古い石造りの回廊を思い浮かべると、僕はまず光と影の“言葉”が会話を始めることを想像する。
修道院という場所は建築自体が物語を持っているから、監督は照明でその語り口を整える。低いコントラストの全体照明を避け、必要最小限の光源—蝋燭や細いスリット、実際のランプ—を画面に残して、暗闇が人物の動機や秘密を包み込むようにする。こうした抑制は観客に視覚的な探求を促し、何が見えて何が隠れているかで緊張感が生まれる。
僕が特に興味をそそられるのは、光を“発見”のトリガーとして使う手法だ。狭い回廊に差し込む一筋の光、祭壇の背後で透けるステンドグラスの色、あるいは火の揺らぎが顔の表情を一瞬だけ暴くことで、場面の意味が変わる。監督はこれをカメラワークと同期させる。光が揺れるタイミングでカメラを寄せる、あるいは逆に引いて余白を見せることで、観客はその一瞬に心拍数を持っていかれる。暗部を完全に潰すのではなく、ディテールを残すことで“何かがいるかもしれない”という期待を持続させるのが肝だ。
映画『薔薇の名前』を思い出すと、空間の石の冷たさと蝋燭の暖かさの対比が印象的だった。監督は色温度の差を利用して倫理的・知的な対立を表現している。さらに、実用光(実在する明かり)を基準にして追加の微調整を行い、画面の“重心”を人ではなく暗がりや聖具に移すことで無言の脅威を強めていた。音響と合わせて光が消える瞬間に静寂を作ると、それだけで観客の想像力が補完を始め、緊張は解けずに膨らむ。そんな演出を見せつけられると、照明が単なる見え方の問題ではなく、物語そのものの呼吸を作る装置であると感じるよ。