田は踏みつけたお菓子を蹴り飛ばし、自分のデスクに戻ってふんぞり返る。お菓子は袋が破けてボロボロになって、床に散らばってしまった。「ホントサイテー……。百合ちゃん、気にしなくていいから」「ありがとう……」 同僚と一緒にダメになったお菓子を片付けると、百合と吉田を除く全員でお菓子を分けて、それぞれの持場に戻る。 吉田は文句を言っておきながら、こういうお菓子を1
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34話

「何かあったか? ひどい顔だ」「ちょっと、職場でね……」「人間関係だろ」 曖昧に答えたというのに、言い当てられて目を見開く。「どうして、分かったの? そこまで顔に出てた?」「お前は急遽有給を取っただろう? それも1日や2日ではない。嫌味を言ってくる人間がいると考えるのが普通だろう。それに、その手にあるのは洋菓子。サイズからして個人用ではない。職場に持っていく菓子折りだ」「さすが、御名答よ」「だからうちに来ないかと言ったんだ。どうする?」「今の職場、すごく気に入ってるの。だから、もう少し考えてみる」「そうか」 秋明はそれ以上言及することなく、再び前を向く。「隣に座れ」 言われた通り隣に座ると、ルリがハーブティーと数枚のクッキーを百合の前に置いてくれた。「ありがとう、ルリちゃん」「いえ。私はそろそろ帰りますね。何かあったら、いつでもご連絡ください」「えぇ、気を付けて」「はい」 ルリが帰ると、秋明はカップをテーブルに置き、百合に体を向ける。「疲れて帰ってきたところ悪いが、いくつかすり合わせや決めごとをしたい」「何かしら?」「契約書にもあった通り、俺達は表では夫婦を演じる。ただの夫婦ではいけない。理想の夫婦だ」「おしどり夫婦ってやつね」「そうだ。まだ、互いの呼び方すら決めてなかったと思ってな」(呼び方ねぇ……) 疲れた頭で記憶をたどる限り、秋明には「お前」としか呼ばれていない。藤子の前では名前で呼んでくれたが。それに合わせて自分も「秋明さん」と呼んでいた気がする。「秋明さんとでも呼べばいい?」「それでいい。表では、俺も百合と呼ぶようにする。それと、社交パーティーなどでは、俺がいいと言った時以外は、そばにいろ」「それはいいけど、あなたひとりで挨拶したい相手とかいるんじゃない? そういう時は、どうすればいいかしら?」
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35話

 翌朝、百合は少しはやめに出社すると、昨日買った高級洋菓子をテーブルに並べた。「百合ちゃん、何してるの……」 愛佳は出勤するなりテーブルの上に並ぶお菓子と百合に気づき、目を丸くする。「昨日、吉田さんがちゃんとしたものを用意しろって言ったから、用意したの」「そんなことする必要ないでしょ。どうせあの人、何しても文句言うんだから」「そうね。だから徹底的に戦おうと思って」「考えがあるみたいだから、これ以上は言わないでおくわ……」 愛佳は諦めたような顔をし、自分のデスクに行く。他のスタッフやデザイナーも、こんなことしなくていいと言ったが、百合が戦うつもりだと言うと、渋々引き下がっていった。 始業時間5分前、吉田はようやく顔を出し、テーブルの上に置かれたお菓子を見て鼻で笑う。「またこんな子供だまし用意したわけ? 学習能力ないわねぇ」「そうですか、吉田さんからしたら、これも子供だましなんですね。では、皆さんで分け合ってください。これはひとつ800円ほどするマドレーヌです。吉田さんにとっては子供だましらしいですけど、私達にとっては高級品ですから、よく味わって食べましょう」「そんな高いもの用意してくれたの!?」「待って、このロゴってもしかして……!」 ひとりがロゴに気づき、店名を口にすると吉田の目の色が変わる。その店はセレブ御用達として有名で、今人気の俳優がバラエティでおすすめをして一気に知名度があがった高級洋菓子店なのだ。あまりにも人気で、早朝から並んでも買えない人が出る幻のスイーツでもある。 百合は昨日、午前休憩の時に店に電話をして予約をしたのだ。もちろん、一般人だったら断られていただろう。予約でさえ半年は待つのだから。 ダメ元で妻夫木と名乗ると、快く予約をさせてくれたのだ。権力を振りかざすのは好きではないが、昨日の百合は吉田を打ち負かすことしか考えておらず、そのために妻夫木の名前を借りた。今思えば馬鹿げた理由だが、長年の恨みつらみが百合を動かした。「仕方ないから食べてあげるわ」「残念、もうありません」 百合が空っぽになった箱を見せると、吉田は顔を真赤にして怒り狂う。「なんですって!? この私が食べてあげるって言ってるのよ! 昨日のお菓子だって、私は食べてないの! 誰か譲りなさいよ!」 怒鳴り散らす吉田に、その場にいる誰もが軽蔑の目を向け
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36話

「私、謝罪しましたよね? いつまでこんな子供じみたことしてるんですか? いつまでもネチネチしててみっともない」「なんですって!? あなたがいきなり1週間近く休んだのが悪いんでしょ!?」「何も遊びで休んでいたわけではありません。私のことを散々非常識だって言ってるけど、吉田さんだって、この前いきなり連休取りましたよね? しかも理由が温泉って。それを棚に上げていつまで私を責めるつもりですか?」「うるさい! 私の名前がこの会社を支えているのよ!? あなたとは違うの!」「東京ファッションアワードですよね? 何年前の話してるんですか? 過去の栄光にいつまでも縋って、醜いにもほどがある」 百合は怒鳴りたくなる気持ちを必死に抑え、吉田に淡々と言い返す。百合が言葉を発する度に、吉田の顔はどんどん赤くなり、声も大きくなる。「宝生さんの言うとおりよ」「最近実績上げてないくせに威張っちゃって、ホントウザいおばさん」「皆に嫌われてるって、いい加減気づけよ。ババア」「なによ! もう!」 他のスタッフ達も、便乗する形で吉田に日頃の鬱憤をぶつける。多勢に無勢だと悟ったのか、怒りが頂点に達したからか、吉田はオフィスから出ていこうとする。だが、誰かにぶつかって尻餅をついてしまった。「痛いじゃない! いったい……社長!?」 そう、吉田がぶつかったのは社長の神埼だった。神埼は元モデルで、ファッションデザイナーとしても活躍し、この会社を立ち上げた。40代になった今も、スタイルと甘いマスクは健在で、時折テレビに出ることもある。「騒がしいが何事かね?」「い、いえ社長。なんでもありませんわ」 吉田は顔を引き攣らせ、愛想笑いをする。「社長! 私達もう限界です」「吉田さんをどうにかしてください!」 スタッフ達は声を上げ、先ほど起こった出来事も含め、吉田の悪行を神埼に伝えた。吉田は彼らを黙らせようとしたが、神埼に止められ、渋々黙って聞いていた。「彼らの言うことはデタラメです。社長なら、私がそんなことする人じゃないって分かるでしょう?」 抗議が終わると、吉田は笑顔を貼り付けて神埼を見上げる。抗議の最中にボタンを外したのか、胸元がはだけていた。「ところで、君は誰かね? さっきから私と親しいと言いたげだが」「なっ!? ほ、ほら、吉田和美ですよ。5年前に東京ファッションアワードに選
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37話

「清々したわ」「宝生ちゃんカッコよかったよ」「これで面倒な介護ともおさらばだ」 彼らは百合を称賛したり、吉田に毒を吐き捨てたりした。5分もすると騒動は収まり、各々仕事に戻る。(これで仕事に集中できるわ) 百合も意気揚々とデスクに向かうが、愛佳が死守してくれていた鉛筆まで折られていることに気づき、げんなりする。犯人は吉田だろう。彼女は就業時間になっても、他のデザイナーやスタッフを捕まえ、デザイナーとは、ファッションとはなど、持論を語って遅くまで残る。百合が帰り支度をしていた時も、新人を捕まえて話し込んでいた。百合が帰ってから折ったに違いない。「私、ちょっと鉛筆買ってくるわ。ついでに何か欲しいって人いない?」「一緒に行くわ。ちょっと、買い足したい生地があるの」 愛佳が名乗り出たため、ふたりで買い出しに行く。文具店で鉛筆を多めに買い、愛佳の要望でパステルカラーのシフォン生地を数種類購入し、職場に戻る。「来た来た。宝生ちゃん、社長が差し入れくれたのよ」「今回のMVPは宝生さんだから、皆待ってたんだ」 男性スタッフが冷蔵庫から箱を持ってきてテーブルに置く。可愛らしい紙袋に反して重たいものでも入っているのか、置かれた時に大きな音がした。「開けてくださいよ」 男性スタッフは紙袋から大きな箱を出すと、にこにこしながらそう言った。他のスタッフ達も待ちきれないと言った顔だ。「じゃあ、お言葉に甘えて……」 箱を開けると、瓶に入ったプリンが並んでいた。普通のカスタードプリンもあれば、いちごプリンやチョコプリンなんかも入っている。「百合さんが選んで。それから皆で分けるから」「ふふ、ありがとう」 百合がいちごプリンを取ると、彼らもプリンを取る。チョコプリンが圧倒的に人気で、チョコプリンを賭けたじゃんけん大会が始まり、にぎやかになる。(皆生き生きしてる……。勇気を出して良かったかも) 楽しそうにプリンを頬張る仲間を見て、自分の判断は間違っていなかったと思う。それでも、胸につかえる感覚が拭えなかった……。 無事仕事を終えて帰宅するも、まだ仕事なのか、秋明の車がない。家に入ると双子の片割れが出迎えてくれた。同じ服を着てはいるものの、ルリではないように思う。「マリちゃん?」「すごい! 本当に私達の区別がつくんですね。ご夕食は私が作りました。それと、旦那様
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38話

 翌朝、百合はいつもより遅くに起床すると、藤子に遊びに行っていいかとメールをし、身支度を整えてからキッチンに行く。「おはようございます、奥様」「おはよう、マリちゃん」「今温め直しているところですので、もう少しお待ち下さいね」「わざわざありがとう」 礼を言って座ると、淹れたての紅茶が目の前に置かれた。「本日はお休みなのでしょう? どうぞ、ごゆっくり」「お気遣いありがとう。私は出かけてるから、マリちゃんもゆっくりしてていいのよ」「ふふ、奥様はお優しいですね」 マリは温め直した朝食を百合の前に並べると、一礼してキッチンを出た。 朝食を食べている最中、スマホが鳴る。母からの返信で、遊びに来ていいとのこと。百合は食事を終えて2階で歯磨きをしたりバッグを回収したりすると、リビングを掃除しているマリに声をかけてから出かける。 歩いて藤子の家に遊びに行くと、彼女はちょうど家から出てきた。一緒にブランド物の服を購入したはずだが、彼女は何故か、安物のジャージとTシャツを着ていた。「母さん、おはよう。元気そうね」「えぇ、好きなことをして暮らすって、本当に楽しいわ。秋明さんには感謝してもしきれないわね。百合も、元気そうで安心したわ」「ところで、その服、どうしたの?」「あぁ、これ? あの高い服だと、庭弄りもできないから、買ってきたの」「それもそうね。庭見せて」「もちろん。今から水やりをするところなの」 一緒に庭に行くと、藤子は水を苗に撒く。植えたばかりの苗はどれも小さく、可愛らしく揺れている。だが、小さな畑の半分も埋まっていない。「これしかやらないの?」「もう少し買いたかったんだけど、私ひとりじゃ、そんなに持てないから。少しずつ買い集めてるの」「じゃあ、今日一緒に買いに行かない? 私も買い物したくて」「いいわね。百合は何を買いたいの?」「歯磨きセットと、ちょっとした日用品をね。母さんは、苗を買うんでしょう? それなら、ホームセンターにでも行きましょ
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39話

 その日、マリはいつも以上にはやく帰される。キッチンに立つのは秋明。彼は手際よく料理をし、30分もすると本格的なイタリアンがテーブルを彩った。「すごい……!」「食べてみろ」 ブルスケッタから食べてみると、レストランで食べたものと遜色ないほどに美味しかった。「とても美味しいわ……」「これで俺が料理できると証明できただろう」「どうして、こんなに料理ができるの?」「イタリアに留学してた頃に料理も少し勉強した」「あなたって、なんでもできるのね」「当然だ。そうでなければ、財閥の会長など務まらない」「そういうものなの?」「料理人というのは、職人気質が多い。お前もデザイナーなら、素人からのアドバイスを聞きたくない気持ちは分かるだろう?」「そうね。正直、同僚にもあまり口出しされたくないもの」「料理人も同じだ。いくら自分より立場が上の人間だとしても、料理ができない人間に改善を求められたら腹を立てるだろう。自分の意見を通しやすくするために、料理を学んだんだ。といっても、あまり長い期間ではないが」「それでも、すごいわ……。そこまで努力できる人なんて、そうはいないもの」「偉くなってからものを言えというが、偉いだけの無能にはなりたくないんでな」 ほんの少し、秋明のことを知れたことを嬉しく思いながら、食事を楽しみ、各々風呂に入る。寝室に入ると、彼が以前設置すると言っていたデスクが置かれている。百合は不思議な気持ちでデスクを見ていた。(こうやって私達の家になっていくのね) 百合は今まで、1から家や部屋を作ったことがなかった。子供の頃から住んでいたアパートは、母が色々揃えていたから、なにもない状態を知らないし、熊谷家の部屋には最初から家具が設置されていた。 空っぽだったこの家で、自分で家具を選んで埋まっていくのを楽しいと感じている。 だが、この家にいるのは2年。そう思うと少し残念なようにも思える。 複雑な気持ちを抱
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40話

 翌日、百合は食堂で資料を見ながら食事をする。資料は何故か、ファッションブランド・エトワールと、ジュエリーブランド・シェーンハイトのふたつの資料が入っていた。「私の専門外なんだけど……」 百合はシェーンハイトの資料はそのまま封筒の中に、エトワールの資料を引っ張り出した。ありがたいことに写真付きの冊子で、分かりやすい。 資料によれば、トルソーはひとりにつき1体提供されるそうだ。今の会社ではトルソーは3体しかおらず、不便に思っていた。 資料室も充実しており、服飾の歴史や過去のファッションショーの記録は勿論のこと、写真集もたくさんあるらしい。ファッションとは無関係に見えるような写真集もあるのだ。例えば、動物、建築物、空。そういったものからインスピレーションを受けることもできる。 ファッションデザイナーという生き物は、服だけを見て新たなデザインを生むわけではない。様々なものからのインスピレーションで創り上げるのだ。だから百合は、暇を見つけると美術館や教会などに足を運ぶ。 更にページをめくると、魅力的なものがたくさんある。広々とした休憩室や、リラクゼーションルーム。自由に飲んでいい珈琲やエナジードリンクなども魅力的ではあるが、百合が1番魅力を感じたのは、それぞれのデスクがかなり離れており、半個室になっていることだ。 デスクの写真が載っていて、デスクの横にトルソーが置いてある。パーテーションがコの字でデスクとトルソーを囲んでいる。要望があれば席の後ろにもパーテーションを置き、簡易的な個室にすることも可能らしい。 書籍や生地のリクエストもできるし、1本連絡を入れれば外で仕事をしてもいい。 デザイナー同士の過度な接触や盗作を防ぐため、そういった仕様になっているらしい。 まさに理想的な職場だ。 今の職場も気に入ってはいるが、人との距離が近いのが悩みである。簡易的なプライベート空間もない。「結構いいかも」「何がいいの?」 驚いて顔を上げると愛佳がにこにこしていた。「何見てるの?」「ううん、大したものじゃないの」 慌ててバッグにしまうと、ぐしゃっと嫌な音がした。きっとバッグの中でぐちゃぐちゃになってしまった。「えー、怪しい。私に隠し事?」(こういうところよね……) 内心うんざりしながら、ふくれっ面の愛佳に笑顔を向ける。アットホームと言えば聞こえが
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