「何がおかしいの? 言っておきますけどね、私ひとりの稼ぎでも、母とやっていけるのよ」 更に言葉を続けるも、矢絃の勝ち誇った顔が崩れることはない。「出て行くだと? お前の母親は終身サービス契約にサインしている。違約すれば8千万だ」「8千万!? どういうこと……!?」 母の藤子は、矢絃が副社長を務める会社で清掃員として働いている。母は常々、「今の生活があるのは熊谷さんのおかげなんだよ」と言っていた。百合はてっきり、母は矢絃が自分を雇ってくれたことに感謝しているのかと思っていた。(そういえば、最近そういう言葉聞かなくなった……)「聞いてなかったのか? お前の母親が、契約書をまともに読まなかった話」 そう言って矢絃は、契約書のコピーを見せる。契約書には、藤子は熊谷の会社で清掃員として働き、家では使用人として働くこと、百合と矢絃を結婚させること。その代わり熊谷は、宝生親子の生活を保証し、父が大事にしていた会社を守ると書かれている。これは百合も知っていることだ。 百合の父・誠二は、藤子の父、つまり、彼の義父が作ったジュエリーブランド・エテルネルを守っていた。だが、誠二が亡くなると、会社を守れる者がいなくなってしまった。社員達は経営の知識を持っていなかったのだ。藤子は専業主婦で働いたことがない。このままではエテルネルは潰れてしまうと危惧していた時に現れたのが矢絃の父親だった。(この人は、母さんが契約書をよく読まなかったって言った……。ということは、なにかあるはず……!) 目を凝らしてよく見ると隅に蟻よりも小さな文字で、無償労働すること、従わなかった場合、違約金8千万円と書いてある。しかも色は見づらい灰色だ。悪意を感じる。 こんな文字、藤子に読めるわけがない。「こんなの詐欺じゃない!」「ちゃんと読まなかったのが悪い。それに、お前との婚約は、公式発表していない。知ってる人間も身内だけだしな」「あなたには、人の心がないの!?」「黙れ。お前には選択肢も拒否権もない。母親がどうなってもいいっていうのなら、話は別だがな」「なんですって?」「来週、晩餐会がある。お前は必ず出席しろ。皆の前で、マキが俺の婚約者だと宣言してやる」「あなたって人は……!」 コピーを持っていた手に力が入り、穴が開く。それでも百合の怒りは収まらない。「出席して、お前も俺に従うと誓
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