All Chapters of 結婚式当日、妹と寝た婚約者を退け、叔父の妻となる: Chapter 81 - Chapter 90

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81話「いつもの場所」

 土曜日の朝、瑠衣はいつもより少し早く目を覚ました。カーテンを開けると、まだ柔らかな光が窓から差し込んでいる。時計を見てから台所へ向かい、やかんに水を入れた。コンロに火をつけてから、食器棚を開く。朝食用の皿を取り出し、ついでに湯飲みを一つ出したところで手が止まった。少し考えてから、もう一つ並べる。そこでようやく瑠衣は首を傾げた。  誰かが来る予定があるわけではない。そう思いながら、昨夜使った書庫へ向かった。読み終えた本を棚へ戻し、少しずれていた背表紙を揃える。机の端に残っていた紙片を拾い、棚の隅に溜まった埃を布で払う。普段なら気にしない程度のずれまで直していることに気づき、瑠衣は布を持ったまま動きを止めた。 「……何してるんだろう」  独り言のように呟いたものの、布を置くことはなかった。もう一度棚を見て、斜めになった一冊を押し込む。机の上に置かれていた栞も本の横へ揃えた。やかんが沸いた音がして、瑠衣は台所へ戻った。  それからしばらくして、玄関のチャイムが鳴った。瑠衣は手を拭いて玄関へ向かう。扉を開けると、灯がいつもの鞄を持って立っていた。 「こんにちは」 「こんにちは」 「今日は少し早く来ました」  瑠衣は玄関脇の時計を見る。いつもより数分早いだけだった。 「そうですね」  灯は靴を脱ぎ、いつものように端へ揃えた。瑠衣はその様子を見てから、書庫へ続く廊下を先に歩いた。  台所へ戻り、二人分のお茶を淹れる。やかんから湯を注ぐと、茶葉の香りがふわりと立ち上った。湯飲みを盆へ載せて書庫へ運ぶと、灯はすでに窓際の椅子へ座っていた。手元には一冊の本が開かれている。 「どうぞ」 「ありがとうございます」  灯が湯飲みを手に取る。口をつけて、一口飲んだ。 「今日は少し濃くしました」 「……分かりましたか?」  瑠衣は自分でも少し驚いた。灯は湯飲みを机へ戻して、瑠衣を見る。 「いつもより少しだけ」 「覚えてるんですか?」 「毎週淹れてますから」  そう答えてから、瑠衣は自分の湯飲みに手を伸ばした。言われてみれば、その通りだった。何度も同じ場所でお茶を淹れていれば、相手
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82話「いない土曜日」

 土曜日の朝は、いつもと変わらず始まった。カーテンを開けて窓を少しだけ開ける。まだ暑さの残る空気が部屋に入り込み、瑠衣はすぐに窓を閉めた。台所へ行き、湯を沸かして朝食を用意する。トーストを焼いている間に時計を見ると、いつもの時間が近づいていた。瑠衣は焼き上がったパンを皿へ移し、そのまま玄関の方へ視線を向けた。 チャイムは鳴らなかった。食器を片付けながら、もう一度時計を見る。少し遅いだけかもしれない。そう思って洗い物を続けたが、蛇口から流れる水の音が途切れても玄関は静かなままだった。瑠衣は手を拭き、スマートフォンを確認する。新しい通知はない。「……そういえば、今日は来るとは言ってなかった」 口にしてから、スマートフォンを机へ置いた。約束をしたわけではない。前の土曜日に次の予定が決まったわけでもない。ただ、灯は土曜日になると訪ねてくることが多かった。それだけのことだった。 瑠衣は棚から茶葉を取り出した。いつものように二人分を用意しかけて、手を止める。茶筒の蓋を閉め、一人分だけ湯を注いだ。けれどカップを持ったまま少し迷い、結局もう一つのカップも棚から出してしまう。並べた二つのカップを見てから、瑠衣は小さく息を吐いた。 午前中は書庫の整理をすることにした。先週、灯と一緒に見た棚の前には数冊の本が積んである。瑠衣は背表紙を揃えながら、ふと一冊を抜き取った。灯が手に取っていた本だった。ページを開いてみる。途中に挟まれた栞を見つけて、そのまま閉じた。 廊下へ出ると、門の外で車が止まる音がした。瑠衣の足が一瞬止まる。けれど聞こえてきたエンジン音は、そのまま遠ざかっていった。瑠衣は何もなかったように歩き出したが、書庫へ戻ってからも手にした本を棚へ戻すまで少し時間がかかった。  昼前になって、スマートフォンが震えた。画面を見ると灯からだった。『今日は取引先との打ち合わせがあるため、伺えなくてすみません。また来週お願いします』 瑠衣は文章を読み終えてから、もう一度最初から目を通した。返信欄を開く。『そうなんですね。お気になさらず』 送信したあと、画面を伏せる。すぐに仕事へ戻ろうとしたが、さっきの文面が頭に残った。「
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83話「仕事帰りの寄り道」

  定時を少し過ぎたところで、瑠衣はパソコンを閉じた。残っていた仕事を片付けて鞄を持つ。フロアを出ると、夕方の空気が昼間より少しだけ涼しくなっていた。駅へ向かう人の流れに混ざり、いつもの道を歩く。交差点を渡ったところで、瑠衣はふと足を止めた。 駅へ向かうはずだった足は、しばらく動かなかった。会社では誰かに呼び止められたわけでもない。急ぐ理由もなかった。瑠衣は腕時計を見て、閉店時間までまだ余裕があることを確かめる。そこでようやく、書店へ行く理由ができたような気がした。 駅とは反対側に、小さな書店がある。白い看板に黒い文字が並び、入口の横には新刊の棚が置かれていた。灯火書房のように広く整えられた空間ではなく、棚と棚の間も少し狭い。仕事帰りに何度か見かけていた店だった。「そういえば、あの本……」 瑠衣の頭に浮かんだのは、先週書庫で見つけた本だった。灯と話していたときに出てきた題名もいくつか思い出す。足元を見ていた視線を上げると、書店の明かりが目に入った。瑠衣は少しだけ迷ってから、駅ではなく店の方へ歩き出した。 扉を開けると、小さなベルが鳴った。店内には紙とインクの混じった匂いが残っている。棚には新刊と文庫が分けて並び、入口近くでは話題作が平積みにされていた。照明は明るすぎず、背表紙を読むにはちょうどいい。奥では店員が一人で本を整理している。 瑠衣は新刊の棚から順に眺めた。以前ならタイトルや帯の文章を先に見ていたはずなのに、今日は表紙の手触りが気になる。紙の厚さを指で確かめ、帯の端を眺める。棚から一冊抜いて、カバーを裏返した。 氷川が話していたことを思い出す。紙の種類が違えば手にしたときの印象も変わる。製本の仕方によってページの開き方まで違うらしい。あのときは難しい話だと思って聞いていた
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84話「好きな本を教えてください」

 土曜日の朝、瑠衣はいつもより少し早く目を覚ました。カーテンを開けると、庭にはまだ柔らかな朝の光が残っている。顔を洗い、朝食を済ませてから書庫へ向かった。机の上には先週買った本を置いてある。瑠衣は表紙を撫でてから手に取り、昨日まで読んだところを開いた。数ページ進んだところで、玄関のチャイムが鳴った。 瑠衣は本を閉じた。栞を挟み、机へ置く。廊下を歩いて玄関へ向かうと、扉の向こうから聞き慣れた声がした。「こんにちは」「こんにちは」 扉を開ける。灯がいつものように本を一冊抱えて立っていた。瑠衣は少しだけ笑って、身体を横へずらす。灯が靴を脱ぐ。革靴は三和土の端へ揃えて置かれた。 先週とは違う朝だった。瑠衣はそんなことを考える前に、灯を中へ通した。灯が書庫へ向かう背中を見ながら、瑠衣は玄関に置かれた靴へ一度だけ目を向けた。 書庫では、窓から入る光の中に細かな埃が浮かんでいた。二人は向かい合って座り、それぞれの本を開く。ページをめくる音が交互に聞こえる。ときどき灯が眼鏡を押し上げる。瑠衣はその動きを横目に見てから、自分の本へ視線を戻した。 しばらくして、瑠衣は読んでいた本を閉じた。表紙を上にして、二人の間の机へ置く。「買われたんですね」「はい。仕事帰りに見つけて」 灯が本を手に取った。表紙を眺め、帯へ目を移す。指先で紙の端を確かめてから、ゆっくりページを開く。
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85話「藤堂さんの勘」

 平日の灯火書房は、土曜日とは違う音で満ちていた。電話の呼び出し音が鳴り、プリンターが紙を吐き出す。コピー機の動く音も重なっている。瑠衣は自分の机で資料を分類し、確認したものからファイルへ戻していた。日付を確認し、順番を揃える。途中で御厨から資料の場所を聞かれ、棚を指で示す。別の社員からも確認を頼まれ、瑠衣は手を止めて答えた。 昼前、藤堂が資料を取りに来た。瑠衣の机の端に置かれた本へ、藤堂の視線が一度だけ落ちる。借りた本は仕事の資料に紛れないよう端へ寄せてあった。「それ、読むの?」「はい。おすすめしてもらって」「へえ」 藤堂は本をもう一度見ることもなく、必要な資料を抱えた。そのまま自分の机へ戻っていく。瑠衣はファイルの続きを開き、付箋の位置を確かめた。 昼休みになると、フロアの空気が少し緩んだ。弁当の蓋を開ける音や、給湯室から聞こえる湯の音が重なる。窓際の席では数人が昼食を取りながら話している。瑠衣は自分の席を離れず、机の上を片付けてから小さな水筒を開けた。食事を終えると、机の端に置いていた本を開いた。朝から気になっていた箇所を読み直す。文章の中に出てくる小さな描写が前に読んだときとは違って見え、瑠衣は付箋を一枚貼った。 ページを閉じようとしたところで、藤堂が近くを通った。瑠衣は栞を挟もうとしたが、ちょうど目に入った一文が気になって、そのまま数行読み進めた。藤堂は足を止めるほどではない。けれど瑠衣の手元へ目を向け、本の表紙を確認する。それから机の上へ視線を落とした。資料の横に本があり、その脇には栞と付箋が置かれている。「最近、本ばっかり読んでない?」「そうですか?」 瑠衣は本を閉じた。言われてみても、いつから増えたのか分からない。昼休みに少し読むだけだったはずなのに、気づけば鞄へ入れて持ち歩くようになっていた。「……まあ、ここ本屋だもんね」 藤堂はそれだけ残して、自分の机へ戻った。瑠衣も本を閉じて資料へ目を戻す。昼休みが終わるまでには、もう一度だけ読みたい箇所が残っていた。 午後、瑠衣は御厨の机まで資料を持っていった。確認してほしい箇所を開き、数字を指で示す。「この部
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86話「灯の休日」

平日の午後、瑠衣はまとめた資料を抱えて社長室へ向かった。廊下を歩く間にも電話の音が聞こえる。社長室の前で一度資料の端を揃え、軽く扉を叩いた。「どうぞ」 声を確認してから扉を開ける。灯は机に向かっていた。パソコンの画面を見ながら書類を一枚ずつ確認している。机の右側には読みかけらしい本が一冊あり、その隣に小さなメモ帳が置かれていた。 瑠衣は資料を机の端へ置いた。灯が受け取るまで待つ間、机の上へ目を向ける。そこで視線が止まった。本が一冊増えている。先週、この部屋へ来たときにはなかった表紙だった。新しい本らしく、背表紙もまだきれいだった。隣にあるいつもの本とは少し高さが違う。灯が普段選ぶ本の中では珍しい装丁に見えて、瑠衣は無意識にもう一度だけ表紙へ目を向けた。「こちら、確認をお願いします」「ありがとうございます」 灯は資料を受け取り、表紙をめくった。瑠衣はそれ以上本について尋ねなかった。仕事の邪魔をしないよう一礼して社長室を出る。扉が閉まったあとも、さっき見た表紙が少しだけ頭に残っていた。 土曜日になると、灯はいつもの時間に来た。玄関で靴を揃え、持ってきた鞄を脇へ置く。それから書庫へ入り、棚から一冊選んでソファへ座った。瑠衣は少し離れた場所で自分の本を開いていた。ページをめくる音だけが重なる時間は、もう珍しくない。 しばらくして、瑠衣は先週借りた本を閉じた。机の上には平日に買った本も置いてある。社長室で見た新しい本の表紙を思い出し、瑠衣は顔を上げた。「灯さん」「はい」「先週、新しい本が増えてましたね」 灯はページに挟んでいた指を抜いた。本を閉じるほどではなく、栞を持ったまま瑠衣を見る。「先週、書店へ行きました」「珍しいですね」「たまに行きます」 そこで会話が途切れた。灯は手元の本へ視線を落とし、瑠衣も何となく自分の本の表紙を指でなぞった。先週借りた本は、今では何度も開いたせいで最初より手に馴染んでいる。返す日までに、もう少し読んでおきたいと思っていた。「……瑠衣さんならどう読むか、と考えました」 瑠衣の指が止まった。手にしていた
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87話「雨の日」

 土曜日の朝から、雨が降っていた。窓を閉めていても、細かな雨音が部屋の中まで届いている。瑠衣は朝食を終えたあと、いつものように書庫のテーブルを整えた。しばらくして玄関のチャイムが鳴り、立ち上がる。  扉を開けると、灯が傘を持って立っていた。コートの肩に雨の跡が残り、革靴のつま先も少し濡れている。傘を閉じた灯から水滴が落ち、玄関の床に小さな丸い跡が増えていった。 「濡れましたね」 「駅から少し歩きましたから」  瑠衣はすぐに洗面所へ向かい、棚からタオルを一枚取った。戻って差し出すと、灯は受け取って肩を軽く押さえた。瑠衣は玄関の床へ目を向け、濡れたところを拭くために布を取りに行く。灯が靴を脱ぐ音がして、視線を戻すと革靴がいつもの場所に並んでいた。先週はその場所を何度も見ていたのに、今日はそこにあることを確かめても手が止まらなかった。 「ありがとうございます」  灯はタオルを返し、瑠衣はそれを受け取った。雨はまだ玄関の外で降り続いている。瑠衣は傘立てへ目をやり、灯の傘を端へ寄せてから書庫へ戻った。濡れた床をもう一度拭いておく。タオルは洗濯籠へ入れ、戻ってきたときには、灯はもう本を開いていた。  午後になっても雨は止まなかった。二人はそれぞれの場所で本を開いていた。窓の向こうは白く煙っていて、庭の木も輪郭が少しぼやけている。雨粒が窓を叩く音は昼前より大きくなり、ページをめくる音まで包み込んでいた。ときどき屋根を打つ音が強くなると、瑠衣はページから目を上げる。灯は気にする様子もなく、同じ姿勢で文字を追っていた。  瑠衣が一度顔を上げると、灯も本から目を離して窓を見ていた。しばらく外を眺めてから、灯が本を閉じる。 「雨の日って、読書には向いているんでしょうか」 「私は好きですよ」 「私は少し眠くなります」  瑠衣は思わず灯の顔を見た。口元が少し緩んでいる。灯も自分で可笑しくなったのか、ほんの少し笑った。瑠衣もつられて笑い、本へ目を戻した。雨音は変わらない。けれど、さっきまでより近くに聞こえた。灯が本を開き直す気配を感じて、瑠衣も遅れてページを戻す。文字を追い始めると、雨音の中に本の世界が少しずつ戻ってきた。  しばらくして、瑠衣は台所へ立った。
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88話「会えてよかったです」

 土曜日の朝は、久しぶりに晴れていた。瑠衣は朝食を終えると、窓を開けて空気を入れ替えた。雨の間に少し湿っていたカーテンを整え、書庫のテーブルを拭く。読みかけの本を棚へ戻し、代わりに昨日の夜まで読んでいた本をテーブルの端へ置いた。紅茶を淹れるためのカップも二つ並べる。茶葉の缶を開けたところで、壁の時計へ目を向けた。まだ早い。瑠衣はそのまま台所へ戻り、湯を沸かした。ポットを置いてから、もう一度時計を見る。針はさっきとほとんど変わっていなかった。 カップへ紅茶を注ぎ、瑠衣は書庫へ戻った。窓から入る朝の光が、テーブルの上に細長く伸びている。しばらく本を開いていたが、玄関のほうから音がした気がして顔を上げた。何も聞こえない。瑠衣はページへ目を戻した。その直後、玄関のチャイムが鳴った。瑠衣は本を閉じるより先に立ち上がっていた。 玄関を開けると、灯が立っていた。今日は傘を持っていない。先週まで雨だった道も、朝からきれいに乾いている。灯はいつものように軽く会釈して中へ入り、靴を脱いだ。革靴を揃える手つきも変わらない。瑠衣は玄関脇へ目をやり、そこへ置かれた靴を確認してから扉を閉めた。「昨日まで降っていたのに、今日は晴れましたね」「そうですね」 灯は持ってきた鞄を置き、その中から一冊の本を取り出した。表紙を瑠衣のほうへ向ける。「私に?」「ええ。たぶん、好きだと思います」 瑠衣は差し出された本を受け取った。表紙には見覚えのない題名がある。帯に書かれた短い紹介文へ目を通し、裏表紙までひっくり返した。灯は急かさず、その様子を見ている。「ありがとうございます」 瑠衣は本を胸元へ引き寄せた。先週受け取った本とは違う一冊が、今日は自分の手の中にある。書庫へ戻ると、灯はいつもの席へ座った。瑠衣も向かい側へ腰を下ろし、新しい本をテーブルへ置いた。 午前中は、それぞれ本を読んだ。ページをめくる音が時々重なり、窓の外からは車の走る音が遠く聞こえる。先週まで雨に遮られていた庭も、今日は明るかった。瑠衣は借りていた本を読み進めながら、何度か付箋を貼った場所へ戻った。灯の選んだ本も気になって、表紙を指でなぞる。 昼前になって、瑠衣は先に本を閉じた。借りた本の途中に
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89話「また来週」

 月曜日の朝、灯火書房にはいつものように電話の音が響いていた。瑠衣は届いた資料を机の上へ並べ、日付を確認しながら順番を揃えていく。先週の土曜日に借りた本は自宅にある。けれど、ページを開いたときの感覚や、灯と話した場面は何度か頭に浮かんだ。 午前の作業が一段落したところで、瑠衣は資料の束をファイルへ戻した。ふと、灯から借りた本の途中に付箋を貼った箇所を思い出す。あの場面なら話せそうだ。瑠衣は小さく息を吐き、誰に聞かせるでもなく呟いた。「この場面、話したいな」 口にしてから、瑠衣は机の横にあるカレンダーへ目を向けた。月曜日の欄から指で日付を追い、土曜日の数字で止まる。まだ先だと思うほどでもなく、近いと思うほどでもない。瑠衣はそのまま次の資料へ手を伸ばした。 昼休みを挟んで仕事を続ける。午後には御厨から確認を頼まれ、数字を照らし合わせる作業に追われた。気づけば一日の終わりが近づいている。瑠衣は帰る前にカレンダーへ目を向けたが、今度は日付を数えずに鞄を持った。 火曜日の午後、氷川が一冊の本を持ってきた。仕事で使う見本らしく、表紙を開いたところに何種類かの紙が挟まっている。「この紙、触ってみてください」 瑠衣は差し出された紙を指先でつまんだ。表面はさらりとしているのに、少しだけ厚みがある。指を滑らせると、紙の繊維がかすかに残る感触がした。「こっちは少し柔らかいですね」「そうなんです。印刷するとまた印象が変わります」 氷川が別の紙を取り出す。瑠衣は二枚を並べて見比べた。説明を聞きながら紙を触っていると、先週灯と話した本のことが浮かんだ。装丁の話をしたら、灯ならどんなところを見るだろう。そんな考えが自然に浮かび、瑠衣は紙を机へ戻した。「これ、灯さんに聞いてみようかな」 氷川が顔を上げたが、瑠衣はすでに資料へ目を戻していた。紙の見本をまとめ、必要な箇所へ付箋を貼る。さっきまで触れていた紙の感触が指先に残っている。仕事の続きを進めながら、瑠衣は今度会ったときに聞くことを一つ増やした。 水曜日の昼過ぎ、瑠衣は資料を抱えてフロアを歩いていた。藤堂の机の横を通ったところで、藤堂が顔を上げる。「江品さん」「は
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90話「いつもの土曜日」

 土曜日の朝、瑠衣は目覚ましが鳴る少し前に目を覚ました。布団の中で時計を見る。平日より遅い時間だったが、もう眠気は残っていなかった。カーテンを開けると、薄い光が部屋へ入ってくる。窓を少しだけ開けて空気を入れ替え、ベッドを整えてから台所へ向かった。 朝食を済ませると、使った食器を洗った。テーブルを拭き、読みかけの本を本棚へ戻す。ソファの端に置いていたクッションを整えたあと、瑠衣はそのまま玄関へ向かった。以前なら朝食の片付けだけで一度休んでいたはずなのに、今日は気になる場所がいくつかあった。 玄関の床を掃き、棚の上を布巾で拭く。傘立ての位置を直し、扉の内側についた小さな汚れを落とした。終わってから時計を見ると、いつもの時間が近づいていた。瑠衣は台所へ戻り、ケトルに水を入れた。 茶葉を二つのカップへ分ける。湯を注ぐと、いつもの香りが広がった。立ち上る湯気を少し眺めてから、カップをトレイに載せる。書庫へ運び、本を二冊テーブルの上へ置いた。椅子の位置を整えてから、瑠衣は時計を見た。 チャイムが鳴った。瑠衣は手を拭いて玄関へ向かう。扉を開けると、灯が立っていた。手には一冊の本がある。「おはようございます」「おはようございます」 灯が靴を脱ぐ間に、瑠衣は玄関脇へ少し体を寄せた。いつもの場所が空く。灯は革靴を揃えて上がり、持ってきた本を片手に書庫へ向かった。瑠衣も後ろから続く。トレイをテーブルへ置くと、灯が椅子を引いた。 窓から入る朝の光の中で、それぞれ本を開いた。ページをめくる音と時計の針の音が交互に聞こえる。灯はときどき栞を動かし、瑠衣は読んだ箇所へ指を戻した。しばらくして瑠衣は顔を上げる。「灯さん」「はい」「この前の本、読み終わりました」 灯が本から目を上げる。瑠衣は膝の上に置いた本の表紙を撫でた。「最後のところが、最初に読んだときと少し違って見えました。途中の場面を思い出してから読むと、主人公の選んだことが分かる気がして」「私も、あの場面は好きでした。最初は気づきにくいところがありますよね」「はい。読み返してみたら、前のページにあった言葉も気になりました」 灯は小さく頷き、本へ視
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