声を失った少女を助けたら、冷徹CEOの契約妻になりました ~一年だけの偽装結婚なのに「君とこの子を、もう二度と手放さない のすべてのチャプター: チャプター 31 - チャプター 40

60 チャプター

第31話 七年分の「ごめん」を、今さら兄に返せない

第31話 七年分の「ごめん」を、今さら兄に返せない 玲司は、すぐには何も言わなかった。 ホテルの廊下で結衣の手を握ったまま、ただ立ち尽くしている。 表情がない。 怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えない。 けれど結衣には分かった。 今、この人の中では七年間積み上げてきたものが、一度に崩れている。「……部屋、入りましょうか」 結衣が静かに言った。 玲司は返事をしなかったが、拒みもしなかった。 二人で部屋へ入る。 結衣がドアを閉める間も、玲司は窓の近くに立ったまま動かなかった。 手だけは離れている。 それなのに結衣は、さっきまで握られていた指先が妙に冷たく感じた。「玲司さん」「兄は」 ようやく声が出た。「俺が自分を責めると思っていたんだな」「たぶん」「事故の前から」「はい」「俺が代わってくれと頼んだことを、気にすると分かっていた」 結衣は何も言わず頷いた。 玲司は窓の外を見る。 バンクーバーの街。 遠い外国。 七年前の日本とは何もかも違う場所なのに、今の玲司にはあの日しか見えていないようだった。「……馬鹿だな」 小さな声だった。「誰がですか」「俺だ」「それは禁止したはずです」「今だけは聞け」 結衣は黙った。「兄が俺に頼まれたから飛んだ。それだけを七年も握っていた」 玲
last update最終更新日 : 2026-10-02
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第32話 七年ぶりに聞いた兄の声

第32話 七年ぶりに聞いた兄の声 翌朝、結衣が目を覚ましたとき、玲司は窓際に立っていた。 夜明け前から起きていたのだろう。テーブルの上には冷めたコーヒーが置かれ、ほとんど手をつけた様子がない。「おはようございます」「ああ」「寝ました?」「少し」「その答え、信用できないんですけど」「三時間は寝た」「全然駄目じゃないですか」 いつもなら、そこから朝食を食べろだの、横になれだのと言い合いになる。 でも今日は、結衣も強く言えなかった。 安西が持っているという音声。 事故の三日前。 玲司の兄、圭司本人が残した声。 玲司が平静でいられるはずがない。「怖いですか」 結衣が尋ねた。 玲司はすぐには答えなかった。「……ああ」「聞きたい?」「ああ」「聞きたくない?」「それも、ああだ」 結衣は少し笑った。「両方なんですね」「変か」「全然」 玲司は窓の外へ視線を戻した。「七年も聞いていない」「お兄さんの声?」「ああ。映像も見なかった」「一度も?」「事故のあとのニュース映像以外は」 結衣は何も言わなかった。 見れば苦しくなる。 だから見ない。 でも忘れたわけではない。「声って、ずるいですよね」「何が」「写真
last update最終更新日 : 2026-10-03
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第33話 祖父は、七年前のことを知っていた

第33話 祖父は、七年前のことを知っていた「九条征一郎会長です」 安西がそう言ったあと、会議室の中はしばらく完全な沈黙に包まれた。 玲司は椅子に座ったまま、動かなかった。 結衣も、すぐには何も言えない。 征一郎。 玲司の祖父。 エマの曽祖父。 口は悪く、金額の桁もおかしく、初対面の結衣に不動産を渡そうとした老人。 家族を人材配置のように扱うくせに、エマの写真を榊からこっそり送らせていた人。 その人物が。 事故の一週間前、圭司と激しく争っていた。「何を話していた」 玲司が尋ねた。 声は低い。「内容までは、私も直接聞いていません」 安西は慎重に答えた。「当時の整備主任から聞いた話です。事故機の整備について確認したいことがあり、圭司さんが整備拠点へいらした。その帰り、駐車場で征一郎会長と電話をしていたそうです」「電話?」「はい。かなり大きな声だったと」「何と言っていた」「断片的にしか聞こえなかったそうです」 安西は記憶を探るように目を伏せた。「圭司さんは『数字が合わない』『これを事故が起きてから知ったでは済まない』と。それから」 一度、玲司を見る。「『会社を守ることと、隠すことは違う』と」 玲司の顔が固まった。 結衣の胸もざわつく。「祖父は?」「電話越しですから、相手側の声は聞こえていません。ただ、圭司さんは最後に『分かりました。では俺が自分で確かめます』と言って電話を切ったそうです」「自分で確かめる」 結衣が呟く。
last update最終更新日 : 2026-10-04
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第34話 「私は、九条家と結婚するんじゃありません」

第34話 「私は、九条家と結婚するんじゃありません」 高城直臣と、事故前日の圭司が本社地下の資料室にいた。 美佐子のその証言を最後に、カナダと日本を繋いでいた通話は一度終了した。 玲司はすぐに高城へ電話をかけようとはしなかった。 それが意外だった。 以前の玲司なら、名前が出た瞬間に本人へ問い詰めていただろう。けれど今はホテルの窓際に立ち、腕を組んだまま、しばらく何も言わなかった。「電話しないんですか」 結衣が尋ねる。「する」「今すぐ?」「そのつもりだった」「だった?」「……何を聞くか整理している」 結衣は少しだけ笑った。「何だ」「ちゃんと待てるようになったなって」「またそれか」「成長を見るの、ちょっと楽しくなってきました」「俺は観察日記じゃない」「でも最初に会った頃なら、『高城を今すぐ繋げ』って篠崎さんに命令してましたよ」「否定はしない」 玲司はソファへ戻った。「高城が兄と地下資料室にいた。それ自体に違法性はない。問題は、なぜ今までその事実を話さなかったかだ」「はい」「それから、祖父の保管庫から消えたノートとの関係」「はい」「最後に」 玲司の目が鋭くなる。「兄が何を掴んでいたのか」 結衣も頷いた。「じゃあ聞きましょう」「ああ」「怒鳴る前に」「分かっている」「本当に?」「…&hellip
last update最終更新日 : 2026-10-05
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第35話 今度は、あなたを置いて逃げません

第35話 今度は、あなたを置いて逃げません エマの無事を確認できたあとも、玲司はスマートフォンを握ったまま動かなかった。 画面の向こうでは、美佐子がすでに警備責任者へ指示を出している。征一郎も同じ屋敷内にいるらしく、遠くから低い声が聞こえた。 結衣は胸の前で腕を組み、自分の呼吸がようやく落ち着いてくるのを待った。 エマは無事だった。 その事実だけを、何度も頭の中で確認する。「玲司さん」「……ああ」「エマちゃんは大丈夫です」「今はな」 玲司の返事は短かった。 嫌な言い方だと思ったけれど、否定はできない。 脅迫文には『次は家族を失う』と書かれていた。 そして、結衣たちが極秘でカナダへ入ったことまで知られている。 たまたま見かけた誰かが写真を撮った、という話ではない。「帰国予定、変えます?」 結衣が尋ねる。「変える」 玲司は即答した。「今夜出る」「今夜?」「ああ」「でも、フライトの手配を急に変えたら、また情報が漏れるかもしれませんよ」「だから俺の手配ルートを使わない」「どうするんです?」「現地の協力会社を通す」 玲司はすでに篠崎へ連絡を入れ始めていた。 結衣はその横顔を見る。 まただ。 危険が迫ると、この人は考えるより先に全部を抱え込む。「玲司さん」「少し待ってくれ」「待ちません」「結衣」「今、全部一人で決めようとしてますよね」
last update最終更新日 : 2026-10-06
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第36話 疑われ続けた家令が、初めて嘘を認めた夜

第36話 疑われ続けた家令が、初めて嘘を認めた夜 帰国の機内で、玲司はほとんど眠らなかった。 眠れなかった、というほうが正しいのだろう。 窓の外には雲しか見えず、機内は静かだったが、彼の膝の上に置かれた端末には何度も同じ資料が映し出されていた。カナダのホテルで撮られた写真、そこに写り込んだ不審な男の右手、太い黒色の指輪。そして篠崎から届いた、かつて九条家のファミリーオフィス創設三十周年を記念して十二人の幹部へ贈られたというリングの記録。 現役で九条家の周辺に残っている受領者は、榊宗一郎ただ一人。 それだけなら疑う材料になる。 しかし結衣は、もう「だから榊が犯人だ」とは思わなかった。 この数日だけで、何度も学んだからだ。 それらしい証拠ほど、人を簡単に間違った場所へ連れていく。「まだ見てるんですか」 隣から声をかけると、玲司は画面から目を離さなかった。「見ている」「さっきから同じ三枚」「分かっている」「だったら少し寝たほうがいいですよ」「眠くない」「目、赤いですよ」「兄の音声を聞いたあとだからだ」「それは昨日の話でしょう」「残ってるんだ」 玲司は少しむっとしたように言った。 結衣はそれ以上強く言わず、座席へ体を預けた。 以前なら、無理やり端末を取り上げていたかもしれない。 でも今は、玲司が同じ資料を何度も見る理由も分かる。 情報を探しているだけではない。 自分の気持ちを整理するために、仕事の形へ置き換えているのだ。「榊さん」 結衣が呟く。「ああ」「本当に何なんでしょうね
last update最終更新日 : 2026-10-07
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第37話 エマが相続した「開けられない箱」

第37話 エマが相続した「開けられない箱」 黒い革表紙のノートに残された十二桁の数字を、最初に「口座番号ではない」と言ったのは美佐子だった。 夜の温室には、まだ白い薔薇の香りが残っていた。つい先ほどまで家族三人でオムライスを囲んでいたというのに、今は誰も食後の穏やかさなど覚えていない。玲司は手袋をしたままノートを押さえ、征一郎は険しい顔で数字を睨み、篠崎はすでに端末へ何かを打ち込んでいる。「少なくとも、日本国内の一般的な銀行口座ではないわ」 美佐子はノートを覗き込みながら言った。「九条家の資産管理番号とも違う。けれど、この並び方には見覚えがあるのよ」「どこでだ」 玲司が尋ねる。「英国系の信託会社」「信託?」 結衣が聞き返すと、美佐子が頷いた。「エマの母親が日本へ来る前に、自分の資産の一部を管理していた会社がロンドンにあったの。九条家とは別よ。結婚したからといって、彼女の財産まで九条家へ吸収したわけではないから」「初めて聞いた」 玲司が言うと、美佐子は呆れたように見る。「あなたは本当に、自分の兄夫婦の資産事情に興味がなかったのね」「兄貴の金だ。俺が知る必要はないだろう」「それ自体はまともな感覚だけれど、今はそのまともさが少し困るのよ」 玲司は反論せず、ノートへ目を戻した。 結衣は『母から娘へ』という文字を見つめる。「じゃあ、この『母』って」「おそらくエマの母親でしょうね」 美佐子の表情が変わった。「もし私の記憶が正しければ、この十二桁は信託口座そのものではなく、保管契約につけられる照会番号に近いはずよ」「保管って、何を?」「それは分からない」「お金じゃないんですか
last update最終更新日 : 2026-10-08
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第38話 事故前夜、母は娘のために箱を閉じた

第38話 事故前夜、母は娘のために箱を閉じた 御子柴冬一郎という名前が出た瞬間、玲司はすぐに呼びつけようとはしなかった。 それだけで結衣は、以前の玲司とは違うのだと思った。 怒っているのは分かる。榊が「圭司が亡くなる前夜、最後に本邸を訪ねた人物だ」と証言したのだから、今すぐ胸倉でも掴みに行きたいくらいの気持ちはあるのだろう。それでも玲司は一度椅子へ座り直し、黒いノートを閉じると、篠崎へ確認した。「御子柴へ連絡する前に、十七日前の開封申請について、こちらで把握できるものを全部出してくれ」「承知しました」「本人が申請したという証拠は?」「現時点ではございません。申請上の代理人名義と、御子柴先生の事務所で過去に使用されていた書式が一致しているだけです」「署名は?」「電子署名ですが、七年前まで使用されていた旧証明書の識別情報が添付されています」「七年前まで?」「はい。現在は失効済みです」 玲司が眉を寄せる。「失効した証明書で申請できるのか」「本来はできません。ただ、今回の申請は正式受理の前段階で差し戻されております。審査へ進む前に、古い資格情報を使って入口だけ通ろうとした形です」「つまり、御子柴本人がやったとは限らない」「はい」 結衣が言うと、玲司も頷いた。「ああ。だから聞く」 それから、ほんの少し間を置いて。「決めつけずにな」 結衣は思わず笑った。「何だ」「いえ。自分で言えるようになったなと思って」「今褒めるところか?」「かなり大事なところです」「最近の君は、俺を六歳児と同じように扱っていないか」「エマちゃんのほうが素直
last update最終更新日 : 2026-10-09
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第39話 家族を守っているふりが上手な人

第39話 家族を守っているふりが上手な人 手紙の最後に残された一文は、それまで読んだどの資料よりも厄介だった。『その人は、九条家の中で一番、家族を守っているふりが上手な人です』 名前がない。 役職もない。 男か女かすら分からない。 それなのに、その場にいる全員が一度は誰かの顔を思い浮かべたのだろう。 誰もすぐに口を開かなかった。 玲司は便箋を持ったまま、しばらく動かなかった。征一郎は杖の握りを強くし、美佐子は腕を組んだまま視線を落とし、榊はいつもの穏やかな顔を保っている。御子柴も無表情だったが、眼鏡の奥の目だけは鋭かった。 結衣は、その沈黙のほうが怖かった。「……これ」 最初に口を開いた。「誰か一人の名前に、今すぐ結びつけないほうがいいですよね」 玲司がこちらを見る。「ああ」「美佐子さんかもしれない。榊さんかもしれない。征一郎さんかもしれない。御子柴さんかもしれない。高城さんかもしれない」「ちょっと」 美佐子が顔を上げる。「平然と全員並べるのね」「だって今、みんな同じこと考えたでしょう」 誰も否定しない。「私だって疑われてもおかしくないですよ」「君は七年前、この家にいない」 玲司が即座に言う。「そこはそうですけど」「少なくとも、この一文について君は除外できる」「珍しく役に立つ経歴ですね」 少しだけ空気が緩んだ。 でも、すぐ戻る。 玲司は再び便箋を見る。「義姉が、誰かを警戒していたのは間違いない」
last update最終更新日 : 2026-10-10
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第40話 幼なじみの父は、七年前を知っていた

第40話 幼なじみの父は、七年前を知っていた 結衣のスマートフォンに表示された「一ノ瀬悠真」の名前を見た瞬間、応接室にいた全員の視線が集まった。「……出ます」 結衣が言うと、玲司がすぐに立ち上がる。「スピーカーにしてくれ」「最初からそれを言うと思いました」「嫌なら」「今回は私もそのほうがいいと思ってます」 結衣は通話を取った。「もしもし、悠真?」『結衣、今どこにいる』 挨拶もなかった。 いつもの悠真なら、「夜遅くに悪い」とか「まだ起きてたか」とか、そういう一言くらいは入れる。 声が明らかに違う。「九条家だけど。どうしたの?」『九条もいる?』 玲司の眉がぴくりと動く。「います」『……そっか』「何?」 電話の向こうで悠真が息を吐く。『親父から、さっき電話があった』 結衣は篠崎を見る。 篠崎も黙ったまま聞いている。「お父さんから?」『結衣が九条と結婚するって話、本当なのかって聞かれた』「今さら?」『俺もそう言った。会見までしてるのに何で今になって確認するんだって』「それで?」『そしたら』 悠真の声が少し低くなった。『「本当に結婚するなら、あの家の昔のことに首を突っ込ませるな」って』 誰も動かなかった。「……昔のこと?」『だから俺も聞いた。何の話だって。でも答えなかった』
last update最終更新日 : 2026-10-11
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