翌朝、目を覚ました綾香は、枕元のスマートフォンを手に取った。 昨夜、帰宅してから遥臣に送ったメッセージには、短い返事が届いている。『着いたならいい。ゆっくり休め』 それを読み返して、綾香は小さく笑った。 昨日は怖かった。 知らない街で黒い車を見つけた時には、一人でいることが急に心細くなった。 けれど遥臣の顔を見た瞬間、驚くほど安心した。「……頼りすぎかしら」 呟いてから、首を振る。 何でも話しているわけではない。 母のことも、理央のことも、自分の中だけに留めていることはたくさんある。 ただ、怖い時に頼りたいと思える人ができただけだ。◇◆◇ 昼過ぎ、綾香は父と庭でお茶を飲んでいた。「昨日はずいぶん遅かったね」「少し遠くまで行っていたの」「そうなのか」「お土産、美味しかったでしょう?」「ああ。あの最中はうまかった」 父は満足そうに頷く。「お母様も、ああいうものは好きだった?」「甘いものは好きだったよ。特に餡子は好きだったな」「そうなの?」 また一つ、知らなかったことが増えた。「お母様って、もっと洋菓子が好きなのかと思ってたわ」「ケーキも好きだった。でも、疲れると甘い饅頭が食べたいって言い出すんだ」 父が懐かしそうに笑う。「会社帰りに買ってこいと何度頼まれたことか」「お父様が?」「私だって饅頭くらい買えるよ」「そういう意味じゃないわ」 綾香も笑った。 母の思い出を聞くたびに、母が少しずつ「亡くなった人」ではなくなっていく。 好きなものがあって、夫にわがままを言って、娘を可愛がっていた一人の女性になる。 それが嬉しかった。 その時だった。 庭の向こうに人影が見えた。
Last Updated : 2026-09-20 Read more