Todos los capítulos de 私の男運、この人に全振りしてたらしいよ。〜クズばっかり寄る原因、ここにあり!〜: Capítulo 61 - Capítulo 70

88 Capítulos

特技はなあに?⑤/目が合うたびに①

たぶん、瑛自身が一番できてしまうからだ。見本として前に立たれると、“できる人が言っている”の説得力が強すぎて、ぐうの音も出ない。「……そこ、もう一回」瑛が言って、軽く実演して見せる。足の運びは無駄がなく、腕の角度はぴたりと決まり、一瞬だけ流しただけなのに、会議室の空気がまた変わる。「ほら」蒼くんが小さく笑った。「所長がやると一発で分かるんですよね」「ずるいですよね、それ」榊くんが息を切らしながらぼやく。「見本がうますぎると、逆に心折れるんですけど」「折れるな」「即答!」神谷さんが笑い、莉子さんも吹き出した。私はポカリを配り終えたあと、机の端に腰を寄せて、その様子を見つめた。榊くんは死にかけながらも、ちゃんと食らいついている。蒼くんは何だかんだでマスターし始めている。神谷さんは全体を明るく回し、白石さんは淡々と音源を止めたり戻したりしている。そして瑛は、鬼コーチの顔で、全員をちゃんと引っ張っている。「……いいな」思わず呟くと、隣で莉子さんがにやっとした。「でしょ?」「うん」「りおちゃん、完全に楽しんでる顔してる」「だって、楽しいですもん」「うんうん」莉子さんは満足そうに頷き、それからもう一度スマホを見た。「……ほんとにそろそろ行かないとまずい」「やっぱり!」「でももう少しだけ見たいのよねぇ」「気持ちは分かります」その時だった。「休憩、五分」瑛が言った。一斉に「はぁーっ」と空気が抜ける。榊くんなんて、その場に座り込みそうな勢いだ。「所長! 五分って短くないですか!」「十分にしたら、戻らないだろ」「よく分かってる!」「当たり前だ」私は思わず笑ってしまった。ああ、やっぱり。この人、こういう時、本当に容赦ない。でも──厳しいだけじゃない。ちゃんと全員の限界を見て、折れない範囲で追い込んで、できたところは次へ繋げていく。鬼なのに、信頼できる鬼。それがまた、悔しいくらい似合っていた。「りお」休憩の合間、瑛が私を呼ぶ。「はい?」「ポカリ、助かった」「……どういたしまして」たったそれだけなのに、私の心臓は、また変な音を立てた。だってずるいでしょう。鬼コーチの顔をしていたくせに、そういう時だけ、少しだけ声がやわらかいなんて。「はいはい」莉子さんが、もう帰り支度をし
last updateÚltima actualización : 2026-10-04
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目が合うたびに②

私はステージから目を逸らし、会場の向こう側をちらりと見た。所長たち、管理職の部署のテーブルは、私たちの席から少し離れている。瑛は上着を椅子の背にかけ、白いシャツにネクタイ姿で座っていた。隣の人に何か話しかけられて、いつもの涼しい顔で短く返している。忘年会の空気の中にいても、やっぱり瑛は瑛だった。落ち着いていて、少し近寄りがたくて、だけど視線を向けると不思議と目で追ってしまう。──あの人が踊る。その事実が、まだうまく結びつかない。「りおちゃん」「はい」「今、見てたでしょ」「何をですか」「所長」莉子さんがにやっと笑う。私はすぐにグラスを口に運んだ。中身は烏龍茶なのに、喉が少し熱い。「見てません」「見てた顔だったけど」「ステージを見てました」「ステージの延長線上に所長がいたんだ?」「莉子さん、酔ってます?」「まだ一杯目」まだ一杯目でこれなら、先が思いやられる。料理はどれも美味しかった。前菜は綺麗すぎて、最初どこから箸をつけていいのか迷った。魚料理にはソースがきらきら光っていて、肉料理が運ばれてくる頃には、会場のざわめきもだいぶ大きくなっていた。乾杯から一時間ほど経つと、司会を担当する総務部の二人がステージに上がった。「皆さま、お待たせいたしました」マイクを持った男性社員の声が、会場に響く。「これより、今年から恒例、部署対抗余興大会を始めます!」拍手と歓声が上がった。今年から恒例。社長、恒例にしたいのね。最初に出てきた営業部は、流行りの芸人さんのネタをかなり本気でコピーしていた。衣装まで用意していて、動きも揃っている。次の企画部は、社内あるあるを替え歌にしていた。誰もが思い当たる節のある歌詞に、会場は笑いっぱなしだった。経理部は、なぜかハンドベル。最初は静かすぎると思ったけれど、最後にはクリスマスソングをきっちり完成させて、妙な感動が生まれていた。「みんな、仕事以外でもちゃんとしてますね」私が小さく呟くと、莉子さんが頷いた。「採用時に特技聞かれなかった?」「……そういえば。あれ、忘年会の余興のためだったんですか?」「社長、結構昔に余興のために質問させたのに、実行するの忘れてたんだって。総務課の子が言ってた。りおちゃん、来年は出るでしょ?」「絶対に嫌です」「所長とペアダンスとか」「莉子さ
last updateÚltima actualización : 2026-10-04
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目が合うたびに③

「……りおちゃん」莉子さんが、耳元で囁いた。「今の顔、だいぶまずいよ」「何がですか」「恋してる人の顔」私は返事ができなかった。ステージ上のコントが終わり、大きな拍手が起きる。司会者が再びマイクを握った。「ありがとうございました! いやあ、今年からなのに、レベルが高いですね!」会場が笑う。「それでは、いよいよ本日のラストです」胸の奥が、どくんと鳴った。司会者が、わざと少し間を置く。会場中が、次の言葉を待っている。「トリを飾りますのは──」私は無意識に息を止めた。「賃貸営業部と賃貸管理部選抜の皆さんによる、BTS『Dynamite』です!」その瞬間、会場が一気に沸いた。拍手。歓声。口笛。誰かが「待ってました!」と叫ぶ。私はその渦の中で、ただステージ袖を見つめていた。照明が少し落ちる。ステージの中央に、柔らかい光が集まる。冒頭。蒼くんのグクパート。神谷さんがナムさんのパートで出てきて。そして、瑛が現れた。ホビのパートだ。一瞬だけ、目が合った気がした。けれど、すぐに瑛は視線を客席の奥へ流して、何事もなかったみたいに笑った。その笑い方が、ずるかった。いつものスーツ姿とは少し違う。ジャケットはなく、白いシャツに黒いパンツ。ネクタイは外していて、袖は軽くまくっている。それだけなのに、会場の空気が変わった気がした。隣で莉子さんが、小さく息を呑む。「……これは、ずるいね」本当に、ずるい。私はグラスを持つ手に力を込めた。美味しい料理と美味しいお酒。余興を見るだけの私は、気が楽だった。そう思っていた数時間前の自分を、少しだけ恨んだ。こんなの、気楽に見られるわけがない。音楽が鳴った瞬間、瑛の空気が変わった。それまでの瑛は、いつもの瑛だった。落ち着いていて、余興のステージに立っていることすら、会議のひとつみたいな顔をしていた。なのに、最初のステップを踏んだ瞬間、会場がわっと沸いた。白いシャツの袖をまくった腕。無駄のない動き。少し伏せた視線が、音に合わせて上がる。──まずい。そう思った時には、もう遅かった。瑛はセンターにいた。普段、感情を表に出さない人が、音楽に合わせて肩を揺らし、軽く顎を上げる。それだけで、会場の視線が一斉に集まる。「……りおちゃん」隣で莉子さんが、楽しそうに囁いた。「呼吸
last updateÚltima actualización : 2026-10-05
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目が合うたびに④/褒美①

曲が終わった瞬間、会場が大きな拍手に包まれた。立ち上がって拍手している人もいる。社長なんて、子どもみたいに笑っていた。ステージの上で、瑛たちが軽く頭を下げる。その時、瑛がまた私を見た。余興は終わったのに。もう踊っていないのに。それでも目が合った瞬間、胸が苦しくなった。「……もう無理です」「うん、見てて分かった」莉子さんが小さく笑いながら、私の背中を支えてくれた。その後の歓談の時間、私は壁際の椅子に移動させられた。少し休めば平気だと思った。倒れたわけではない。ただ、立ち上がると足元がふわふわするだけだ。「りお」低い声がして、顔を上げる。瑛がいた。ステージから降りたばかりのまま、ネクタイは外したまま。袖もまくったまま。少しだけ汗ばんだ額が、普段より近く見えた。「顔、赤い」誰のせいですか。そう言いたかったのに、言葉にならない。瑛は私の前に片膝をつき、目線を合わせた。「水、飲める?」やめて。今その王子様ポジション、私にはとどめでしかない。プロポーズのときと同じシチュエーションなんですけど。瑛、狙ってやってる?差し出されたグラスを受け取ろうとした指が、少し震える。瑛はそれに気づいたのか、グラスを持ったまま、私の手元まで近づけた。「無理するな」その声が、さっきまでステージで会場を煽っていた人と同じだなんて、信じられない。少し離れたところで、莉子さんの声がした。「所長、介抱するなら責任持ってくださいね」瑛は振り返らずに答えた。「当然だ」その一言で、私は本日何度目かの限界を迎えた。「──山王通まで」忘年会の帰り。ダンス隊の二次会を断って私とともにタクシーに乗り込んだ瑛は、運転手さんに自宅の住所を告げた。「二次会、良かったの?」「いつも顔を出している。たまにはいいだろ」「瑛は管理職だから良くても。私は下っ端だし出た方が」カフスもネクタイも、ジャケットもすっかり元通りの瑛が指を絡めてきた。顔を上げると、熱っぽい目をした瑛が私を見つめていた。「りお。俺、頑張ったんだよ」「う、うん。すごかった」何がすごいって、私が倒れる一歩手前までいったことだ。「りおが……踊って欲しそうだったから」「うん」「久しぶりに、人前で踊った」「うん」破壊力、半端無かったです。スマホで撮ってた人は、今ごろショート動画
last updateÚltima actualización : 2026-10-05
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褒美②

「そう。早く言わないと、もっとやらしい格好にするよ」ブラとショーツだけのこの姿以上の、やらしい格好。瑛の望む褒美って、一体どんなレベルなの。「きょ、今日……」「うん」「かっこよかった、です……」瑛はまだジャケットを脱いだだけだった。ネクタイだけが、いつの間にか緩んでいる。「それだけ?」「え、えっと……」首筋に、胸元に、口付けが落ちる。甘いだけじゃない。微かな痛みが、そこに瑛の熱を残していく。瑛はネクタイを外すと、私の両手首を頭の上でまとめた。「え、瑛……っ」「逃げられないだろ」低い声に、身体が反応する。胸元の布が、瑛の指でゆっくりとずらされた。見られている。そう思っただけで、息が浅くなる。「りお。まだ足りない。ちゃんと褒めて」耳元で囁かれた声が、鼓膜の奥を震わせる。息がかかっただけなのに、一瞬、意識が遠のきそうになった。「ほら、りお。ちゃんと俺を見て」触れたのか、触れていないのか分からないほどの距離で、瑛の指先が私を追い詰めていく。ほんの少しの刺激に、身体中が勝手に反応してしまう。「褒めて?」「はあっ……瑛……」「何?」「かっこよかった、の……誰よりも……」言い終える前に、また胸元に痛みが走った。瑛が残した印が、熱を持っていく。『お風呂が沸きました♪』人工的な音声が、脱衣所までやけに明るく響いた。「え、瑛。お風呂、入ろ?」もう、頭の芯はとっくにほどけていた。それなのに、瑛はまだ余裕のある顔をしている。私を腕の中に閉じ込めたまま、背中に回した指先で、プツン、とホックを外した。「続きは、身体を洗ってからな?」耳元に落ちる低い声。この人は、全部わかっていてやっている。暖房の効いた浴室。瑛がシャワーの温度を確かめている隙に、私は慌ててクレンジングを手に取った。きっと、今しか落とせない。湯気の向こうで、瑛が小さく笑った気がした。何も言わないまま、彼は私を椅子に座らせ、迷いのない手つきで髪を濡らしていく。指が頭皮に触れるたび、身体の力が抜けていく。悔しいくらい、気持ちいい。でも。私だって、やられっぱなしじゃない。大人しく従っているふりをしながら、私は瑛の背後にあったボディソープへ手を伸ばした。手のひらに泡を広げ、そっと彼の胸元へ滑らせる。「……りお?」一瞬、瑛の手が止まった
last updateÚltima actualización : 2026-10-06
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褒美③

指を添えると、瑛の身体がぴくりと揺れた。その反応だけで、胸の奥が甘く疼く。私は見上げたまま、そっと唇を寄せた。塩のような、熱のような味がした。「……りお」瑛の声が、湯気の中で掠れる。いつも瑛に翻弄されてばかりの私が、今は瑛の余裕を少しずつ奪っている。そう思ったら、たまらなく意地悪な気持ちになった。ゆっくり。焦らすように。ときどき瑛の顔を見上げて、反応を確かめながら。「……っ」瑛の手が、私の髪に触れた。止めるためなのか、耐えるためなのか分からない。でも、指先に力がこもるたび、私はちゃんと効いているのだと分かってしまう。「瑛」名前を呼ぶと、瑛は一瞬だけ目を伏せた。それから、深く息を吐く。「……りお、もう」その声が限界に近いことくらい、私にも分かった。それでも私はやめなかった。私が、したかったから。瑛の身体が大きく震える。低く押し殺した声が、浴室に落ちた。熱がほどけていく気配を、私はすぐ近くで受け止める。次の瞬間、瑛は私の腕を取って、引き上げるように立たせた。「……瑛?」返事の代わりに、唇を奪われた。さっきまで私に翻弄されていた人とは思えないほど、強く、深い口づけだった。「手、ついて」低い声に逆らえず、私はバスタブの縁に両手をついた。背後から抱き寄せられた瞬間、息が止まる。「……っ、瑛……!」身体の奥まで、熱が届いた。瑛は何も言わなかった。ただ私の腰を支え、逃げられないほど近くで、何度も私を満たしていく。浴室の壁に、シャワーの音と、乱れた息が跳ね返る。「りお」耳元で呼ばれるたび、膝から力が抜けそうになる。さっきまで私が握っていたはずの主導権は、あっけなく奪い返されていた。悔しい。でも、それ以上に嬉しい。私はバスタブの縁を握りしめたまま、瑛の名前を何度も呼ばされた。やがて、瑛の呼吸が大きく乱れた。「……りお」低く名前を呼ばれた瞬間、腰を支えていた手に力がこもる。次の拍子に、瑛は私を抱き寄せたまま、苦しそうに身体を離した。「……っ」押し殺した声が、湯気に溶ける。熱いものが、私の太ももを伝って落ちた。一瞬遅れて、それが何なのか分かって、顔まで熱くなる。こんなときでも、ちゃんと外してくれるんだ。ずるい。あんなに余裕をなくしていたくせに。最後の最後で、そういうところだけは瑛
last updateÚltima actualización : 2026-10-06
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褒美④/男運について考える①

──雨が、築年数を感じさせるアパートの窓を打ちつけていた。その片隅の一室に、その女はいた。暗い部屋の中で、スマートフォンの画面だけが白く光っている。指先が、画面の上をゆっくりと滑った。何度も、何度も再生された動画の中で、その男は笑っていた。忘れるはずがない。忘れられるはずがない。「瑛……」女はスマートフォンを持つ手を、そっと頬に寄せた。「私の、瑛……」細い手首には、いくつもの白い線が走っている。古いものも、新しいものも、もう見慣れてしまった傷だった。画面の中で、瑛が笑っている。誰かに向かって。あの頃と同じ顔で。「……瑛。今もまだ、踊ってたんだ」その顔を見た瞬間、女の唇がゆっくりと弧を描いた。「私の瑛……。やっと、見つけた……!」けれど、その笑みはすぐに消えた。画面の端に映り込んだ、真っ赤に染まった頬。瑛は、その頬の持ち主に向かって笑いかけていた。女の目が、すっと細くなる。「……え?」動画を止めた。指先で、数秒だけ戻す。もう一度、再生する。そこには、確かにいた。瑛の視線の先で、頬を赤く染めている女が。「何……? どういうこと?」女の顔が、ゆっくりと険しく歪んでいく。「同じ職場……?」低く呟いた声が、雨音に溶けた。「同じ職場なのね……?」次の瞬間、女は立ち上がった。部屋の隅に置かれたノートパソコンを開く。青白い光が、女の顔を照らした。キーボードを叩く音だけが、雨音に混じって響く。『このダンス会場と、忘年会をしていた会社を特定してください。三百ポイント進呈します』投稿ボタンに、指を置く。一瞬だけ、女は画面の中の瑛を見つめた。「待っててね、瑛」クリック音が、小さく鳴った。「……特定班って、便利」女の口角が、ゆっくりと上がる。スマートフォンの白い光だけが、その笑みを照らしていた。「ふう……」思わず、ため息が落ちた。「ため息、珍しいね。結婚準備?」向かいの席で、莉子さんが湯呑みを手に笑う。昼休みの”太郎さん”は、今日も居酒屋ランチのお客さんで賑わっていた。厨房からは焼き魚の匂いがして、隣のテーブルでは唐揚げ定食を頼んだ男性社員たちが、午前の会議の愚痴をこぼしている。「あ、すみません」私は慌てて背筋を伸ばした。「結婚するのに、こんなにやることがあったんですね」「そうよ? 式
last updateÚltima actualización : 2026-10-07
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男運について考える②

私が聞き返すと、森田先生は楽しそうに目を細めた。「八神岳くん。うちの事務所に入ったばかりなんだけどね。まあ、見た目ほど怖くはないよ」「森田先生」低い声で、その男性がたしなめる。声まで、落ち着いていた。その響きに、さっきまでざわついていたエントランスの空気が、一瞬だけ静かになる。「八神です。よろしくお願いします」差し出された名刺を受け取る。八神岳。まだ新しい名刺なのに、そこに印刷された肩書きだけが、妙に重たく見えた。「弁護士、さん……」思わずそう呟くと、八神さんはほんの少しだけ目を伏せた。「まだ一年目です」「一年目にしては、ずいぶん落ち着いてるでしょ」森田先生が横から言う。「先生」もう一度、八神さんが短く止める。そのやり取りに、蒼くんが小さく笑った。「りおさん。八神さんは僕の大学からの友人なんです」「え、そうなの?」「バイト先が一緒だったんです。喫茶ロミオ」喫茶ロミオ。会社の近くにも店舗がある、チェーン店だ。微笑み合う八神さんと蒼くん。けれど榊くんだけは、こちらを見たあと、どこか面白くなさそうな顔をしていた。「氷室さんには、いつもお世話になってますからね。朝比奈さんにも、一度ご挨拶しておこうと思いまして。婚約されたとか……」「あ、はい。えっと、いえ、こちらこそ……」急にそう言われて、私は慌てて頭を下げた。氷室さんの婚約者。その言葉はまだ、少しだけ自分のものではないみたいだった。莉子さんは途中で総務に寄ると言って、私は先にフロアへ戻ることになった。エントランスからエレベーターホールへ向かうと、ちょうど昼休み終わりの人たちが何人か集まっていた。私は少し離れたところで、スマホを鞄にしまいながら待っていた。その時だった。「ねえ、忘年会の動画見た?」聞こえてきた声に、指が止まった。忘年会。その単語だけで、嫌な予感がした。「見た見た。榊くん、意外と踊れるんだね」「わかる。あれちょっと反則じゃない?」「Dynamiteでしょ?若い子って感じだったよね」「いや、若いだけじゃなくてさ。顔もいいし、ノリもいいし」楽しそうな声。悪口ではない。むしろ、褒めている。だからこそ、聞き流せなかった。私はエレベーターの階数表示を見上げたまま、耳だけが勝手にそちらを向いていた。「榊くんって彼女いるのかな」「
last updateÚltima actualización : 2026-10-07
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男運について考える③/染み①

瑛は、言葉が遅い。遅すぎる。こちらが泣くまで、追い詰められるまで、気がつかないところがある。でも、軽くはなかった。その違いを、私はもう知ってしまった。軽い言葉は、欲しかった言葉に似ている。でも、似ているだけ。似て非なるもの。私が欲しかったのは、誰かに「大丈夫?」と覗き込まれることではなかった。誰かに「話、聞くよ」と逃げ場を差し出されることでもなかった。瑛の口から、私が何なのかを聞きたかった。ただ、それだけだった。そして返ってきた答えは、思いのほか、だいぶ重かった。瑛には悪いけれど、少し笑ってしまうくらいに。でも、幸せだった。エレベーターの扉が開く。フロアに戻ると、いつもの空気がそこにあった。電話の音。キーボードを打つ音。誰かが書類をめくる音。そして、少し離れたところに榊くんがいた。誰かと話していて、笑っている。その笑顔は、たしかに人目を引いた。さっきの人たちが騒ぐのも、少しだけわかる。でも、私の足は止まらなかった。そのまま自分の席へ向かう。途中で、榊くんがこちらに気づいた。一瞬だけ目が合う。榊くんの笑顔が、ほんの少しだけ変わった。いつもの軽さの下に、探るような色が混じる。私が何を考えているのか、知りたがっている顔。かつてはその顔に、だいぶ振り回された。どう思っているんだろう、って。けれど私は、何も返さなかった。ただ軽く会釈をして、席に戻った。その時だった。奥の方から、低い声がした。「朝比奈」瑛だった。書類を手にこちらを見ている。いつもの所長の顔。でも、その目だけは少し違う。私が榊くんから視線を外したことに、気づいている。たぶん、全部ではなくても。「この件、あとで確認する」「はい」私は書類を受け取った。指先が触れたわけではない。距離も、職場としては自然だった。それでも、瑛の視線が一瞬だけ私の左手に落ちたのがわかった。指輪。まだ社内では大きく言っていない。でも、もう隠しきれるものでもない。仕事中はつけない約束にしていた。そのはずだった。でも、瑛がどうしてもつけてほしそうな顔をするから、結局、私が根負けした。言葉は遅いくせに、こういう主張だけはやたら強い。氷室さんの婚約者。森田先生と八神さんにそう言われた時、まだ自分のものではないように感じた言葉。でも今、フ
last updateÚltima actualización : 2026-10-08
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染み②

瑛が何を話しているのかは、とても気になる。でも、今の私は姿を現してはいけない、らしい。三十分が経った。気になりながらも手をつけた仕事は、片付いてしまった。今日も瑛と帰るつもりなんだけど……。瑛、解放されたかな。店舗には、もう私しか残っていなかった。先に出た蒼くんからは、念押しのLINEが来ている。『朝比奈さん、まだ出ない方がいいです。所長が戻るまで、待機してください。危険です』絵文字がない。いつもは絵文字を多用する子なのに。それだけで、切迫感があった。扉が開いた。瑛だった。その表情は、ぐったりとしていた。「……大丈夫?」声をかけた瞬間、瑛は私の名前を呼んだ。「りお」そのまま、腕に包まれる。他に人がいなくてよかった。瑛は何も言わない。聞きたいことは、たくさんある。あの人は誰なのか。何を言われたのか。どうして、あんなふうに瑛の名前を呼んだのか。でも、この人が今、回復するためには、私を黙って抱きしめることが必要なのだとわかった。だから、何も聞かなかった。腕の力が、少しだけ緩む。私は顔を上げた。「大変、だったね」「ああ……」瑛は私をそっと離すと、所長席へふらふらと戻った。椅子に沈み込んだ彼は、そのまま眠ってしまいそうだった。こんなに瑛を消耗させた女性。久しぶりの再会に、運命という言葉を使うことにためらいのない人。ここまで聞こえてきた台詞だけで、その人が瑛の過去の人だということは、瑛に聞かなくてもわかった。そして、瑛がその人を歓迎していないことも。「りおちゃん、今、いい?」翌日。朝の仕事の準備をしていた私は、莉子さんに呼ばれた。瑛は出社して早々、誰かに呼ばれて出ていったきり、まだ戻っていない。昨夜も今朝も、瑛は説明しようとしてくれた。でも、そのことにまつわる言葉を発しようとするだけで、瑛の疲労が濃くなる気がして、私は止めた。結局、何も聞けていない。案内されたのは、誰もいない会議室だった。人目を避けての話。昨日のことだろうか。「これ、見た?」莉子さんは、スマホの画面を私に向けた。『瑛! まだアオパにいたのね! ……』昨日、エントランスで起きた騒ぎの動画だった。誰かがスマホで撮影したものらしい。「莉子さん、これ……」「ずいぶん、社内で出回ってるみたい」難しい顔をし
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