古い写本をめくるたび、そこに描かれた奇怪な生き物に目を奪われることがある。歴史学者は
マンティコアを単なる想像上の怪物として扱うだけでなく、文化と知識の交差点として読み解いている。古典期の記述、とりわけギリシアの外交官が残した断片的な報告書『Indica』や、ローマ期の博物学書『Natural History』に見える記述は、遠方の出来事を写し取ろうとする試みと誇張が混ざり合っていると私は考えている。旅行者が伝えた“人を食らう”というセンセーショナルな要素は、読者の注意を引き、同時にその土地の未知性や危険性を強調する役割を果たしたのだろう。
中世に入ると、マンティコアは写本の挿絵や教訓物語の素材として再利用される。歴史学者はこの変遷を辿って、どのように古代の情報が写本の写しを通じて変形し、道徳的・寓意的な意味を帯びていったかを示している。動物学的な誤認(虎や狼、サソリの尾といった実在の動物の特徴の誤結合)に文化的なレッテル貼りが加わることで、マンティコアは「異邦の脅威」として定着した面も無視できない。
最終的に私は、マンティコアを歴史的事実か虚構かの二元論で切るより、情報の伝播過程とそれに付随する意味生成――つまりどういう文脈で、誰が、何を伝えたか――を手掛かりに解釈する方が面白いと感じる。そうすることで、単なる好奇心の対象から、異文化理解や想像力の働き方を照らす鏡へと変わるのだ。