冬川にただよう月の影
彼氏のひと言がきっかけだった。
白川紗良(しらかわ さら)は仏ノ峰山の九百九十九段ある石段に膝をついて一段一段祈るように登り、彼のためにあらゆる災厄を祓うという御守りを手に入れた。
その後、石段で膝を擦りむき、血を流しながらも気に留めることなく、御守りを握りしめたまま夜通し病院へと戻った。
しかし病室に入る前、彼女の耳に飛び込んできたのは中から聞こえてくる大きな笑い声だった。
「さすがだよ、蓮司さん。御守りが災いを祓ってくれるって、ただの冗談で言ったのに、あのバカな紗良、本気で跪いて祈りに行ったんだってな!」
「その様子、最初から最後までドローンでばっちり撮ってあるんだぜ。ったく、紗良のあの健気な背中、ちょっと感動しちまったよ。これ、親を騙すのに使えんじゃね?」
病室の中で、ベッドにもたれていた朝倉蓮司(あさくら れんじ)がすぐに上体を起こし、スマホを手に取ってじっくりと映像を見始めた。深い眼差しで瞬きすらしない。
動画からは額が石段にぶつかる音と、しとしとと降る雨音が聞こえてくる。
その音に紗良の両脚は自分の意思とは関係なく震え始めた。
彼女は荒く呼吸しながら、信じられないものを見るように病室の扉の隙間から中の人々を凝視した。