All Chapters of 結婚式当日、妹と寝た婚約者を退け、叔父の妻となる: Chapter 61 - Chapter 70

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61話「濃い人たち」

 出勤すると、入口で藤堂が待っていた。「昨日の資料、ちゃんと眠れました?」 瑠衣は靴を脱ぎかけたところで止まった。「……資料ですか?」「はい」 藤堂は真顔だった。「大丈夫です」「ならよかったです。でも今日は無理しないでくださいね」 瑠衣は鞄を置き、昨日使った机へ向かった。 席につくと、今度は御厨が机の横に立った。「昨日動かした資料、戻してください」「すみません」「いえ。戻す場所はこちらです」 指された棚へ目を向ける。 昨日は同じように見えた背表紙が、今日は少しだけ違って見えた。御厨が示した位置には、青いファイルが三冊並んでいる。「左から二冊目です」「はい」 手を伸ばす前に、御厨が続けた。「その隣には触らないでください」「分かりました」 資料を戻す。 その直後だった。「そのファイル、表紙の紙が違いますね」 氷川がいつの間にか隣にいた。 瑠衣は藤堂、御厨、氷川の順に顔を見た。「……はい」  朝から、三人とも元気だった。 資料整理を始めてしばらくすると、また藤堂が来た。「お昼、ちゃんと食べますよね?」「はい」「昨日の昼も少なかったですよね」「見てたんですか?」「新人教育ですから」 真顔のまま離れていく。 その背後から御厨が手を伸ばした。「この資料だけは分類を変えないでください」「分かりました」「場所を覚えるまで、付箋を貼っても構いません」 御厨が一枚の付箋を置いた。「ただし、貼る位置は右上です」「……はい」 御厨が去る。 瑠衣が付箋を見つめていると、今
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62話「同じようなもの」

 朝、瑠衣が灯火書房の扉を開けると、いつもの時間には聞こえる藤堂の声がなかった。受付を通り、資料室へ向かう途中で時計を見る。始業時刻を少し過ぎている。 いつもなら誰より先に来ている藤堂の机には、まだ鞄がなかった。昨日まで置かれていた小さな菓子袋もない。瑠衣が席についたところで、入口の扉が開いた。 しばらくして藤堂が入ってきた。息を切らしているわけでもなく、髪が乱れているわけでもない。鞄を机の脇に置くと、いつものように資料を抱えた。「おはようございます」「おはようございます」 それだけだった。 藤堂はパソコンを立ち上げ、昨日の続きの資料を机へ並べた。いつもと同じ手つきだった。 午前中、藤堂はいつも通り仕事をした。遅れてきたことには触れなかった。瑠衣も触れなかった。ただ、いつもより少しだけ動作が遅い気がした。資料を手渡すときも、机に置くときも、ほんの少しだけ。 昼休み、瑠衣が席を立とうとしたとき、藤堂の机の上に古い社員証のようなものが置かれているのが見えた。角が擦れ、写真も今より若い。藤堂はそれを指先でなぞっていた。 瑠衣の気配に気づくと、藤堂はすぐに裏返した。「昔のものです」「……そうなんですか」 藤堂は社員名簿を元の場所に戻した。丁寧に、ゆっくりと。それから別の資料に手を伸ばした。話は終わった。そういう空気だった。瑠衣は抱えていた資料を棚に並べながら、その背中を少しだけ見た。藤堂の肩幅は、思っていたより小さかった。いつも資料を抱えて歩いている姿しか見ていなかったから、気づかなかった。 午後、瑠衣が資料を運んでいると、資料室の隅で藤堂が古いファイルを整理していた。茶色く変色した紙が何冊も並んでいる。表紙には年度が手書きされていた。 瑠衣が一冊を持ち上げると、中から古い社員名簿が滑り出した。紙は薄く、端が少し波打っている。 目を走らせていくと、藤堂の名前があった。日付は二〇〇〇年代の初めだった。「藤堂さん、長いんですね」「そうですね
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63話「捨てないもの」

 午前中から資料室の整理をしていた。古いパンフレットや販促物、企画書の控えが入った箱を一つずつ開けて、保存するものと廃棄するものを分けていく。紙の端が擦れる音が重なり、机の上には細かな紙片が少しずつ増えていった。  瑠衣は確認を終えた資料を廃棄予定の箱へ入れていく。古いものほど文字が薄くなっていて、紙にも長くしまわれていた匂いが残っていた。  一枚の販促物を手に取ったところで、背後から声がした。 「それ、捨てないでください」  瑠衣の手が止まる。  振り返ると氷川が立っていた。視線は瑠衣ではなく、その手元に向いている。 「廃棄予定と書いてありますけど」 「書いてありますね」 「では、どうして……」  氷川が資料を受け取った。表と裏を確かめ、端を指先で軽く弾く。 「紙がいいんです」  瑠衣は資料を見た。  古い。少し黄ばんでいる。文字も今の印刷物より粗く見える。 「……紙が?」 「はい」  氷川は当然のように頷いた。 「この厚さで、この印刷なら残したほうがいいです」  瑠衣は廃棄箱と氷川の手元を交互に見た。 「でも、これ、もう使わないですよね?」 「使いません」 「じゃあ……」 「だからこそです」  氷川は真顔だった。  資料を机へ置くと、今度は紙の端を親指でゆっくり撫でた。 「見てください。表面が少しざらついているでしょう」 「はい」 「インクの乗り方も今とは違います。文字の周りが少し沈んでいるのが分かりますか」  瑠衣は顔を近づけた。 「……少しだけ」 「この時代の印刷は、紙に合わせてインクの量を変えていたんです。たぶん」 「たぶんなんですね」 「すみません。そこは資料を調べないと分かりません」  氷川は一度口を閉じた。  瑠衣がほっとしたのも束の間だった。 「ただ、紙についてはかなり分かります」 「そうですか」 「この厚さなら保存状態がよければ
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64話「知らないところで」

 昼休みになると、社員食堂が少しずつ混み始めた。灯火書房には部署ごとに席が決まっているわけではなく、空いている場所へ社員が自然に集まっている。瑠衣も藤堂、御厨、氷川と同じテーブルについた。 窓際では別の部署の社員が仕事の話をしている。食器の触れ合う音と話し声が重なる中で、氷川は食事より先に机の端へ置かれた雑誌を手に取っていた。「これ、先月のですね」「食べてからにしてください」「すみません」 氷川が雑誌を伏せたところで、藤堂が何気なく口を開いた。「そういえば、最近オルビット・コミュニケーションズが大変らしいですよ」 瑠衣の箸が止まった。 持ち上げたご飯が、そのまま少しの間だけ宙に浮く。瑠衣は静かに箸を下ろした。「大変、ですか?」「ええ。取引先の人がそんな話をしてました」 藤堂は煮物を一口食べてから、湯飲みに手を伸ばした。「前にうちと広告の企画をしていたところでしょう?」「そうです」 御厨が頷く。「少し揉めたみたいですね」 瑠衣は弁当の端にある卵焼きへ箸を伸ばした。味はいつもと変わらないはずなのに、口へ運ぶまで妙に時間がかかった。「広告の担当だった社員さんが、若い俳優さんと一緒にいるところを週刊誌に撮られたとか」 瑠衣の箸先が弁当箱の隅に触れた。 梨香子の顔が浮かぶ。 けれど、その名前は誰の口からも出なかった。「それで企画も変更になったらしいですよ」 藤堂は煮物の汁が蓋につかないように箸で端へ寄せている。「まあ、若い人ですしね」「若いからって、何でも許されるわけじゃないと思いますけど」 御厨が湯飲みを持ち上げる。「仕事と私生活は分けた方がいいと思いますけど」 瑠衣は顔を上げた。 御厨は誰かを責めるような顔をしていない。ただ湯飲みの
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65話「お願いできること」

 午前中、瑠衣は資料整理の机に向かっていた。前日に戻ってきた書類を年度ごとに分け、確認を終えたものからファイルへ収めていく。 電話が鳴ったのは、ちょうど一冊の背表紙を揃えたところだった。「資料整理の担当って、江品さんで合っていますか?」 受話器を耳に当てたまま、瑠衣は手元のファイルに目を落とした。「はい」 相手は営業部の高瀬と名乗った。数年前のイベント資料を探しているらしい。開催時期と資料の内容を聞きながら、瑠衣は空いている用紙にメモを取った。「少々お待ちください。確認します」 受話器を置くと、隣の机にいた御厨へ視線を向ける。「御厨さん。この年度のイベント資料なんですが……」「江品さんが担当した資料なら、江品さんが探した方が早いですよ」 御厨は画面から目を離さず、右手だけを資料庫の方向へ向けた。 瑠衣は一度だけ瞬きをした。それから手元のメモを持ち上げる。「分かりました。確認してみます」 立ち上がり、資料庫へ向かった。 受話器を置いたあと、瑠衣はメモした日付をもう一度確認した。三年前の資料だった。ファイル名だけでは判別しにくいものも多く、資料庫の配置を思い浮かべながら歩く。机の端に置いていたペンを戻し、メモだけを持って進んだ。 資料庫の扉を開けると、棚には年度ごとに並んだファイルが続いていた。瑠衣はメモを見ながら該当する棚を探し、背表紙を一冊ずつ確認していく。見つけた資料を机へ戻して中身を確認すると、探していたイベント名が目に入った。 必要なページを抜き出し、コピーを取る。原本を元の位置へ戻してから、コピーを封筒に入れた。 高瀬のいる営業部へ向かうと、何人かが机を囲んで資料を見ていた。営業部の机には、開いたパソコンと書類がいくつも並んでいる。高瀬は瑠衣に気づくと振り向いた。「これです」「助かりました。これ、ずっと探してたんです」 高瀬は受け取った資料をすぐに開き、目的のページをめくった。紙を押さえる指が止まり、探していた箇所を見つける。
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66話「血のない家族」

 午後の資料整理をしていた瑠衣のスマートフォンが机の上で震えた。画面には母の名前が表示されている。手を止めて確認すると祖父の法事についての連絡だった。日時と場所を確かめてから短く返信する。しばらく画面を見ていたが、追加の連絡が来る様子はなかった。瑠衣はスマートフォンを伏せ、開いていた資料へ手を戻した。「ご家族の用事ですか?」 向かいの机から藤堂が顔を上げている。「祖父の法事です」「それは行かないとですね」「はい」 瑠衣はスマートフォンを鞄へしまった。資料の端を揃えてから、途中だった数字の確認を続ける。藤堂もそれ以上は聞かなかった。隣の机では御厨が画面を見たまま作業を続けている。いつもの午後だった。  法事の日は朝から曇っていた。駅から歩いていくと寺の門が見えてくる。境内にはすでに何台か車が停まっていて、親族らしい人たちが本堂へ向かっていた。見覚えのある顔もあれば、名前の分からない人もいる。瑠衣は軽く頭を下げながら、その中を通った。 靴を脱いで中へ入ると、父がすぐに気づいた。「せっかくの会社を辞めて、今はどうしてるんだ」「働いてる」「どこで?」「出版社」 父は一度瑠衣の顔を見てから、隣にいた親戚へ視線を移した。「出版社か。前よりはいいのか?」「普通」 母が横から口を挟む。「お給料は大丈夫なの?」「大丈夫」「そう」 母はそれ以上聞かなかった。瑠衣が座布団へ座ると、少し離れたところにいた真衣がこちらを見る。以前より大きくなったお腹を抱えるようにして座っていた。「お姉ちゃん、仕事辞めたんだっけ?」「うん」「ああ、そう」 真衣はそれ以上何も言わず、お腹へ手を添えた。瑠衣も正面へ向き直る。母が親戚の誰かと話し始め、父は別の人に呼ばれて席を
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67話「育ててもらいました」

 午前中、瑠衣は資料室の奥で古い段ボール箱を開けていた。 表面は日に焼けて茶色く変色し、テープの跡がいくつも重なっている。角が少し潰れ、持ち上げるとかすかに軋む音がした。蓋を開けると、埃っぽい紙の匂いが立ちのぼった。奥の棚の隙間から、長年動かされていなかったことが分かる薄い埃の層が見えた。窓から差し込む光の中に、埃が細かく舞うのが見えた。  中には、灯火書房の創業当時のものらしい書類が詰まっていた。 手書きの帳簿。角の擦り切れたパンフレット。インクの色が薄くなった契約書の控え。表紙に書かれた年号は、瑠衣が生まれるよりも前のものだった。ひとつひとつを丁寧に取り出しながら分類していく。紙は乾いていて、扱うたびにかすかな音を立てた。 帳簿のページをめくると、几帳面な数字の並びが目に入った。誰の字なのか、瑠衣には分からなかった。パンフレットの隅には、今とは違う古いロゴマークが印刷されていた。 書類の束の下に、封筒に入った写真が何枚か重なっていた。封筒の紙はすでに黄ばみ、端が少し丸まっている。瑠衣はその封筒を手に取り、中身を確認しようとした指を止めた。何が入っているのか分からないまま、しばらく手のひらの上で重さを確かめていた。封筒の隅には、消えかけた鉛筆書きで日付らしき数字が記されていた。  封筒の口を開け、一枚を取り出す。 写真は全体的に色が褪せ、赤みがかった色調になっていた。小さな事務所らしき場所に、数人の男女が並んで写っている。机の上には古いタイプライターが置かれ、壁には手描きの案内板のようなものが掛かっていた。今の灯火書房とは違う、狭く簡素な部屋だった。段ボール箱が壁際に積まれ、床には配線コードがむき出しのまま這っている。窓には今はもう使われていないタイプのカーテンが掛かっていた。 端のほうに、まだ若い灯が写っていた。今よりも髪が長く、表情も硬い。少し緊張したような立ち姿で、カメラのほうをまっすぐ見ていた。 その隣に立つ人物の顔に、瑠衣は目を留めた。目尻の皺の寄り方、少し傾いた立ち方に、見覚えがあった。「......おじいちゃん」 声に出してから、瑠衣は思わず周囲を見渡した。資料室には誰も気づいた様子がない。御厨は棚の前で資料を確認しており、氷川は隅の机で別の作業に没頭していた。窓の外を、鳥の影が一羽横切っていった。  瑠衣はもう一度、写真に視
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68話「それだけは」

 午前中、瑠衣は資料室で古い契約書の整理をしていた。年度ごとに分けられたファイルを棚から取り出し、保存するものと確認が必要なものを机の上で分けていく。紙の端が揃っていない束を見つけるたびに、瑠衣は日付を確かめてから順番を直した。 棚の奥から取り出したファイルには、古い付箋が何枚も貼られていた。書かれている文字を確認しながら一枚ずつ剥がし、必要なものだけ新しい付箋へ書き直す。作業を始めてからしばらく経ったところで、受付の方から人の話し声が聞こえた。 瑠衣は手を止めなかった。 資料の束を揃え、ファイルを閉じる。次の箱へ手を伸ばした。 その頃、灯火書房の受付には見覚えのある男性が立っていた。「相沢灯社長にお取次ぎいただけますか」 藤堂が顔を上げる。「お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」「江品です」 藤堂は一度だけ相手の顔を確認した。「承知しました。社長がお話ししますので、少々お待ちください」「お願いします」 藤堂は内線を取り、来客があることを灯へ伝えた。ほどなくして応接室の準備が整い、父は案内されていった。 資料室には、そのことを知らない瑠衣がいる。 応接室では、灯が向かいの席に座っていた。「ご無沙汰しています」「こちらこそ」 父が持参した資料を机の上へ置く。灯はそれを受け取り、表紙を確認してから中を開いた。「こちらの件ですね」「ええ。先方から確認がありまして」「分かりました。担当に確認しておきます」 父が資料の一箇所を指差す。「この数字なんですが、先方では前回のものと違うと言っていまして」 灯はページを一枚戻した。「前回はこちらです。今回の数字は契約条件が変わった後のものですね」「ああ……そうでしたか」「念のため、担当から改めて説明させます」「お願いします」 父が頷く。 仕事の話だけなら、二人の間に特別な違和感はなかった。資料のページがめくられ、日付と案件名が確認される。必要なことだけが短く交わされていく。「では、こちらは後ほどご連絡します」「助かります」 父が資料を閉じた。 そこで、ほんの少し間が空いた。「……親父も、最後までお前のことを気にしてたよ」 灯の指が、閉じた資料の端に触れた。「そうですか」「あの人は昔から面倒見がよかったからな」 父は椅子の背へ体を預けた。懐かしむような口調だっ
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69話「社長だけど」

 土曜日の昼前になると、玄関の呼び鈴が鳴った。瑠衣が扉を開けると、灯がいつものように立っている。手には薄い紙袋が一つあった。「こんにちは」「こんにちは」 灯は靴を脱ぎ、揃えてから廊下へ上がった。洗面所で手を洗い、戻ってくると鞄から本を一冊取り出す。いつもの場所へ座る前に書棚の前で少し迷い、そこから別の一冊を抜いた。 瑠衣はその様子をキッチンから見ていた。先週のことが頭に残っていたせいか、灯の一つ一つの動作に目が向く。けれど灯は特に変わった様子もなく、椅子に座ると本を開いた。 ページをめくる音が聞こえる。 瑠衣は冷蔵庫から食材を取り出した。「何か食べますか?」「お願いします」 返事もいつも通りだった。瑠衣は包丁を取り出し、まな板の上へ置く。しばらくすると、肩に入っていた力が少し抜けた。 昼食を終えたあと、灯はまた本を読んでいた。瑠衣は向かいの席で食器を片づけながら、ふと思いついたことを口にした。「灯さんって、社員さんにはどんな感じなんですか?」「普通だと思います」「本当に?」「はい」 灯は本から顔を上げた。真面目に答えているらしい。その顔を見ていると、瑠衣は少しだけ笑ってしまった。「藤堂さん、そう思ってない気がします」「そうですか?」「この前も、灯さんに仕事を頼んでましたし」「社長なので」「社長なのに、御厨さんに資料の場所を聞いてましたよね」「御厨さんの方が詳しいので」 灯は当然のように答えた。 瑠衣は食器を重ねながら、先日の資料整理を思い出した。御厨は資料の棚をほとんど迷わず案内していた。氷川は紙の種類まで覚えている。藤堂も各部署の動きを把握している。「灯さんって、分からないことは普通に聞くんですね」「知っている人に聞いた方が早いですから」「社長なのに?」「社長でも分からないことはあります」 その答えがあまりにも平然としていて、瑠衣はまた笑った。 灯は不思議そうに瑠衣を見る。それから何事もなかったように本へ視線を戻した。 午後になって、瑠衣がコーヒーを淹れていると、背後から小さな息の音が聞こえた。振り返ると、灯が本を片手にしたまま口元を押さえている。「今、笑いました?」「……はい」「珍しいですね」「面白かったので」 灯は本のページを指で押さえたまま、もう一度そこを読み返している。瑠衣が近づいて表
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70話「久しぶり」

 同窓会の会場は駅から少し歩いたところにある店だった。入口には案内板が置かれ、階段を上がると受付の机が見えた。店の中からは人の話し声が重なって聞こえている。受付で名前を書こうとしていると、後ろから声がした。「瑠衣?」  振り返ると、昔の友人が立っていた。髪型は変わっていたけれど、笑うときに少しだけ目を細める癖は昔のままだった。 「久しぶり」 「本当に久しぶり。何年ぶり?」 「十年くらい?」 「そんなになる?」  二人で顔を見合わせて笑った。瑠衣は受付で書きかけていた名前を最後まで記入し、ペンを戻した。店の奥から別の声が飛んでくる。知っている名前がいくつか聞こえた。  席へ案内されると、すでに何人かが集まっていた。結婚した人もいれば、子どもを連れている人もいる。転職したという話もあったし、まだ独身だという人もいた。昔は同じ教室にいたのに、今はそれぞれ違う場所で暮らしているらしい。 「瑠衣、こっちこっち」  手を振られて、瑠衣は空いている席へ腰を下ろした。テーブルの上には料理が並び、飲み物を注文する声が行き交っている。最初は誰の名前だったか思い出せない人もいたが、話しているうちに当時の呼び方が戻ってきた。 「そういえば、あの先生まだ学校にいるらしいよ」 「本当?」 「去年見かけたって」 「ええ……まだいるんだ」  笑い声が起きる。瑠衣も笑った。昔の話をしていると、覚えていなかったことまで少しずつ出てくる。教室の窓際の席や、放課後に寄った店の名前まで、誰かが口にするたびに思い出した。 「瑠衣は? 今どうしてるの?」  料理を取り分けながら聞かれて、瑠衣は少しだけ箸を止めた。 「仕事は辞めたの」 「え?」 「去年。いろいろあって」  詳しく聞かれたので、瑠衣は会社で関わっていた企画のことを簡単に話した。別の社員が途中から強く意見を出すようになったこと。話がまとまらなくなり、最終的には自分にも責任があるような形になったこと。そして退職したこと。 「それで、今は?」 「別のところで働いてる」 「転職したんだ」 「うん。資料整理みたいな仕事
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