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菊池まりなホラー短編集 のすべてのチャプター: チャプター 31 - チャプター 40

48 チャプター

第32話 消えた既読

深夜一時過ぎ。 寝る前にスマホを充電器につないだ瞬間、通知音が鳴った。 千春からだった。 「助けて」 短い一言。 絵文字も句読点もない、生々しいメッセージ。 私はすぐにトーク画面を開こうとした。 だが、画面には“送信中…”の文字が点滅したまま、メッセージが読み込まれない。 既読もつかない。 アプリを閉じても、再起動しても同じだった。 その後も通知は続いた。 「来た」 「ベランダ」 「入ってくる」 どれも“送信中”のまま固まっている。 私は震える指で電話をかけたが、呼び出し音が一度鳴っただけで切れた。 眠れないまま朝を迎えた。 翌日、会社に向かう途中で、別の友人から電話が入った。 「千春、亡くなったって……」 頭が真っ白になった。 深夜一時半頃、自宅マンションのベランダから転落したという。 警察は事故として処理しているらしい。 私は震える手でスマホを取り出し、美咲とのトーク画面を開いた。 その瞬間── すべてのメッセージに一斉に既読がついた。 固まったままの“送信中”が、まるで誰かが一気に読み上げたかのように消えていく。 そして、新しいメッセージが届いた。 「次はあなた」 私は息を呑んだ。 画面が勝手にスクロールし始める。 千春との過去の会話が高速で遡られていく。 最後に止まったのは、数ヶ月前のやり取りだった。 千春「最近、
last update最終更新日 : 2026-07-29
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第33話 留守番電話

深夜二時、母の携帯電話が鳴った。母が死んでから、もう八ヶ月になる。契約はまだ解約していない。役所や保険の手続きに追われているうちに時間が過ぎ、気づけば「そのうちやろう」が習慣になっていた。棚の上で充電されたまま、液晶には去年の夏、家族で行った海の写真が待ち受けとして表示されている。それを消すことが、母という存在をこの世から完全に消してしまうような気がして、どうしても踏み切れなかった。だから、電話が鳴ったとき、私は数秒、呼吸を忘れた。営業電話だろうと自分に言い聞かせ、鳴り止むのを待った。案の定、数コールで留守番電話に切り替わる音がした。それだけなら、いつも通りだ。だが、通知ランプが赤く点滅していた。メッセージが、一件。再生ボタンを押すのに、ずいぶん時間がかかった。留守電の設定など、母の生前のまま誰も触っていない。誰かのいたずらだ。そう思いながら、指を伸ばした。「──さやか」母の声だった。「今日、傘持っていきなさいね。夕方から降るから」それだけの、何でもないメッセージだった。私は動けなくなった。発信日時を確認する。今日の、午後二時三十四分。その日は朝から晴れていて、天気予報の降水確率は十パーセントだった。馬鹿げている。そう思いながらも、念のため折り畳み傘を鞄に入れて家を出た。六時を過ぎた頃、空が唐突に曇り、雨が降り出した。傘のおかげで濡れずに済んだ。それだけの話だ。偶然だ、と自分に言い聞かせて眠った。三日後、また電話が鳴った。「さやか。今日は駅の階段、気をつけて。人が多いから」その日の夕方、私が使う駅の階段で将棋倒しのような転倒事故が起きた。ニュース速報が流れたとき、私はいつもと違う出口を使っていたおかげで巻き込まれずに済んでいた。一週間後には、こうだった。「今夜、鍋には気をつけて。火、消し忘れないでね」その夜、コンロの火を消したはずが、確認すると小さく点いたままだった。青い炎が、暗い台所で静かに揺れていた。背
last update最終更新日 : 2026-07-30
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第34話 鼓動の主

 夜、布団の中で仰向けになると、胸の奥で音が二つに分かれる。 そのことに気づいたのは、いつからだったか、もう思い出せない。片方はいつもの、聞き慣れた自分の鼓動。もう片方は、それよりわずかに速く、まるで何かに急いているような、せわしない音だった。 トク、トクトク。トク、トクトク。 耳の奥ではない。もっと深いところで鳴っている。 仕事の疲れだろう、と思うことにした。ここ数ヶ月、残業が続いていた。以前、軽い不整脈を指摘されたこともある。だから体の音には、人より敏感なのだと、自分に言い聞かせた。 病院では異常なしと言われた。心電図にも、聴診にも、何も引っかからない。医者は「ストレスでしょうね」と、判で押したように言って、それ以上は取り合ってくれなかった。 昼休み、給湯室で美咲に声をかけられた。「最近、顔色よくないね」 うれしかった。誰かに気づいてもらえたことが。だから、つい話してしまった。「実はさ……胸の内側で、音が二つ聞こえるんだ」 美咲の表情が、一瞬だけ止まった。笑おうとして、笑いきれなかったような、中途半端な顔だった。「……あ、そういえば新しいカフェできたの知ってる? 今度行こうよ」 あまりに唐突な話題の転換だった。それきり、美咲はその話をしなくなった。目が合うと、少し困ったように微笑むだけで、何か言いたそうに口を開きかけては、結局黙る。その顔を見るたび、彼女は本当に何も知らないのだろうか、と思うようになった。 もう一つの鼓動は、日を追うごとに存在感を増した。まるで自分の鼓動に合わせようとするかのように、リズムを寄せてくる。追いつき、重なり、また少しずれる。その繰り返し。 ある晩、それは変わった。 トン・トトン・トン。 単なる鼓動ではなかった。何かの符号のような、意志を持ったパターン。何度も、何度も、同じリズムが刻まれる。 布団の中で、胸に手を当てる。音が、言葉のかたちを持ち始めていることに気づいた瞬間、うなじの毛が逆立った。「出して」
last update最終更新日 : 2026-08-03
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第35話 宅配ボックスの影

マンションのエントランスは、夜になると音が消える。 外の車の走行音も、人の足音も、ここまで届かない。 ただ自動ドアが閉まるときの、わずかな空気の揺れだけが残る。佐伯は、この静けさが嫌いではなかった。 仕事で擦り減った心が、夜のマンションに満ちる無音の中で少しだけ落ち着く。 帰宅はいつも遅い。 人とすれ違うこともほとんどない。宅配ボックスの前を通り過ぎようとして、足が止まった。 ひとつだけ、ランプが点灯している。 荷物が届いているらしい。「……頼んだ覚え、ないんだけど」胸の奥がざわついた。 それでも、誤配かもしれない。 そう思い直し、暗証番号を入力する。扉が開くと、薄い段ボール箱がひとつ。 軽い。 紙のような重さだ。部屋に戻り、靴を脱ぐより先に箱を開けた。 中には、写真が一枚だけ入っていた。玄関前の床から、斜め上を見上げる構図。 夜中のマンションの廊下。 佐伯の部屋のドア。撮影者は、床に這いつくばっていたのだろうか。 そんな位置からしか撮れない角度だった。胸の奥がひゅっと縮む。 寒さではなく、背中を指でなぞられたような直接的な嫌悪だった。佐伯は反射的に玄関の鍵を確認した。 しっかり閉まっている。 チェーンもかけた。 それでも胸の奥の冷えは消えない。翌朝、管理人に写真を見せた。 管理人は眉ひとつ動かさずに言った。「昨夜は誰も来ていませんよ。防犯カメラにも、何も映っていません」「……じゃあ、これは?」「さあ。悪戯じゃないですか」事務的な声。 しかしその声の奥に、言い淀むような硬さがあった。 佐伯はそれを追及できなかった。◆ 二日目:部屋の中の写真翌日。 また宅配ボックスのランプが点いていた。嫌な予感が背中を撫でる。 それでも確認しないわけにはいかない。 暗証番号を押す指が震えた。箱の中には、また写真が一枚。リビングの写真。 昨夜のものだ。 照明の色、置いてある雑誌、カップの位置まで一致している。佐伯はその時間、確かに家にいた。 ソファで動画を見ていた。 しかし写真には、佐伯の姿がどこにも写っていない。「……どうやって撮ったんだよ」声が震えた。 鍵は閉めていた。 窓も施錠していた。 誰も入れるはずがな
last update最終更新日 : 2026-08-05
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第36話 告知義務外物件①

依頼のメールが届いたのは、木曜日の午後だった。件名は「告知事項に関する調査依頼」。送信元は都内の中堅不動産会社、株式会社エリアプランニング。私が時々仕事を請け負っている会社だ。事故物件情報サイトへの掲載文を書いたり、告知事項の文面を整えたり、そういう地味な裏方の仕事を年に数件こなしている。本文は簡潔だった。> お世話になっております。> 以下の物件について、告知義務が発生するかご判断いただきたく、調査をお願いできますでしょうか。> 詳細は添付資料をご確認ください。> 報酬は通常の1.5倍でお支払いいたします。通常の1.5倍。それだけで、何か面倒な案件だと察した。この業界では、報酬が高い仕事ほど「書きにくい何か」がある。自殺、孤独死、事件性のある死亡――そういったものを、法的な文面に落とし込む作業には、それなりの神経を使う。添付されていたPDFを開く。物件概要が記されていた。所在地:東京都杉並区荻窪○-○-○ 建物名:コーポ青葉 203号室 築年数:18年 間取り:1K(25㎡) 家賃:63,000円(管理費込)それから、問い合わせ内容の欄。> 調査目的:> 当該物件について、近隣住民より「以前、何かあったのではないか」との問い合わせがあった。 > 過去の入居記録を確認したが、契約上の問題は確認できず。 > ただし、告知義務が発生する可能性があるため、専門家による調査を依頼したい。「何かあったのではないか」。曖昧だ。普通、こういう依頼には必ず「死亡」「自殺」「事件」といった具体的な単語が入っている。それがないということは、依頼主自身も詳細を把握していないか、あるいは意図的にぼかしているかのどちらかだ。資料の最後には、担当者の名前と連絡先が記されていた。担当:矢崎(不動産管理部)私はすぐに返信メールを書いた。> 承知しま
last update最終更新日 : 2026-08-06
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第37話 告知義務外物件②

コーポ青葉は、荻窪駅から徒歩12分の住宅街にあった。周囲には似たような低層マンションが並び、商店街も近い。決して辺鄙な場所ではない。むしろ、生活には便利な立地だ。矢崎は建物の前で待っていた。紺のスーツを着た、30代前半くらいの男性。オンラインで見た写真より、少し疲れた印象を受けた。「お待ちしておりました」握手を交わし、私たちは建物の中へ入った。エントランスはない。階段を上がると、すぐに各戸のドアが並んでいる。典型的な築20年弱のアパート構造だ。外壁は多少色褪せているが、管理は行き届いている。203号室は、2階の奥から二番目。矢崎が鍵を取り出しながら、簡単に説明を始めた。「この建物は全8戸です。現在の入居率は……」彼は一瞬、言葉を濁した。「6戸。この部屋と、あと一室が空室です」「もう一室は?」「1階の101号室です。そちらは設備の老朽化で、リフォーム待ちの状態です」彼はドアを開けた。内部は、思ったより綺麗だった。壁紙は白く、床はフローリング。キッチンは小さいが清潔で、ユニットバスも新しく見える。窓からは隣の建物が見えるが、日当たりは悪くない。25㎡の1K。間取りとしては、一人暮らしには十分だ。「内装は?」「2年前に一度、全面的にリフォームしています。壁紙、床材、水回りの設備……すべて交換しました」私はメモを取りながら部屋を見渡した。「前の入居者が退去してから、リフォームしたんですか」「はい」「その入居者について、教えていただけますか」矢崎は、持っていたファイルを開いた。「契約者の名前は……田所真理子、当時28歳。職業は派遣社員。2020年4月から2021年3月まで、約1年間の入居でした」「退去理由は?」「契約満了です。更
last update最終更新日 : 2026-08-07
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第38話 告知義務外物件③

聞き込みを始めたのは、翌日の午後だった。 まずは、202号室──田所真理子が住んでいた部屋の隣から。 インターホンを押すと、30代くらいの女性が出てきた。エプロンをつけていて、在宅ワークをしているのかもしれない。 「すみません、不動産関係の者なんですが、少しお話を伺ってもよろしいでしょうか」 彼女は少し警戒した様子だったが、名刺を見せると、ドアを開けてくれた。 「隣の203号室についてなんですが……」 「ああ、空いてる部屋ですね」 「はい。以前、田所真理子さんという方が住んでいたと記録にあるんですが、覚えていらっしゃいますか」 彼女は首を傾げた。 「田所……さん?」 「2020年の4月から、翌年の3月まで。約1年間です」 彼女は、しばらく考え込んだ。 「……人は、住んでました」 「覚えていらっしゃるんですね」 「ええ、まあ……でも」 彼女は言葉を濁した。 「でも?」 「顔とか、名前とか……はっきり思い出せないんです」 私はメモを取りながら尋ねた。 「どんな方でしたか」 「それが……」 彼女は困ったように笑った。 「静かな人、だったと思います。挨拶はしたような気がするんですけど……何を話したかは、覚えてなくて」 「トラブルはありましたか」 「いえ、全然。むしろ、物音ひとつしない人でした」 「物音ひとつ?」 「ええ。壁が薄いんで、普通は生活音が聞こえるんですけど……あの人の部屋からは、ほとんど何も聞
last update最終更新日 : 2026-08-08
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第39話 告知義務外物件④

矢崎から連絡が来たのは、聞き込みから二日後だった。「お時間ありますか。管理会社の記録を確認したんですが……一度、お見せしたいものがあります」私たちは、エリアプランニングのオフィスで会った。会議室に通されると、矢崎はテーブルの上に数枚の書類を広げた。「これが、2020年4月から2021年3月までの、203号室に関する記録です」私は書類を見た。入居申込書、契約書、家賃の入金記録、退去通知、鍵の返却確認書──すべてが揃っていた。「完璧ですね」「ええ。契約上は、何の問題もありません」矢崎は、その中から一枚を取り出した。「でも、これを見てください」それは、管理会社の業務日報だった。2021年2月27日の記録。> 物件名: コーポ青葉 > 対応内容: 203号室、近隣からの騒音に関する問い合わせ対応 > 詳細:102号室住人より、夜間の物音について連絡あり。当該部屋に電話連絡を試みるも不通。翌日訪問予定。私は顔を上げた。「騒音の苦情があったんですか」「はい。でも……」矢崎は次のページをめくった。2月28日の記録。> 物件名: コーポ青葉 > 対応内容: 203号室訪問 > 詳細: インターホン応答なし。ドア越しに呼びかけるも反応なし。緊急連絡先に電話するも繋がらず。後日再訪問予定。「誰もいなかった?」「記録上は、そうなっています」矢崎は、さらにページをめくった。3月1日。> 物件名: コーポ青葉 > 対応内容: 203号室再訪問 > 詳細:本日も応答なし。ただし郵便受けに郵便物の蓄積は見られず。室内に生活の気配あり。契約者本人からメールにて『問題ありません』との返信あり。対応完了。私は矢崎を見た。
last update最終更新日 : 2026-08-09
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第40話 告知義務外物件⑤

矢崎に提案したのは、私からだった。「一晩、あの部屋で過ごさせてもらえませんか」電話の向こうで、矢崎が黙った。「……何か、分かると思いますか」「分かりません。でも、近隣住民が聞いた『音』が本当にあるなら、確認したいんです」矢崎は、しばらく考えてから答えた。「分かりました。鍵をお渡しします」その日の夜、私は203号室にいた。室内には何もない。持ち込んだのは、寝袋、懐中電灯、録音機、そしてノートパソコンだけ。時刻は午後9時。窓の外は、既に暗くなっていた。私は部屋の中央に座り、録音機のスイッチを入れた。小さな赤いランプが点灯する。これで、何か音が鳴れば記録される。部屋は、静かだった。隣の202号室からは、テレビの音が微かに聞こえる。下の階からは、誰かが歩く音。普通の生活音だ。でも──この部屋からは、生活音が聞こえなかったと、202号室の住人は言っていた。1年間、隣に人が住んでいたのに。私は壁に手を当ててみた。薄い。確かに、これなら隣の音は聞こえるはずだ。なのに、田所真理子が住んでいた時は、何も聞こえなかった。まるで、この部屋だけが音を吸収していたかのように。午後10時。私は寝袋に入り、ノートパソコンで調査記録をまとめていた。・記録上は完璧に成立 ・しかし関係者全員の記憶が曖昧 ・父親は娘の存在を否定 ・近隣住民は『何かを引きずる音』を証言そして、最も不可解な点。・田所真理子は、どこへ消えたのか午後11時。私は、ふと気づいた。部屋が、静かすぎる。隣のテレビの音が、聞こえ
last update最終更新日 : 2026-08-10
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第41話 告知義務外物件⑥

録音された音を何度も聞き直した。ゴトッ、ゴトッ、ゴトッ。規則的な、何かが這う音。でも、この音を立てていたのは誰なのか。そして──田所真理子は、今どこにいるのか。私は、もう一度派遣会社に連絡を取った。「以前お問い合わせいただいた田所真理子さんの件ですが……」担当者の声が、少し躊躇いがちになった。「実は、当社でも少し調べまして」「何か分かりましたか」「契約満了後、本人からの連絡が一切ないんです」「更新の意思確認は?」「メールで行いました。『更新しない』という返信はありました。でも……」担当者は、言葉を選ぶように続けた。「その後、源泉徴収票を送付したんですが、返送されてきたんです」「返送?」「はい。『宛所に尋ねあたりません』と書かれて」私は、メモを取った。「送付先は?」「契約書に記載されていた住所です。コーポ青葉203号室」「でも、その時にはもう退去していたはずでは?」「ええ。だから転居先を確認しようとしたんですが……本人と連絡が取れなくて」担当者は、ため息をついた。「結局、源泉徴収票は未送付のままです」私は、次の質問をした。「派遣先の企業には、確認されましたか」「はい。そちらでも、田所さんの記憶が曖昧だと」「曖昧?」「『確かに派遣社員がいた』とは言うんですが、誰も詳しく覚えていないんです。デスクの場所、担当していた業務、全部記録には残っているんですが……」担当者の声が、少し不安げになった。「人事の方も、不思議がっていました。1年間働いていた人のことを、誰も覚えていないなんて」私は電話を切り、次に矢崎に連絡した。「田所さんの住民票、取得で
last update最終更新日 : 2026-08-11
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