橘家の玄関で、蓮は靴を履き終えると、一度だけ橘夫妻へ向き直った。「大変お世話になりました」 賢崇が穏やかに頷き、梓が明るく笑う。「こちらこそよ。遠慮しないで、また来てちょうだい」 「トレーニングの続きもあるしね。次に来る頃には、また別の段階へ進めるだろう」「はい。よろしくお願いします」 蓮が頭を下げると、隣で椿が小さく息をついた。「ほら、行くわよ。電車の時間あるんだから」「ああ」 二人はそのまま外へ出て、駅へと向った。 蓮と椿は昼過ぎの電車に乗り、窓の外を流れる冬の町並みを横目に、行きより静かな空気のまま帰路を辿っていた。 行きはトレーニングへの期待と橘家という未知の生活圏へ踏み込む緊張があり、帰りは数日間の積み重ねで得た手応えと、元の生活へ戻る現実があるだけで、同じ路線でも見える景色の輪郭が少し違う。 蓮は膝の上に置いたスポーツバッグに片手を預けて外を眺めている。その隣では、椿がスマートフォンに簡潔なメモを打ち込み、休息日を挟んでから再開するメニューの順序と、自宅に戻ってからの食事配分を整理していた。「賢崇さん、やっぱりすごかったな」 蓮が不意に言うと、椿は画面から視線を上げずに「そうね」と返し、それから数秒遅れてスマートフォンを伏せた。「でも、あんたの吸収速度の方が想定より速かったみたい。お父さん、最後の方はかなり乗ってたし」「それは感じた。最初は様子見って感じだったのに、途中から完全に“次はこれ、その次はこれ”で組んでた」「珍しいのよ。基本は慎重だし、最初から手札を切りすぎない人だから」「じゃあ、合格はしたってことか」「……一応ね」 椿はそこで言葉を切ったが、その横顔はわずかに誇らしげで、父の評価に対する安心と、自分が繋いだ先で蓮が正面から応えたことへの安堵が同時に滲んでいた。 電車が減速し、アナウンスが降りる。二人は自然に立ち上がり、荷物を手にしてホームへ降りた。改札へ向かう人の流れは年始らしい緩さを残し、急ぐでもなく滞るでもなく
Last Updated : 2026-08-19 Read more