Todos los capítulos de 七年の冷遇、離婚後は御曹司に溺愛されます: Capítulo 11 - Capítulo 20

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第11話

「はい、分かりました。頑張ります」源一郎は相好を崩し、奈緒の手を軽く叩いた。「ああ、お前は我が貞末家の血を引く子だ。信じているよ。何か困ったことがあれば、遠慮なく俺に相談しなさい」その言葉は、奈緒にとって確かな後ろ盾を得たも同然だった。源一郎の後ろ盾さえあれば、何事も進めやすくなる。「ふん」和やかな空気に満ちた病室に、場違いな冷笑が唐突に響いた。絢斗が席を立つ。百九十センチの長身に、がっしりとした肩幅、引き締まった腰。彼が立ち上がっただけで、部屋の空気が一瞬にして威圧感に包まれた。「ここはどうも息苦しい。外の空気を吸ってくる」源一郎に向けた言葉だった。奈緒には一瞥もくれず、そのまま背を向けて出口へと歩き出す。絢斗が本当に出て行こうとするのを見て、奈緒は慌てて後を追った。「絢斗お兄様、どちらへ?私もご一緒しますわ」絢斗はドアの前でふと足を止め、奈緒を見下ろすように睨みつけた。「いいだろう。苛々していたところだ。八つ当たりの相手にはちょうどいい」射殺さんばかりの視線と物騒な言葉に、奈緒はぎょっとして思わず一歩後ずさる。「絢斗、奈緒もお前を気遣って言っているんだ」源一郎が奈緒をかばうように口を挟んだ。絢斗はわずかに眉をひそめ、細めた鋭い目に苛立ちを滲ませる。「こいつはあなたの見舞いに来たんじゃないのか。なんで俺についてくる?二人で仲良く親子ごっこでもしていろ。俺は行く」言い放つなり、絢斗はドアを開けて出て行った。最後まで奈緒には一瞥さえくれなかった。取り残された奈緒は顔を青ざめさせ、両手を胸元で握りしめ、いかにも狼狽した様子で立ち尽くす。だが、そのか弱げな外見とは裏腹に、彼女の内心ではどす黒い感情が渦巻いていた。ふざけないで!あんたなんて、所詮は伯父様の養子に過ぎないくせに!養子なんて、ただ貞末家に拾われただけのよそ者でしょ。あんたの体に貞末の血なんて一滴も流れていない!貞末の血が流れているのは、この私なのよ。将来この家を継ぐのは、この私だけなんだから。こんなに下手に出て機嫌を取ってやっているのに、なんでいつもそんなに偉そうにするのよ!奈緒がその場から動けず、小刻みに震えているのを見て、源一郎は彼女が絢斗の言葉に怯えたのだと思い込み、優しくなだめ始めた。「怖がらなくていい。絢斗は機嫌が悪か
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第12話

案の定、奈緒が矢継ぎ早に問いを重ねると、源一郎はさっと表情を硬くした。「奈緒。好奇心を持つのは良いことだ。だが、何にでも首を突っ込むのは感心しないな。分かるね?」源一郎がこれほど険しい顔を自分に向けるのを、奈緒は見たことがなかった。さすがの奈緒も肝を冷やした。顔を青ざめさせ、何度も頷く。「ごめんなさい、伯父様。私が出過ぎた真似をしました。もう二度と詮索しません」自分の言葉にすっかり怯えた奈緒を見て、源一郎の表情も緩み、声色も柔らかくなった。「いいか。お前はただ、貞末の跡取りにふさわしい人間になることだけを考えればいい。俺が全面的に支えてやる。お前に関係のないことまで探る必要はない。分かったな?」奈緒は目を潤ませ、素直に頷いた。「……はい、分かりました」「よし、もう泣くな。泣き顔は可愛くないぞ」源一郎は不器用ながらも、精一杯奈緒をなだめた。奈緒は涙を拭う。鼻の頭を赤くしたその姿は、まるで怯えた小動物のようで、見る者の庇護欲をそそった。源一郎の気が緩んだ隙を突き、奈緒はさりげなく話題を変える。「伯父様は、どうして私にこんなによくしてくださるんですか?」そもそも彼女は、貞末家のれっきとした令嬢とはいえ、あくまで分家の出に過ぎない。実の娘でもないのに、源一郎は彼女の頼みなら大抵のことを聞き入れてくれるのだ。源一郎は奈緒を見つめた。まるで、その顔に誰か別の人の面影を探すように。「知っているだろう。俺にはかつて、娘がいた」奈緒は頷いた。源一郎に娘がいたことは以前から知っている。貞末家の中でも、それは特に秘密にされている話ではなかった。源一郎の声は穏やかだったが、目の縁には微かな赤みが差している。「お前と俺の娘は、ちょうど同じ頃に生まれた。もしあの子が生きていたら、今頃はお前とそう変わらない姿をしていただろうな」奈緒は源一郎の弟、貞末藤四郎(さだすえ とうしろう)に生き写しだった。そのため源一郎は、亡き娘もきっと自分に似ていたはずだと信じて疑わないのだ。だが残酷なことに、彼の娘はあまりにも幼くしてこの世を去ってしまった。どんな顔立ちになるのかも分からないままだったのだ。娘が成長すればどんな顔になっていたのか、源一郎には永遠に知る術がなかった。その瞬間、奈緒はすべてを悟った。彼は、亡き娘への想いを自分に重ねてい
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第13話

宥里、この偽物め!いくら昔、絢斗があんたに特別優しかったからって、それが何だっていうの。あんたが貞末家から追い出されたとき、あの人は伯父様の側に立って、あんたのことなんて一瞥もしなかったじゃない!貞末家の後ろ盾を失えば、あんたなんて取るに足らない存在よ。この先一生、あんたが這い上がることなんてありえないわ!……一方、宥里は家に戻るなり、そのまま自室の書斎に閉じこもっていた。夫婦の住まいとは名ばかりのこの家には、知輝と宥里の間に明確な境界線が引かれている。クローゼットも、浴室も、書斎も、すべて別々。互いの領分には一切干渉しないというのが、この家の暗黙のルールだった。以前は、それを知輝の育ちの良さや、程よい距離感を保つための配慮だと思い込んでいた。だが、今ならよく分かる。育ちの良さでも、距離感への配慮でもない。知輝はただ、彼女と一切関わりを持ちたくなかっただけなのだ。もっとも、今となってはそんなことはどうでもいい。来週には研究所へ戻る。七年というブランクは、決して軽いものではない。だが、この七年間、無為に過ごしていたわけではない。暇を見つけては書斎にこもり、理論の検討やアルゴリズムの最適化を続けてきた。書きためた原稿は、今や引き出し三段を埋め尽くすほどになっている。同時に、匿名で国内の小規模な学術誌に何本かの論文も発表していた。もちろん、知輝はその事実を知らない。気づくはずもなかった。彼は一度たりとも、彼女の書斎に足を踏み入れたことがないのだから。とはいえ、研究所に正式に復帰するまでは、どれほど準備を重ねても、実際に研究の現場へ戻らなければ意味はない。気持ちを整え、再びあの環境に順応していく必要があった。技術面や理論面については、さほど心配していない。いちばんの懸念であり、最も気が重いのは、人間関係を一から築き直すことだった。研究所というのは、誇張でも何でもなく、厳しい競争社会だ。なにしろ、限られた研究資源を誰もが必死になって奪い合っているのだから。宥里は夜遅くまで書斎にこもっていた。途中、晴子が食事ができたと呼びに来たが、それも断った。書斎から出てきた頃には、晴子はすでに自室へ戻って休んでいた。がらんとした、自分一人しかいない静かな家を見渡し、宥里は一瞬だけ物寂しさを覚えたが、すぐに首
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第14話

陽太の「もうママなんていらない」の一言に、広いリビングは数秒間、しんと静まり返った。「陽太」知輝は真剣な面持ちで息子を見据えた。「親に向かって、なんだその口の利き方は」陽太は小さな唇を尖らせ、今にも泣き出しそうに顔を歪めた。今日だけで父親に叱られたのは、もう何度目か分からない。目に入れても痛くないほど可愛がっている孫の様子を見て、富美子が慌ててなだめる。「泣かなくていいのよ。あなたの言う通りだわ。あんなママ、いらないわよね。おばあちゃんもそう思う」「母さん」知輝は疲労の滲む顔で母親を見た。「陽太はまだ幼くて、自分が何を言っているのか分かってもいないんです。母さんまで悪乗りしてどうするんですか」「悪乗りなんかしていないわ。孫が不憫だから言っているだけよ。何がいけないの」富美子は優雅に座ったまま息子を睨み、再び愛おしげな眼差しを陽太へ戻した。すると、陽太の隣に座っていた知輝の実妹、赤沢彩葉(あかさわ いろは)が、富美子から陽太を抱き上げた。「陽太、ママを取り替えたいの?じゃあ誰がいいかな。私がママになってあげようか。ふふ、これからは叔母さんをママって呼んでもいいのよ」陽太は彩葉の腕の中に心地よさそうに身を預け、大きな目をぱちぱちさせた。「叔母ちゃんは叔母ちゃんだよ。ママにはなれない」彩葉は気にも留めず、なおも冗談めかして陽太に迫る。「誰がなれないなんて言ったの。叔母ちゃん、陽太に優しくしてるでしょ?ほら、ママって呼んでみて」「彩葉、あなたまで馬鹿なことを!」富美子がダイヤモンドの指輪をはめた手で、娘の肩をぴしゃりと叩いた。その目には、強い警告の色が浮かんでいる。「あなたは陽太の本当の叔母でしょう。よくもそんな気味の悪いことが言えるわね。まだ未婚なのに、そんな冗談が外に漏れたら、あなたの評判にどれほど傷がつくと思っているの」不意に叩かれた彩葉は整った顔を歪め、不満そうに小さくぼやく。「分かったわ。世間体を気にしないとね。あなたたちの顔に泥を塗るわけにはいかないもの」「もういい、母さん。彩葉を責めないでください。彩葉も陽太が不憫で言っただけなんです」腕の中でうとうとし始めた息子を見つめ、知輝の瞳がわずかに暗く沈む。実の叔母である彩葉でさえ、これほど陽太を溺愛しているというのに。宥里。お前はいったい、
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第15話

微睡んでいた陽太は、祖母が香織の名を出したのを聞き取ったのか、寝言を呟いた。「……ん、香織さん、好き。香織さんが、ぼくのママになってくれたらいいな……」富美子は微笑を深め、手入れの行き届いた指先で孫の額をそっと撫でる。「ほら、陽太も香織のことが好きなのよ」「母さん」知輝の声には深い疲労が滲んでいた。「母さんまでどうしてそんなことを言うんですか。もう一度言っておきますが、香織はただの教え子で、今はただの部下です。俺たちの間にやましいことなど何もありません」「お兄ちゃんってば、いつになったら自分の本心に気づくわけ?」彩葉がじれったそうに口を挟んだ。「香織をただの教え子だと思っているなら、どうして彼女と結婚式なんて挙げるのよ」「あれは、手助けしてやっただけだ」知輝が即座に否定する。彩葉が不満げに唇を尖らせた。「へえ。教え子を助けるために偽の結婚式まで挙げる先生なんて、聞いたこともないわ。しかも自分一人じゃなくて、母さんや陽太まで巻き込んだんでしょう?私だって、宥里の立場だったら絶対に激怒するわ」「お前……」実の妹からの痛烈な指摘に、知輝は言葉に詰まった。彩葉は容赦なく続ける。「それに、お兄ちゃんの普段の香織への気遣いって、とっくに『先生と教え子』とか『上司と部下』とか、そういう枠を超えているわ。自覚してないの?」「それは、香織があまりにも不遇だからだ。彼女は……」知輝は、香織がどれほど過酷な環境で育ち、どれほど死に物狂いの努力を重ねて、今の場所まで這い上がってきたかを知っていた。それなのに、彼女は両親の手によって望まない相手との結婚を強いられようとしている。彼女はまるで、泥の中に咲く蓮のように、過酷な中でも懸命に光を求めてきた不遇な存在だ。知輝はそう語ろうとした。だが彩葉は、兄にそれ以上語らせようとしなかった。「この世に可哀想な人なんて、それこそいくらでもいるわ。宥里だって孤児なんだから、境遇で言えばもっと可哀想だと思うけど」知輝は再び言葉を失い、思わず口走る。「彼女は違う。もう赤沢家の人間だ。車に家に家政婦、お金だって何一つ不自由させていない。どこが可哀想だというんだ」「それでも今、あなたと離婚しようとしているじゃない」彩葉が呆れたように肩をすくめる。知輝は妹への苛立ちを募らせ、「もういい。母さんの
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第16話

知輝は父親の気性をよく理解していた。普段は温厚で、何より体面を重んじる父が、ここまで露骨に苛立っているということは、よほど厄介な事態が起きたに違いない。「父さん、何かあったんですか」富美子が正臣の脱いだ上着を受け取りながら、気遣うように尋ねる。「例の天才棋士は、まだ見つからないの?」「天才棋士?」知輝は思わず興味を引かれた。上品な母親の口から、そんな漫画にでも出てきそうな呼び方が飛び出したことはひとまず置いておくとして、気になったのは、父である正臣の反応だった。囲碁界を統括する団体の元副会長にして、国内屈指の名門囲碁道場の創設者。自身もかつて九段まで上り詰めた元プロ棋士だ。長年、囲碁界の第一線を歩んできた彼は、これまで数え切れないほどの才能ある棋士を目にしてきた。いったいどれほど規格外の才能の持ち主なら、父をここまで苛立たせ、血眼になって捜し回るほどだというのか。正臣は息子に尋ねられ、知輝の人脈や社会的な影響力を借りれば、人探しに力を貸してくれるかもしれないと考え、手短に事情を説明した。「今年の名人戦まで、もうあまり時間がない。ところが困ったことに、うちの道場から出場するはずだった優勝候補の二人が、そろって不祥事を起こしてしまってな」「二人ともですか。誰かに嵌められたということは?」知輝の表情が引き締まる。正臣は重々しく首を横に振った。「いや。二人とも、自分で馬鹿な真似をしでかしただけだ。うちは名人戦さえ取れば、主要棋戦の全制覇を達成できる。だから今回は、どうしても優勝を逃すわけにはいかない」「それで、代わりに出場できる天才棋士を探しているんですか」知輝はまだ腑に落ちない様子で聞き返した。「そういうことだ」正臣はうなずいた。「だが、実力のある棋士はすでにほかの道場やチームに所属している。今から素性も実力も確かな無所属の棋士を探し出して、出場させるのは難しい」知輝はスマホを取り出した。「その棋士について、何か情報は?俺に送ってください。部下に調べさせます」「助かる」正臣は手元にあるその棋士に関するわずかな情報を、すべて息子の端末へ転送した。知輝はさっそく画面に目を通し始める。「十三歳でプロ初段。十六歳で名人戦を制覇。同年、規定により一気にプロ九段への昇段が決定……」知輝はその驚異的な経歴に
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第17話

「棋院にも、手がかりになるような記録は何も残っていないんですか」知輝は諦めきれずに聞き返した。正臣は再び首を横に振った。「見つからん。棋院内の彼女に関する情報はすべて消えていて、まったく手がかりがない」知輝は考え込んだ。長年囲碁界に身を置き、幅広い人脈を持つ父でさえ、手がかり一つつかめない人物がいるとは。しかも、棋院に残っていたはずの記録まで、跡形もなく消されているという。何者かが棋院のシステムに手を加えたのか。それとも、内部の人間を動かせるほど強力な後ろ盾があるのか。どちらにしても、父がその人物を見つけ出すのは、簡単なことではなさそうだった。「二人して玄関先で何をしているの」彩葉が、すでに眠りに落ちた陽太を抱きかかえたまま戻ってきた。彩葉の唐突な一言が、その場の重苦しい空気をあっさりと断ち切る。「陽太を抱いたまま、そんなところで何をしているの。もう寝ているんだから、早く部屋へ連れて行きなさい。風邪を引かせたらどうするの」富美子が声を潜めて娘をたしなめた。その言葉に、彩葉は慌てて頷き、陽太を抱き直してそっと部屋へ戻っていく。心配になった富美子も、その後を追うように奥へ消えた。玄関には、知輝と正臣の父子だけが取り残された。「こんな時間から、どこへ行くんだ」正臣が尋ねる。「会社に戻ります」正臣は、息子の会社がこのところ問題を抱えていることを把握していた。「あのナビゲーションシステム用部品の件は、まだ進展がないのか」知輝は先ほどまでの険しい表情から一転し、少し明るい顔を見せた。「いくらか進展がありました。若浦さんが、量子発振子研究室を立ち上げたご本人と連絡を取ってくれまして。近いうちに研究所へ戻り、研究開発センター長への就任を承諾してもらえたそうです。新しいセンター長が就任すれば、おそらくこちらにも良い返事をもらえるはずです」正臣は満足げに息子の肩を叩く。「お前は昔からしっかりしている。親が心配することなど何もないな」見目麗しく、能力にも恵まれた我が息子。それに引き換え、まともに人前に出すこともできず、子供の世話一つ満足にこなせない嫁のことを思い、正臣は深くため息をついた。「どうしても離婚しないというなら、あの嫁にも何かやることを与えてやれ。いつまでもああして家に引きこもっていては
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第18話

宥里の言葉に、晴子は気まずそうに顔を曇らせた。「奥様。これ以上、旦那様を困らせるのはおやめください。旦那様も毎日お仕事でお疲れなんですから。これ以上揉めても、奥様のためにはなりませんよ。私だって、奥様のことを思って申し上げているんです」「もういいわ。それ以上言わないで」宥里は晴子の言葉を遮り、淡々と告げた。「分かったわ、あなたの選択を尊重する」それだけ言い残すと、そのまま車に乗り込み、区役所へと向かった。宥里の車が庭から出ていくのを見送りながら、晴子は言葉もなく首を振った。月曜の朝はちょうど通勤ラッシュの時間帯に重なり、道路はひどく渋滞していた。宥里は渋滞の中を車で急ぎ、約束の五分前になんとか区役所へたどり着いた。戸籍担当窓口の前には大勢の人が待っており、待合スペースの席もほとんど埋まっている。宥里は発券機で番号札を取り、空いている席に腰を下ろした。時間だけが刻一刻と過ぎていく。だが、約束の時間を過ぎても、知輝は一向に姿を見せなかった。区役所の場所も待ち合わせの時間も、昨夜メッセージで念を押しておいたはずだった。このまま彼を待って時間を無駄にしたくなかった宥里は、スマホを取り出し、電話をかけた。一度目は、あっさりと切られた。続けて、もう一度かけ直す。今度は切られなかったものの、知輝はひどく苛立った声で応じた。「用があるなら、要件だけ言え」以前の宥里なら、この苛立った声を聞いただけで身構え、気を遣って早々に電話を切り、仕事の邪魔をしないようにしていただろう。だが今は、ただ静かに口を開いた。「区役所に来ているの。今日、離婚の手続きをするって約束したでしょう」電話の向こうで、知輝の呼吸が一瞬止まったのが分かった。「お前さ……暇を持て余しているなら、晴子さんにでもついて回って、まともな母親のやり方でも教わってこい。お前のわがままに付き合っている暇はない」そう言い放つなり、知輝は一方的に電話を切った。宥里がもう一度かけ直しても、二度とつながらなかった。明らかに、着信拒否にされたのだ。胸の奥に、重苦しい感情がわだかまっていた。何度も深く息を吸い込んでみても、不快感はまるで晴れない。香織に謝らないなら離婚しろと言い出したのは、ほかでもない知輝自身だったはずだ。自分はその言葉
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第19話

「ご予約はございますか」「ありません」宥里は正直に答えた。受付の二人は再び顔を見合わせ、「やっぱりね」とでも言いたげな目配せを交わす。「申し訳ございません。社長は大変多忙につき、ご予約のない方をお通しすることはできかねます」受付嬢の一人が、あくまで事務的に答えた。すると、もう一人がすかさず口を挟む。「よろしければ、社長へ直接ご連絡されてはいかがでしょうか」宥里は、二人の受付嬢の事務的な営業スマイルを一瞥し、これ以上何を言っても無駄だと悟った。知輝に電話をかけようとしたところで、あの男は先ほど自分を着信拒否にしたのだったと思い出す。仕方なくため息をつき、もう一度受付のほうへ視線を戻した。「お手数ですが、内線で知輝さんに、私がここで待っていると伝えていただけますか。私は知輝さんの――」「……宥里さん?」宥里の言葉が終わる前に、男の声がそれを遮った。彼女は反射的に振り返り、自分を呼んだ男のほうを見た。洋介はちょうど会社に入ってきたところで、受付のあたりに宥里らしき女性が立っているのに気づいたのだった。相手が間違いなく宥里だと確認すると、洋介はたちまち眉をひそめ、大股で受付まで歩み寄るなり、宥里の腕を強引につかんでその場から連れ出した。まったく身構えていなかった宥里は、そのまま洋介に引っ張られるまま歩かされた。人気のない場所まで来ると、洋介はようやく足を止め、警戒心に満ちた目で宥里を睨みつけた。その目は、まるで彼女を、夫に見捨てられて正気を失い、取り乱している哀れな妻だと決めつけているかのようだった。宥里は、洋介のその露骨な表情にひどく傷ついた。どうやら知輝は、友人たちの前で、妻である自分の立場を一度も守ってくれたことがないらしい。もっとも、知輝の交友関係の中で、二人が夫婦だと知っている者はそう多くはなかった。この七年間の結婚生活で、知輝は一度たりとも、宥里を公の場に連れ出したことがなかったのだから。「どうして会社にまで来たんだ」洋介は、隠そうともせず宥里を嫌悪の目で見た。「知輝は今、仕事が立て込んでるんだ。片づけなきゃならない案件が山ほどある。香織がそばにいてくれれば、少しは負担も減っただろうに。それを、あなたが……」そこで言葉を切ったものの、苛立ちは収まるどころか、ますます募っていく。
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第20話

秘書に案内されて洋介が執務室に入ってきたとき、知輝はデスクに向かい、仕事に没頭していた。この会社は、知輝と洋介が共同で立ち上げたものだ。知輝が技術と経営を、洋介が資金とマーケティングを担っている。二人は高校時代からの同級生だ。代々学者を輩出してきた赤沢家とは異なり、鈴木家は典型的な成り上がりの資産家だった。かつて鈴木家は、株式投資や不動産取引、大規模な再開発事業などで莫大な富を築いた。その後はさまざまな事業へ投資を広げ、さらに資産を増やしてきた。今や鈴木家は、この街でも名の知れた投資一族となっている。鈴木家の御曹司として育った洋介は、幼い頃から親の背中を見て投資や資産運用を学んできた。かつて知輝が科学技術系の会社を立ち上げようとした際、その構想を実現するには、資金が圧倒的に足りなかった。それを知った洋介は、迷わず出資を申し出た。わずか数年で、二人はこの会社を国内トップクラスの企業へと成長させた。入ってきたのが洋介だと分かると、知輝は顔も上げず、手元の仕事を続けた。洋介はそんな知輝の態度にとうに慣れきっていた。秘書を退出させると、ゆっくりと知輝のデスクへ歩み寄り、先ほど宥里から預かった離婚協議書を、知輝の目の前に置いた。仕事の邪魔をされ、知輝の声には不機嫌さが滲んだ。「これは何だ」洋介はソファに深く腰を下ろし、隠しきれない嘲りを声に滲ませた。「宥里さんから預かったんだ。お前に渡してくれってさ」宥里の名を聞いた瞬間、知輝の瞳に苛立ちの色が浮かんだ。そして「離婚協議書」の文字を見た途端、その苛立ちはさらに濃くなる。「ふん、馬鹿げている」鼻で笑い飛ばすと、その一枚の用紙をシュレッダーへ突っ込んだ。洋介は、離婚協議書がシュレッダーに吸い込まれ、細かく裁断されていく様をじっと見つめる。「わざわざ本人が会社まで届けに来たんだぞ。それに目も通さず、そんなふうに裁断するのか」知輝は手元の作業を続けながら、平坦な声で答えた。「見るまでもない。どうせネットからダウンロードした書式だろう」洋介はネクタイを弄りながら言う。「もし、あいつが本気だったらどうする気だ」知輝のペンを持つ手が一瞬止まったが、すぐに何事もなかったかのように動き出した。「俺と離婚したら、今までのような暮らしができるわけがないだろう」洋介はそれに頷いた
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