脚本の骨格を考えるとき、動機をただ説明するのではなく“選択の必然性”を積み上げることが肝心だといつも思う。
物語の初めに大きな説明を投げず、小さな欲望や恐怖を繰り返して蓄積させる。それがやがてキャラクターにとって逃れられない圧力になる過程を私は好んで描く。たとえば『ゴッドファーザー』のマイケルの変化は、ひとつの事件で動くのではなく、家族への義務、自己保存、そして権力の誘惑が段階的に重なっていくことで納得感が生まれる。
動機が
しのびない(受け入れがたい)場合も同じで、理由を“人間的”に感じさせるコツがある。具体的には:日常の小さな選択で信念と矛盾する行動を繰り返させ、そのたびに代償を支払わせる。観客は最後に大きな悪行を見ても、「このパターンがあったからこそ」と腑に落ちる。心理的な細部—表情のわずかな揺れ、言い訳の反復、自己正当化の瞬間—をシーンに散らすと説得力が上がる。
演出的にはサブテキストを活用する。台詞で説明しない代わりに、対照的なキャラクターや象徴的な小物で動機を反映させると、観客が自分でつなげる楽しさも生まれる。『ブラック・スワン』のように内面の崩壊を段階的に見せる作品は、受け入れがたい動機でも“理解”に近い感情を引き出す好例だと感じる。最終的に僕が重視するのは、行動の因果関係がスクリーン上で論理的に納得できること。それがあれば、どんな動機でも自然に観客の中に落ちていく。