水を飲もうとリビングへ出ると、ちょうど書斎から出てきた理人と鉢合わせた。スマホを握りしめた彼は珍しく焦りを隠せない様子で、私と目が合うと一瞬だけ足を止めた。「少し出てくる。依頼人に会わないといけない」壁の時計は、すでに午後9時を回っていた。「香澄さん?」私が静かに尋ねると、理人は玄関に置いていた車の鍵を手に取った。「ああ。精神的にかなり参っている。今夜は1人にしないほうがいい」私が何か言うより早く、理人は玄関を飛び出していき、重いドアが閉まる音だけが静まり返った部屋に残った。誰もいなくなった玄関を見つめながら、香澄のことになると普段の冷静さを簡単に失う理人は、昔から何も変わっていなかったのだと思った。私と交際を始めてからも、理人は香澄と連絡を取り続けていた。彼女から電話がかかってくれば、どれだけ忙しくても仕事を中断して駆けつける。それを指摘するたびに、「別れたあとも友人ではいられる。交友関係に口を出すな」と言われてきた。香澄が結婚してからは次第に彼女の話をしなくなったため、もう気持ちは残っていないのだと信じていたが、結局、何も変わっていなかった。午前0時を過ぎても理人は帰ってこなかったため、私は電話をかけた。「もう遅いよ」「香澄がまだ落ち着かない。今は離れられない」困ったように答える理人の向こうから、香澄のすすり泣く声が聞こえてきた。「理人、私、長い時間を取らせすぎたよね……ごめんなさい。こんなふうに心配してもらったの、久しぶりで……」「気にするな。君は俺の依頼人なんだから」あくまで仕事なのだと言い聞かせるような返事だったが、その口調は妙に早く、香澄に誤解されたくないと焦っているようにも聞こえた。私はテーブルに置いていた予約票を手に取った。「午前10時から、結婚写真の撮影だから。忘れないでね」受話口の向こうで物音がした。理人は席を立って香澄から離れたらしく、少し間を置いてから声を潜めた。「香澄がつらい思いをしているときに、わざわざそんな話をする必要があるのか?」はっきりと苛立ちをにじませたまま、理人は言葉を続けた。「時間には間に合わせる。琴葉は先に寝ていろ。待たなくていい」通話が切れる直前、香澄へ優しく声をかける理人の声が聞こえた。「何でもない。気にしなくていいことだ
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