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第四十一章 綻びゆく結界

王都へ戻る道は、行きよりも重い空気に包まれていた。城門をくぐると、街の様子は明らかに変わっていた。人々は道端で寄り集まり、声を潜めて何かを噂し合い、リーゼロッテたちの一行が通り過ぎると、ぴたりと口をつぐんで、探るような視線を投げかけてきた。「辺境伯夫人が戻られたぞ」「邪祟を連れて帰ってきたって話、本当かしら」「結界の亀裂、あの方が王都を離れている間には広がらなかったっていうのに」その最後の一言に、リーゼロッテは思わず足を緩めた。エルフリーデがすぐ隣で、聞こえなかったふりをするように、視線を前に固定したまま歩みを進めた。宮中に入ると、宰相が険しい表情で出迎えた。「陛下がお待ちです」御書房には、以前より人数が増えていた。国王、宰相、そして――大司祭。教廷の裁定権が分割されて以来、御前に呼ばれることの少なくなっていたはずの彼が、今日は上座近くに座を占めていた。「辺境伯夫人」大司祭が先に口を開いた。声には慇懃さが戻っていたが、その奥に刃のような鋭さが潜んでいた。「あなたが王都を離れている間に、護国結界に三本の亀裂が入りました。これは、単なる偶然でしょうか」「大司祭様は、偶然ではないとお考えのようですね」リーゼロッテは静かに応じた。「聖女制度が三百年守ってきたこの結界が、あなたに認証裁定権の一部を渡したその直後から揺らぎ始めた。民の間では、すでにこう囁かれております――帰元の力は、緋色の巫女の力などではなく、荊眸の毒そのものなのではないか、と」御書房の空気が張り詰めた。エルフリーデが一歩前に出た。「証拠もなく、そのような噂を放置しているのは、どちらの側だ」「証拠なら、これから示していただければよろしい」大司祭は動じなかった。「陛下、僭越ながら提案がございます。結界の亀裂を塞ぐには、聖女の力による浄化が必要です。辺境伯夫人に、その浄化を行っていただき、結界が安定するかどうかを、この目で確かめさせていただきたい」国王は眉をひそめた。「それは、また試練を課すということか」「試練ではございません、証明の機会です」大司祭の口調は穏やかだったが、リーゼロッテには、その言葉の裏にある意図が透けて見えた。もし浄化がうまくいかなければ、それこそが「邪祟である証拠」として使われる。もし力を使うこと自体を拒めば、それもまた「後ろめたさの証」とされるだろう。「私は
last updateآخر تحديث : 2026-09-29
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第四十二章 浄化の朝

浄化の儀式は、王宮中庭に築かれた仮設の祭壇で行われることになった。夜明け前から、貴族や民が広場に詰めかけ、遠巻きに祭壇を見つめていた。あの日の婚礼とも、あの日の認証儀式とも違う、もっと静かで、もっと不気味な緊張が、群衆の間に漂っていた。誰も声を上げない。ただ、視線だけが集まっていた。リーゼロッテは白い衣を纏い、祭壇の前に立った。エルフリーデは規定により壇上には上がれず、群衆の最前列で、剣に手をかけたまま彼女を見守っていた。大司祭が進み出て、結界の亀裂の一つが走る地点――祭壇のすぐ脇に立つ、古い石碑を指し示した。「この石碑は、結界の要の一つです」彼は言った。「亀裂は、ここから王宮全体へと広がっています。夫人、ここに触れ、浄化の力を示していただけますか」リーゼロッテは石碑に近づいた。ひびの入った表面から、微かに冷たい気配が漏れ出しているのが感じられた。もしこれが、本当に荊眸の仕掛けた罠だったら。その考えが一瞬よぎったが、彼女はそれを振り払った。共鳴は、疑いながらではできない。彼女は手を伸ばし、石碑にそっと触れた。指先から赤い光が伝い、亀裂の中へと染み込んでいく。石碑の内部から、微かな振動が返ってきた――攻撃ではない。拒絶でもない。ただ、何かを問いかけるような、探るような揺れだった。この結界は、生きている。彼女はそう感じた。三百年前に築かれ、聖女制度によって維持されてきたこの結界は、単なる石と呪文の集合体ではなく、代々の巫女たちの力が積み重なった、一つの生きた意志のようなものだった。そして今、それは弱っていた。ひび割れた場所から、少しずつ、力が漏れ出していた。「これは、外から加えられた傷じゃない」彼女は思わず声に出した。「内側から、疲れて崩れてきている」大司祭の顔色が変わった。「何を言っている」「三百年間、この結界は、教廷だけの手で維持されてきました。でも、支える力の担い手が、代替わりのたびに細くなっていったのではありませんか」リーゼロッテは石碑を見つめたまま続けた。「私が来る前から、この結界は、少しずつ、限界に近づいていた」群衆がざわめいた。「荊眸は、その隙を見つけて、亀裂を広げただけです」彼女は言った。「原因を作ったのは、私でも、荊眸だけでもない。長い間、この結界を、たった一つの力に頼り続けてきたこと自体が、綻びの始まりだったんです」
last updateآخر تحديث : 2026-09-30
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第四十三章 静かなる夜

浄化の儀式の翌日、王都は表向き、平穏を取り戻したかに見えた。だが、リーゼロッテには分かっていた。結界の亀裂が塞がれたことは、荊眸の脅威が去ったことを意味しない。むしろ、あの日の首領の言葉――「次は、もっと容易ではない場所で待っている」――が、まだ答えを出していない宿題のように、心の片隅に残り続けていた。御書房での報告を終え、離れに戻ると、伊莎贝拉が窓辺で本を読んでいた。西部山脈から戻って以来、彼女は少しずつ、王都での生活に慣れ始めていた――侯爵家の令嬢としてではなく、ただの伊莎贝拉として。「お姉様」彼女が顔を上げた。「儀式のこと、聞きました。大丈夫でしたか」「疲れたけど、大丈夫」リーゼロッテは彼女の向かいに座った。「あなたのほうは、どう」「少しずつ、慣れてきています」伊莎贝拉は本を閉じた。「王都の人たちの目は、まだ怖いですが」「みんな、少しずつ慣れていくものよ」伊莎贝拉は小さく頷き、それから、ふと真剣な顔になった。「お姉様、一つ聞いてもいいですか」「何?」「まだ、六脈が残っているんですよね」伊莎贝拉の声は落ち着いていたが、その奥には隠しきれない緊張があった。「風、水、木が見つかって、あと三つ。荊眸は、その三つを、私たちより先に見つけようとしている」「そう」「もし、私にも何か手伝えることがあれば」伊莎贝拉は言った。「今度は、隠れて待っているだけの人間ではいたくないんです」リーゼロッテはしばらく彼女を見つめ、それから頷いた。「首相に頼んで、記録の整理を手伝ってもらえる?大祭司の密書、他にもまだ、読み解けていない部分がある」伊莎贝拉の目に、確かな光が宿った。「やります」その夜、リーゼロッテはエルフリーデと共に、離れの庭に出ていた。昼間の緊張が抜けきらないまま、二人はしばらく、黙って夜空を見上げていた。「今日、結界を触れた時」リーゼロッテがふと口を開いた。「気づいたことがあるんです」「何を」「あの結界、ずっと一人だったんです」彼女は言葉を選びながら続けた。「三百年、聖女の血だけに支えられて、誰も助けを求めることを許されずに、少しずつ疲れていった。私と、あの子と、似ている気がして」エルフリーデは彼女を見つめた。「今は、一人じゃないだろう」「はい」リーゼロッテは小さく笑った。「だから、あの光が、王室の加護と重なったんだと思います。ずっと
last updateآخر تحديث : 2026-10-01
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第四十四章 揺れる心

王都に、静かだが確かな不穏が戻ってきたのは、それから数日後のことだった。最初は小さな噂だった。「辺境伯夫人は、本当に王室の味方なのか」「あの覚醒した力は、いつか王室そのものを呑み込むのではないか」――そうした囁きが、茶会や酒場の片隅で、少しずつ広がり始めた。誰が言い出したのか、誰も分からなかった。ただ、その言葉はいつも、もっともらしい理屈を伴っていた。「結界が疲弊していたのは本当でも、その疲弊を利用して力を示したのは、夫人自身ではないか」――そんな風に。リーゼロッテは、最初それを気に留めなかった。だが、数日後、宰相が持ってきた報告に、彼女の顔色が変わった。「霍尔顿医师から、一通の手紙が届きました」宰相は言葉を選びながら言った。「内容は……夫人への不信を、ほのめかすものです」「霍尔顿が?」リーゼロッテは信じられなかった。「彼は、私たちが助けた人です」「手紙の筆跡は、本人のものと一致しています」宰相は言いにくそうに続けた。「ですが、文面には、彼らしくない言い回しが、いくつか見られます」エルフリーデがその手紙を手に取り、目を通した。やがて、低く呟いた。「暗示だ」「暗示?」「言葉そのものは、彼の意思に見える。だが、言葉の選び方、リズム――何かに誘導された跡がある」エルフリーデの表情が険しくなった。「荊眸は、力ではなく心を狙うと言っていた。これが、その一つかもしれない」リーゼロッテの胸に、冷たいものが広がった。「霍尔顿に、何をしたの」その夜、里泽洛特はなかなか眠れずにいた。艾尔芙丽德が彼女の部屋を訪れた時、彼女はベッドに座ったまま、ぼんやりと窓の外を見つめていた。「眠れないのか」「霍尔顿のことを考えています」里泽洛特は小さく言った。「もし荆眸が、人の心を操れるなら……私たちが信じている人たちも、いつの間にか、彼らの道具にされているかもしれない」「それは、お前のせいじゃない」「分かっています」里泽洛特は顔を上げた。「でも、怖いんです。力で戦うなら、私にも分かる方法がある。でも、心を操られたら、何を信じればいいのか分からなくなる」艾尔芙丽德は彼女の隣に座り、しばらく黙っていた。「一つだけ、確かなことがある」やがて彼女は言った。「何ですか」「お前の心は、誰にも操られていない」艾尔芙丽德はまっすぐに彼女を見た。「これまでのすべての選択――阿黎
last updateآخر تحديث : 2026-10-02
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第四十五章 北への道

霍尔顿の件が一段落した頃、北の山岳地帯から新たな報せが届いた。雷脈の異象――先日より頻度を増し、雷雨のたびに、地元の村で家屋が焼ける事故が続いているという。斥候の報告では、荆眸の気配も、すでにその一帯で確認されていた。「今度は、もっと手強い相手になる」エルフリーデは地図を広げながら言った。「雷脈は、七脈の中でも、最も制御が難しいとされている。宿主自身が暴走すれば、周囲への被害も大きい」「心当たりは?」リーゼロッテが尋ねた。「北の村の一つに、最近、雷雨のたびに意識を失う若者がいるという報告がある」宰相が付け加えた。「ただ、村人たちは、すでに彼を『不吉な存在』として扱い始めているようです」リーゼロッテの胸が重くなった。アリの時と同じだ。異象に気づいた周囲が、真実を知らないまま、恐怖から排除しようとする。「急ぎましょう」彼女は立ち上がった。「荆眸より先に、私たちが見つけなければ」出立の朝、伊莎贝拉が見送りに来た。「お姉様」彼女は言った。「今回は、私は残ります。記録の整理が、まだ終わっていないので」「分かった」リーゼロッテは頷いた。「王都のことも、頼んだわよ」「はい」伊莎贝拉は少し躊躇ってから、付け加えた。「気をつけて。雷脈は、私が調べた限り、他の脈よりも……感情に反応しやすいそうです」「感情に?」「怒りや恐怖が強いほど、力が暴走しやすいと、古い記録にありました」伊莎贝拉は言った。「もし宿主が、村人たちに恐れられ続けているなら、その心は、もう限界に近いかもしれません」リーゼロッテは、その言葉を胸に刻んだ。北への道は険しかった。山岳地帯に入ると、気温は一気に下がり、空には絶えず分厚い雲が垂れ込めていた。「もうすぐ村だ」カスパーが先頭で馬を進めながら言った。そのとき、遠くの空に、稲光が走った。雷鳴が、山々にこだました。「これは……」リーゼロッテが目を閉じ、気配を探った。「誰かが、暴走しかけています」「急ぐぞ」エルフリーデが馬を駆った。村に着いた時、空はすでに異様な暗さに包まれていた。雷雲が、村の上空だけに、まるで引き寄せられるように集まっていた。村の広場には、人々が遠巻きに集まり、中心にいる一人の若者を、怯えた目で見つめていた。若者は地面に膝をつき、両手で頭を抱え、全身を震わせていた。彼の周りの地面には、何本もの亀裂が走り、焦げた跡が残
last updateآخر تحديث : 2026-10-03
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第四十六章 雷鳴の静寂

稲光が触れ合った瞬間、村の上空を覆っていた雷雲が、ゆっくりと薄れ始めた。青年――名をトビアスといった――は、リーゼロッテの手を握ったまま、ぼろぼろと涙を流していた。全身を貫いていた痺れるような力は、まだ完全には収まっていなかったが、先ほどまでの暴走寸前の荒々しさは消えていた。「妹さんの名前は」リーゼロッテは静かに尋ねた。「ミナ、です」トビアスは掠れた声で答えた。「あの子だけは、僕を怖がらない……村のみんなが、僕を見て逃げるようになってからも、ずっと」「じゃあ、その子のために、この力を使えるようになろう」トビアスは顔を上げた。「使えるように……?」「あなたの中の力は、あなたを罰するためのものじゃない」リーゼロッテは彼の手を、もう一度しっかりと握った。「怖がられるものじゃなく、守るためのものに変えられる」その言葉が終わるのとほぼ同時に、トビアスの体を覆っていた青白い光が、少しずつ落ち着きを取り戻し、荒々しい稲妻のような輝きから、穏やかな、灯火にも似た光へと変わっていった。広場を取り囲んでいた村人たちは、その変化を、息を呑んで見つめていた。「ほ、本当に……おさまった……」誰かがそう呟いた。先ほどまで「化け物」「追い出せ」と叫んでいた声は、今は戸惑いと、わずかな羞恥の混じった沈黙に変わっていた。エルフリーデが歩み寄り、リーゼロッテの肩にそっと手を置いた。「終わったのか」「ひとまずは」リーゼロッテは立ち上がりながら答えた。「でも、この子の力は、まだ完全には安定していません。村の人たちの態度も、すぐには変わらないでしょう」「それなら」エルフリーデは村人たちのほうを振り返り、声を張った。「この青年は、村を焼く化け物ではない。彼の力は、王室が正式に認め、保護するものだ。今後、彼とその家族を虐げる者がいれば、辺境伯家が相応の処置を取る」村人たちは、互いに顔を見合わせた。恐怖の色は、まだ完全には消えていなかったが、少なくとも、その場で誰も、反論しようとはしなかった。群衆の後ろから、小さな影が駆け出してきた。五つほどの女の子――ミナだった。彼女は何も恐れることなく、トビアスの胸に飛び込んだ。「お兄ちゃん、大丈夫?」トビアスは、その小さな体を、震える腕で抱きしめた。涙が、止まらなくなっていた。その夜、村の宿で、リーゼロッテとエルフリーデは、今後の方針
last updateآخر تحديث : 2026-10-04
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第四十七章 消えた手がかり

王都への帰路は、これまでのどの移動よりも長く感じられた。リーゼロッテは馬上で、ほとんど言葉を発しなかった。伊莎贝拉が記録整理の最中に姿を消した――その一報が届いてから、頭の中では、あらゆる最悪の可能性が巡り続けていた。「落ち着け」エルフリーデが隣で馬を並べながら言った。「まだ、荊眸の仕業だと決まったわけではない」「でも、可能性は高い」リーゼロッテの声は硬かった。「彼女は、密書の中に何かを見つけたと言っていた。それが、荊眸にとって都合の悪いものだったとしたら」王都に着くと、宰相が疲れた顔で出迎えた。「イザベラ様が最後にいらした書庫を、お見せします」書庫の机の上には、開いたままの古い書物と、イザベラの字で書かれたメモが残されていた。文字は途中で止まっており、最後の一行は、何かに驚いたように、筆の乱れが見られた。リーゼロッテはそのメモを手に取った。「大司祭の密書、ここに記された『二脈』の片方について――これは、血脈ではなく……」文章は、そこで途切れていた。「これだけですか」リーゼロッテは宰相を見た。「はい。書庫の警備は、イザベラ様がお一人で作業を続けられるよう、最小限にしておりました。争った形跡はなく、物音を聞いた者もおりません」エルフリーデは書庫の中を見回した。「連れ去られたなら、痕跡が残るはずだ。だが、何もない」「自分の意思で、どこかへ向かったということでしょうか」リーゼロッテが言った。「その可能性もある」エルフリーデは窓辺に歩み寄り、何かに気づいたように足を止めた。「これを見ろ」窓の桟に、小さな布切れが引っかかっていた。イザベラがよく身につけていた外套の一部のようだった。「窓から、自分で出て行った形跡だ」エルフリーデは言った。「誰かに連れ去られたなら、こんな風に、きれいに布を残していくはずがない」リーゼロッテは、その布切れを見つめながら、ある可能性に思い至った。「彼女は、何かを見つけて、確かめに行ったんじゃないでしょうか」彼女は言った。「誰にも頼らず、自分の力で」「危険すぎる」エルフリーデの声に、苛立ちが滲んだ。「分かっています」リーゼロッテは、メモの最後の一文を、もう一度読み返した。「でも、彼女は、もうずっと、誰かに守られるだけの人間ではいたくないと言っていました。もし、この記述の先に、本当に何かがあると気づいたなら――彼
last updateآخر تحديث : 2026-10-05
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第四十八章 廃墟の記憶

修道院の跡地に着いたのは、日が傾き始めた頃だった。崩れかけた石壁が、蔦に覆われたまま静かに佇んでいた。かつて礼拝堂だったとおぼしき建物の屋根は半ば崩落し、割れたステンドグラスの破片が、地面に散らばったまま苔むしていた。「イザベラ!」リーゼロッテは声を上げたが、返ってきたのは、風が廃墟を抜ける音だけだった。「手がかりを探そう」エルフリーデが言った。「彼女がここに来たなら、何か残しているはずだ」二人は手分けして、崩れた建物の中を調べ始めた。祭壇の跡、崩れた書架、埃をかぶった石碑――どれも長い年月、人の手が入っていない様子だった。礼拝堂の奥、半ば崩れた祭壇の裏で、リーゼロッテは小さな足跡を見つけた。新しいもののようだった。「こっちです」足跡をたどると、地下へと続く階段が現れた。かつては隠されていたのだろう、入り口を塞いでいた石が、最近動かされた形跡があった。「イザベラが開けたのか」エルフリーデが呟いた。「彼女一人で、ここまで……」リーゼロッテの声に、心配と、同時にわずかな誇らしさが混じった。地下への階段は長く、冷たい空気が、下へ進むほど濃くなっていった。やがて、開けた空間に出ると、そこには、古い石の祭壇と、壁一面に刻まれた文字が広がっていた。「イザベラ!」奥の壁際に、彼女の姿があった。無事だった。彼女は壁に刻まれた文字を、ランプの明かりで照らしながら、夢中で書き写していた。「お姉様!」イザベラは振り返り、安堵の表情を浮かべた。「来てくれたんですね」「心配したのよ」リーゼロッテは駆け寄り、彼女の無事を確かめた。「一人で、こんな場所に」「ごめんなさい」イザベラは言った。「でも、確かめずにはいられなかったんです。あの密書に書かれていたこと――ここに来て、ようやく分かりました」「何が分かったの」イザベラは壁を指し示した。そこには、七つの紋様が刻まれていたが、そのうち二つは、他の五つとは明らかに違う形をしていた。血脈を示す紋様ではなく、もっと抽象的な――概念そのものを表すような図形だった。「この二つは、血脈じゃないんです」イザベラは言った。「一つは『記憶』、もう一つは『意志』――人そのものが持つ、力とは呼べないはずのものが、七脈の中に組み込まれている」リーゼロッテは、その紋様を見つめた。「どういうこと……」「つまり」エルフリーデが低く言った
last updateآخر تحديث : 2026-10-06
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第四十九章 寄り添うべき相手を、忘れてはいない

首領は言い終えると、その姿を地下通路のさらに奥の闇へと消し、それ以上留まることはなかった。石室には三人と、沈黙したままの壁の刻文だけが残された。松明の灯りが揺れ、イザベラの影を長く伸ばしていた。彼女の手にある、まだ書き写し終えていない紙は、端が皺になるほど強く握りしめられていた。「私は、何に気づいていないんでしょうか」リーゼロッテは首領の言葉を小さく繰り返した。その一言から、何か別の意味を噛み砕こうとしたが、どうしても呑み込めなかった。エルフリーデはすぐには答えなかった。まず身を屈め、イザベラの手から松明を受け取り、石壁の窪みに差し込むと、両手を自由にした。「先に出よう」彼女は言った。「ここに長くいるのは、体に良くない」三人は来た道を通り、地上へと戻り始めた。階段は長く、狭かった。先頭をイザベラが、その後ろをリーゼロッテが、最後尾をエルフリーデが歩いた。石の段差に足を取られそうになったリーゼロッテの肘を、エルフリーデがさりげなく支えた。「大丈夫か」「大丈夫です」リーゼロッテは答えたが、声にはまだ、先ほどの首領の言葉の余韻が残っていた。階段を上りきり、崩れた礼拝堂に出ると、外の光が目に沁みた。すでに日は沈みかけ、廃墟の石壁を、茜色に染めていた。イザベラが先に外へ出て、馬のところへと向かった。二人きりになった礼拝堂の跡で、エルフリーデはようやく足を止め、リーゼロッテの方を向いた。「さっきの言葉を、気にしているのか」「気にするなと言われても、無理です」リーゼロッテは俯いた。「あの人は、私が何かに気づいていないと言いました。それが何なのか、見当もつかなくて」エルフリーデは手を伸ばし、彼女の頬にかかった髪を、そっと払った。指先が、頬に軽く触れた。「分からないことを、一人で抱え込むな」彼女は言った。「考えるなら、私と一緒に考えろ」リーゼロッテは顔を上げた。夕陽の光が、エルフリーデの横顔を照らしていた。「あなたは、怖くないんですか」彼女は尋ねた。「あの二つが、私自身に関わっているかもしれないのに」エルフリーデはしばらく黙り、それから、手を伸ばして彼女の手を取った。指を絡め、しっかりと握った。「怖い」彼女は認めた。「だが、お前が一人で何かを背負い込もうとする時のほうが、もっと怖い」その手の温かさが、冷え込んでいた胸にゆっくりと染み込んでいった
last updateآخر تحديث : 2026-10-07
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第五十章 帰り道の夜

廃墟から王都へ戻る道中、荒れた古い駅舎で一夜を過ごすことになった。部屋は相変わらず足りず、カスパーとイザベラが一室、リーゼロッテとエルフリーデは、またしても一室だけが残された。室内には狭い寝台が一つと、隅に錆の浮いた銅の盥が置かれているだけだった。身を清め終えたリーゼロッテが寝台の縁に座っていると、エルフリーデが外套の一番上のボタンを外し、鎖骨のあたりに残る古い戦傷の浅い痕が覗いた。「何を見ている」エルフリーデがその視線に気づいた。「あなたの傷を」リーゼロッテは目を逸らさなかった。「これは、いつの傷ですか」「ずいぶん前だ」エルフリーデは近づき、彼女の傍らに腰を下ろした。「よく見たいのか」その言葉には、隠す気もない揶揄が滲んでいた。リーゼロッテは引かず、むしろ手を伸ばし、指先でそっとその傷に触れた。「痛みますか」「今はもう痛まない」エルフリーデの声がいくらか低くなった。「お前がそうやって触れると、少し痛む気がする――傷のせいじゃなく」リーゼロッテの指が止まった。顔を上げると、逸らそうとしないその瞳と目が合った。「どういう意味ですか」「自分で考えろ」エルフリーデはそれ以上語らず、ただ手を伸ばして、鎖骨のあたりに触れたままの彼女の手を握り、ゆっくりと下へと導き、自分の胸の上に重ねた。「聞こえるか」心臓は速く、重く打っていた。薄い衣越しに、その鼓動が、はっきりと掌に伝わってきた。「今日、廃墟の中で、あなたは私に、一人で何かを抱え込むなと言いました」リーゼロッテの声も低くなった。「では、あなたも、今夜は、私をもう少し近くまで寄せてくれますか」エルフリーデは答えず、ただ俯いて、その唇の端に口づけた。今回は、これまでのどの時よりも深く、長かった――浅い探り合いではなく、一日中積み重なってきた不安の後、互いがまだ、ここに完全な形で在ることを確かめたいという、ほとんど貪るような確認だった。リーゼロッテの手は、その胸元から首筋へと滑り、彼女をより近くへと引き寄せた。二人の間に、これまで慎重に保たれていたあの距離は、完全に消え去っていた。エルフリーデの手が、彼女の腰のあたりを滑るように撫でた。動きはごく軽かったが、隠しようのない愛おしさが込められていた。まるで、この身体の一つ一つの輪郭を、改めて覚え直そうとするかのように。「エルフリーデ」リーゼロッテは
last updateآخر تحديث : 2026-10-08
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