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ストロングベリー
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Novels by ストロングベリー

おいしいじかん

おいしいじかん

転職を機に新しい街へ越してきた透は偶然見つけたカフェバーに足を踏み入れる。 「いらっしゃいませ」――低く囁く声に、胸の奥が微かに疼いた。 カウンターに立つのは、青い瞳を持つ美しい男・ヒューゴ。 初対面のはずなのに、どこか懐かしいその眼差しに透の心は静かに熱を帯びていく。 なぜ、こんなにも惹かれてしまうのか。 そして彼はなぜ、透のすべてを見透かすように微笑むのか。 気づけば、またその店の扉を開けている。 ただ、彼の姿を、声を、そこに流れる空気を求めて。
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Chapter: よい夢を
秋も深まった11月。その夜は、ヒューゴの誕生日を2人きりで祝い、シャンパンが無くなるのを待ちかねたように、ベッドになだれ込んだ。いつもにも増して、長くとろけるような愛撫を与えられ、この後に起こることを期待しておれの身体はじくじくと熱くなる。毎週末の逢瀬のごとに乳首を蹂躙され、その射精を伴わない長い絶頂の最中にヒューゴは1本2本と指を増やしておれの内側に強烈な快楽を教えていった。覚悟していたよりも早くに慣れていく自分の身体が怖かったが、それにも増して喜びが大きかった。乳首から脳がどろどろに溶けるほどの快感を与えながら、ヒューゴはおれのものをぬるりと咥え、後ろにも指をそっと挿入する。2本目の指が入ってきた瞬間、少しだけ射精してしまう。「なんて身体してんの」「おまえの、せい、だろッ」もっと、とねだったのはおれだが。「才能だと思うけどね」ぜえぜえと全身で呼吸を整えるおれを尻目に、ヒューゴはからかうような笑顔で横臥し、余裕綽々だ。「苦しい?少し休憩する?」口ではそう言いながら、覆いかぶさってくる。「続けて……」「うん。透の身体も、僕を待ってるみたいだ」再びつるりと指が入れられ、またぞくぞくと電流が腰に走る。気持ちいい場所すべてを同時に責め立てられ、何がなんだか分からない状態に、目を閉じてただ身を任せる。「透。こっちを見て」目を開けると、荒い呼吸で上体を微かに上下させながら見下ろしている鋭い瞳とぶつかった。おれの足は大きく広げられ、尻にはヒューゴの脛が差し込まれている。絶対に足を閉じることも伸ばすこともできないようにしておいて、ヒューゴはぐいと自分のそそり立ったものを掴み、先端をおれの方へ向ける。雄々しく輝く瞳に見据えられ、ぞくりとする。「おれの中、ヒューで満たして」そう言った瞬間に内部を広げていたヒューゴの指がずるりと引き抜かれ、衝撃に悲鳴を上げてしまう。「うあ、あ、」間髪入れ
Last Updated: 2025-09-13
Chapter: いっしょにいこうよ
目覚めて最初に視界に入ったのはヒューゴの首元だ。エアコンが効きすぎた部屋で温かいものに包まれての目覚め、やっぱり最高。身じろぎすると、「起きた……?」とヒューゴの声がじんわり染み、その甘さに思わず目をギュッと閉じてしまった。金色の獣はふっと笑っておれの耳を唇でくすぐる。ああ、もうそれだけで……「まだ残ってる……?」「ちょっと怖い、自分が」「でも、すごく気持ちよさそうだったよ」「うん」おれが即答すると、「good boy」とヒューゴはおれのこめかみに軽く口付ける。「じゃあ……まだ夕方までたっぷり時間はあるし」ヒューゴはおれの胸に顔を埋め、初めて、手を下半身へ伸ばした。乳首をゆっくり舌で弾かれながら、掴んだ手で上下に扱かれると、すぐにおれはよく知る感覚に襲われる。ヒューゴは動きを止めて、ジッとおれを見ると、「どうする?」と低く囁く。その声があまりに色っぽくて、おれは我慢できずに、はやく、とねだるしかなかった。ヒューゴはおれの瞼にキスをして「きれいだよ、透」と言ってくれる。身体がまた仰け反って、ビクビク跳ねる。あ、出る……その瞬間、ヒューゴはおれのをギュッと掴んで射精を止めてしまう。でも、絶頂間はそのままで……さらに乳首に歯を立てられ、また強烈な快感がやってくる。それでも手を離してくれず。何度も追い詰めれて、その度にいかせてくれと懇願した。なのに、このもどかしくて気が狂いそうな感じもすごく良くて。終わりたくない。もっとおれを壊して欲しい。ヒューゴはそんな状態をまるで百も承知かのように、懇願を聞き入れてくれず、吸って、擦って、止めて、口付けて……おれのアタマとカラダを強引にコントロールする。おれは絶頂手前の永遠に続く快楽の中でヒューゴのそれに手を伸ばした。「透、僕はいいから&h
Last Updated: 2025-09-13
Chapter: I’m Yours
ヒューゴは後ろ手に部屋のドアを閉めると、おれを玄関の壁に押さえつけて、貪るようなキスをしてきた。「ようやく2人きりになれた」耳元で熱く囁かれたせいでその場で座り込んでしまいそうなり、「嬉しい反応してくれるね」と笑われた。「昨日……おれになんかしただろ」ただでさえ8月半ばの熱帯夜なのに、キスで余計に体温が上がり額に汗が流れる。それさえもヒューゴは舐め取ってしまったが。「とにかくシャワー浴びよう。暑い」腕を掴んでおれを引き起こすと、すぐにヒューゴはおれのシャツを脱がせ始めた。全く同意だ。湿度が高いせいで、バーで付いたタバコの煙や酒の甘ったるい匂いが汗と共に纏わりついたまま取れていない。このまま寝るのなんて論外で、部屋に入るのも気が引ける。温度の低いシャワーで落ち着き、寝支度を済ませたおれたちは、並んでベッドヘッドに背をもたせかける。ヒューゴはタブレットを持ち、なにか検索している。まだ寝るつもりはないようだ。おれの方も、昼間に精力を使い果たした上に、いつもより強いアルコールが入っているにも関わらず、気が高ぶっているのかまだ眠気は遠くに居る。生来の夜型らしく、油断するとすぐに昼夜逆転してしまう。今回然り、いつも長期休暇の最初には、早寝早起きを誓うんだけど、守れた試しがない。一人でリビングに移動し映画を観るなり飲みなおす手もあったが、せっかくだからこのままヒューゴの傍に居ることにした。夏季休暇が終われば、一緒に眠れる夜は週末だけになってしまうから。「なに?」ヒューゴが含み笑いをしながら、こっちを向いた。「ん?」「ずっとこっち見てるから」あ、そうだったか。「見ておかないと、あと5日で夏季休暇が終わるから」「かわいいこと言うよね、たまに」ヒューゴはこめかみに軽くキスをして、またタブレットに向き直った。おれは、ナイトテーブルの上に置いてあった携帯に充電ケーブルを挿しながら、「そう言えば」と切り出す。
Last Updated: 2025-09-13
Chapter: Honey, Did You Go?
夢のような3連休だった。透は明日から出社で、しかも長引いた出張のせいで業務が溜まっているらしい。食事を用意しておくからと、どんなに遅くなっても店に寄るよう約束させ、僕はしぶしぶ透を家に送り届けた。マンション前に車を停めて、少しだけキスを交わす。今までで、一番帰したくない夜だった。エントランスに消える透を見届け、その足でクリスの店へ向かった。透と連絡がとれなくなってからの僕を親身になって心配してくれていたから、突然平日に店を訪れた僕を見るなり、クリスは不安気な顔を作った。「ダイジョウブ?」「ああ。心配かけた。透が、戻ってきたよ」音信不通事件の理由を説明し終わると、クリスの顔に安堵が広がる。「怪我がなくて本当によかった」僕も深く頷いた。「それとは別に……とりあえず一番良いシャンパンを」注文と僕の顔を見て、この古い友人はすぐに思い当たったようだ。今夜ばかりはポーカーフェイスではいられない。「まさか!全部話せよ!」と僕につられたのか満面の笑みだ。クリスは上機嫌になり、踊るような滑らかさでシャンパンをグラスに注ぎカウンターから出てくると隣に腰掛けた。今夜は友人として共に飲んでくれるのだろう。僕はスツールの上で軽く居住まいを正した。クリスはだれよりも早く、僕と透のことを知る権利がある。「合鍵を交換して……キスをした。信じられないだろ?透から告白してくれたんだ」「おめでとう。心から」クリスの祝辞に合わせて僕らはそれぞれのシャンパングラスを掲げた。一口飲んで、それがありえないほど良いものだとわかった。尋ねても頑なにボトルを見せてくれないが。「まさかヴィンテージか?」「できたての恋人のために半分残しておきなよ」「あまり驚かないんだな」「トールがあんたに好意を寄せているのなんて、一目瞭然だったでしょ」「そこまで自惚れちゃいねえよ」「おでこにキスされただけで耳ま
Last Updated: 2025-09-12
Chapter: 嵐に溶け合う
遠くで雷鳴が聞こえる。小雨になったものの、不安定な大気は続いているようだ。台風でも来ているのかもしれない。ベッドでごろごろと寛いでいたが一度起き上がり、寝室の窓のブラインドを全開にした。山の斜面に建っているマンションは周辺では一番高さがあり、窓からは、空も市街地も見渡すことができる。それに気付いたヒューゴが、リビングで灯していた小さなキャンドルだけを残して照明を落とし、「雷鑑賞か」と言いながら寝室にやってくると、おれの隣で肘を立てて頭を支えながら横臥する。「あ、光った」細い閃光が空から地上に突き刺さる。ヒューゴは、仰向けのまま窓の外を見ているおれの頭を撫でてくれる。髪をすくうように往復する指先が心地良い。しばらく無言のまま、雷光でフラッシュのように白む空を眺める。頭からじんわりと伝わる温もりに癒されながら。「疲れてる?」「いや、とてつもなくリラックスしてるよ。まだ休みはあるし、おまえが傍にいるし」髪をすくうヒューゴの手に自分の手を重ね、長く筋張った指を撫でた。「透」とヒューゴは小さくおれの名前を呼んだ。「少しだけ、触れてもいい……?」そう耳元で囁かれ、一瞬でカッと身体が熱くなってしまい思わず目を瞑ると、ヒューゴはゆっくりおれに覆いかぶさってきた。腰が触れ、背中に戦慄が走る。「言っただろ、なにをしてもいいって」「少しずつ、ね」ヒューゴは腕をついておれを見下ろしたままで微動だにしない。窓から雷光が差し込み、青い瞳の奥がシルバーに輝く。吸い込まれそう。「透はとてもきれいだ」「全部おまえのだよ」おれがそうささやくと、ヒューゴは照れたように優しく微笑みキスをしてくれる。でもすぐに離れてしまい、おれは広い背中に腕を回して引き寄せた。遠慮と情熱のそれぞれを持て余して悩むヒューゴは魅力的だ。どうにでも好きなようにできると知っているのに。軽く口を開くと熱い舌がおれの舌を絡め取る。今夜のキスは、いつもより柔らかく、
Last Updated: 2025-09-04
Chapter: 純粋な欲望
ヒューゴは夜明け頃に焚き火を起こしたようで、おれは半覚醒の中まどろみながら、時折目覚めては、チェアで寛いでいるその姿を見ていた。渓谷に細く降り注ぐ朝日の中にいるヒューゴは、怖いくらいに美しかった。朝日に光る川の小波と、光の届かない暗い岩間の両方をそのまま身に纏うように鋭く暗く輝いている。水の精霊の化身だと言われても納得しそうなほど、人知を超えた魅力がある。まったく、どこにいても絵になる男だな。いつまでも鑑賞していたいが、今は教会で宗教画を眺めているのではなく、河原でキャンプ中だ。日差しが強くなる前に起床せねば。朝食は、昨夜のBBQで残しておいたステーキ肉を使ったホットサンドウィッチだった。コーヒーはヒューゴがアルミのボトルに入れて、川の水で冷やしてくれていた。天然のアイスコーヒーだ。「今日は何する?」サンドウィッチを頬張るおれにヒューゴが尋ねてくる。肉とチーズの他に缶詰のベイクドビーンズが入っていて、それがなんとも言えないアウトドア風味を出している。最高に美味い。「ゴーグル買ってきたから、水の中で魚を見たい。予定はそれだけ」「魚を獲ってみるのは?」「釣具買ってきたの?」「いや、手掴み。僕のやり方が日本の魚に通用するか試したい」「面白そうだな」「捕れたらお昼は魚を食べよう」朝食を食べ終えたおれたちは河に入り、膝より低い水位でゴツゴツと岩が突き出た浅瀬へ、そーっと移動する。料理のできないおれにとっては、生の魚を触ることからもう初めてだ。「あっ」少し大きな声を出してしまい、ヒューゴにシーっと注意される。ビャッと足元で素早く動くものが岩の下へ潜り込んだんだ。「岩の下に手を入れて、魚に触れたら、腹側をそっと何度か撫でる。魚が動かなくなるから、そこを両手で掴む。やってみて」魚の影が入り込んだ岩の下にゆっくり両手を入れて探る。手に、ぬるりとして張りがあるものが触る。ヒューゴに教わった通りに腹をくすぐるように撫でると、たしかに魚の動きが止まった。いまだ!と両手で
Last Updated: 2025-09-03
世界で最も難解なアルゴリズム

世界で最も難解なアルゴリズム

部下に恋をするなんて、あるはずがなかった。 それなのに、彼のまっすぐな眼差しに、無防備な笑顔に、心が、身体が、抗えず揺れていく。 IT企業の技術責任者・音川は、冷静沈着にして論理的思考の持ち主。 ヨーロッパの血を引く美貌と、仕事に対する誠実さで周囲を魅了するが、社内恋愛などもってのほかの堅物。孤高の男だった。 そんな彼の理性の均衡が、一人の部下——泉によって静かに崩れていく。 屈託のない素直さと、理屈では測れない鬼才を併せ持つ稀有な存在で—— 彼の笑顔に、沈黙に、音川は揺らぐ心を止められない。
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Chapter: #39 Home, Sweet Home
そうして、飛行機の予定時刻まで、ふたりはラウンジでゆっくりと会話を楽しむことにした。テーブルには、それぞれ好きなものをビュッフェから持ってきており、音川は一口サイズのケーキをいくつか、泉は数種類のコールドサラダに牛肉の煮込みと、アメリカンなセレクトだった。音川は泉の帰国便を自分と同じフライトに変更し、イーサンには「彼を連れて帰る」とだけメールで知らせておいた。彼が社に対して行ったことと同じような通達のみになるが、泉が残っても、イーサンに利用されるだけであると判断した。そもそも、本来の研修内容はすでに修了しており、会社間において実害は何もなければ、文句を言われる筋合いも無かった。「かわいいね」音川は塊肉をもぐもぐと頬張る恋人を見つめながら、そう呟いた。「リスみたいで、ですか」「ううん。きみが。可愛くてたまらない」「んぐ」泉は急いで水を飲み、むせそうになった呼吸を整える。「どうしたんです?急に……」「もう口をつぐんでおく必要がないのであれば、言いたい時に言う」「……それ、僕も同じことしていいですか?」音川はそう返され、視線を合わせたまま微かに首を傾げた。「俺に可愛い要素があるならな」「眼の前に甘いものを並べてニコニコしている音川さん、可愛い要素しかないです」今度は音川が声に詰まる番だった。「……ただの甘党です」泉がクスクスと笑い、「音川さんはかっこよくて可愛いです」とまっすぐに目を見つめたまま言うと、音川は小さく唸り声を上げて、後頭部に手をやった。その照れる様子がめずらしく、泉は目を細める。まもなくして、搭乗ゲートが開いたとアナウンスがあった。「そうだ」並んで機上の人となって幾時間も経たずに、音川は思いついたように、自分の左手首から腕時計を外すと、「俺だと思って持ってて」と泉の手首に巻き付けた。ブレスレットの留め具を抑える衝撃に少し顔を
Last Updated: 2025-12-19
Chapter: #38 誰にも渡さない
部屋に入りドアを後ろ手に閉めるなり、音川は泉を抱きしめた。頭に顎を軽く乗せ、ふわりと柔らかな髪の毛に顔を埋めて軽く深呼吸をする。 その上下する肺に、泉は頬を寄せた。「メールありがとう。とても嬉しかった。何度も、読み返したよ」泉は、胸部に響く深い声に身体を震わせる。 このままずっとこうしていたいと思ったが、ふっと足が地面から浮いて、音川に持ち上げられるようにしてベッド脇まで押され、その場に座らされる。 床から天井まで伸びるガラス窓に沿って置かれたベッドは、まるでマンハッタンの夜景の中心に浮いているかのようだ。 泉は少しだけ足がすくむのを感じた。 それは、高所にいるための本能的な恐怖だけでなく、これから起ころうとしていることへの、期待と——少しの不安も混じっていた。 泉は油断すると震えそうになる身体にきゅっと力を入れ、歯を食いしばる。「どうした?神妙な顔して」音川はそんな泉の様子を少し気にして、ジャケットを脱ぎながら尋ねた。 そんな仕草ですら、泉の目線を捉えて離さない。「あ……いえ。音川さんが、いつもより素敵で……スーツ姿、初めてだなと」「ああ、うん」「仕事のついで、とか……?」音川は鼻で笑い、向かいに布張りの椅子を引っ張ってくると、どかりと腰を下ろした。「なわけねぇだろ」音川は、泉の手をそっと持ち上げて、自分の両手を重ねた。「……あんなメール貰って、家でじっとしてられるかよ。きみが欲しいと言ってくれたものを、持ってきたんだ」肺を空気で満たし、たくましい胸が上がる。「泉。遅くなって、本当に申し訳ないと思っている。……俺は、上司であることを理由に、気持ちを抑え込んで……愚かなことだった。告白してもらうまで、そんなことにすら気が付かなかった。こんな男でよければ……俺は、きみの恋人になりたい」泉の身体を、歓喜の波が覆った。 全身が湧き立つような熱に包まれて、何も考えられなくなる。 ただ、嬉しい。それだけが、身体の奥から溢れ出して止まらない。 微かに震える身体で音川の手をしっかりと握り返し、グリーンに輝く瞳に目線を合わせる。 目元は情熱をはらんで力強く、しかし瞳の奥には微かな不安の影が揺れているようにも見えた。 泉は、握った手を自分の口元に持っていき、音川の手の甲に口づけた。「はい……。これからは恋
Last Updated: 2025-12-03
Chapter: #37 夜を走る衝動の名 -3-
出発時刻とほぼ同時刻にJFK空港に降り立った音川は、時差のせいでこのフライト時間がゼロになることに少々不満を覚えた。運良くビジネスクラスに空席があったが、あまり眠れないたちだから長時間のフライトはそれなりに辛い。入国手続を通過し、タクシーに乗り込んで行き先を指定する。地図によれば、泉が滞在しているホテルまで30分程度で着くはずだ。高屋から入手した研修計画書によれば、すでに今日の行程は1時間以上前に終わっている。ホテルに到着した音川は、周りには目もくれずにつかつかとレセプションに向かい、自身の予約を告げてチェックインを申し出た。対応の女性スタッフは端末を確認しながら、「NYCをたった1泊で終わらせるなんて」と笑顔で冗談を投げかける。それに微笑を浮かべて、「しかも、1泊3日で東京NYの往復だと言ったら?」と返すと、彼女は「オーマイゴッド!」とアメリカ文化のステレオタイプさながらに大きな反応を見せてくれ、音川は笑みを強めた。カードキーで部屋をアンロックし、とりあえずシャワーを浴びて冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。非常によく冷えた液体が、頭の芯から身体を巡ってリフレッシュを促すようだ。しかし、それは音川の内心に付いた火を消すには至らない。ここまで突き動かされたのは一重に、堪えきれないほどの泉への恋心だった。音川はフライトの疲れが顔に出ていないか確認しながら身繕いをし、持参したスーツに着替えた。ノーネクタイだが、上質なシルクは引き締まった長駆と相まって品位を高める。鏡に、泉のために整えられた音川の姿が映る。無頓着な美貌に本人の意図が加えられたことで、その姿には、神々の彫像にも似た威厳が与えられていた。ゆるいウェーブがかった前髪は後ろへ撫でつけられ、カラスの羽のように艷やかで、白いドレスシャツから覗く喉元からは男の色香が立ち上る。肩幅は広く、腰は引き締まり、衣の下に潜む彫刻のような肉体を容易に想像させる。瞳は新緑のグリーンに輝き、視線を向けられた者はその鋭さに息を呑むだろう。だが音川の美は、冷たく遠いものではない。美貌というには生々しく、肉体というには洗練されていて&m
Last Updated: 2025-11-14
Chapter: #36 夜を走る衝動の名 -2-
音川は遅い夏季休暇を申請し、副業であるAI開発に昼夜を忘れて没頭していた。泉がNYに発って1週間が過ぎようとしていた。 結局、出張について本人から聞かされていないままであったが、音川はそれを責める気など皆無で、ただ事実を受け入れていた。——平静なのか、と尋ねられれば、決してそうではない。 だから、休暇を申請してまで開発に没頭しているのだ。彼が音川に知らせなかった意味について、考える隙を自分に与えないために。リビングの窓を開け放し、どこか哀愁をはらんでいる夕暮れの風に吹かれながらソファに身体を沈め、視線は、コーヒーテーブルに置いたノートパソコンの画面に落とされていた。傍らには愛猫のマックスが背中をぴたりとくっつけて眠っている。 ようやく、泉が帰って来ないことを学習したようで、最近はドアの方向を向いて待ち続けることも少なくなった。音川は画面から視線を外して窓の外を見てみるが、どうしてもすぐにまた目が戻る。——そこには泉から届いたメールが、未読のままでおかれてあった。公私問わず返信を引き伸ばさない習慣を持つ音川であるが、今朝、個人のアドレス宛に届いたこのメールだけは、まだ開くことができずにいる。 しかし——読まずに削除する、という選択肢はありえない。音川はことさら大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出してから、そのメールにカーソルを滑らせ、クリックした。メールを開いた瞬間、音川の心臓が、ゆっくりと軋むように動いた。 息をするのも忘れて、指先がわずかに震える。 読み終えるまで数分かける。 一行ずつ、噛みしめるように読んで、読み終えた頃には、もう一度最初から読み返していた。 ——画面の光が滲んで、文字が霞む。 音川さん今、ホテルの部屋で、このメールを書いています。やっぱり言っておけばよかったと、いまさら後悔しています。 出張のことも、僕がそれを話せなかった理由も、全部。 ですが…… 音川さんの目に、独りで突き進んでしまっている自分がどう映るのか。 どこまで、音川さんの過
Last Updated: 2025-11-14
Chapter: #35 夜を走る衝動の名 -1-
部屋のドアをノックする音がしたのは、泉が今日の研修の内容を整理し終えたちょうどそのときだった。「……どなたですか?」ドア越しに声をかけると、陽気な英語の返事が返ってくる。「Dinner delivery from a concerned colleague. Open up, Izumi.」泉は一瞬、言葉を失った。わざわざ届けに……?訝しげにドアを開けると、昼間と同じスーツ姿のイーサンが紙袋を片手に、にこやかに立っていた。「ちょうどこの時間、小腹が空く頃だと思ってね。 日本と違って、こっちは夜の始まりが早いから」彼は勝手知ったる様子で部屋に一歩踏み込もうとし――泉が無言で体を一歩引く。その動きを見て、イーサンは立ち止まり、苦笑いのような表情を浮かべた。「そんなに警戒しなくても」「……夜、部屋に男性を入れるなと言ったのはあなただったように思いますが」「うかうか訪れて行くのを止したほうがいい、と忠告したまで」イーサンは近くの高級デリで購入してきたラップサンドとクラフトビールが入った紙袋をテーブルに置きながら、まるでジョークのように肩をすくめた。「その気なら、こんな仕事帰りの姿でビールぶら下げて来たりしないさ。きちんと花束を持って、良い店に誘いに来るよ。それに、オトカワから遠く離したことを利用して、手を出そうなんて思っちゃいない」「それなら……いいです。でもわざわざ……」泉は眉をひそめながら、内心では、自分の居場所を気にかけてくれる存在が今、ここにいることに気づいていた。「近くを通ったんでね。それに正直に言うと——君に会わずに、今日を終わらせたくなかった」その言葉に、泉の心は小さく波立った。どう返せばいいのか、わからない。ストレートな言葉が、胸に踏み込んでくる。イーサンはビールの蓋を開け、泉のグ
Last Updated: 2025-11-14
Chapter: #34 それぞれの夜
「ふーん。悶々としてるのは、格好つけて帰ってきたからか」ヒューゴは目を細め、カウンター越しにからかうような声を投げかけた。「うるさい」音川はラムのボトルをおろして、カウンターの端でヒューゴ相手に飲んでいた。 高屋から誘われてヒューゴの店に夕飯がてら飲みに来てみたら、根堀葉掘りとあれこれ聞かれ、週末に東京へ足を運んだことや、泉との心の交流について洗いざらい吐かされてしまった。 ヒューゴが寡黙なバーテンダーでいられるのは、どうやら一般客に対してだけらしい。元々はかなりの話好きで、水商売の聞き上手も兼ね備えている。 音川はポーランドの大学に居た頃に知り合ったスウェーデン人たちを思い出していた。周辺国と比べると北欧人らしさは薄いが、物事の捉え方や価値観の傾向については、ドイツやフランスといった中央の人々よりヨーロッパ的思考の持ち主が多い印象だ。論理や理屈を重視し、平等と透明性を尊重する音川にとって、彼らとの付き合いは心地の良いものだった。 しかし、個人よりも周囲との調和を保とうとする日本人としては、時に行き過ぎた個人主義に出会うと疑問を抱くこともあった。それでも、同調圧力に屈するより遥かにマシだが。 その点、ヒューゴは日本育ちのためか協調性と個人主義のちょうどよいバランスを保っており、同じくどちらも理解できる音川は、彼との会話に並々ならぬ気安さを感じていた。「あのね、クバ。君みたいな顔なら、これまでは誰かを口説く必要なんてなかったんだろうけど……今の状況を考えるとね」「分かってるよ。泉が部下じゃなければ……あの場で抱いてる」「いいねぇ。そうやって苦悩しながら独りで飲んでくれていると、クバ目当ての客が増える一方だ。最高のロックフォーゲルとしてチップを渡さなければいけないな」「『サクラ』っつーんだよ日本語では。君ら狩猟民族と違ってこっちは情緒があるだろ」「50%だけのくせに、言うね」音川は向かいでグラスを拭いている北欧貴族のようなバーテンダーに目をやり、薄く笑った。礼儀正しい日本人相手では出てこないジョークだ。「俺もお前も、心は100%日本人だよ」
Last Updated: 2025-10-18
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