第89話 人間の村は、一軒の家を移すことを拒みましたカルド一家の移転候補地に立っていた一本の果樹は、精霊側の目から見れば、ごく普通の若い木だった。意思ある古樹ではない。根網の中心でもない。森全体の記憶を担う存在でもなく、伐採したところで精霊側の規則には何の問題もない。けれど、カルド一家にとっては違った。「この木は切りません」カルドは、昨日よりも強い口調ではっきりと言った。朝の光が村の外れに差し込み、家の裏手に立つ果樹の枝を照らしている。まだ大木と呼ぶほどではないが、四年の間に人の背丈を大きく超えるまで育ち、今年も小さな実をいくつかつけていた。ミオは木とカルドを交互に見る。「長女さんが生まれたときに植えたんですよね」「はい」「名前は?」少し離れたところにいたリナが答えた。「ミナです。今は七歳です」「七歳?」ミオは一瞬首を傾げた。「村へ来る前に生まれていた?」リナが少し笑う。「この村で生まれた最初の子という意味ではありません。私たちがここへ移った年に、ちょうど三歳の誕生日を迎えたんです。その日に植えました」「なるほど」「前の村を出るとき、何も持ってこられなかったので」リナは果樹の幹へ手を触れた。「母が好きだった実なんです。南ではよく育つ木でした。でも、こっちでは寒いから難しいと言われて、それでも一本だけ苗を持ってきた」「枯れなかったんですね」「最初の冬は、ほとんど駄目だと思いました」カルドが横から言う。「夜中に霜が降りるたび、藁を巻いて、その上から古い毛布までかけました。そんなことするくらいなら薪にしろって、何人かには笑われましたけどね」「あ
Última atualização : 2026-10-09 Ler mais