Todos os capítulos de 私の男運、この人に全振りしてたらしいよ。〜クズばっかり寄る原因、ここにあり!〜: Capítulo 41 - Capítulo 50

88 Capítulos

言葉が欲しい①

早すぎて、心臓が跳ねる。「……お前は」瑛が言いかけて止まる。一度、喉が上下する。それから、低く続けた。「そういう言い方をするな」「……どういう」「……俺が」そこで一瞬、言葉が切れる。瑛の手が、首から肩へ移動して私を鏡の前から少しだけ引き寄せた。背中に、胸が触れそうな距離。「……俺が、増やしたくなる」低音。理性ギリ。“言ってはいけない告白”みたいな声。私は息を呑んで、コンシーラーのパフを置いた。「……仕事」「分かってる」即答。でも離れない。瑛の指が、もう一度首筋をなぞる。さっきより少しだけ強く。「見える場所は、今日はやめる」言い方が、完全に“業務判断”。でも、次に続いた一言で全部崩れる。「……代わりに」瑛の唇が、私の耳の後ろに触れた。触れるだけ。押し付けない。でも、呼吸が熱い。「消えないところにする」耳元で落ちる低音に、足元が揺れる。「……瑛」「時間だ」言いながら、瑛は私の肩紐を“元に戻す”。乱さない。整える。その丁寧さがいちばん危険。鏡の中で、瑛がネクタイを締め直す。完璧な顔に戻そうとしてるのに、目だけが全然平静じゃない。「……行くぞ、朝比奈」名字に戻った。でも、背中に回された手だけは一瞬、離れなかった。──瑛は私を、大事にしてくれている。でも、「付き合おう」という言葉は、未だ言われていない。「俺から離れるな」とか言うくせに。「好きだ」って言ったくせに。私が食事したかどうかとか、確認するくせに。私の家に2着もスーツもインナーも置いてるくせに。私も瑛の家に置いてるけど。剃刀置いてるくせに。私の化粧品も瑛の家に置いてるけど。「中途半端なことはしない主義だ」とか言ってたくせに。週の大半は私の家にいるくせに。……じゃない方は瑛の家に私もいるけど。毎日私を車で送迎するくせに。朝も夜も、当たり前みたいに私を気にかけるのに。──なのにどうして?どうして「付き合おう」が無いの?「はああああ……」「大きいなあ、ため息」昼休み。今日は莉子さんとふたりでの外ランチ。海鮮丼についてきた味噌汁を飲んでひと息ついただけのはずが、大きなため息になっていた。「あ、すみません」「謝らなくてもいいけどさ。……氷室のこと?」胸が跳ねる。莉子さん!直球!莉子さんは瑛とは大学
last updateÚltima atualização : 2026-09-24
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言葉が欲しい②

莉子さんがスマホを取り出した。「じゃあ旦那も呼ぶ」「は?」「四人ならいいでしょ」「なんでそうなる」「保護者がうるさいから」即答。莉子さん、そういうところある。一回面白がると、展開を止めない。「直人、今から来られるって」「聞く前に決めるなよ」「りおちゃんは?」「……行きます」「はい、決まり」ピコン、と莉子さんのスマホの通知が光る。「息子たち、塾到着。さ、行こうか」にっこり微笑む莉子さん。瑛が深く息を吐いた。でもそれは、反対のため息じゃなかった。諦めたみたいな、受け入れたみたいなやつ。今日の朝も、私は瑛に車で送られてきた。たぶん帰りもそうするつもりでいる。好きだとは言う。離れるなとも言う。飲みに行くと知れば止めに入る。なのに。──どうして“付き合おう”だけ無いの。駅前の通りを、一本中に入る。控えめな店構えのバーだった。ドアを開ける。「こんばんは」眼鏡をかけた髭のマスターが目を細めて出迎えてくれた。カウンターの少し奥に座っていたその人は、私たちを見て軽く手を挙げた。「直人、おつかれ」「おつかれ。瑛、本当に来たんだ」「来ちゃ悪いか」「彼女を過保護にするのに忙しいって、莉子から聞いてたからな。……その子か」「ああ」「直人。こっち、朝比奈りおちゃん」「こ、こんばんは」平静を装ったよ、私。今、直人さん、瑛に彼女を過保護に……とか、言ったよね⁉︎で、瑛。否定しなかったよね⁈「余計なこと言うな」「まだ余計なこと言ってないだろ」「じゃあそのまま黙ってろ」「無茶だなあ」直人さんは笑って、カウンター席からテーブル席に移動した。私の隣に莉子さん。莉子さんの向かいに直人さん。その隣に瑛。「何飲む?」莉子さんがメニューを開く。「私は白」「俺はビール」「氷室は?」「ノンアル」「真面目か」「車」「知ってる。そういうとこ昔から変わんないな」瑛は答えず、ノンアルコールビールを頼んだ。私も軽めのカクテルを選ぶ。その瞬間、瑛が低く言った。「一杯な」「わかってます」「怪しい」「氷室、ほんと保護者」莉子さんが笑う。「今日はもう保護者でしょ」直人さんまで乗る。「何のですか」私が返すと、直人さんが吹き出した。「ちゃんと返すんだ」「何ですか、それ」「いや、もっと
last updateÚltima atualização : 2026-09-24
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言葉が欲しい③

塾はバーから歩いてすぐだった。「この距離がいいんだよね」莉子さんが言う。「待つのも迎えも楽」「毎回言ってる」「毎回本当にそうだから」そんな会話を聞きながら、私はさっきの“昔”を引きずっていた。研究室の連中。昔みたい。今ここにいない誰か。瑛には、私の知らない時間がある。それは当たり前なのに、急に形を持ったみたいで、少し落ち着かない。その時。「ママー!」元気な声が飛んできた。続いて、もう一人。「パパー!」塾帰りらしい男の子たちが、リュックを揺らして駆けてくる。そして、その勢いのまま。「あ、瑛くん!」私はその場で固まった。……え?もう一人も当然みたいに言う。「ほんとだ、瑛くんいた」「今日もいた」「瑛くん、何飲んでたの?」瑛は少しだけ眉を寄せた。「お前らにはまだ早い」「またそれ」「じゃあいつ飲めるの?」「まず宿題やれ」「それ関係ある?」「ある」ぶっきらぼうなのに、慣れてる。そのやり取りがあまりに自然で、私は何も言えなくなる。“瑛くん”その呼ばれ方も。その呼ばれ方に違和感なく反応してる瑛も。私の知らない瑛が、またひとつ目の前に出てきた。すると片方の男の子が、今度は私を見た。「この人、瑛くんの彼女?」世界が止まる。「ちょっと」莉子さんがすぐにたしなめる。「そういうの急に聞かない」「なんで?」「なんでも」直人さんは笑いを堪えてる。絶対面白がってる。私は答えられない。否定したら、たぶん痛い。肯定したら、もっと痛い。一番ひどいのは、本人だ。瑛は黙ったまま、何も言わない。何も言わないくせに、否定もしない。「違うの?」男の子がもう一度聞く。その時、直人さんがにやっとした。「それは本人に聞けよ」「直人」「だってそうだろ」悪友。瑛は心底嫌そうな顔をして、それでも“違う”とは言わなかった。「帰るぞ」低い声で言う。「えー、違うの?」「いいから歩け」「答えてない」「歩け」「照れてる?」「歩け」声が、少しだけ掠れていた。私はその場で、たぶん人生で一番変な心拍数になっていた。“彼女”そんな単語、本人はまだ一度もくれていないのに。私って、瑛の、何なの……?胸の奥でカチリと嫌な音が立った。私がいちばん嫌だった形。都合の良い女、っていう枠。榊くんにその
last updateÚltima atualização : 2026-09-25
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逃げられない①

「明日からは私、部下に戻りますね」やっと、瑛の方を見る。「……さよなら」泣く寸前の顔で笑ったのは、自分でもわかった。これ以上見たら、たぶん揺れる。だから自分でドアを開ける。「りお、待て」「待ちません」そのまま降りた。後ろから名前を呼ばれた気がしたけれど、振り返らなかった。玄関の鍵を閉めた瞬間、膝から力が抜ける。本当に、終わったんだと思った。翌朝、目は最悪だった。泣いたのなんて久しぶりで、鏡の中の自分はひどく見えた。眼鏡とマスクで誤魔化せるだろうか、と本気で考えるくらいには。でも会社には行かなきゃいけない。今日から、部下に戻る。そう決めたのは自分だ。玄関を出て、道の先にある見慣れた車に気づいた瞬間、心臓が止まりそうになった。……来るんだ。昨日、あんなふうに言ったのに。私は一度だけ立ち止まって、それから見なかったふりをして歩き出した。助手席のドアが開く音。「乗れ」低い声。私はそのまま通り過ぎようとした。「朝比奈」「歩いて行けます」「乗れ」「昨日、言いましたよね」「聞いた」「だったら」「聞いたから来た」足が止まる。悔しい。悔しいのに、泣き腫らした目をこの人に見られていると思うと、もっと悔しい。「……遅刻するぞ」瑛が言う。「その目で電車乗る方がきついだろ」最低だ。優しい言い方をしないで、そういうところだけちゃんと見るのが最低だ。私は結局、助手席に乗った。車内で、会話はほとんどなかった。でも昨日の夜とは違う沈黙だった。瑛の中で、何かが決まっている。そんな気配だけがあった。午前中の瑛は、異様だった。仕事が速すぎる。電話も、資料の確認も、判断も、全部いつも以上に容赦がない。いつもなら私に一言振るところも、今日は先に片付けていく。鬼仕事モード。でも、その鬼の顔の下で何を考えているのかは、こっちだってもう少しわかるようになってしまった。たぶん、仕事をしていないと保てないのだ。昼休み、私はイヤホンを耳に入れた。BTSの音を大きめに流す。今日はもう、推しに脳を洗ってもらわないと無理だった。Dynamite。Butter。流して、流して、無理やり心を整える。瑛のことは考えない。考えない。そう決めても、昨日の「さよなら」が自分の中でまだ生々しい。同じ頃、瑛は昼休みに外
last updateÚltima atualização : 2026-09-25
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逃げられない②

瑛の家に入るのは、慣れているはずだった。なのにその夜は、玄関をまたぐだけで妙に緊張した。昨日までとは何かが違う気がして。リビングに入る。照明が落ち着いていて、静かで、余計に逃げ場がない。私はソファの前で立ち止まったまま、鞄を抱えた。瑛が少しだけ離れた場所で向き直る。「昨日は悪かった」まっすぐ言われて、胸が詰まる。「……何がですか」「全部だ」「雑です」「雑にしたくないから、順番に言う」そこで一度、瑛は息を吸った。「言葉を後回しにした」「……」「言わなくても伝わると思ってたわけじゃない」「……」「言うのが遅かった」「……うん」「遅すぎた」私はうつむいた。泣きたくないのに、喉が痛い。「お前が欲しかったのが、ちゃんとした言葉だってわかってた」瑛が言う。「わかってたのに、行動だけで埋められると思ってた」「……」「昨日、お前に“いらない”って返されて、やっとわかった」私は唇を噛んだ。送り迎えも。保護者みたいな過干渉も。全部、嬉しかった。嬉しかったからこそ苦しかった。「……私は」やっと声が出る。「瑛のこと、好きです」「うん」「好きだから、あれだけしてもらって、名前がないのがつらかった」「うん」「ずっと、彼女ですって言ってほしかった」そこで瑛が、一歩近づく。私は反射的に少しだけ息を止めた。でも今度は、逃げたいわけじゃなかった。「彼女じゃなくて」瑛が言う。そのまま、私の前に片膝をついた。頭が真っ白になる。え、と思った時には、もう小さな箱が開いていた。灯りを受けて、石が静かに光る。「妻になってほしい」低い声。でも、震えていた。瑛がこんなふうに緊張するのを、私は初めて見た。言葉が出ない。「りおのいない人生なんて、考えられない」「……」「彼女って言葉で止める気がなかった」「……」「最初から、お前しかいらない」涙がこぼれた。こんなの、ずるい。ずっと欲しかった言葉を、こんな形で全部まとめて渡してくるなんて。「……今さらです」泣きながら言うと、瑛が苦く笑う。「知ってる」「遅いです」「悪かった」「すごく遅い」「うん」「……でも」そこで声が崩れた。瑛はまだ膝をついたまま、まっすぐ私を見ていた。その顔が本気すぎて、もう意地を張り切れない。「……返事、してい
last updateÚltima atualização : 2026-09-26
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表の氷室、裏の氷室①

氷室所長こと、瑛の機嫌が悪い。原因はわかりきっている。「──榊、俺、あれ程言ったよな?先方に確認をしてから進めろと」「は、はい」「なあ、お前何年目だっけ?」「……5年目です」「5年目ってまだ俺らのフォローが無いとやれないわけ?自分の穴埋めしてもらって当然って思うのは違うぞ」ひええ。瑛の低くて静かな声がフロアを包む。大声の叱責の方がよっぽど怖くないんじゃなかろうか。莉子さんと蒼くんと目配せをしつつ、聞こえないふり。アオパ賃貸営業部、賃貸仲介課名物、氷の氷室発動中。氷の氷室を喰らうと大抵の社員は馬車馬モードに変換されるという伝説が……。榊くんもついに馬車馬育成入ったか。榊くんには中途半端な扱いを受けたから、あまり優しくしたいとは思わない。でも、榊くんのミスで被害を受けるのはお客様。だから私はちょいちょいフォローに入っていた。瑛はそれも、気に入らなかったんだろう。職場では指輪を外している婚約者が、他の男に手を貸している。瑛から見れば、面白いはずがない。氷の氷室から解放され、肩を落とした榊くんが自席に戻る。ここで優しくしては、氷の氷室の意味が無い。「朝比奈さん……」慰めて欲しいわけね。でもね、今回の非は完全にキミにあるのよ?「良かったじゃん」「え」何を言ってるんだこの人は?って顔してる。ちょっと前だったらこのタイミングでお菓子あげてたもんね。慰めてくれないの?僕が、傷ついてるんだよ?って全力で顔に書いてあるの笑っちゃうんですけど。やめて。仕事中の笑ってはいけないは拷問過ぎる。「いやね。氷の氷室、発動してたじゃん?」氷の氷室って呼ばれ方は、実は瑛本人は知らない。知ったらむくれるのが見えてるから教えてない。「はい……」「あれ喰らった人って、その後どうなるか知ってる?」「え……どうなるんですか」「バリバリに仕事出来るようになるのよ。おめでとう!キミもこれからバリバリの人だ!」意味がわからない、って顔中に書いてある。でもいい。榊くんには、これからちゃんと使い物になってもらわないと困る。使い物になってくれないとまずい。最近、蒼くんの頭のキレっぷりが目立っている。営業成績が、榊くんを超えそうだった。瑛は意図的に榊くんに発破をかけたのだろう。「ひとまずさ、その処理を今日中
last updateÚltima atualização : 2026-09-26
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表の氷室、裏の氷室②

「ねえ、瑛。もしかして」「何だ」まさかとは思うけど。「瑛もチョコ欲しかった?」一瞬、車内がしんとした。信号待ちで止まった車の中、瑛は前を向いたまま黙り込む。図星を突かれたときの沈黙って、どうしてこう分かりやすいんだろう。「……別に、チョコが欲しかったわけじゃない」「へえ?」否定が遅い。「私、蒼くんにも莉子さんにもあげるよ?」「江崎はいい」「え、なんで?」「江崎は江崎だ」「雑じゃない?」「蒼くんは?」「……蒼も、まあいい」まあいい、って何よ。「じゃあ、榊くんだけ駄目なの?」「駄目とは言ってない」「でもむくれてたよね?」瑛が小さく息を吐いた。面倒くさそうな、でも諦めたような。「江崎にやるのは、ただの気遣いだろ」「うん」「蒼にやるのも、後輩への差し入れだ」「うん」「でも榊にやる時は」そこで言葉が切れる。言いにくいなら言わなきゃいいのに。この人、こういう時だけ妙に正直だ。「……慰めてる」「ふふ」思わず漏れた笑いに、瑛の視線が刺さる。「笑うな」「だって。そこ気にしてたんだ」「気にするだろ」「糖分補給だよ?」「言い方の問題じゃない」ああ、なるほど。“はい、糖分取って働いてね”じゃなくて、“はい、元気出してね”に見えたわけか。「じゃあ、瑛にもあげればよかった?」「……その場で寄越せとは言わない」「でも欲しかったんじゃん」「だから、欲しいのはチョコじゃない」信号が青に変わる。車が静かに動き出す。瑛は前を見たまま、少しだけ低い声で言った。「そういう顔を、俺にも向けろって話だ」……重い。でも、ちょっと嬉しいと思ってしまう私は、たぶんもうだいぶ駄目なんだろう。「じゃあ今度から、瑛にも二粒あげる?」「そういう話じゃない」「わかってるよ」わかってる。わかってるけど。「瑛って、ほんと面倒くさいね」「今さらだろ」「うん。今さらだね」瑛は不機嫌そうなままハンドルを握っている。でも、むくれてても安全運転なのはありがたい。「やっぱり指輪は職場で着けるべきだ」「またその話?」「婚約者が他の男を慰めるなら、なおさらだ」「だから慰めてないって」「俺にはそう見えた」「職場で婚約指輪着けてて大丈夫なの、結婚指輪だけでしょ」「でも婚約指輪だ」「ダイヤが大きくて、書類とか破っちゃいそうな
last updateÚltima atualização : 2026-09-27
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氷の氷室、裏の氷室③

「りお」「ん?」「……俺が見てるところでやるな」今度こそ、完全に吹き出した。「なにそれ。条件つき?」「笑うな」「だって、瑛、どんどん細かくなるんだもん」「お前が俺をそうしてる」「人のせいにしないでよ」「事実だ」もう、ほんとに。職場ではあんなに冷たい顔で人を馬車馬モードに変換しているくせに、私のことになると途端にこれだ。……そういえば、私も昔、氷の氷室を喰らったことがある。あの時の瑛は今よりもっと容赦がなくて、たぶん私は三日くらい引きずった。あれ、瑛は覚えているんだろうか。「わかった」「……何が」「榊くんにチョコをあげる時は、瑛の見てないところでやる」「そういう意味じゃない」「冗談だよ」シートベルトを外す。金具が小さく鳴った。私はドアを開けかけて、ふと思い直して瑛の方を見る。「瑛」「何だ」「今日、ちゃんと所長だったね」「……今さら褒めるのか」「でも、ちゃんとむくれてた」「余計だ」ふふ、と笑ってから、私はバッグの中を探った。昼間コンビニで買って、そのまま入れっぱなしになっていた小さなチョコを見つける。榊くんにあげたアルファベットチョコとは違う、ただの個包装のチョコ。それを一つ、瑛の膝の上に置いた。「……何だ、これ」「糖分補給」「一粒か」「文句ある?」「……いや」不満そうな言い方なのに、受け取るのは早い。「じゃ、おやすみ」「りお」「なに?」「次は二粒だ」は?呆れて見返すと、瑛はさっきまでの不機嫌が少しだけ緩んだ顔をしていた。ずるい。最後にそういう顔をするのは、ほんとうにずるい。「考えとく」「考えなくていい。決定でいい」「所長、横暴ですよ」「婚約者だ」その返しがあまりにも自然で、私はもう何も言えなくなる。結局、最後に強いのはいつもこの人だ。「……お茶くらい飲んでく?」言ってから、自分で少し驚いた。瑛も同じだったのか、珍しく言葉を失ったみたいに黙り込む。「五分だけなら」「ほんとに?」「……いや」小さく息を吐いて、瑛は首を振った。「今日はやめておく」「どうして?」「このまま上がったら、たぶん五分で帰れない」その言い方があまりにも正直で、胸の奥が変に熱くなる。「りお」「なに?」「榊にやるくらいなら、先に俺に寄越せ」またそれ、とくすくす笑いそうにな
last updateÚltima atualização : 2026-09-27
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表の氷室、裏の氷室④

「私も今日、保育園から熱出ましたコールきて、めちゃくちゃだったし」「えっ」「双子、交互に熱出すからねー。地獄よ」「……お疲れさまです」「朝比奈さんもね」その“も”が、妙にやさしかった。私はチョコを一つ手に取って、少しだけ笑う。「氷の氷室、きついですね」「でしょ?」莉子さんは声を潜めて、内緒話みたいに笑った。「でもね、あれ喰らった人、だいたい強くなるのよ」「慰めになってます?」「してない?」「ちょっとだけ」「じゃあよかった」それから莉子さんは、ほんの少しだけ真面目な顔になった。「氷室ってさ、怒ってるっていうより、“次は同じミスするな”で言ってくるから余計きついのよね」「……はい」「でも、朝比奈さんのこと、見てない人にはああいう言い方しないよ」「それ、フォローですか?」「半分くらいは」半分なんだ、と思って、少しだけ笑った。莉子さんは満足そうに頷くと、デスクを軽く叩いた。「ほら、食べなさい。脳みそに糖入れてから帰る」「……はい」「で、今日は寝る。引きずらない」「難しいです」「わかる。でも、引きずると明日もっとしんどいよ」そう言って手をひらひら振り、莉子さんは先に帰っていった。私はその背中を見送りながら、包みを開けた。小さなチョコは、拍子抜けするくらい普通の味がした。でも、その普通の甘さに、少しだけ助けられたのを覚えている。たぶんあの日の私は、瑛の言葉より先に、莉子さんのチョコで立て直した。……なのに今は、その瑛が、榊くんにやった二粒を数えてむくれているんだから、人生ってわからない。……そうか。私はソファに座りながら、ぼんやり天井を見上げた。榊くんにチョコをあげたの、たぶんあれだ。深く考えてたわけじゃない。ただ、昔の自分が莉子さんにしてもらったことを、ほんの少しなぞっただけだ。氷の氷室を喰らったあとに、糖分を押し込まれる感じ。“引きずるな、今日は帰って寝ろ”っていう、あの雑でやさしい励まし。だから二粒だったのかもしれない。一粒だと、足りない気がして。三粒だと、やりすぎな気がして。あの小さい二粒が、なんとなくちょうどよかった。……なのに、瑛はその二粒を数えていた。思い出したら、また笑いそうになる。「ほんと、面倒くさい……」誰もいない部屋で小さく呟くと、さっき車の中で聞いた声がその
last updateÚltima atualização : 2026-09-28
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周知①

デパートのベビー服フロアに足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。静かで、柔らかくて、やたらと上品。百貨店の“赤ちゃん売り場”って、あんなに小さな世界なのに、なぜか結界みたいに守られている。「……高い」値札を見て、思わず小声が漏れる。「相場だ」背後から、低い声。瑛は当然のように隣に立っていた。“ついてくる”と言い出したのは瑛だ。「買い物は一人で行くものじゃない」と、意味の分からない理屈で。いや、女子会メンバーの出産祝いなんだけど。「サイズは?」「え、わかんない。新生児…?」「新生児は着る期間が短い」「……急に詳しい」「親戚が多い」瑛が、ラックを静かにスライドさせる。目線は冷静、指先は丁寧、判断は早い。「このあたりが無難だ。季節と成長を考える」「……え、すご。瑛、こういうとこだけ優良物件すぎ」「“だけ”じゃない」ボソッと返されて、一瞬言葉を失う。今の、ツッコミ待ち?いや、違う。瑛は多分、素で言った瑛が一着、くすみカラーのロンパースを手に取った。シンプルなのに、生地が違う。縫製が違う。触った瞬間にわかる。「まどかは、好みあるかな」「あるだろうな。だがこれは“嫌われにくい”」「それ、褒め言葉なの?」「褒め言葉だ」瑛は、当たり前の顔で言い切る。そして、次の棚。白地に小さな刺繍。同じく上品なベビーソックス。ギフト箱。……淡々としてるのに、やたらと“未来”を連れてくる選び方。婚約中なのだから、“未来“は近い将来になるんだけど。無意識に一度だけ瑛の横顔を見る。この人、赤ちゃんの話になると、いっそう静かになる。「……りお」「なに」「変な顔をするな」「してない」「してる」瑛は、視線を落とす。私の首元へ。「……それ、見える」瞬間、りおの背筋が凍った。「え?なにが」「……キスマーク」言い方が、妙にきちんとしていて腹が立つ。“キスマ”じゃなくて“キスマーク”。注意喚起みたいに言うな。「え、嘘。どこ」「首」「……首!?え、でも服で隠れてるよね?」「今はな」瑛の目が、やけに冷静なのに、ほんの少しだけ険しい。慌てて、髪を前に落とした。手で首を押さえる。「え、だって私、気づいてなかったし」「気づけ」「どうやって!?鏡見てないし!」「……俺が、つけた」“俺が”のところだけ、声が
last updateÚltima atualização : 2026-09-28
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