جميع فصول : الفصل -الفصل 40

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第30話 映っていた八人目

 映像は、何度止めても同じ場所から始まった。 雨に濡れた七刻女学校の校門。 錆びた鉄柵。 まだ誰も到着していない山道。 そして、午後十時四十分を少し過ぎた時刻。 黒い雨具を着た人物が、画面の左端から現れる。 理科準備室の床へ置かれた古いビデオカメラを囲み、五人は黙ってその姿を見つめていた。 人物は深くフードを被っている。 顔は見えない。 背丈は朔や悠斗と大きく変わらないようにも見えるが、厚い雨具のせいで肩幅すら判別しづらい。歩幅も一定ではない。わざと特徴を消して歩いているようだった。 人物は門の前で立ち止まる。 腰を屈める。 地面へ置かれていた太い鎖を拾った。「巻き戻して」 美月が言った。 朔が映像を数秒戻す。 黒い人物が鎖へ触れる直前。 門にはまだ、六つの木箱がない。 再生。 人物は鎖を外し、門扉を人一人が通れる幅だけ開いた。 そのあと画面の外へ消える。 二分ほどして戻ってきたとき、両手に古い木箱を二つ抱えていた。 一度。 二度。 三度。 往復し、六つの箱を門前へ並べる。 雨宮澪。 神代朔。 早乙女美月。 黒瀬悠斗。 白石奈々香。 相馬透。 それぞれの名札を確認するように、人物が一つずつ蓋へ手を置く。「最初から、こいつが置いた」 悠斗の声が低くなった。「箱も。鎖を外したのも」「装置の起動時刻とも近い」 朔は監視室で撮影した操作記録を呼び出し、時刻を照らし合わせる。「管理者の最終ログインが十一時七分。その前後に、各部屋の制御装置が待機状態へ入ってる」「この人がやった?」 奈々香が訊く。「可能性は高い」「透を殺したのも?」 声が震える。 誰もすぐには答えなかった。 画面の中で、黒い人物は最後の箱を置き終えると、校門を抜けて校舎へ向かっていく。 右手には撮影用のカメラ。 左手には小さな黒い鞄。 管理通路にあった装置を操作するための端末が入っていたとしても不思議ではない大きさだった。「待って」 澪が画面へ近づいた。「手」 黒い人物が雨具のフードへ触れる。 袖口が少し上がる。 右手首に腕時計。 黒い文字盤。 銀色の縁。 太い革のベルト。 悠斗が自分の手首を隠すように腕を下ろした。 八年前の映像。 理科準備室へ澄花を押し込んだ人物。 画面の端へ一瞬だけ映
last updateآخر تحديث : 2026-08-22
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第31話 死体のない殺人現場

 校門を越えた瞬間、五人のスマートフォンが一斉に鳴った。 短い通知音、着信を知らせる振動、圏外から通信網へ復帰したときの表示が重なり、雨上がりの山道に不自然なほど生活の音が戻ってくる。澪は足を止め、画面の左上に立ったアンテナ表示を何度も確かめた。つい数歩前まで、一度も外部へつながらなかった端末だった。「電波、戻ってる」 奈々香の声は掠れていた。濡れた衣服の上から美月に渡された保温シートを巻き、両手でスマートフォンを握っている。「警察」 美月はそれだけ言うと、すぐ緊急通報を始めた。 悠斗も別の番号へ電話を掛け、管理会社へ現在地と校門の開放を伝えている。朔は校舎を振り返ったまま、小型カメラの録画を止めなかった。夜の底に沈んだ七刻女学校は、さっきまで五人を閉じ込めていた建物とは思えないほど静かだった。 澪は喉を押さえながら、門の内側を見た。 透を連れて出られなかった。 二年七組へ戻ったとき、遺体は消えていた。封印は破られておらず、窓も開いていなかった。それでも簡易担架の上には、〈七刻女学校・八人目〉と書かれた濡れたカセットテープしか残されていなかった。「相馬透さん、二十九歳。意識なしではなく、死亡を確認しています」 美月の声が電話口で硬くなる。「救命救急に勤務しています。私が頸動脈、呼吸、瞳孔を確認しました。首に強い圧迫痕がありました。遺体が……今は見つからないんです」 相手が何を訊いたのか、美月は一度目を閉じた。「いいえ、説明が難しいのは分かっています。でも、死んでいました。五人全員が確認しています」 雨はほとんど上がっていた。 雲の切れ間から、東の空だけが薄く白み始めている。夜明け前の冷えた風が山から降り、濡れた木々の匂いを運んできた。 澪はその風の中で、初めて自分の身体がひどく震えていることに気づいた。 怖かったからだけではない。 疲労。 寒さ。 そして、透を置いてきたという感覚。 いや。 置いてきたのではない。 消えた。 その違いを、頭が受け入れようとしなかった。 最初の警察車両が到着したのは、空が灰色へ変わり始めた頃だった。 続いて救急車、所轄の捜査員、鑑識車両。山道の入口から校門まで白と赤の灯りが連なり、七刻女学校は短時間で封鎖された。五人は一人ずつ毛布を渡され、別々に事情を聞かれることになった。 澪は
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第32話 女だけが消える部屋

 写真の中の女は、壁から半分だけ顔を出したまま、こちらを見ていた。拡大した画像は粗く、瞳の輪郭も頬の境目も崩れている。それでも、澪には女が笑っていないことだけは分かった。助けを求めているようにも、こちらへ来いと呼んでいるようにも見える。畳の中央に座る返し雛だけが、不自然なほど鮮明だった。白い頬、閉じた目、赤黒い唇を持つ小さな人形の背後で、人間の顔だけが壁紙の染みへ溶け込んでいる。 澪の指先から体温が抜けていくのを感じた。「常世荘……」 隣で名を口にしたのは、御影蓮司だった。 澪は顔を上げた。つい先ほど名刺を差し出し、椎名澄花の異母兄だと名乗った男は、スマートフォンの画面を見たまま眉間へ浅い皺を寄せている。驚いたというより、嫌なものへ再び行き当たった顔だった。「知ってるんですか」「名前だけじゃない」 蓮司は黒いジャケットの内側から、厚みのある書類ケースを取り出した。透明な袋へ分けて入れられた登記事項、古い募集図面、管理会社の記録らしいコピーが重なっている。屋外で広げるには量が多い。彼は警察署の正面を一度見てから、道路向かいにある二十四時間営業の喫茶店を顎で示した。「ここで立ち話をする内容じゃない。俺は八年間、妹が消える前後に接触した場所と人間を調べてきた。常世荘は、その途中で一度引っかかった物件だ」 朔の視線が蓮司へ向いた。「どうして澄花と常世荘がつながった」「それを今から話す」 蓮司の返答は冷たかった。澪へ向けた声より、朔へ向けたときだけわずかに硬い。異母妹と最後の夜を過ごした人間の一人として、最初から信用していないことが伝わってきた。 五人は喫茶店の最奥へ移った。朝の客は少なく、窓際には出勤前らしい会社員が二人いるだけだった。店内には焼いたパンと珈琲の匂いが満ちているのに、澪にはまだ七刻女学校の黴と錆の臭いが鼻の奥へ残っていた。濡れた服を着替える時間もなく、袖口には校舎の埃が白く付着している。奈々香は保温シートを外して借りた上着を羽織っていたが、髪の先はまだ湿っていた。 蓮司はテーブルへ一枚の住宅地図を広げた。「常世荘は、ここから車で一時間前後。古い住宅街の奥にある。築四十年以上の木造二階建てで、六室だった時期と八室だった時期があり、増改築を繰り返してる」「現在も人は住んでるの?」 美月が訊いた。「一階に三世帯。二階はほぼ空き
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第33話 二〇三号室

 夕方の常世荘は、あまりにも普通だった。七刻女学校のように山の闇へ隔離されているわけでも、立入禁止の鎖が巻かれているわけでもない。古い住宅街を横切る細い道路には買い物帰りの自転車が走り、少し離れた公園では小学生らしい子どもたちがボールを追いかけている。夕食の支度をしている家から焼いた魚の匂いが漂い、犬を連れた老人が常世荘の前を何の警戒もなく通り過ぎた。その日常の中央に、築四十年以上の二階建て木造アパートは何食わぬ顔で建っていた。 黄ばんだ外壁には雨垂れの黒い筋が幾つも走り、鉄製の外階段は錆びて赤茶色に変色している。二階へ渡る廊下の手摺には住民が干した小さなタオルが揺れ、建物脇の駐輪場には子ども用の自転車まで置かれていた。昨夜までいた廃校のような、近づくだけで人を拒絶する圧迫感はない。だからこそ澪には怖かった。七人の女性が消えた部屋のすぐ下で、誰かが普通に夕飯を食べ、風呂を沸かし、明日の仕事を考えながら暮らしている。「写真より、ずっと普通だね」 奈々香が小さく言った。借りた衣服へ着替えてはいたものの、左耳にはまだ薄いガーゼが貼られており、疲労の残る顔にはほとんど化粧がない。常世荘を見上げるたび、無意識に髪を耳の後ろへ押し込んでいた。「普通の建物ほど、住み続ける理由ができる」 蓮司が答えた。黒いジャケットの下には調査用の薄いベストを着込み、手には小型の計測器と書類鞄を持っている。「先に言っておくが、俺は呪いに付き合うために来たわけじゃない。妹がここへ来た可能性を調べる。それだけだ」「七日間は泊まらない?」 奈々香が訊くと、蓮司は視線だけを向けた。「要求した相手が人間なら、従う理由はない」「七刻女学校でも、それで済まなかった」 悠斗が低く返した。「だから今回は、何が人間の仕掛けで、何が違うのか最初から切り分ける」 朔が常世荘の屋根と外壁へ視線を走らせる。仕事用の小型カメラは胸元へ固定されていたが、七刻女学校を出てから澪はその赤い録画表示を見るたびに、胸の内側へ小さな棘が刺さるようになっていた。澄花の楽譜に残されていた一文は、まだ手帳の中へ挟んだままである。 朔が撮っているものと、私たちが見ているものは同じじゃない。 見せるべきかと何度も考えた。だが、透を殺す装置に朔の技術が使われていたこと、八年前のカメラと同じ識別番号で今夜の映像が記録され
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第34話 壁の中の女

 押し入れの奥板は、外から見るより新しかった。表面には古い木材に似せた染みと擦り傷がつけられているが、朔が釘へ懐中電灯を寄せると、頭の縁にはほとんど錆がなかった。蓮司は壁厚を測った計測器を床へ置き、板の左右を指で叩いて空洞の広がりを確かめる。さっきまで向こう側から聞こえていた「出して」という女の声も、爪で木を引っかく音も、今は完全に消えていた。「外す。板が倒れるかもしれないから離れて」 朔が工具を差し込み、蓮司が反対側を押さえた。悠斗は押し入れの前へ古い毛布を敷き、美月は奈々香を畳の中央まで下がらせる。一本目の釘が抜けると乾いた金属音が落ち、二本目、三本目と続くたび、壁の向こうから冷たい空気が細く漏れ始めた。最後の固定部を外して二人が板を手前へ引くと、湿った断熱材と古い配管の臭いが六畳間へ流れ込んだ。 壁の中には、人ひとりが横向きになれば辛うじて進めるほどの空洞があった。左右には柱が立ち、灰色に変色した断熱材が垂れ、細い水道管と電線が奥へ伸びている。懐中電灯の光は数メートル先まで届いたが、人影はなく、女が何人も隠れられる幅もない。床代わりの梁には埃が厚く積もっており、たった今誰かが逃げたような擦れや足跡も見えなかった。「いない……」 奈々香が胸元を押さえた。安堵しかけた声だったが、美月は空洞から目を離さず、さっき三つ以上の声を聞いたと静かに確認した。人間がいたなら板を外す間に奥へ移動したことになるが、複数人がこの狭さを通れば、断熱材や埃に何か残るはずだった。蓮司も同じ考えらしく、床と柱の接触部へ光を走らせたあと、眉を寄せた。「俺が入る」 朔は小型カメラを胸元へ固定し、身体を横へ向けて空洞へ滑り込んだ。澪が呼び止めると、数メートルだけ確認し、何か見えても追わないと返す。暗い隙間へ消えていく背中を見送りながら、澪は胸元の手帳を服越しに押さえた。そこには、音楽室で見つけた澄花の字がまだ隠されている。〈朔が撮っているものと、私たちが見ているものは同じじゃない〉という一文は、見せる機会を逃したまま、彼を信じたい気持ちと疑うべきだという警戒の間に重く挟まっていた。 壁の中で衣擦れが響き、やがて朔が「見つけた」と声を返した。戻ってきた手には、掌ほどの黒いスピーカーがあった。背面には人感センサーと小型電池があり、壁内部を通る細い配線へ接続されている。朔が電源を入れ
last updateآخر تحديث : 2026-08-25
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第35話 七人の元入居者

 朝になっても、押し入れから続いていた裸足の跡は消えなかった。 夜のうちに美月が一つずつ写真へ残し、朔も別角度から撮影していたが、窓を開けて朝の光を入れても、それらは畳へ薄い水染みを作ったままだった。押し入れの奥に設置した監視用カメラは、午前一時十一分から十三分までの二分間だけ記録が欠けている。電源は落ちておらず、保存領域にも破損はないのに、その時間だけ映像そのものが存在しなかった。「写真が撮られた時間と重なる」 朔は端末の時刻を照合しながら言った。 眠っている澪を押し入れから撮影した写真は午前一時十二分。その前後だけ、こちらが設置したカメラは何も記録していない。人間が侵入して記録を消したなら、もっと痕跡が残るはずだった。押し入れの壁内空間には新しい擦れ跡もなく、昼間外した盗撮用カメラも封じた袋の中に残っている。 澪は枕元に残った最後の足跡から目を逸らした。 昨夜、暗闇の押し入れから確かに女が息を吸った。それを聞いた直後に美月たちを起こしたが、壁の中には誰もいなかった。隣室から駆け込んだ朔と悠斗、さらに二〇二号室から来た蓮司も空洞を確認したものの、人間が逃げた形跡は見つからなかった。 午前九時を過ぎる頃、蓮司と悠斗は二〇三号室の低い机へ過去の入居記録を広げていた。「七人という前提から見直す」 蓮司が言った。 昨夜まで、常世荘二〇三号室から失踪した女性は七人とされていた。管理記録、家財放置、近隣住民の証言をつなげれば、確かに七人が突然部屋からいなくなっている。しかし蓮司が警察の公開情報や過去の住民票移動、旧住所の記録を重ねると、三人だけ数字が合わなかった。「この三人」 蓮司が赤い線を引く。「警察の行方不明者データに一致しない」 悠斗が資料を覗き込む。「届け出が出てないだけじゃないのか」「一人ならあり得る。三人とも住民票が別地域へ移ってる」 澪が顔を上げた。「じゃあ、生きてる?」「少なくとも転居手続きはされている」「本人が?」「そこまでは分からない。ただ、死亡や失踪の扱いではない」 美月も資料へ近づいた。「家財は残したのに、住民票だけ移した?」「そうなる」 奈々香が毛布を肩へ掛けたまま首を振った。「普通、引っ越すなら荷物持っていくよね」「普通なら」 蓮司の声は低かった。 七人のうち、本当に行方が分からなくなって
last updateآخر تحديث : 2026-08-25
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第36話 動く人形

 藤崎杏奈の電話は、それから何度かけてもつながらなかった。 呼び出し音すら鳴らず、機械的な案内だけが同じ文句を繰り返す。 蓮司は杏奈の現在住所と、先ほどまで通話が成立していた時刻を警察へ伝え、安否確認を依頼した。 常世荘から数百キロ離れた町だと説明すると、管轄をまたいで確認することになると言われたが、蓮司は引かなかった。「人形の話はしないの?」 奈々香が低い声で訊いた。 顔色はまだ悪く、押し入れの前へ落ちた赤い組紐の切れ端を避けるように壁際へ寄っている。 蓮司は電話が切れる直前、玄関の中へ見覚えのない日本人形が現れたと杏奈本人が話していたことまで伝えたと答えた。 信じるかどうかは警察の判断だが、安否確認に必要な情報は一つも省かないという。 端末を置いた蓮司の手は、机へ触れる直前にわずかに力んでいた。 妹の失踪を八年間追ってきた彼にとって、杏奈は初めて突き止めた生存者であり、しかも事件翌日の澄花を見た証人だった。 その杏奈まで消えれば、また一つ澄花へつながる声が失われる。 澪は彼の焦りを言葉ではなく、何度も通話履歴を確認する指先から感じ取った。 昼を過ぎた常世荘二〇三号室には、朝よりも明るい光が入っていた。 窓の外では洗濯物が揺れ、階下から掃除機の音が響いてくる。 昨夜、押し入れから澪の枕元まで裸足の跡が続いていた部屋とは思えないほど、生活の音が近かった。 それでも奥板を外したままの押し入れだけは光を吸い込む穴のように暗く、剥き出しの配管と断熱材が奥へ沈んでいる。「杏奈さんが見た男も、こういうところにいたんだよね」 美月が壁内部へ懐中電灯を向けると、朔は十二年前なら今より奥まで通れた可能性があると答えた。 午前中に外したスピーカーと小型カメラは透明袋へ封じてあり、空洞に残しているのは自分たちが設置した監視用カメラだけだった。 悠斗が昨日調べた時点では途中をコンクリート壁に塞がれていたと確認すると、蓮司は隣の二〇二号室側からも構造を測るべきだと立ち上がった。 そのとき奈々香の息が止まり、全員が彼女の視線を追った。 狭い台所には古い流し台と小さな冷蔵庫があり、壁際には使われていない木製の低い椅子が一脚置かれている。 その椅子の上に、いつの間にか日本人形が座っていた。 黒い髪、白い顔、古びた赤い着物、小さな両手を膝の上へ揃えた
last updateآخر تحديث : 2026-08-26
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第37話 鏡の中の二〇三号室

 澪の布団に座った返し雛は、それから一度も動かなかった。朔のカメラには台所の透明ケースへ収められた姿が映り続けているのに、現実では赤い着物の人形が枕を背にして両手を膝へ置いている。カメラを別角度から向けても結果は変わらず、液晶の中では空のはずのケースに人形があり、布団には何も映らなかった。奈々香のスマートフォンだけはさらに違い、布団の上へ制服姿の少女を映したまま、返し雛そのものを一度も捉えなかった。「返す場所は、ここじゃない」 澪は、布団の脇に落ちていた紙をもう一度読んだ。澄花の筆跡に見える一行は、それ以上の手掛かりを与えない。二〇三号室へ来いと指示され、人形までここへ現れたのに、部屋そのものが目的地ではないのなら、残るのは壁の奥か床下、あるいは図面に存在しない空間だった。 返し雛へ触れることは避け、六人は二〇三号室を改めて調べ直すことにした。蓮司は建物図面と実測値を照合し、悠斗は管理会社から送られてきた古い改修記録を追い、美月は過去の失踪者が残した相談記録を一件ずつ見直した。朔は押し入れの空洞と新しい監視設備の接続先を調べながら、澪へ単独で動かないよう何度も念を押した。昨夜、枕元まで裸足の足跡が来ていたことを考えれば当然の注意なのに、その言葉を素直に安心へ変えられない自分が澪には苦しかった。 朔が撮っているものと、私たちが見ているものは同じじゃない。胸元の手帳に隠した澄花の言葉が、カメラと現実で異なる返し雛を見るたび鮮明になる。朔自身が映像を偽っているのか、それとも澄花が別の意味を伝えようとしていたのか、まだ判断できない。だから澪は人形から視線を外し、二〇三号室の中で、まだ詳しく調べていない場所を探した。 浴室は玄関脇の細い通路の奥にあった。古いユニット式ではなく、後から改装されたらしい小さな洗い場と深い浴槽があり、隣に幅の狭い洗面台が設けられている。蛇口の金属には白い水垢がこびりつき、照明をつけても薄暗い。洗面台の上にある長方形の鏡は全面が曇り、端の銀引きが黒く腐食していた。「ここも壁が厚い」 蓮司が計測器を当てた。洗面所と隣室を隔てるだけにしては二十センチ近い誤差があり、押し入れ側と同じく壁内に空間がある可能性が高い。悠斗は改修図面を開いたが、浴室裏には給排水管用の空間しか記載されておらず、人が入れる点検口は存在しないことになっていた。 奈々香
last updateآخر تحديث : 2026-08-26
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第38話 壁の向こうの部屋

 六人は、押し入れの下から聞こえた三度の音が完全に消えるまで動けなかった。昨夜外した奥板の向こうには、配管と断熱材に挟まれた細い空洞があり、その先はコンクリート壁で塞がれているはずだった。けれど、録画にだけ映った十三年前の失踪者が指していたのは、その空洞の奥ではなく、押し入れ下段のさらに低い位置だった。蓮司が図面と実測値を並べ直し、床から壁際まで計測器を滑らせると、数字が途中で不自然に跳ねた。「十五センチどころじゃない。ここだけ、奥行きが四十センチ以上余ってる」 蓮司の声に、悠斗が管理会社から取り寄せた改修図面を開いた。二〇三号室と外壁の間にそんな空間は記載されておらず、押し入れの背面も一本の壁として描かれている。朔が外した奥板の先へ再び身体を入れ、懐中電灯を床近くへ向けると、灰色の断熱材のさらに奥で光が不自然に途切れた。指先で押すと、コンクリートだと思っていた面の一部がわずかに軋んだ。「これ、壁じゃない」 朔が戻って工具を取り、美月と澪を押し入れから離れさせた。表面にはコンクリートに似せた薄い板材が貼られ、その裏にもう一枚の壁が立っている。二重壁だった。蓮司が外側の寸法をもう一度確認し、建物の柱位置と照合しても、そこへ三十センチ以上の余剰が生まれる理由はない。最初から図面へ載せずに作られたか、後から壁を増やしたとしか考えられなかった。 悠斗と朔が板を外し始めると、古い埃が押し入れの中へ降り、湿った木材と煙草の残り香が混じった臭いが流れ出した。奈々香は口元を押さえ、美月が窓を少し開ける。板の裏側には釘ではなく、最近使われた螺子と金属製の固定具が並んでいた。誰かが何度も開閉できるように作った跡だった。「こっちは古く見せてるだけだ」 朔は一本の螺子を袋へ入れながら言った。「表面は汚してあるけど、固定具は新しい。少なくとも十五年前からこの状態だったとは思えない」「じゃあ、失踪が始まってから誰かが作り直した?」 澪が尋ねると、蓮司は断定できないと答えた。ただ、最初の失踪者がいた頃から壁の中に人が住んでいたという杏奈の証言が事実なら、内部空間そのものはもっと前から存在し、設備だけが更新され続けている可能性がある。七刻女学校と同じだった。古い異常の上へ、新しい人間の仕掛けが何層も重ねられている。 最後の板を外すと、向こう側に黒い空間が口を開けた。朔が先に光
last updateآخر تحديث : 2026-08-27
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36話 動く人形

 藤崎杏奈の電話は、それから何度かけてもつながらなかった。 呼び出し音すら鳴らず、機械的な案内だけが同じ文句を繰り返す。 蓮司は杏奈の現在住所と、先ほどまで通話が成立していた時刻を警察へ伝え、安否確認を依頼した。 常世荘から数百キロ離れた町だと説明すると、管轄をまたいで確認することになると言われたが、蓮司は引かなかった。「人形の話はしないの?」 奈々香が低い声で訊いた。 顔色はまだ悪く、押し入れの前へ落ちた赤い組紐の切れ端を避けるように壁際へ寄っている。 蓮司は電話が切れる直前、玄関の中へ見覚えのない日本人形が現れたと杏奈本人が話していたことまで伝えたと答えた。 信じるかどうかは警察の判断だが、安否確認に必要な情報は一つも省かないという。 端末を置いた蓮司の手は、机へ触れる直前にわずかに力んでいた。 妹の失踪を八年間追ってきた彼にとって、杏奈は初めて突き止めた生存者であり、しかも事件翌日の澄花を見た証人だった。 その杏奈まで消えれば、また一つ澄花へつながる声が失われる。 澪は彼の焦りを言葉ではなく、何度も通話履歴を確認する指先から感じ取った。 昼を過ぎた常世荘二〇三号室には、朝よりも明るい光が入っていた。 窓の外では洗濯物が揺れ、階下から掃除機の音が響いてくる。 昨夜、押し入れから澪の枕元まで裸足の跡が続いていた部屋とは思えないほど、生活の音が近かった。 それでも奥板を外したままの押し入れだけは光を吸い込む穴のように暗く、剥き出しの配管と断熱材が奥へ沈んでいる。「杏奈さんが見た男も、こういうところにいたんだよね」 美月が壁内部へ懐中電灯を向けると、朔は十二年前なら今より奥まで通れた可能性があると答えた。 午前中に外したスピーカーと小型カメラは透明袋へ封じてあり、空洞に残しているのは自分たちが設置した監視用カメラだけだった。 悠斗が昨日調べた時点では途中をコンクリート壁に塞がれていたと確認すると、蓮司は隣の二〇二号室側からも構造を測るべきだと立ち上がった。 そのとき奈々香の息が止まり、全員が彼女の視線を追った。 狭い台所には古い流し台と小さな冷蔵庫があり、壁際には使われていない木製の低い椅子が一脚置かれている。 その椅子の上に、いつの間にか日本人形が座っていた。 黒い髪、白い顔、古びた赤い着物、小さな両手を膝の上へ揃え
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