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第93話 二人の結界

Author: 渡瀬藍兵
last update Last Updated: 2025-06-24 19:00:00
地の底から響くような咆哮が、空間そのものを冒涜するように震わせた。それは音というより、骨身に直接ねじ込まれる不快な振動だった。

「──幽護ノ帳ッ!!」

絶叫にも似た美琴の声が響いた刹那、おびただしい数の術式紋様が駆け巡り、血をインクとして描かれたような深紅の結界が僕たちの頭上を覆う。幾重にも折り重なる光の帳は、魂そのものを削って織り上げたかのように悲壮な輝きを放っていた。

白蛇の尾が空を薙ぐ。真空の刃が生まれ、遅れて、鼓膜を破らんばかりの衝撃波が空間を満たした。

ガラスではなく、骨が軋むような鈍い音が響き、結界の表面に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。まるで、この空間そのものが悲鳴を上げているかのようだ。

だけど、美琴は膝をつかない。

「はぁ……っ、はぁ……っ……まだ、です……!」

噴き出す汗が顎を伝い落ちても、その瞳は爛々と異様な光を宿していた。狂気と紙一重の決意が、彼女をこの場に縫い付けている。

(僕が…僕がアレを引き付けなければ、美琴が持たない……!)

心臓を氷の指で鷲掴みにされるような焦燥に駆られ、僕は紅色の勾玉を強く握りしめた。

「こっちを見ろ、化け物ッ!!」

叫びと共に、ありったけの想いを込めた石礫を放つ。

「星燦ノ礫――ッ!!」

星の煌めきを模した光の矢。それが、白蛇の赤い瞳孔――否、血の溜まった沼のような左眼に吸い込まれた。

バチィィィッ!!

何か生暖かく、ぬるりとしたものを無理やり抉るような、嫌悪感を催す破裂音。刹那、白蛇は天を仰いで絶叫し、その巨体をくねらせた。

残された右眼が、怒りに濁る溶岩のような赤黒さに染まり──ギロリと、僕だけを睨みつける。

(……効いた。こっちを“見た”!)

ズズズ……ッ!

奴が身じろぎするたび、大地が断末魔を上げる。鱗が擦れ合う音が、耳の奥でこびりついて離れない。

巨大な顎が、冥府の入り口のように開かれる。そこに広がるのは、光はおろか、あらゆる概念さえも飲み込みそうな絶対的な闇。その虚無が、僕めがけて迫ってくる。

「くっ……!」

思考より先に、体が動いていた。地面に倒れ込み、滑るようにしてその直撃を躱す。背中を撫でた風圧だけで、全身の肌が粟立った。死の匂いがした。

次の瞬間──

先ほどまで僕がいた場所で、凄まじい破壊音が轟いた。岩盤が
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