All Chapters of 娘の命日に離婚宣告。クズ夫が土下座で大後悔: Chapter 151 - Chapter 160

275 Chapters

第151話

ここは安全じゃない。だから怜司は短く告げ、余計な説明はしなかった「おばあさんに頼まれて来たんだ。おばあさんが言うには……」言いかけたその時、怜司の顔色が変わり、遥を力強く突き飛ばした。パァン!一発の銃弾が怜司の腕をかすめ、たちまち袖が真っ赤に染まった。「逃げろ!」彼は遥の手を引き、大木の陰に身を潜めた。遥は両手で彼の傷口を押さえた。指の隙間から、温かい血がどくどくとあふれ出す。「泣くな」怜司は空いた手を伸ばし、彼女の頬を伝う涙をそっと拭う。「俺は平気だ」「頼んでなんかないのに……っ」遥は声を詰まらせながら、慌ててスカートの裾を破り、傷口にきつく巻きつけた。「こんなに出血してる!」遠くから争う物音が聞こえてくる。怜司の護衛たちが、すでに襲撃者と交戦していた。彼は痛みをこらえながら、どうにか立ち上がり、遥を背後に庇う。「ここから離れないと」遠くに焼け落ちた家が見えた。それを見つめる遥の心は、重く沈んでいった。これもまた、西園寺家からの警告なのだろう。警告ならもう何度も受けてきた。それでも足を止めなかったのは、遥自身だ。けれど今回は無駄ではなかった。彼女はあのノートを手に入れたのだから。その後、遥は怜司に付き添って病院へ向かった。消毒液の匂いが鼻を突く。遥は処置室の外の椅子にへたり込んでいた。怜司が運び込まれてから、もう30分が過ぎている。彼女のスカートの裾には、まだ彼の血痕が残っていた。幸い傷は浅く、出血量こそ多かったものの、命に別状はないとのことだった。「遥ちゃん!」貴子が車椅子で駆けつけてきた。怜司が怪我をしたことは貴子に知らせないよう、遥は皆に固く口止めしていたはずだが、どういうわけか、すでに貴子の耳に入っていた。「おばあさん……?どうしてここに」「怜司が怪我をしたと聞いたわ。どうしてあなたたち、私に黙っていたの?」貴子は遥の手を握り、頭から足元まで心配そうに見つめた。「遥ちゃんは大丈夫なの?」遥は首を横に振った。「私は平気よ。おばあさん、落ち着いて。彼も……」言葉を遮るように、処置室のドアが開いた。医師が出てきてマスクを外した。「出血は多かったですが、命に別状はありません。数日は入院していただきます」遥はほっと息をついた。もし怜
Read more

第152話

西園寺家だけの力で、本当にこれだけのことができるのだろうか。遥には分からなかった。涙が自然と頬を伝う。怜司はまだ病室で眠っている。貴子も別室で休んでいる。ほどなくして、昭が息を切らせて病院に駆けつけてきた。遥の姿を見るなり歩み寄り、両肩を掴んで怪我がないか、頭から足元まで確かめた。「遥、大丈夫か?おばあさんの家が火事になって、そのうえ襲撃まで受けたって聞いたんだが……」昭の声はわずかに震えていた。その知らせを聞いて、よほど動揺したらしい。遥は首を横に振り、無理に微笑みを作った。「私は平気。ただ、怜司が私を庇って怪我をしてしまって……今は病室で休んでるわ」昭は安堵の息をついたが、すぐに眉をひそめ、声を落として言った。「ひとつ話しておかなければならないことがある。今回の件、親父がやったんじゃないかと思ってる」薄々そんな予感はあったものの、昭の口からはっきり告げられると、やはり動揺を隠せなかった。そもそも、昭は彼女の味方になって西園寺家に対抗すると言ってはいるものの、結局は西園寺家の人間であることに変わりはない。だからこそ、遥の心には一抹の疑念が残っていた。それに、今回の件が本当に善起の仕業だとすれば、以前遥に警告を送ってきたのも、おそらく善起だったということになるからだ。「どうしてそう思うの?」遥は低い声で問いかけた。昭がここまで言うからには、確かな根拠があるはずだ。わけもなくこんなことを口にする男ではない。昭はため息をついた。彼もそれなりの確証を得たからこそ、こうして打ち明けたのだろう。「はぁ……今朝、たまたま親父が部下と書斎で話しているのを耳にしたんだ。『証拠は残すな』って。その時は深く考えなかったが、今思えば、放火の計画を話していたんだろう」だとすれば、やはり善起が手を下したと見て間違いなさそうだ。ただ、遥にとって解せないのは、祖母の家へ行く時間を決めたのは直前で、それを知っていたのは貴子ひとりだけだったという点だ。怜司すら知らなかった。彼が後から駆けつけたのは、貴子に頼まれたからにすぎない。だとすれば、いったい誰がその時間を善起に漏らしたというのか。――白川花梨!その名が遥の脳裏をよぎった。怜司と花梨は親しい間柄だ。それなら、花梨が善起に伝えた可能性は十分にある。「昭、教えて
Read more

第153話

遥ははやる心を抑えきれず、ノートを開いた。そこには父が生きていた頃の、ささやかな日常が綴られていた。善起の名が記されたページを開いた瞬間、胸が早鐘を打った。やはり、ここに西園寺家の情報があった。「西園寺善起は幼い頃から芝居を好み、他人の声を真似ることも学んでいた」遥はその一文を小声で読み上げた。善起の声真似。それは重要な突破口になるかもしれない。他人の声を真似られるなら、いざという場面で人を欺き、自分の関与を隠すこともできるだろう。遥はパッとノートを閉じた。祖母の旧居は焼け落ちたが、あそこにはまだ手がかりが残っているかもしれない。特に善起の過去については、当時のドライブレコーダーや防犯カメラの映像から、何か手がかりが見つかるかもしれない。ここで思い悩んでいるより、動くべきだ。遥は再び祖母の旧居へ向かうと決めた。だが今回はひとりで行く。もう誰も、自分のせいで危険に晒したくない。とりわけ昭には、十分すぎるほど助けられた。これ以上巻き込むわけにはいかない。遥は誰にも告げず、こっそりと病院を抜け出した。車は使わず、歩いて向かった。そのほうが人目につきにくい。あらかじめ変装も済ませていた。彼女は目的地に着いても直行はせず、まず近隣の家を訪ねた。祖母の隣人は、確か年配の女性だったはずだ。ドアを叩くと、顔を出した老婦人は遥の顔を見て、すぐ思い出したようだった。「あら、遥ちゃんじゃないかい?」遥は頷き、微笑んだ。「お久しぶりです。実は、ちょっとお聞きしたいことがあって……以前、祖母の家の近くに防犯カメラはありましたか?それとも、何か怪しい人を見かけませんでしたか?」老婦人は少し考え込み、首を横に振った。「当時はこの辺りもずいぶん田舎でね、カメラなんてほとんどなかったよ。ただ一度だけ、おばあさんの家の前に黒い車が停まっていたのを覚えている。どうしてそんなによく覚えているかって?その車を見かけた直後に、お宅で事件が起きたからだよ」やはり、単なる偶然であるはずがない!「車のナンバーは覚えていますか?乗っていた人の顔は?」老婦人は首を横に振った。「ずいぶん前のことだから、そこまでは覚えていないな。ただ、車のミラーに赤い飾りがぶら下がっていたのは覚えている。ちょっと変わった形をしていた
Read more

第154話

遥は足を速め、尾行を振り切ろうとした。だが相手は、簡単に見逃す気などないらしい。以前くじいた足首がまだ鈍く痛むが、立ち止まる余裕はない。このまま走り続けても埒が明かない。前方に、道を塞ぐように茂る林を見つけた。遥は歯を食いしばり、林の中へ飛び込む。踏みしめる枯れ枝や落ち葉が、バキバキと音を立てる。だが、この辺りにまで待ち伏せの人間が配置されているのかどうか、遥には分からなかった。次の瞬間、林の奥から次々と黒い影が現れ、たちまち彼女を取り囲む。「藤井遥さん、無駄な抵抗はやめたらどうだ」先頭の黒服の男が冷ややかに告げた。遥は手の中の金属の箱を強く握り、必死に頭を巡らせた。どうにかこの場を逃れる方法はないか。とにかく時間を稼ぐしかない。「ふん、あなたたちを差し向けたのは西園寺善起でしょう?安心して。証拠のコピーはとっくに取ってあるわ。私が死んでも、世間に公表される手はずになっているから」黒服の男たちは答えず、じりじりと距離を詰めてくる。遥は数歩後ずさり、背中を大木に押し当てた。男たちは遥の言葉に怯む様子もない。何か事情を知っているのは明らかだ。「大人しくそれを渡せば、少しは手加減してやる」もうひとりの男が、威圧的な口調で言った。――それを渡せ?真っ先に思い浮かんだのはあのノートだ。だが、そこに書かれていたのは、直接的な証拠と呼べるようなものではない。それとも……この箱のことか。見た限り何の変哲もない。普通に考えれば、こんなものが目当てだとは思えない。けれど、相手がこれほど執着すること自体が、この箱の重要性を物語っていた。「絶対に渡さないわ!」遥は歯を食いしばり、箱を胸にしっかりと抱え込むと、きびすを返し、林の奥へと駆け出した。「捕まえろ!」背後から男たちの怒声が飛ぶ。遥は全力で走った。足の痛みに意識が飛びそうになるが、止まるわけにはいかない。しかし体力はみるみる尽き、背後の足音は確実に近づいてくる。もう逃げ場はない。そう思った瞬間、突然、前方に崖が現れた。遥の心臓が大きく跳ね上がり、思わず足が止まる。「どうした、逃げるのを諦めたか?」背後から、男のからかうような声が響いた。遥は振り返り、崖を背にして叫んだ。「これは絶対に渡さない!」箱をきつく抱きしめた。たとえ死
Read more

第155話

とはいえ油断はできない。奴らのことだ、念入りに確認するはずだから、今にも崖を下りて、様子を確かめに来るかもしれない。遥は自分の手を見下ろすと、金属の箱が消えていた。辺りを見回すと、数メートル先の草むらに箱の残骸が見えた。落下の衝撃で、すっかり形が崩れていた。彼女は這うように近づき、破片を拾い上げた。奴らが命を狙ってまでこの箱を奪おうとしなければ、これほど重要なものだとは気づきもしなかっただろう。傷ついた体を引きずりながら、遥は近くに見つけた洞穴へ這い込んだ。さほど深くはないが、しばらく身を隠すには十分だ。冷たい岩壁に背を預け、目を閉じる。全身を駆け巡る痛みに、意識が遠のきそうだった。……怜司は病床で目を覚ますと、まず遥の姿を探した。だが、彼女はそこにいない。――こっちはあいつを助けるために怪我をしたというのに、いったいどこへ行ったのか。昭か靖也とでも、どこかで遊び歩いているというのか。手早く身支度を整え、すぐに遥のスマホに電話をかけた。呼び出し音が鳴り続けるばかりで応答はない。何度かけ直しても同じだった。傍らにいた花梨が、ここぞとばかりに口を挟む。遥は出て行った、きっと昭のところへ行ったのだろう、と。西園寺昭……か。どうしてどこまでも、あの男の名前がついて回るのか!ちょうどその時、病室の扉が開き、昭が駆け込んできた。噂をすれば影とは、まさにこのことだ。怜司は、昭が見舞いに来たとは微塵も思わなかった。問い詰めようと口を開いた瞬間、昭に先を越された。「遥がいなくなった!」昭は息を切らして叫んだ。「何だと!?彼女はどこへ行ったんだ?」昭は首を横に振った。どうやら昭ひとりの伝手では、どうしても見つけ出せなかったのだろう。「彼女が行きそうな場所は全部探したが、どこにもいなかった。ひとりで何か動いているのかもしれないし、あるいは、うちの親父が何かしたのかもしれない」怜司の顔が、見る間に暗く沈んだ。全身からぞっとするほど冷たい殺気が漂った。「……お前の親父の仕業か。何か知ってるんだな。西園寺善起はいったい何を考えている」この状況で、善起を疑わない者などいない。「今はそれより、遥を見つけるのが先だ」確かに今はそれが最優先だった。怜司は部屋にいる全員に、この件は絶対に貴子へ知らせるなと厳命
Read more

第156話

怜司は西園寺家の門前に立ち、屋敷を冷ややかな目で見据えていた。手を伸ばし、呼び鈴を押した。遥の祖母の旧居があった場所へはすでに人を差し向けたが、そこに彼女がいる可能性は低いだろう。もし西園寺家が関与しているのなら、善起が遥をどこかに監禁している可能性が高い。仮にそうでないにしても、一枚噛んでいるのは間違いない。だからこそ、今回は自ら足を運ぶ必要があった。遥のためではない。貴子のためだ。遥が行方不明だと知れば、彼女がどれほどの衝撃を受けるか計り知れない。ほどなく門が開き、西園寺家の執事が恭しく頭を垂れた。「藤井様、どうなさいましたか。旦那様はただいま書斎で執務中でございます」怜司は頷き、屋敷のホールへと足を踏み入れた。普段は西園寺家を訪ねることなどまずない。仕事上の取引もごく限られている。書斎の扉が開かれる。善起は書類を手にしたまま机の向こうに座っていたが、視線を上げて怜司を見た。「おや、藤井社長。これは珍しい。今日はどういったご用件で」怜司は机の前まで歩み寄り、善起をじっと見据え、威圧するような声で言った。「西園寺さん、今日は両家の共同事業について少し話がしたくてね」善起は片眉を上げ、書類を置いて椅子の背にもたれると、腕を組んだ。「ほう。藤井社長に、何か新しいお考えでも?」これまで両家が手を組まなかったのには理由がある。互いに狙う案件がほぼ重なっていたからだ。常にせめぎ合うばかりで、穏便に手を結ぶ余地などなかった。善起としては藤井家と組むことに異存はなかった。藤井家の若き当主が、一歩も譲る気がないだけのことだった。怜司は口角を上げ、薄く笑った。「その前にひとつ。最近、遥について妙な話を耳にしてね。西園寺さんも何か聞いていないかな」商売人同士の腹の探り合いなど所詮こういうものだ。怜司は隠すことなく、真っ向から切り出した。「藤井遥さん?藤井社長の奥様では。何かあったのかね?」まるで何も知らないような、とぼけた表情だ。「行方が知れない。何者かが彼女に危害を加えたのではないかと疑っている」善起は首を横に振り、表情をいっそう険しくした。「それはずいぶん物騒な話だ。彼女は君の奥様だろう。誰がそんなことをする。それに、行方が分からないなら警察へ行くべきだ。俺のところへ来る理由がない」証
Read more

第157話

「西園寺さん、俺はただ尋ねに来ただけだ。何か知っているなら教えていただきたい」善起は少し黙り込んだあと、ゆっくりと腰を上げて窓辺へ歩み寄り、怜司に背を向けた。「最近は道が悪くてね。足を滑らせやすいから、外を歩く時は気をつけなさい。そろそろ仕事に戻らなければならないので、これで失礼するよ。お引き取り願おう」その言葉が、額面通りの意味でないことは明白だった。何かを暗にほのめかしているのだ。「分かった」怜司は淡々と答え、踵を返し、書斎を後にした。あの一言は、単に足元に気をつけろという意味ではないはずだ。おそらく遥に関わることだろう。やはり善起は何かを知っている。西園寺家の門を出ると、怜司はすぐに部下へ電話をかけた。「今すぐ人をやり、遥の祖母の旧居周辺にある山道をすべて調べろ。特に『足を滑らせやすい』場所を念入りにな。手がかりをひとつも見逃すな!」電話を切ったあとも、怜司は冷ややかな目をしたまま西園寺家の門前に立ち尽くしていた。「道が悪くて、足を滑らせる、か……」自分の予想が外れていることを祈った。遥の祖母の旧居周辺には確かにいくつか険しい山道があり、事故が起きやすい場所だった。遥が本当にあそこへ行ったのなら、手がかりを探す最中に追われて逃げたのかもしれない。あいつ!まったく人の言うことを聞かず、いつも勝手に動いて厄介事を引き寄せる。「遥、無事でいろよ」怜司は歯を食いしばるように低く呟くと、車に乗り込み、自らも捜索に向かった。……その頃、遥は洞穴の中で身を縮め、全身を苛む激痛に耐えていた。意識は次第に薄れ、脳裏には過去の出来事が浮かんでは消えていく。怜司は山道を下っていく。足元の砕けた石や枯れ枝が、歩みを困難にしていた。もともと怪我で体力が落ちていた彼は、今まさに体力の限界を迎えようとしていた。「社長、お気をつけて!」後ろを歩く捜索隊員が思わず声をかけたが、怜司は聞こえていないのか、構わず早足で進んでいく。ほどなく、乱れた足跡と折れた枝を見つけた。誰かが通った痕跡だった。「こっちだ!」怜司は低く告げ、その跡をたどってさらに進んだ。山道はますます険しくなり、足取りもしだいに乱れてくる。不意に足を滑らせ、体勢を崩して地面に強く体を打ち付けた。傷口から鋭い痛みが走ったが、歯を食いし
Read more

第158話

「どうしてまたひとりで動くんだ。お前は俺がどれだけ……」そこまで言って、言葉を飲み込んだ。「……おばあさんが、お前をどれだけ心配していたか分かってるのか」責めるような口調の中にも、確かな気遣いがにじんでいた。遥の唇がわずかに上がった。「ごめんね……おばあさんには言わないで。心配させたくないの。それと……怜司。マッサージ、ちっとも上達しなかったわね」もう自分は死ぬのだと思っていた。だから、どうしても言っておきたいことがあった。彼女の声はしだいに小さくなり、やがて再び意識を失う。怜司は目を見開き、すぐに彼女を抱き上げた。「遥、しっかりしろ!今すぐ病院に連れて行く!」遥を抱えたまま洞穴を飛び出し、外の捜索隊に向かって叫んだ。「救急車を呼べ!彼女には今すぐ治療が必要だ!」隊員たちは素早く動き、すぐに救急車の手配が行われた。怜司は隊員たちとともに遥を担架に乗せた。あの言葉はどういう意味だ。マッサージがちっとも上達しなかった、とは。そうだ。もし自分がマッサージを習得していたら、さっき遥を助けられたかもしれない。だが、それは自分と花梨だけの秘密だったはずだ。遥がどうしてそれを知っている。まさか……恐ろしい考えが、脳裏に浮かび上がった。「遥、絶対に無事でいてくれ……」救急車はすぐに到着し、医療スタッフが遥を車内へ運び込み、応急処置を始めた。怜司はその傍らに座り、彼女の顔から目を離さなかった。「藤井様、あなたもお怪我をされています。処置が必要です」スタッフのひとりが声をかけたが、怜司は首を横に振った。「俺はいい。先に彼女を」それ以上は何も言えず、スタッフは遥の処置に専念した。怜司は目を閉じ、遥が口にしたあの一言を繰り返し考え続けていた。車は一路病院へと走り続けたが、怜司の胸には、ずっと不安が渦巻いていた。……遥が処置室へ運ばれていった瞬間、怜司は胸が締めつけられ、息もできないほどだった。処置室の外に立ち尽くしながら、頭の中では意識を失う前に遥が漏らした言葉が何度も響いている。「怜司、マッサージ、ちっとも上達しなかったわね」その話は誰にも明かしたことがない。花梨と自分だけが知る秘密だったはずだ。それを遥がどうして知っている。まさか、あの時自分を救ったのは花梨ではなか
Read more

第159話

「わ……分かったわ」花梨の声は震え、涙が止まらなかった。電話が切れると、彼女はその場にぐったりと座り込んでしまった。ただでさえ靖也に問い詰められて生きた心地がしなかったというのに、そのあとに聞かされた話は、まさに悪夢のようだった。怜司がまた、あの件を疑い始めている。もし本当のことを突き止められたら、自分の末路は悲惨なものになるだろう。「駄目、このまま黙って手をこまねいているわけにはいかない……」花梨は奥歯を噛み締めた。何があっても、怜司に真実を知られてはならない。処置室の外では、刻一刻と時間が過ぎていった。怜司はもう限界寸前だった。彼はずっと処置室の扉から目を離せずにいた。ようやく処置中のランプが消え、医師が出てきた。「先生、彼女はどうなりましたか!?」怜司はすぐに歩み寄った。声には焦りが滲んでいた。医師はマスクを外し、厳しい表情で言った。「高所からの転落です。外傷として致命的な傷はありませんが、内臓に軽度の出血が見られ、軽い脳震盪も起こしています。処置は済んでおり、命に別状はありません。ただ、念のため数日は入院して経過を観察する必要があります」――命に別状はない。その言葉に怜司はほっと息をついた。それでも、彼女が大きな怪我を負ったことに変わりはない。張り詰めていた緊張がわずかに解けた。「ありがとうございます、先生」医師は頷き、踵を返して去っていった。怜司は病室に入った。遥は静かにベッドに横たわっている。顔はまだ青白かったが、呼吸はずいぶん落ち着いていた。彼はベッドの傍らに歩み寄り、そっと彼女の手を握ると低い声で言った。「お前って、本当にトラブルばかり引き起こす女だな。でも、無事でよかった」ちょうどその時、病室の扉が開き、花梨が入ってきた。手には保温ポットを持っていた。「遥が大変なことになったと聞いて、様子を見に来たの」怜司は顔を上げ、冷ややかな目で彼女を一瞥した。「どうして来た。お前こそちゃんと休んでおくべきだろう」花梨はベッドの傍まで来ると、ポットを横のテーブルに置き、静かに言った。「私は平気よ。遥が山から落ちたって聞いて、心配でたまらなくて。それで、容体はどう?」「とりあえず峠は越えた。だが安静が必要だ」怜司の口調は淡々としていた。これまでと
Read more

第160話

遥はまだ深く眠っていた。怜司は花梨を伴って病室を出ると、眠りを妨げないよう、そっとドアを閉めた。廊下は薄暗く、消毒液の匂いが漂っていた。怜司の表情は険しく、瞳の奥は深く沈んでいた。「怜司」花梨は小さな声で、少し拗ねたように言った。「何か疑っているの?」彼が答えないのを見て、花梨は慌てて続ける。「私、何か言ってはいけないことを言ったのかしら。それで誤解させてしまったなら本当にごめんなさい」これは重要な問題だ。まだ確かめていないことがある以上、簡単に結論を出すわけにはいかない。「本当に、遥の方から聞いてきたのか?」花梨は迷いなく頷いた。「ええ、彼女の方から。私もどうして急にマッサージに興味を持ったのかと不思議だったけど、体の調子を整えたいって言うからそれ以上は気にしなかったわ」怜司は少し黙り込み、その言葉を頭の中で整理しているようだった。遥が意識を失う前に言ったあの言葉を思い出した。やはり、遥が意図的に仕組んだことだと考えていいだろう。「遥……っ」低く呟き、歯を食いしばるように言った。「お前、やっぱりまた小細工をしていたんだな……!」それを聞いて、花梨は密かに胸を撫で下ろした。「あまり怒らないで。遥も、きっと一時の出来心だったのよ。だって彼女はあなたのことを、深く想っているんだもの」その見え透いた一言に、怜司は答えることなく「ああ」と短く応じただけだった。そのまま彼女を帰し、休ませることにした。遥は本当に、日に日に度が過ぎていく。意識を失う間際にまであんな言葉を口にして、誤解させようとするなんて。おまけに、あちこちでトラブルを巻き起こす。そう結論づけた怜司は、自ら遥の世話をすることはせず、看護師に世話を任せた。貴子からの頼みでなければ、この女の世話など端から引き受けるつもりもなかった。遥は数日間病院で過ごし、体は次第に回復していった。あの日以来、怜司は一度も病室に現れなかった。退院の日、貴子が付き添ってくれた。「遥ちゃん、つらい思いをしたね」貴子は彼女の手を握る。「おばあさんがちゃんと目を配ってやれなかったせいで、こんなに大変な目に遭わせてしまって」遥は小さく笑い、首を横に振った。「ふふ、そんなこと言わないで。私が不注意だったから、心配をかけてしまっただけ」
Read more
PREV
1
...
1415161718
...
28
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status