All Chapters of 婚約者に売られ、親友に顔を奪われた私は、二度目の人生で全てを取り戻す: Chapter 171 - Chapter 180

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理由はいらない

 駅が近づいても、遥臣は手を離さなかった。 綾香も、離そうとはしなかった。 前回は人混みのせいにできた。けれど今日は、そんな理由はどこにもない。 それでも二人は手を繋いでいる。「ねえ、遥臣」「何だ」「こういうの、誰にでもするの?」 聞いた瞬間、少し後悔した。 あまりにも分かりやすい質問だ。 遥臣が足を止める。「すると思うか?」「分からないから聞いてるの」「しない」 即答だった。 綾香の心臓が大きく跳ねる。「……そう」「何だ」「何でもない」「聞いといてそれか」「答えが分かったからいいの」 再び歩き始める。 繋いだ手が、さっきよりも気になって仕方がない。 誰にでもするわけではない。 それなら、自分は遥臣にとって少しくらい特別なのだろうか。 そう期待してもいいのかもしれない。◇◆◇ 改札の前まで来ると、さすがに二人の手は離れた。「じゃあ、またね」「ああ」 綾香が改札へ向かおうとすると、遥臣に呼び止められた。「綾香」「何?」「温泉」 一瞬、何の話か分からなかった。「ああ、本屋で話してた?」「今度行くか」「日帰りでしょうね?」「まだ言うのか」「だって遥臣が急に言うから」「日帰りだ」「なら行きたい」 答えると、遥臣が頷いた。「予定見とく」「またすぐ決めるつもり?」「駄目か」「駄目じゃないけど」 綾香は笑った。「遥臣、最近ずっと私と出かけてるわよ」「そうだな」「ほかに予定ないの
last updateLast Updated : 2026-09-15
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聞けなかった答え

 翌朝になっても、綾香の頭には昨日の言葉が残っていた。『友達と会うのと、お前と会うのは別だろ』 では、何なのか。 聞けば答えてくれそうだったのに、遥臣は「また今度」と逃げた。「……次は絶対聞くんだから」 そう呟いたところで、スマートフォンが震えた。 遥臣からだった。『起きてるか』『起きてるわよ』『昨日疲れてないか』『大丈夫。遥臣は?』『平気』 いつも通りのやり取りだった。 昨日手を繋いだことにも、改札前で交わした会話にも触れない。 綾香は少し迷ってから文字を打った。『昨日の答え、まだ聞いてないんだけど』 送信する直前で、指が止まった。 結局、すべて消す。(メッセージで聞くことじゃないわよね) 次に会った時でいい。 そう思っていると、遥臣からもう一通届いた。『来週、日帰りで行けそうなところ探しとく』『温泉?』『ああ』『本当に行くのね』『嫌なのか』『行きたいって言ったでしょう?』『じゃあ決まり』 また一つ、次の約束ができた。 答えを聞く機会も、その時にある。◇◆◇ 昼過ぎ、綾香がリビングへ下りると、父がソファで書類を読んでいた。「お父様」「ん?」「今日はお休みでしょう?」「これは仕事じゃないよ」「どう見ても仕事の書類だけど」「ちょっと確認してるだけだ」 綾香は父の向かいに座った。「北海道から帰ってきたばかりなんだから、まだ無理しないで」「分かってるよ」「本当に?」「本当だ」 父が苦笑し、書類をテーブルへ置いた。「それより、昨日は出かけてたのか?」
last updateLast Updated : 2026-09-15
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今度は家族三人で

 父との話を終えたあとも、綾香はしばらく母の写真を眺めていた。 父に言われた通り、急いで遥臣との関係に名前をつける必要はないのかもしれない。 手を繋いで。 毎週のように会って。 次の約束までしている。 それだけでも今は十分幸せだった。 写真を片づけようとして、綾香は一枚の写真に目を留めた。 父と母、そして幼い自分が並んでいる。 三人とも浴衣姿だった。「これ、どこだろう」 写真を持って、まだリビングにいる父のところへ戻る。「お父様、これ覚えてる?」「ああ、懐かしいな」 父は写真を見るなり笑った。「箱根だよ。綾香が五歳くらいだったかな」「三人で旅行したの?」「そうだよ。覚えてないのか?」「なんとなく……」 写真を見つめているうちに、断片的な記憶が蘇ってくる。 大きなお風呂。 浴衣の帯を母に結び直してもらったこと。 夕食に出た料理より、最後のアイスを楽しみにしていたこと。『お母様、まだ?』『もう少し待ちなさい』『アイス溶けちゃう』『まだ来てもいないのに、どうやって溶けるのよ』 そう言って母が笑っていた。「……アイス」「ん?」「私、アイス食べたがってなかった?」「よく覚えてるな」 父が笑った。「夕飯をちゃんと食べないとデザートはなしだって、お母さんに怒られてたよ」「そこまで思い出したくなかったわ」「結局食べたけどな」「食べたの?」「お母さんが自分の分を半分くれた」 いかにも母らしい気がして、綾香も笑った。「また行こうか」 父が何気なく言った。「箱根?」「ああ」
last updateLast Updated : 2026-09-15
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日帰り温泉へ

 日曜日の朝。 綾香が玄関へ向かうと、父がリビングから顔を出した。「今日はどこへ行くんだ?」「温泉」「温泉?」「日帰りよ」 念のため付け加えると、父が笑った。「何も聞いてないだろ」「その顔、絶対何か考えたでしょう?」「考えてないよ。九条君と?」「……そうよ」「楽しんでおいで」「お父様も今日はちゃんと休んでね」「分かってる」 父へ念を押してから家を出る。 門の前には、すでに遥臣の車が停まっていた。「おはよう」「ああ。乗れ」 助手席へ乗ると、遥臣が綾香を見る。「朝飯は?」「食べたわよ」「ならいい」「毎回確認するつもり?」「必要なくなるまでは」「いつ必要なくなるのよ」「お前が信用できるようになったら」「ちゃんと食べてるでしょう?」「最近はな」 綾香は呆れながらシートベルトを締めた。「それで、どこへ行くの?」「一時間半くらい」「またそれしか教えてくれないの?」「着けば分かる」 車が走り出す。 すっかり恒例になってしまったやり取りに、綾香は笑った。◇◆◇ 到着したのは、山あいにある日帰り温泉施設だった。 建物の周囲には木々が広がり、少し離れたところには川も流れている。「素敵なところね」「口コミは悪くなかった」「調べてくれたの?」「ああ」「ありがとう」 素直に礼を言うと、遥臣は少しだけ視線を逸らした。「入るか」「そうね」 当然ながら、温泉では別々になる。「じゃあ、一時間後くらい?」「ああ。の
last updateLast Updated : 2026-09-15
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友達とは違う

 温泉を出たあと、二人は施設内の食事処へ向かった。「お腹空いたわ」「風呂入っただけだろ」「温泉ってお腹空かない?」「分からん」「遥臣は?」「空いた」「ほら」「朝から時間経ってるからだろ」 そんな話をしながら席につく。 窓の向こうには山が広がっていた。「せっかくだから、何かここの名物を食べたいわね」「好きなの頼め」「遥臣は?」「蕎麦」「決めるの早いわね」「さっき見た」 綾香も同じものを頼むことにした。 食事が運ばれてくるまでの間、次はどこへ行こうかと話す。 いつの間にか、次の約束をするのが当たり前になっていた。「今度は私が決めようかしら」「行きたいところあるのか」「まだないけど」「じゃあ決めてないだろ」「これから探すのよ」 綾香は笑った。 そこで、ふと以前の会話を思い出す。『友達と会うのと、お前と会うのは別だろ』 あの時、違いを尋ねても遥臣は答えてくれなかった。「ねえ、遥臣」「何だ」「前に聞いたこと、覚えてる?」「何の話だ」「友達と私とは違うって言ったでしょう?」 遥臣の動きが止まった。「……覚えてるじゃない」「ああ」「今度答えるって言ったわよね」「言ったな」「じゃあ、聞いてもいい?」 綾香は遥臣を見つめた。 少し怖い。 けれど、もう聞かないふりを続ける方が難しくなっていた。「私は、遥臣にとって何なの?」 遥臣はすぐには答えなかった。 窓の外へ一度視線を向け、それから綾香を見る。「大事な人だと思ってる」 綾香の胸が大きく鳴った。「それって……」「友達とは違う」「だから、その違うっていうのが――」「分かってる」 遥臣が言葉を重ねる。「俺も、ちゃんと考えてる」 綾香は黙った。「今ここで中途半端に言うつもりはない」「中途半端?」「ああ」 遥臣はそれ以上説明しなかった。 けれど、もう十分だった。 少なくとも、自分だけが遥臣を特別に思っているわけではない。「じゃあ、待ってればいい?」 綾香が尋ねると、遥臣が少し驚いた顔をした。「何を」「遥臣がちゃんと言ってくれるの」 今度は遥臣が黙る番だった。 やがて、小さく息を吐く。「……ああ」 その返事に、綾香は笑った。「分かった。待ってる」「そんな嬉しそうに言うな」「どうして?」「言いづらくなる
last updateLast Updated : 2026-09-16
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待っている時間

 食事を終えたあと、二人は施設の外へ出た。 せっかくここまで来たのだからと、近くの川沿いを少し歩くことにしたのだ。 山の間を流れる川は澄んでいて、聞こえてくるのは水の音と風に揺れる木々の音くらいだった。「静かね」「ああ」「こういうところも好きかも」「じゃあ来てよかったな」「ええ」 綾香は隣を歩く遥臣を見る。 先ほどの会話を思い出すたびに、自然と頬が緩んでしまう。『大事な人だと思ってる』 告白ではない。 けれど、その先にある言葉を期待していいのだと分かった。「また笑ってるぞ」「いいでしょう?」「何がそんなに面白いんだ」「面白いんじゃなくて、嬉しいの」 遥臣が黙る。「遥臣が言ったんでしょう?」「……言ったな」「だったら責任持って」「何の責任だ」「私が嬉しくなった責任」「知らん」 素っ気なく返しながら、遥臣は少しだけ歩く速度を上げた。「逃げないでよ」「逃げてない」 綾香は笑いながら追いついた。 その時、遥臣の手が綾香の手に触れた。 今度は驚かなかった。 遥臣の指が重なり、自然に手を繋ぐ。 綾香もその手を握り返した。「もう理由も言わなくなったわね」「必要か?」「いらない」 それだけでよかった。◇◆◇ 帰りの車では、綾香は助手席から流れる景色を眺めていた。「お父様とも温泉に行く約束したの」「そうなのか」「昔、家族三人で行った写真が出てきて。お父様と話してたら、また行こうって」「いいんじゃないか」「今度はちゃんと覚えておきたいなって思って」 幼い頃の旅行は、写真を見なければ思い出せないことばかりだった。 今度は父と二人になる。 それでも、新しい家族の思い出には違いない。「写真撮っとけ」「そうね」 そこで綾香は笑った。「遥臣、写真嫌いなくせに」「親父さんとの写真の話だろ」「そうだけど」「俺は関係ない」「じゃあ、私と出かけた時は?」 遥臣が一瞬だけ黙った。「……撮ればいいだろ」「嫌じゃないの?」「前も撮った」「一枚だけって言ってたじゃない」「お前が欲しいなら付き合う」 綾香は少しだけ身体を遥臣の方へ向けた。「本当に?」「運転中にこっち見るな」「遥臣が見なければいいでしょう?」「気になる」「私が?」「ああ」 あまりにも自然な返事だった。 綾香はそれ
last updateLast Updated : 2026-09-16
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次は私が決める

 温泉から帰った翌日、綾香は自室でスマートフォンを眺めていた。 次は自分が行き先を決める。 そう宣言したものの、いざ探し始めるとなかなか決まらない。「遥臣が楽しめるところ……」 水族館や植物園は、どちらかといえば綾香に合わせて選んでくれた場所だった。 今度は遥臣が楽しめるところにしたい。 けれど、遥臣の趣味といえば映画くらいしか思いつかない。(もっと聞いておけばよかった) そう考えて、ふと笑ってしまう。 以前なら、遥臣の好きなものを知らなくても気にならなかった。 今は知りたいと思う。 好きな食べ物だけではなく、どんな場所が好きなのか。何をしている時が楽しいのか。 これから少しずつ知っていけばいい。 結局、綾香が選んだのは美術館だった。 遥臣が美術に興味があるかは分からない。ただ、期間限定で海外の有名な作品を集めた展覧会が開催されている。『次、美術館はどう?』 メッセージを送ると、少しして返信が来た。『いいぞ』『興味ある?』『普通』 綾香は思わず笑った。『また普通なのね』『嫌いじゃない』『じゃあ決まり』『いつ』 日程まで即座に決めようとするところは、相変わらずだ。『来週の土曜日は?』『空いてる』『じゃあ土曜日ね』 約束が一つ増える。 それだけで、来週が楽しみになった。◇◆◇ 午後、綾香は父と庭を歩いていた。 北海道から戻って以来、父は意識して身体を動かすようにしている。「疲れてない?」「庭を歩いただけで疲れてたら仕事なんてできないよ」「そういう問題じゃないでしょう」「分かってる」 父は苦笑した。 庭の一角に差しかかったところで、綾香は足を止めた。 青い小さな花が咲いている。 母の手帳に挟まれていたものと、よく似ていた。「これ……」「どうした?」「お母様の手帳に押し花が挟まってたの。昔、私がお母様にあげた花」「ああ」 父はすぐに頷いた。「覚えてるの?」「お母さんが見せてくれたからな」「お父様にも?」「綾香にもらったって、ずいぶん喜んでたよ」 綾香は花を見つめた。 自分にとっては、忘れてしまうほど小さな出来事だった。 母にとっては、父に話したくなるほど嬉しいことだったらしい。「お母様って、本当に私のこと好きだったのね」「今さら何を言ってるんだ」「分かってたけど
last updateLast Updated : 2026-09-16
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知らなかった一面

 土曜日。 美術館の入口で待っていると、ほどなくして遥臣がやってきた。「待ったか」「今来たところよ」「なら行くか」 チケットを買い、二人で展示室へ入る。 今回の展覧会は、十九世紀のヨーロッパ絵画を中心に集めたものだった。 最初のうちは、綾香も普通に作品を眺めていた。 けれど、しばらく歩いているうちに気づく。 遥臣が意外なほど一枚一枚をじっくり見ている。「遥臣」「何だ」「美術館、普通って言ってなかった?」「普通だぞ」「その割に熱心に見てるじゃない」「来たなら見るだろ」「そういうもの?」 次の展示室へ進むと、大きな風景画が飾られていた。 遥臣がその前で足を止める。「これ、好き?」「まあ」「どういうところが?」「静かだから」 綾香は絵を見る。 夕暮れの湖と、その向こうに広がる森が描かれている。「遥臣って、静かな景色が好きなの?」「たぶん」「たぶんって、自分のことでしょう?」「考えたことなかった」 そう言われて、温泉へ行った時のことを思い出した。 あの場所も、山に囲まれた静かなところだった。「だからあの温泉を選んだの?」「それもある」「そうだったんだ」 また一つ、知らなかったことを知った。 それが少し嬉しい。◇◆◇ 展示を見ながら進んでいると、今度は母子を描いた絵の前で綾香の足が止まった。 幼い娘の髪を、母親が結っている。 何でもない日常を描いた絵だった。 けれど綾香は、しばらくそこから動けなかった。「どうした」「ちょっと、思い出してたの」「何を?」「お母様も、よく髪を結ってく
last updateLast Updated : 2026-09-16
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母の好きだった景色

 展示を見終えた二人は、美術館に併設されたカフェへ入った。 窓際の席からは庭が見える。「結構歩いたわね」「疲れたか?」「そこまでじゃないわ。遥臣は?」「平気」 注文した紅茶を待ちながら、綾香は先ほど見た母子の絵を思い出していた。「お母様、美術館にも連れてきてくれたことがあった気がする」「覚えてるのか」「少しだけ。どこだったかまでは分からないけど」 幼い頃の記憶は曖昧だった。 広い展示室と、母と繋いだ手。 それから、絵を見ることより早く帰りたがった自分。「たぶん私、途中で飽きたのよ」「子供ならそんなもんだろ」「お母様、見たいものがあったかもしれないのに」「また行けばよかっただけだ」「そうね」 綾香は笑った。 母が亡くなってから、できなかったことばかりを考えてしまう時がある。 けれど遥臣の言う通り、その頃の母はきっと、そんな大げさには考えていなかったのだろう。 娘が飽きたなら今日は帰って、また別の日に来ればいい。 そんな普通の一日だったはずだ。◇◆◇ 美術館を出たあと、二人は庭を歩いた。 展示室で見た風景画ほどではないが、池の周りには木々が植えられ、街中とは思えないほど静かだった。「こういうところ、好きでしょう?」「ああ」「やっぱり」「何で嬉しそうなんだ」「遥臣の好きなものを一つ覚えたから」「そんな大したことじゃないだろ」「大したことよ」 綾香は池のそばで足を止めた。「私、遥臣のこと昔から知ってるつもりだったの」「長いからな」「でも、知らないことばっかりだった」 好きな映画。 休日の過ごし方。 静かな景色が好きなこと。 どれも最近になっ
last updateLast Updated : 2026-09-16
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次の約束

 美術館を出て駅へ向かう途中、綾香は遥臣と繋いだ手を見た。 もう、どちらから手を伸ばしたのかも分からない。 最初の頃は触れるだけであれほど緊張したのに、今ではこうして歩くことが自然になりつつある。「遥臣」「何だ」「私たち、最近毎週会ってない?」「ああ」「否定しないのね」「実際そうだろ」「遥臣、忙しいんじゃないの?」「毎週ずっと仕事してるわけじゃない」「それはそうだけど」 綾香は少し考える。「無理して予定を空けてない?」 遥臣が綾香を見た。「何でそうなる」「だって、お医者様って忙しいでしょう?」「会えない時はそう言う」「じゃあ、無理はしてない?」「ああ」 遥臣は少し間を置いた。「会いたいから会ってるだけだ」 綾香の足が止まりそうになる。「……またそういうこと言う」「何だ」「何でもない顔で言うの、ずるいわ」「本当のことだろ」「そういうところよ」 遥臣には、やはり分かっていないらしい。 けれど以前のように、綾香もただ照れて終わるだけではなくなっていた。「私も会いたいから会ってるのよ」 言い返すと、今度は遥臣が黙った。「何?」「いや」「今、困ったでしょう?」「困ってない」「じゃあこっち見て」「歩いてるだろ」「さっきまで見てたじゃない」「うるさい」 少しだけ耳が赤い。 綾香はそれ以上追及せず、笑いながら隣を歩いた。◇◆◇「次、どうする?」 駅近くまで来たところで、遥臣が尋ねた。「また私が決めるの?」「どっちでもいい」「じゃあ……」 綾香は少し考えた。 水族館。 植物園。 映画。 温泉。 美術館。 いろいろな場所へ行った。 でも、今日は行き先よりも遥臣と一緒に過ごした時間そのものが楽しかった。「今度は、何もしない日にしない?」「前もやっただろ」「そうじゃなくて。最初から何も決めないの」「飯くらいは食うだろ」「それは食べるわよ」「じゃあ何もしないわけじゃない」「細かいわね」 綾香は笑った。「会ってから決めましょうよ。行きたいところができたら行けばいいし、なければお茶して話すだけでもいいでしょう?」 遥臣は少し考えてから頷いた。「いいぞ」「本当に?」「ああ」「退屈しない?」「お前がいるなら別に」 まただ。 綾香は遥臣を見上げた。「遥臣」
last updateLast Updated : 2026-09-17
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