燕返しという語には、伝説と実践が入り混じった独特の響きがある。文献を手繰ると、多くの歴史学者はその起源を戦国末期から江戸初期、つまり16世紀後半から17世紀初頭に求める傾向がある。これは有名な剣豪の物語、とくに佐々木小次郎にまつわる伝承と結びつけられることが多く、同時代から少し後の軍記物や町人文化の中で技名が定着していったと考えられているからだ。私自身、古い写本や口碑資料を読み比べる作業を続けるうちに、そうした時代区分が最も説得的に見える理由が分かってきた。
一次史料の状況を見ると要注意だ。燕返しという具体的な動作を詳細に説明した戦国期の稽古書はほとんど残されておらず、技の名称や描写が目立つのは江戸時代の軍記物や説話、さらには歌舞伎や浄瑠璃などの演劇作品においてである。たとえば、剣術の技論や戦法を哲学的にまとめたとされる書物の流布や、武勇譚が町人に浸透する過程で技名が物語の装飾として磨かれていった可能性が高い。だから学者たちは口承と文献の交差点に着目し、江戸初期を発端として燕返しの名とイメージが確立したと判断することが多い。
とはいえ、私が史料批判を重視する立場から言うと、「起源はここだ」と一義的に断定するのは難しい。剣技は稽古の中で細かく変わり、派生や改変を繰り返すため、ある技術がいつ「燕返し」と呼ばれるようになったかと、同じ技が別の名で存在していた可能性を区別する必要がある。最終的には、16〜17世紀の流れがもっとも整合的だと考える研究者が多いが、それはあくまで現存史料の枠内での結論であり、口伝や消失した稽古書の存在を完全には排せない。自分の興味は、伝説がどう実技に影響を与えたのか、そして近代以降の武道復興がそのイメージをどう再構築したのかを追うところにある。