All Chapters of 身代わりの私には、もう「愛してる」なんて信じられない: Chapter 61 - Chapter 70

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第61話

 甘く囁きながら、千鶴の指先が優和の襟元をなぞった。 あまりにも魅惑的な誘いに、優和は危うく理性を失いかける。 それでも、どうにか踏みとどまった。「千鶴、俺は君を本当に大切にしたい。君と交わした約束は、必ず大切にするという俺なりの誓いでもあるんだ。だから……あとになって、君に後悔してほしくない」 そこまで言われると、千鶴の眼差しはたちまち柔らかくなった。 目の前の男を見つめるだけで、胸が激しく高鳴る。 この瞬間、千鶴は、自分も確かに優和を深く愛しているのだと思った。 優和はこれほど誠実で、どこまでも自分を大切に考えてくれる人なのだから。「もう、分かったよ。じゃあ早く退いて……重い」 優和はどこか居心地悪そうに身体を起こし、ソファへ座り直した。 けれど、昂った身体の変化までは簡単に隠せない。顔を真っ赤にしたまま困り果てている優和を見て、千鶴は何度か声を上げて笑った。「優和、私が手伝ってあげようか?」 そう言って、自分の両手を彼の前でひらひらと振ってみせる。 優和の心は激しく揺れた。 それでも頷くことはせず、赤くなった顔をわずかに背け、気まずそうに答えた。「自分で何とかするよ。君の手を汚したくない」 そう言い残すと、優和は足早に一階の浴室へ向かった。 できるだけ手早く済ませるつもりだった。 けれど、千温をそばに置くようになって以来、優和は一度も自分の手で欲望を処理したことがない。求めればいつでも千温が応じてくれたため、そんな必要すらなかったのだ。 いざ一人で昂りを鎮めようとしても、自分の手だけではまるで物足りない。身体はもっと強い刺激を、慣れ親しんだ温もりを求めていた。 それでも今は、時間をかけている余裕などない。 千鶴を待たせている。一刻も早く済ませなければならなかった。 ところが、焦れば焦るほど満たされない。 優和は苛立ちながら、硬く張り詰めた熱を握る手を激しく動かした。欲望は少しずつ高まり、やがて絶頂が目前まで迫ってくる。 そのとき、自分の脳裏を埋め尽くしているものに、優和自身は気づいていなかった。 思い浮かべていたのは、千温の柔らかな身体だった。 腕の中で震える姿も、熱に潤んだ瞳も、最後に彼女を抱いたときの感触も、あまりに鮮明に蘇ってくる。 結局、優和が最も強く求めていたのは、すぐ近くの部屋に隠してきた女だ
last updateLast Updated : 2026-09-29
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第62話

 優和はもともと、沢田を呼び、千温をマンションへ送り返すつもりでいた。 けれど、すでに夜も遅い。何より、千温は流産したばかりだった。 電話をかけようとした手を止め、どこか案じるような眼差しで千温を見つめる。 この状態で夜道を長時間移動させて、本当に大丈夫なのだろうか。 別荘の玄関前でしばらく迷った末、優和は別の決断を下した。「千温、今夜は倉庫に泊まれ。すぐに家政婦を呼んで、寝られるよう中を片づけさせるから」 やはり、自分の目が届く場所に置いておいたほうがいい。 それに倉庫なら、千鶴もわざわざ見に行こうとはしないだろう。 それまで何の感情も映していなかった千温の顔に、わずかな驚きが浮かんだ。 けれど、優和を静かに見つめるだけで、何も言わない。 何を言えばいいのか、千温自身にも分からなかった。 優和の望みに従うことが当たり前になりすぎて、拒むという行為そのものが、千温にはひどく難しくなっていた。 結局、強く掴まれた手首を引かれるまま、優和のあとについて倉庫へ向かった。 別荘の裏手に建てられた倉庫へ、千温もこれまでほとんど入ったことがない。 かなりの広さはあるものの、室内には使われなくなった家具や段ボール箱が隙間なく積み上げられていた。 長い間、扉を閉ざしたまま、ろくに換気もされていなかったのだろう。淀んだ空気には、古びた木材と埃の匂いが染みついている。 優和が照明をつけると、薄暗い橙色の光が散らかった室内を照らした。空気中に漂う細かな埃まで、はっきりと見えた。 足を踏み入れた途端、千温の胸に言いようのない不安が込み上げる。 ここで一人、夜を過ごすのだと思うと、身体の奥が冷えていくようだった。 優和も倉庫の中を見回し、わずかに迷ったように眉を寄せた。 流産したばかりの千温を休ませるのに、ふさわしい場所ではない。 そのことは、優和にも分かっていた。 それでも、千鶴に千温の存在を知られるよりはましだと考え、決めたことを変えようとはしなかった。 優和は不意に千温の身体を腕の中へ抱き寄せ、ほんの数秒だけ抱き締めた。彼女の細い背中を軽く撫で、宥めるような低い声で言い聞かせる。「千温、一晩だけだ。明日になったら、沢田にマンションまで送らせる。今夜はここで休んでくれ。……お前を外へ出すのが心配なんだ。分かるだろ? お前のことが心配だから
last updateLast Updated : 2026-09-29
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第63話

 千鶴からそう尋ねられることを予想していた優和は、片手に提げていた服を軽く掲げてみせた。 つい先ほど秘書に届けさせた、千鶴お気に入りのブランドの新作ワンピースだった。「明日着る服を取りに行ってたんだ」「わあ、私の好きなブランドだ。やっぱり優和は、私の好みをよく分かってるね」「もちろんだよ」 千鶴に褒められ、優和は誇らしげに笑った。 彼女の好みを誰よりも理解している。そのことを認めてもらえただけで、胸の奥が満たされていく。 優和はワンピースを皺にならないよう丁寧に掛け、ベッドに座る千鶴へ歩み寄った。「千鶴……」 名を呼ぶ声に、自然と熱が滲む。 ベッドの縁から垂らされた千鶴の脚が、誘うようにゆっくりと揺れていた。 滑らかな太腿がシャツの裾から覗くたび、優和の視線も吸い寄せられる。足先が小さく揺れる何気ない仕草一つで、心まで大きく掻き乱された。 少し前にどうにか鎮めたばかりの欲望が、再び身体の奥で熱を持ち始める。 目の前にいる千鶴へ触れたい。 白い脚の間へ入り込み、そのままベッドへ押し倒してしまいたい。 そんな衝動が込み上げた瞬間、優和はぴたりと足を止めた。 このまま近づけば、また自制が利かなくなる。 慌てて身体の向きを変え、逃げるように浴室へ向かった。「俺もシャワーを浴びてくる」 その背後で、千鶴が楽しそうに笑った。 わざと優和を煽り、自分を欲しがる彼の姿を楽しんでいるようだった。「優和って、ほんの少しからかっただけですぐ反応するなんて、かわいいよね」 背後から届いた言葉を聞いても、優和は足を止めず、ただ愛おしげに小さく笑った。 自分の反応を確かめるような千鶴の悪戯さえ、優和にはたまらなく愛らしく思えた。* まだ夜明けには遠い時刻、優和は千鶴に起こされた。「優和、起きて。早く支度して。もう出発するよ」 窓の外は、いまだ深い夜の闇に包まれている。 目を覚ましたばかりの優和は、意識もまだぼんやりとしていた。それでも身体だけは素直に千鶴の言葉に従い、ベッドから起き上がって着替え、洗面を済ませる。 優和が着る服も、千鶴が選んだものだった。 千鶴自身は、とっくに身支度を終えている。身につけているのは、昨日優和が用意したばかりの新作ドレス。メイクも隙なく整えられ、早朝とは思えないほど完璧な姿だった。 午前四時。 二人
last updateLast Updated : 2026-09-30
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第64話

 千鶴は日の出を見終えたら、そのまま来た道を戻るつもりなのだろうと、優和は思っていた。 けれど、日の出を眺め終えたあと、千鶴は思いついたように別の場所へ行きたいと言い出した。 優和が断るはずもない。 行き先を尋ね、当然のように彼女の希望へ付き合った。 二人が都内へ戻ってきた頃には、すでに夜も深くなっていた。 優和は丸一日、千鶴と一緒に過ごした。 その間、心はずっと甘い幸福と喜びで満たされていた。千鶴を自宅まで送り届け、別れたあとでさえ、その余韻は少しも薄れていない。 一人で別荘へ戻り、人の気配がない空っぽのリビングを目にした瞬間、優和は玄関先で足を止めた。 静寂が、浮ついていた心へ冷水を浴びせるように押し寄せる。 しばらく呆然と立ち尽くしたあと、ようやく倉庫に閉じ込めたままの千温を思い出した。 すでに、丸一日が過ぎている。 沢田へ連絡し、千温をマンションへ送るよう頼むことも忘れていた。家政婦を呼んで倉庫を片づけさせることも、千温の世話をするよう伝えることもしていない。 千温は今日一日、何も口にできないまま、誰にも気づかれず、あの埃っぽい倉庫へ放置されていたはずだった。 胸の奥に、締めつけられるような痛みが再び走った。 優和は靴を脱ぐことさえ忘れ、慌ただしい足取りで別荘の裏手へ向かった。 倉庫の前まで来ると、焦る指で鍵を取り出す。鍵穴へ一度うまく差し込めず、苛立たしげに息を吐いてから、ようやく扉を開けた。 中は真っ暗だった。 照明すらついていない。 冷たく淀んだ空気と埃の匂いが、開いた扉の向こうから流れてくる。 壁を手探りし、スイッチを押しながら、優和は小さな声で千温の名を呼んだ。「千温……?」 返事はなかった。 優和の胸に、嫌な予感が過る。 倉庫へ足を踏み入れ、積み上げられた荷物の間を縫うように進みながら、室内を見回した。 やがて、積み上げられた段ボール箱の陰にできた狭い隙間で、小さく身を縮めている千温を見つけた。「千温? 千温、俺だ。迎えに来たよ」 千温の反応はひどく鈍かった。 優和の声が届いてからも、しばらく身じろぎ一つしない。 長い時間が経って、ようやくゆっくりと顔を上げた。 頬にはまだ乾ききっていない涙の跡が残り、目元は痛々しいほど赤く腫れている。 まるで、一日中泣き続けていたかのようだった。 
last updateLast Updated : 2026-09-30
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第65話

「……私、お願いが……」 千温が掠れた声で、何かを言いかける。 優和は最後まで聞こうとしなかった。 目の前へしゃがみ込み、千温の身体を抱き寄せると、そのまま強引に唇を塞いだ。 深く、息をつく暇さえ与えない口づけだった。 息苦しさに耐えかねた千温は、優和の胸へ両手を当て、押し返そうとした。けれど、弱りきった身体にはほとんど力が入らない。 拒む意思を示すことさえできず、ただ優和に支えられたまま、苦しそうに呼吸を乱した。 ようやく唇を離すと、優和は千温の目をまっすぐ見つめた。 その声だけは、優しく言い聞かせるような響きを保っている。「千温、先に一度だけ俺に抱かせてくれないか」 意見を尋ねているような口調だった。 けれど、その手はすでに千温の身体へ伸びている。 返事を待つつもりなど、初めからなかった。 触れられるたび、千温の身体が怯えたようにかすかに震えた。「優和……私、お腹が空いた……」 千温はか細い声で、恥じ入るように自分の願いを伝えた。 しかし優和は、千温の訴えを少しも気に留めず、ただ「ああ」と短く返しただけだった。 その指はすでに千温の内側へ入り込み、受け入れさせるために無理やり身体を慣らし始めている。 同時に、激しく昂ったものをズボンから取り出し、その熱を千温へ押しつけた。 彼女が拒む間も与えないまま、いつでも欲望を遂げられるよう、細い身体を逃げられない体勢へ追い込んでいた。「一度だけしたら、俺が何か作ってやる。なあ、千温……それでいいだろ?」 そう言いながら、優和は指を抜き、自身を千温の中へ押し入れた。 優和なりに千温の身体を気遣っているつもりだった。彼女を苦しませないよう、いつものように力任せにはせず、ひどくゆっくりと動いた。 これまで千温を抱くとき、優和はわざと乱暴に振る舞うことも少なくなかった。 けれど今夜の動きは、初めて千温を抱いた夜、彼女を怖がらせまいと必死に力を抑えていた頃とほとんど変わらないほど慎重だった。「ん……」 千温の喉から、微かな声が漏れた。 入り口付近で浅い動きを長く繰り返してから、優和はようやく最後まで深く身体を重ねた。 千温の身体は、優和にとって驚くほど軽かった。 繋がったままでも、千温の軽い身体なら、ほとんど力を使わず床から抱き上げることができた。 優和は千温を抱き上げ
last updateLast Updated : 2026-10-01
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第66話

 千温も、優和が最後に料理を作ってくれたのがいつだったのか、もう思い出せなかった。 優和は冷蔵庫に残っていた食材で粥を炊き、胃に負担のかからない簡単な副菜もいくつか用意した。 丸一日、何も口にしていない。しかも、つい先ほどまで優和に抱かれていた千温には、スプーンを持ち上げる力さえ残っていないようだった。 白い指が、柄を握ったまま微かに震えている。 優和はその手をしばらく黙って見つめた。 やがて何も言わずにスプーンを取り上げると、粥を一口分だけ掬い、冷ますように軽く息を吹きかけてから、千温の口元へ差し出した。「喉に詰まらせるなよ。ゆっくり食べろ」 千温は従順に唇を開き、差し出された粥を大人しく飲み込んだ。 温かな粥が喉を通るたび、空っぽだった胃だけでなく、冷えきっていた身体の内側まで、少しずつ温められていく。 優和は急かさなかった。 千温が飲み込んだことを確かめてから次の一口を掬い、何度も同じように口元へ運んでくれた。 空腹がいくらか和らぐと、千温はぼんやりと顔を上げ、目の前にいる優和を見つめた。 口元に残った粥を拭う指先は、驚くほど優しい。 その姿を眺めているうちに、もう消えてしまったと思っていた感情が、胸の奥で微かな熱を取り戻していく。 骨の髄まで染みついた、優和への想い。 何度踏みにじられても捨てきれなかった恋心が、与えられた僅かな優しさに縋るように、再び燻り始めていた。「優和……」 千温がその名を呼んだ瞬間、静まり返った別荘に玄関の呼び鈴が鳴り響いた。 優和の手からスプーンが滑り落ちる。 硬い音を立ててテーブルの上へ転がり、残っていた粥が白い天板へ僅かに散った。 優和は眉を寄せ、弾かれたように立ち上がる。勢いよく押された椅子が床を滑り、耳障りな音を響かせた。「千温、こっちへ来い」 千鶴が戻ってきたのではないか。 その可能性が頭を過った途端、優和の顔から余裕が消えた。 後ろめたさに突き動かされ、訪問者を確かめるより先に千温の腕を掴む。このまま再び、どこかへ隠すつもりだった。 突然椅子から引き立たされた千温は、何が起きたのか分からず目を見開いた。まだ力の戻りきらない脚では踏ん張れず、その身体が優和の胸元へよろめく。 それでも優和は千温を支えようともせず、玄関脇のモニターへ駆け寄った。 画面に映る訪問者の顔を確
last updateLast Updated : 2026-10-01
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第67話

「よう、千温ちゃん。久しぶり」「ゆ、幸次さん……」 千温を目にした幸次の眼差しに、露骨なほど面白がるような色が浮かぶ。 優和がこの女を囲っていることも、何のために千温をそばへ置いているのかも、幸次はすべて知っていた。 幸次は優和へ振り返ると、探るような響きをたっぷりと滲ませて尋ねた。「千鶴ちゃん、もう帰国してるんだろ? それなのに、まだ千温ちゃんをここに囲ってるなんて、ずいぶん度胸あるな。千鶴ちゃんに見つかるの、怖くないのか?」「……俺の問題だ。余計な口を挟むな。それから、千鶴の前では何も言うなよ」「はは、安心しろって。俺はお前の味方だからさ」 幸次は軽く笑ってから、もう一度千温へ視線を向けた。「でもさ……これからは千鶴ちゃんがそばにいるんだろ? だったら、千温ちゃん、何度か俺にも貸してくれない?俺がうまく隠しておいてやるよ。それに、もし千鶴ちゃんに見つかったって、俺の女だってことにすればいいだろ?」 優和の表情が一瞬、固まった。眉間にも、ごくわずかな皺が寄る。 胸の奥に不快感が広がり、千温を幸次へ譲るなど、考えたくもなかった。 それでも、口にした言葉にはどこか曖昧な余地が残っていた。「馬鹿なことを言うな。お前には婚約者がいるだろ」「あれは親父が勝手に決めた政略結婚だ。……それに、あの女は俺の婚約者なんかじゃない。俺は一度も認めてないからな」 幸次には、父親が一方的に決めた婚約者がいた。相手もまた、医学界では知らぬ者のいない名家の令嬢だ。 けれど幸次は、両家が顔合わせの場を設けるたびに、ありとあらゆる理由をつけて逃げ続け、婚約そのものも頑として認めようとしなかった。「どうだかな。お前が親父さんに勝てたことなんて、一度もないだろ」 そんな軽口を交わすうちに、話題はいつしか幸次の婚約者へと移り、幸次もひとまず千温のことを口にしなくなった。 以前にも幸次が使ったことのある客室へ案内してから、優和は千温のもとへ戻った。 千温は先ほどとまったく同じ場所に立ったまま、不安そうに身を縮めていた。「千温、どうした?」「優和……私を、幸次さんにあげるの……?」 これまで幸次は、千温がいる前で、彼女を自分にも貸してほしいなどと口にしたことはなかった。 千鶴が帰国したことを知っていたからなのか。それとも、優和が長年想い続けてきた女とようや
last updateLast Updated : 2026-10-02
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第68話

 幸次が本気で言っているのか、それともただの冗談なのか、千温には分からなかった。 けれど、どちらであっても受け入れたくなかった。「幸次さん……私は優和が好きなんです……。お金のために、優和と一緒にいるわけじゃありません……」 言葉を重ねるほど、千温の声は次第に小さくなっていった。 幸次が今度こそ、はっきりと憐れむような眼差しを向けてきたからだ。口元の笑みもいっそう深まり、千温の愚かさを嘲笑っているようにさえ見えた。「千温ちゃん、『好き』にどれだけの価値があると思う? 千鶴ちゃんに似た顔をしていなかったら、優和がお前を抱くとでも思うのか? 金を出して囲ったとでも? ……まさか本気で、あいつがお前を好きだからだと思ってる?」 幸次も初めて千温を見たときは、一瞬、千鶴が帰ってきたのかと思った。 けれど、すぐに別人だと気づいた。 千温と千鶴では、纏っている空気も醸し出す印象もまるで違う。 確かに顔立ちは驚くほど似ている。だが、二度目に目を凝らしたときには、幸次の目にまったく異なる二人の人間として映っていた。 幸次にとって、千鶴はあくまで幼い頃からの友人だ。優和が長年想い続けてきた相手でもある。 正直なところ、千鶴のように気位の高い令嬢は、幸次の好みではなかった。 美しいことは認めている。それでも、あれほど高慢な女と一緒になれば、いつか必ず振り回され、苦労させられるに決まっている。 千温は違った。 大人しく従順で、ひどく気が弱い。物事への反応がどこか鈍く、ときおり間の抜けたように見えることもある。幸次には、それすら可愛らしさの一つに思えた。 千鶴と似た顔を持ちながら、性格は正反対。 この顔に、この性格だからこそ、幸次は千温を気に入っていた。 もし千温が自分のもとへ来るというのなら、少なくとも興味が続いている間は、大切に扱ってやるつもりもある。 もっとも、それは互いに割り切ったうえで遊ぶだけの関係に限った話だ。 結婚相手となれば、千温のような女を選ぶつもりなど、幸次には初めからなかった。「千温ちゃん、優和のことをよく考えてみろよ。あいつは千鶴ちゃんが好きなくせに、お前とは平気で恋人ごっこを続けてきた。俺たちみたいな人間を相手に、本気の愛なんて求めるだけ無駄なんだよ。それなら、若くて価値があるうちに、俺たちから少しでも多く金を引き出したほ
last updateLast Updated : 2026-10-02
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第69話

 これほど酔った優和を見るのは、千温にとって初めてだった。 一瞬、聞き間違いかと思った。 けれど、耳元へ落ちた名前は、間違いなく千鶴のものだった。 優和の腕にきつく抱き込まれながら、自分ではない女の名を呼ばれた。その事実を理解した瞬間、千温の顔から血の気が引いていく。 身体は優和の腕の中にあるのに、彼の目に映っているのは、やはり自分ではない。 朝、幸次から突きつけられた言葉が、胸の奥で何度も繰り返された。 千温が呆然と顔を上げると、正面で一部始終を眺めていた幸次と目が合った。 幸次は口元に薄い笑みを湛えたまま、何も言わない。 それでも、その表情は言葉よりも雄弁だった。 ――だから言っただろう。 そう告げられているような気がした。 千温は耐えきれず、すぐに幸次から目を逸らした。 今すぐこの場から逃げ出したかった。けれど、優和の両腕にきつく抱き込まれ、身動き一つ取れなかった。 優和は、幸次がそばにいることなどまるで気にしていなかった。 あるいは酔いきった今の彼には、腕の中にいる千温しか見えておらず、ほかの人間の存在にまで意識を向ける余裕がなかったのかもしれない。「千鶴……君、すごくいい匂いがする……。いつもの香水とは違うな。なんだか、俺と同じ匂いがする……」 そう呟きながら、優和は千温の首筋へ顔を埋めた。 何度も匂いを確かめるように息を吸い込み、やがて堪えきれなくなったように、柔らかな肌へ繰り返し口づけを落としていく。 優和の腕の中でもがくうちに、千温の服はすっかり乱れていた。 胸元のボタンも二つ外れ、鎖骨から下の白い肌が大きく露わになっている。 その姿を、幸次は何も言わずに眺めていた。「優和、優和……待って……」 千温は慌てて片手で襟元を掴み、露わになった肌を隠そうとした。 けれど、制止する声はすぐに優和の唇によって塞がれる。 触れるだけの口づけでは足りなくなったのか、優和は千温の後頭部へ手を添え、逃げられないように顔を固定したまま、さらに深く唇を重ねた。 いつものような乱暴さはなかった。 ひどく酔っているにもかかわらず、千温を千鶴だと思い込んでいるからなのだろう。性急さこそあっても、彼女を痛がらせまいとするように、どこかで力を抑えていた。「好きだ……愛してる、千鶴……君が、たまらなく愛しい……」 唇が僅かに離
last updateLast Updated : 2026-10-02
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第70話

 腕の中にいるのが千鶴ではなく千温だと分かった途端、優和の態度から、それまでの慎重さが跡形もなく消えた。 どこから湧いたのか分からないほどの力で千温を抱き上げ、数歩先のソファへ押し倒す。 寝室へ移動するわずかな時間さえ、待てない様子だった。「優和、やめて……」 千温が身を起こそうとしても、優和は聞く耳を持たない。逃げようとする身体を力任せに押さえつけ、彼女の意思を確かめることもなく、乱れた衣服へ手をかけた。 千鶴だと思っていたときには、あれほど大切そうに触れていた手だった。 けれど、千温だと分かった今、その手にはもう僅かな思いやりさえ残っていなかった。「千温、脚を開け。俺を受け入れろ」 そう命じたものの、ひどく酔っていた優和には、千温へそれ以上何かを強いるだけの力など残されていなかった。 彼女を押さえつけていた腕から、少しずつ力が抜けていく。 やがて疲れきったように千温へ覆いかぶさり、その身体を抱き締めたまま、ソファで眠り込んでしまった。 酔い潰れて眠った人間の身体はひどく重い。千温の力では、押し退けることも、下から抜け出すこともできなかった。 結局、幸次が優和を千温から引き離し、その身体を抱えて寝室のベッドまで運ぶことになった。「千温ちゃん、これで分かっただろ。優和の心の中に、お前はいないんだよ。……それで、俺の話は考えてくれた? 俺が日本にいられる時間は、もうあまり長くない。もし俺と遊ぶ気があるなら、優和には黙っておいてやるよ。そうすれば、俺と楽しんだあとも、何もなかった顔をして優和のそばにいられるだろ?」 部屋を出る直前、幸次はわざわざ千温を呼び止め、そう問いかけた。 実のところ、幸次が日本へ逃げ帰ったことは、その翌日にはすでに父親に知られていた。 いつ連れ戻されてもおかしくない。だからこそ幸次は、父親の手が回る前に、少しくらい刺激的なことをして楽しんでおきたいと考えていた。 幸次が近づいてくる気配を察した途端、千温は怯えたように後ずさった。 一歩、また一歩と逃げるように距離を取り、やがてベッドを挟んだ反対側まで追い詰められる。「嫌です……幸次さん、お願いですから、もう放っておいてください」「そうか……」 千温にはっきり拒絶されると、幸次はそれ以上しつこく迫ろうとはしなかった。 ただ、何かを企んでいるような意味深な
last updateLast Updated : 2026-10-02
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