検非違使の系譜をたどると、律令国家の秩序維持から出発したことがよく見えてくる。10世紀前後に整備された当初は、都の治安と司法を受け持つ公的機関として
権威を帯びていた。官職としての格式、裁判や捜索といった具体的権能、そして貴族社会との結びつきが、まず基盤を作っていったのだ。
その後、院政や武士台頭の時代になると、検非違使の実務は地方の武家や地頭、守護へと徐々に移譲されていった。職名は残っても権限は薄れ、名目的な存在へと変容する過程が続いた。こうした変遷は、職務の重心が中央から地方へ、文治から武断へと移る大きな潮流と同期している。
歴史叙述や物語の中で検非違使は『平家物語』などの作品を介してイメージ化され、格式あるが時に無力な役人という二面性で描かれてきた。僕はそのギャップに興味があって、記録から想像へと変わる様子が今の“検非違使像”に強く影響していると思っている。結局、制度の変化そのものが象徴的なイメージを作り出したのだろう。