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律令制って聞くと難しそうに感じるけど、実は古代の国家システムの一種なんだ。日本でいうと7世紀後半から10世紀ごろまで続いた政治・社会制度で、中国の唐を手本に作られたんだよ。
特徴は中央集権的な統治システムで、天皇を頂点に官僚組織が全国を管理していたこと。土地はすべて国有で、人民に口分田が割り当てられ、租・庸・調という税金を納めさせた。軍隊も中央の指揮下に置かれるなど、現代の国家システムの原型とも言える部分が多い。
でも実際は日本の風土に完全に適合したわけじゃなく、次第に形骸化していったんだ。荘園の拡大や武士の台頭とともに、やがてこの制度は変化を余儀なくされることになる。
律令制を理解するには、当時の時代背景を知るのがポイントだ。大化の改新後の日本が、強大な中央政権を作ろうとした試みと言える。全国を一律に支配するため、『律』という刑法と『令』という行政法を整備し、これを基に国を運営した。
面白いのは戸籍制度で、6年に一度『庚午年籍』を作成し人民を把握しようとしたこと。班田収授法では、6歳以上の男女に土地を分け与えるシステムもあった。しかし実際は地方豪族の力が強く、完全な中央統制は難しかったようだ。この矛盾が後の歴史の流れを変えていくことになる。
律令制の核心は『法治国家』という発想にある。それまでの慣習法中心の支配から、成文法による統治へ転換した画期的なシステムだ。特に注目すべきは官僚機構で、二官八省という組織が政务を分担していた。
税制度も特徴的で、租は収穫の約3%の稲、庸は労働奉仕、調は地方特産物の納入という形だった。しかし実際の運用では様々な矛盾が生じ、9世紀には早くも修正が加えられるようになる。この制度の変遷を見ると、古代国家の理想と現実のギャップがよくわかる。