ぶっちゃけ、笑いの“自由度”が変わったなと感じる場面が増えた。ポリティカル・コレクトネス(以下ポリコレと略す)が意識されるようになってから、コメディ作品で昔ならなんでもありだったネタが注意深く扱われるようになったからだ。私自身、古いコントや海外のシットコムを観て育った世代なので、笑いの対象や言い方が微妙に変化しているのをはっきり実感している。
具体的には、笑いの“対象決め”が大きく変わった。かつては人種、性別、障害、体型、出自など個人の属性を直接からかうギャグが普通に流通していたが、そうした punch-down(弱者を叩く)ギャグは社会的に批判されやすくなった。結果として制作者側は自己検閲をするようになり、ネタ帳にある直球の
侮蔑ネタをボツにすることが増えた。放送局や配信プラットフォーム、広告主の意向も影響していて、炎上の拡大が速いSNS時代ではリスク管理が重要視されるためだ。実例として、長年続いたキャラクターの描写や配役見直しが行われた作品もあるし、スタンドアップの舞台でも以前より言葉選びが慎重になった印象がある。
その一方で、表現の“退化”だけが起きているわけでもない。新しい振り幅が生まれて、笑いの手法自体が洗練されてきたとも思う。差別的な一発ギャグに頼らず、風刺の切れ味や構成力、観察眼で笑わせる流れが強まり、古典的なブラックジョークをリフレームする能力が問われるようになった。さらに、製作側の多様化(脚本陣に様々な背景の人が入ること)によって、今まで埋もれていた視点や日常のズレから生まれるユーモアが増えている。つまり、表現の制約が逆にクリエイティブな工夫を促した部分もある。
ただ、両極端な反応も目立つ。過剰に安全圏を意識して笑いが萎んでしまう作品もあれば、反動で過激な表現をウリにするサブカル的な場が盛り上がることもある。個人的には、最も面白いのは“相手を傷つけない知性ある毒”を放てる作家やコメディアンだと思う。ポリコレの影響は決して一面的ではなく、コメディ文化の“再編成”を促している。古い笑いが消えた場所に、新しい笑い方が育っていく過程を見守りつつ、自分はやっぱり良いツッコミと的確な風刺にはいつでも笑ってしまう。