All Chapters of 婚約破棄された社内SEですが、私が作ったAIを止めたら元勤務先が崩壊しました: Chapter 51 - Chapter 60

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第51話 プロポーズ後

第51話 物語は次の章へ 二月の終わり、プロポーズから数日が経っても、澪はまだ左手の薬指にある指輪を見るたびに、ほんの少しだけ現実感を失ったような気持ちになっていた。仕事中はもちろん集中しているし、会議ではいつも通りに判断を下し、ダッシュボードの改修要望にも冷静に優先順位をつけ、子会社から来る相談にも一つずつ返していた。けれど、ふとした瞬間、キーボードを打つ手元に小さな光が見える。そのたびに、あの会議室で鷹司がまっすぐに自分を見て、「白石澪さん、私と結婚してください」と言った声が、胸の奥で静かに蘇るのだった。 「澪、まだ慣れない?」 昼休み、社内カフェの隅で梓が身を乗り出すようにして聞いてきた。梓は一月に鷹司グループへ入社してから、驚くほど早く会社に馴染んでいた。前職で鍛えられた人事の現場感と、相手の空気を読む力がそのまま生きていて、すでに人事部内でも頼られる存在になっているらしい。その梓が、今は完全に親友の顔で、澪の左手を見つめている。 「慣れない。仕事中は忘れてるんだけど、たまに目に入ると、あ、そうだった、ってなる」 澪はそう答えながら、カップを両手で包んだ。温かいコーヒーの香りが立ち上る。二月の空気はまだ冷たく、窓の外を歩く人たちは皆、襟元を押さえながら足早に通り過ぎていた。 「そりゃそうでしょ。あの鷹司怜央にプロポーズされたんだから。いや、別に肩書だけで言ってるわけじゃないよ? でもさ、あの人が一ヶ月前からタイミング考えて、完璧なタイミングがないって気づいて、澪の顔を見て今日にしたって、何それ。小説みたいじゃない」 「梓、声が大きい」 「無理。私はまだ興奮してる」 「本人より興奮してどうするの」 「本人が落ち着きすぎなのよ」 梓はそう言って、ふっと表情を柔らかくした。さっきまでの勢いが少し引き、澪を見る目が、いつもの茶化すようなものから、もう少し深いものに変わる。 「でも、本当によかったね」 その一言に、澪はすぐに返事ができなかった。何度も言われた言葉だった。梓にも、母にも、チームの何人かにも、そして自分自身にも、心の中で何度も言ってきた。よかった。本当に、よかった。けれどその言葉は、言われるたびに違う重さで胸に届いた。今の梓の「よかったね」は、去年の澪を知っている人間だからこその重さを持っていた。 「
last updateLast Updated : 2026-07-02
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第52話 家族に伝える日

三月に入ると、空気の冷たさの中に、ほんの少しだけ春の気配が混じるようになった。朝、駅まで歩く道の途中で、澪は街路樹の枝先に小さな芽がついているのを見つけた。まだ花には遠い。けれど、確かに次の季節へ向かっている。その変化を見ながら、澪は左手の薬指にある指輪をそっと見た。鷹司と結婚する。その事実は、少しずつ日常の中に馴染み始めていた。けれど、まだ母には正式に伝えていない。電話で「付き合っている人がいる」と話したことはあったし、相手が鷹司怜央だと聞いた母がしばらく騒いでいたこともある。それでも、結婚となると話は違う。昼休み、澪はスマートフォンを手に取った。母にメッセージを送る。「今夜、電話してもいい?」返信はすぐに来た。「いいよ。何かあった?」澪は少し迷ってから、「大事な話」と返した。数秒後。「え、何? 怖いんだけど」さらに続けて、「仕事? 体調? まさか結婚?」澪は思わずスマートフォンを伏せた。鋭すぎる。夕方、仕事を終えて帰宅した澪は、部屋着に着替え、テーブルの前に座った。コーヒーを淹れようかと思ったが、手が落ち着かない気がしてやめた。母に電話をかける。数コールで繋がった。「澪? 何? 大丈夫?」開口一番、声が大きかった。「大丈夫。落ち着いて」「落ち着けないわよ。大事な話って言われたら、親は落ち着けないの」「悪い話じゃない」「じゃあいい話?」「うん」少しの沈黙があった。その沈黙の向こうで、母が息を飲む気配がした。「もしかして、本当に結婚?」澪は左手を見た。指輪が、部屋の明かりを受けて静かに光っている。「うん。プロポーズされた」電話の向こうが、完全に無音になった。澪は少し不安になった。「お母さん?」次の瞬間、母の声が返ってきた。「……本当に?」「本当」「鷹司さんに?」「うん」「鷹司怜央さんに?」「そう」「ちょっと待って」母の声が遠ざかった。たぶん、スマートフォンを置いたのだろう。しばらくして、戻ってきた声は少し震えていた。「ごめん。泣きそうになった」澪は何も言えなかった。母が泣きそうになるとは思っていなかった。驚いて騒ぐことは想像していた。でも、その声に混じっていたのは、安心のような、安堵のようなものだった。「澪、よかったね」その一言で、澪の胸の奥がぎゅっと締めつ
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第53話 鷹司家

三月最初の金曜日だった。 夕方、仕事が一段落したころ、鷹司が澪の席までやって来た。「少し、お時間よろしいですか」 「はい」 二人はいつもの会議室へ向かった。 この部屋は、プロジェクトの相談も、互いの気持ちを伝え合う時間も、人生の節目も見届けてきた場所だった。ドアを閉めると、外のオフィスの音は少し遠くなる。その静けさが、澪は嫌いではなかった。 鷹司は席に着く前に、一度だけ深く息を吸った。 その仕草を見て、澪は今日の話題が仕事ではないことを察した。 「以前、お話しすると約束していたことがあります」 「ご家族のこと、ですね」 「はい」 鷹司はゆっくり頷いた。 「私の家の話をします」 澪は急かさず、その続きを待った。 鷹司は、考えを整理するように視線を落としてから口を開いた。 「あなたも知っている通り、私は鷹司グループ創業家の人間です。ただ、一般的に想像されるような家庭だったかと言われると、少し違います」 「違う?」 「幼いころから、家には家の役割がありました。父は仕事が中心で、母もグループ企業の社会貢献活動などに関わっていて、家族全員が予定を合わせて食事をすることは、それほど多くありませんでした」 澪は静かに聞いていた。 「私は長男なので、いずれ経営に関わることは自然な流れとして育てられました。ただ、父は一つだけ繰り返し言っていました」 「何ですか」 「会社は家のものではない。社員から預かっているものだ、と」 澪は少し意外だった。 創業家と聞くと、もっと閉鎖的な価値観を想像していた。 「だから私は、グループに入る前に外資系コンサルティング会社へ行きました。外から経営を見る経験をしなさいという父の考えでした」 「それで、今の鷹司さんがあるんですね」 「ええ。戻ってきてからも、最初は現場ばかり回っていました。物流、食品、製造、小売、不動産……一通り経験しました」 澪は思わず笑った。 「だから現場の人と話すのが上手なんですね」 「上手というより、現場が知らない経営は危険だと思っています」 その言葉は、いかにも鷹司らしかった。 数字だけを見る人ではない。 人を見て、現場を見て、その上で判断する人だ。 だから澪も信頼できた。 少し間を置いてから、鷹
last updateLast Updated : 2026-07-04
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第54話 春を待つ部屋

三月中旬。 東京は少しずつ春らしい気温になってきたものの、朝晩はまだ冷え込んでいた。 澪は休日の午前中、自宅の窓を開けて空気を入れ替えていた。 柔らかな風がカーテンを揺らす。 部屋は一人暮らしには十分な広さだったが、最近は少しだけ狭く感じることが増えていた。 理由は分かっている。 この部屋で暮らす未来を、一人ではなく二人で考えるようになったからだった。 スマートフォンが震える。 鷹司からだった。 「今日、午後に家具を見に行きませんか」 澪は少しだけ笑った。 返事を打つ。 「家具ですか」 すぐに返信が来る。 「はい。まだ買うわけではありません。ただ、生活のイメージを持てればと思って」 いかにも鷹司らしい。 何事も準備から入る。 澪は「行きたいです」と返した。 午後。 都内の大型インテリアショップで待ち合わせると、鷹司はすでに到着していた。 休日らしい紺色のジャケット姿で、手には館内マップを持っている。 「早いですね」 「十五分ほど前に着きました」 「マップまで持ってる」 「効率よく回れるかと思いまして」 澪は思わず笑った。 「今日は仕事じゃないですよ」 「……そうでした」 少しだけ照れたように言う。 その表情を見るだけで、澪は自然と肩の力が抜けた。 店内へ入る。 最初に目に入ったのはダイニングテーブルだった。 木目の温かいものから、ガラス天板のモダンなものまで並んでいる。 「こういうのを見るの、初めてです」 澪が言う。 「私もです」 「意外です」 「今までは必要がありませんでした」 その言葉に、澪は少しだけ胸が温かくなった。 「これから必要になりますね」 「そうですね」 二人はゆっくり歩きながら、それぞれの家具を見て回った。 ソファ。 照明。 食器棚。 本棚。 どれもまだ買う予定ではない。 それでも、「もし一緒に暮らすなら」という前提で眺めるだけで、不思議と現実味が増していく。 ソファ売り場で、澪が立ち止まった。 淡いグレーの三人掛けだった。 「これ、座ってみますか」 「はい」 並んで腰を下ろす。 思ったより柔らかい。 「どうですか」 鷹司が聞いた。 「少し沈みますね」 「長時間座るなら、もう少し硬いほうがいいかもしれません」 「仕事の会議じゃないんで
last updateLast Updated : 2026-07-08
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第55話 もう一度、桜の下で

 三月最後の日曜日。 都内の桜は、ようやく咲き始めていた。枝の先には固い蕾も残り、その間に淡い花が点々と開いている。 澪は駅を出ると、去年と同じ道を歩いた。 隣には鷹司がいる。 一年前、この道を歩いたとき、二人はまだ上司と部下だった。「覚えていますか」 澪が聞くと、鷹司はすぐに頷いた。「忘れるはずがありません」「去年も、同じことを言っていましたね」「そうでしたか」「私が桜のことを覚えているか聞いたら、忘れるはずがないって」 鷹司は少し考え、小さく息を吐いた。「進歩がありませんね」「変わらないところがあってもいいと思います」 公園へ入ると、芝生にシートを広げる家族や、写真を撮る夫婦の姿が見えた。 その光景を眺めていると、未来というものが急に身近に感じられる。 以前の澪にとって、未来は不確かなものだった。 努力しても評価されるとは限らない。信じた人が隣にいてくれるとも限らない。 だから、期待しすぎないようにしていた。失ったときに傷つかないように。 けれど今は違う。「先週の家具、どうでしたか」 鷹司が聞いた。「楽しかったです。でも、一緒に暮らすことを、すぐ決めるのは早いかなと思いました」「嫌という意味ですか」「逆です。一緒に暮らしたいです。でも、結婚するから当然ではなくて、場所も時期も生活の仕方も、二人で決めたいんです」「はい」「仕事が忙しい時期も違います。家事の分担も必要です。私は料理が得意ではありませんし」「料理は練習します」「そこです」 澪は笑った。「すぐに改善計画を立てようとする」「問題が明確なら、対策を考えるべきかと」「家庭はプロジェクトではありません」「以前も似たことを言われた気がします」「これから何度も言うと思います」 鷹司はわずかに笑った。「では、そのたびに修正します」 二人は桜並木の奥へ進んだ。 去年、鷹司が澪に気持ちを伝えた場所が見えてくる。「ここでしたね」「はい」「去年の私は、鷹司さんが何を言おうとしているのか、全然わかっていませんでした」「かなり緊張していました」「鷹司さんが?」「あなたに断られる可能性を考えていました。私はあなたの上司でしたから」「だから、あんなに慎重だったんですね」「十分だったかは、今もわかりません」 澪は左手を上げた。 薬指の指輪
last updateLast Updated : 2026-07-12
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第56話 選ばれた理由

 月曜日の朝、澪が出社すると、開発室の空気がいつもより硬かった。 昨日届いた、グループAI統括室の新設に関するメール。その責任者候補として、澪の名前が記されていたからだ。「白石さん、異動するんですか」 若手の佐伯が、不安そうに尋ねた。「まだ決まっていません。今日、正式な説明を受けます」「異動したら、このチームはどうなるんでしょう」 その言葉に、他の社員たちも澪を見た。「私がいなくなっただけで動かなくなるなら、責任者として失敗です」「でも、白石さんが作ったチームです」「だからこそ、私一人に依存しない仕組みにしなければいけません」 成果を正しく記録すること。口頭の指示を残さないこと。問題が起きても、誰か一人に責任を押しつけないこと。 澪が作ってきたのは、自分がいなくても守られる仕組みだった。「白石さんは、行きたいんですか」「はい」 澪は迷わず答えた。「AIを作るだけではなく、どう使うかを決める仕事が必要だと思っています。便利だから、人件費が減るからという理由だけで導入すれば、いつか誰かが傷つきます」 佐伯はしばらく黙ったあと、頷いた。「なら、応援します」「ありがとうございます。でも、まだ決まったわけではありません」「白石さんなら、引き受けると思っていました」 その言葉に、室内の空気が少しだけ和らいだ。 午前十時。 澪は役員会議室へ呼ばれた。 室内には会長と数名の役員が座っていた。鷹司の姿はない。「率直に聞きます」 会長が設立計画書を机に置いた。「統括室の責任者を引き受ける意思はありますか」「あります」「即答ですか」「以前から必要だと考えていました」 役員の一人が口を開く。「技術者が、運用や責任まで考える必要がありますか」「必要です」 澪は答えた。「技術を知らない人だけで規則を作れば、現場では使えません。技術者だけで決めれば、できることばかりを優先してしまいます。両方の視点が必要です」 会長は腕を組んだ。「あなたが選ばれた理由は何だと思いますか」 澪は少し考えた。「失敗を知っているからだと思います」「失敗?」「私は、自分が作ったAIが正しく使われなかった経験があります。システムが優秀でも、運用する組織が間違っていれば意味がありません」「それだけですか」「いいえ」 澪は背筋を伸ばした。
last updateLast Updated : 2026-07-14
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第57話 匿名文書の送り主

 澪は、鷹司から送られてきた画像を拡大した。 文書には、統括室の新設を批判する言葉が並んでいる。『AIの停止権限を一人の技術者に与えることは、経営判断を放棄するに等しい』『白石澪は、過去にも独断でAIを停止し、勤務先を混乱させた』『個人的な感情でシステムを止める人物に、グループ全体の管理を任せるべきではない』 どれも、事実の一部だけを切り取った内容だった。 澪がAIを停止したのは、個人的な感情からではない。権限を奪われ、不正な運用をされる危険があったからだ。 だが、その事情を知らない者が読めば、文書の内容を信じるかもしれない。『送信元はわかりますか』 澪が尋ねると、鷹司からすぐに返信が届いた。『社外の匿名メールサービスが使われています。情報システム部が調査していますが、特定は難しいでしょう』『文書の内容を知っている人は限られます』『はい。統括室の構想と、あなたが候補であることを事前に知っていた人物です』 つまり、送り主は社内にいる可能性が高い。 澪はスマートフォンを閉じた。 開発室へ戻ると、佐伯が心配そうに声をかけてきた。「会議、どうでしたか」「条件付きで保留になりました」「条件?」「必要ならAIを止められる権限です」 佐伯は目を丸くした。「経営陣の許可がなくてもですか」「重大な危険がある場合だけです」「それ、反対する人が多そうですね」 澪は佐伯を見た。「どうして、そう思いますか」「AIを止められたら困る部署があるからです。導入にお金を使った人とか、成果として発表したい人とか」 それは、もっともな意見だった。 AIが危険だから反対しているのではない。 止められると困るから、澪を排除しようとしている。「佐伯さん」「はい」「最近、グループ各社で導入予定のAIについて、何か聞いていませんか」「詳しくは知りませんけど、営業部門で顧客評価AIを試すという話は聞きました」「顧客評価?」「契約を続ける価値があるか、AIに判断させるそうです」 澪は眉を寄せた。「誰から聞きましたか」「先週、営業企画の人が開発室に来たんです。過去の取引データを提供してほしいって」「許可したんですか」「いいえ。白石さんの承認が必要だと伝えました」 その報告を、澪は受けていない。「担当者の名前は?」「確か、川瀬さんです
last updateLast Updated : 2026-07-16
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第58話 止められないシステム

 男の名前は、黒崎だった。 以前の勤務先で、澪が開発したAIの導入を強く推進していた外部企業の担当者だ。 当時、黒崎は効率化という言葉を繰り返し、現場の反対意見を無視して計画を進めていた。「お久しぶりです、白石さん」 黒崎は笑顔のまま、向かいの席を示した。「どうぞ、お掛けください」 澪は表情を変えずに座った。「今回の顧客選別支援システムは、黒崎さんの会社が開発しているのですか」「正確には共同開発です。弊社が技術を提供し、こちらの営業企画部が運用を担当します」 隣に座る川瀬が資料を差し出した。「すでに試験運用の準備は整っています。白石さんの開発室には、学習用データの提供だけをお願いしたいと考えています」「正式な申請は確認できませんでした」「手続きが遅れているだけです」「手続きを終える前に、データを求めたのですか」 川瀬の笑顔がわずかに引きつった。「時間がなかったもので」「顧客情報を扱う案件で、時間がないという理由は通用しません」 澪は資料を開いた。 顧客の取引履歴、支払い状況、問い合わせ回数、担当者の評価。 それらをAIに学習させ、今後利益を生む可能性が低い顧客を抽出する。「評価の低い顧客は、契約更新の対象から外すと書かれています」「経営判断を支援するだけです」 黒崎が答えた。「最終的に決めるのは人間です」「では、判断した人間の名前は記録されますか」「必要ありません」「なぜですか」「AIが客観的な数値を示すからです」 澪は資料から顔を上げた。「AIの判断は、客観的とは限りません」「また、その話ですか」 黒崎は呆れたように息を吐いた。「白石さんは、AIに慎重すぎる。自分で作ったシステムさえ止めたほどですからね」「問題があれば止めるのは当然です」「その結果、会社を混乱させた」「不正な運用を続けるよりはましでした」 会議室に緊張が走った。 川瀬が慌てて口を挟む。「過去の話は、そのくらいにしましょう。今回のシステムには安全対策があります」「どのような対策ですか」「異常な結果が出れば、担当者が確認します」「異常の基準は?」 川瀬は答えられなかった。 代わりに黒崎が口を開く。「数値が大きく外れた場合です」「過去のデータに偏りがあれば、正常に計算しても不公平な結果が出ます」「理論上の話です
last updateLast Updated : 2026-07-17
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第59話 止めるための権限

 警告音が、開発室に響き続けていた。『処理を継続します』 画面には同じ文字が表示され、遮断命令を受け付けない。「白石さん、何が起きているんですか」 佐伯が椅子から立ち上がった。「営業企画部の検証環境から、顧客データへのアクセス要求が来ています」「でも、接続は許可していませんよね」「許可していません」 澪は操作履歴を確認した。 アクセスは通常の社内経路を通っていない。黒崎たちが用意した外部環境から、連携用の認証情報を使って接続している。 その認証情報は、開発室が発行したものではなかった。「佐伯さん、顧客データベースを保守モードへ移行してください」「利用中のシステムも止まります」「完全停止ではありません。参照だけを一時的に制限します」「わかりました」 佐伯が作業を始める。 澪は接続先ではなく、データベースそのものを守る方法へ切り替えた。 相手の処理を止められないなら、渡す側を閉じればいい。「保守モードに移行しました」 画面上のアクセス数が減少した。 しかし、完全には消えない。「まだ接続されています」「複製データです」 澪はログを見ながら答えた。 営業企画部の環境には、すでに一部の顧客情報がコピーされている。 誰かが、正式な申請を通さずに持ち出したのだ。 そのデータを使って、AIは処理を続けている。「情報システム部へ連絡します」「待ってください」 澪は佐伯を止めた。「電話ではなく、緊急申請を出してください。記録を残します」 黒崎は手続きを軽視していた。 だからこそ、こちらは手続きを使って止める。 誰が、いつ、何を知り、どの判断をしたのか。 すべてを記録に残す必要がある。 澪は緊急対応申請を作成した。 顧客情報への未承認アクセス。 外部環境へのデータ複製の疑い。 遮断命令に従わないシステム。 重大な情報漏洩につながる可能性あり。 送信した直後、内線電話が鳴った。『白石さん、何をしたんですか』 川瀬だった。「顧客データへの接続を制限しました」『今すぐ戻してください。検証処理が止まっています』「未承認の処理です」『役員の許可があります』「承認文書を提出してください」『今はそんなことを言っている場合ではありません。処理を中断すれば、これまでの検証結果が失われるんです』「顧客情報が失
last updateLast Updated : 2026-07-17
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第61話 排除対象

「どうして、私の名前が……」  澪は画面を見つめた。  東央リテールの社員情報を分析しているはずのシステムに、白石澪という名前が表示されている。  所属欄には、現在の会社名。  職種欄には、社内SE、AI開発責任者。  さらに、危険度を示す数値まで記載されていた。 『組織への反抗性――高』 『システム停止実績――あり』 『経営判断への影響――重大』 『排除優先度――最上位』  情報システム部長が、画面を操作する。 「東央リテールから取り込んだ情報ではありません。別のデータが混ざっています」 「どこからですか」 「接続経路を確認しています」  澪は、自分の名前を選択した。  詳細画面が開く。  そこには、以前の勤務先で起きた出来事が記録されていた。  AIを停止した日時。  元婚約者との関係。  退職後に転職した会社。  鷹司との婚約まで書かれている。  社内の人事情報だけでは、集められない内容だった。 「個人情報を集約している……」  法務部長が低い声で呟いた。 「一社のデータではありませんね」 「複数の企業から集めた情報を、一つの人物情報として統合しています」  澪は画面を読み進めた。  評価の根拠として、メール、会議記録、人事情報、取引履歴、外部の記事が並んでいる。  正しい情報もあった。  しかし、事実を歪めた記述も多い。 『個人的な感情を理由に、基幹AIを停止』 『経営陣へ過度な要求を繰り返す』 『婚姻関係を利用し、企業経営へ介入する可能性』  黒崎が匿名文書に書いた内容と似ていた。 「この評価結果が、匿名文書の元になった可能性があります」  澪が言うと、会長が眉を寄せた。 「黒崎が書いたのではないと?」 「本人が送った可能性はあります。ただ、文章の一部は、このAIが作成したのかもしれません」 「AIに排除対象を選ばせ、理由まで作らせているということですか」 「はい」  澪は画面を閉じた。  人間が先に排除したい人物を決めたのか。  AIが集めた情報から、勝手に選んだのか。  どちらにしても危険だった。 「東央リテールへ連絡します」  営業企画部長が立ち上がった。 「待ってく
last updateLast Updated : 2026-07-19
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