ちょっと実験的なリストを並べてみた。自分が書くときに試してきた一人称の型を、具体的な例文とともにまとめておくと、誰かの参考になるかなと思ったからだ。ここでは声のトーン、語りの信頼度、時間軸の扱い方に注目している。僕はいつも最初に語り手の「知っていること」と「知らないこと」をはっきりさせるようにしている。そうすると一人称の幅が見えてくる。
直接的な告白型(
confessional)――語り手が自分の内面や罪悪感を率直にさらけ出す。例:「あの日、僕は間違いを犯した。今でもその影が消えない。」この手法は読者に即座に親密さを生む。参考になるのは'ロリータ'のように、語りが行為そのものを正当化したり説明したりすることで不安定さを生む作品だ。使うときは語り手の自己弁護や記憶の歪みを意図的に残すと効果的だ。
幼い/素朴な視点――経験不足ゆえの独特な解釈で世界を描く。例:「大人はいつも変だって思ってた。名前ばかりで、本当のことを言わない。」このタイプは読者の保護者的感情や同情を誘いやすい。'ライ麦畑でつかまえて'のように、語り口そのものがキャラクター性の源泉になることが多い。
流れる意識(stream-of-consciousness)――思考の跳躍や句読点の省略で内的独白を再現する。例:「あれは、いや、違う、でも見た、手が、揺れて、どうして僕は——。」この方法は臨場感が強くなる反面、読み手を疲れさせる危険があるので長さやリズムを工夫する。'
白鯨'の冒頭のような即時性や、近代小説で見られる内面の奔流を参照すると参考になる。
観察者/周辺者としての一人称――自分は中心でないが物語を語る位置にいる。例:「僕は彼女をただ見ていた。彼女が何を考えているか、僕にはわからなかった。」この立ち位置は登場人物の内面を第三者視点に近い距離で描きつつ、語り手の偏見や見落としを利用できる。'大いなる遺産'のように、成長や発見の物語で有効だ。
最後に、自分の経験から言うと、一人称は声そのものを作る作業だ。語り手の年齢、教育水準、方言や語尾の癖まで想像して、短いモノローグを複数書いてみるといい。声が固まれば、どの情報を語り手が「知っている」と見せるかで物語の読み方をコントロールできる。ここまで試行錯誤してきた僕の実感は、声に忠実でいるほど物語が自然に立ち上がるということ。