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百鬼夜行⑭

作者: 佐藤紗良
last update 最終更新日: 2025-05-30 21:17:27

「佐加江。カルテの整理はそれくらいでいいから、夕飯の支度を頼んでもいいか。 往診へ行ってくるから」

「あの、おじさん」

青藍の元へ逃げ出す機会は、全くなかった。

診療所を手伝っていた佐加江は、着ていたカーディガンの前を合わせる。浩太が面白がって、佐加江の裁縫道具の中にあったミシン糸で両の乳首を縛りあげているからだ。シャツに擦れるだけで、身体がビクッと打ち震える程に佐加江の身体は作り変えられていた。

「あの、お塩がなくて、買ってこないといけないから出かけてもいい?」

「往診に行きながら買ってくるよ。太田さんのところだから、すぐ帰れば夕飯の支度には間に合うだろ」

「あ、うん。あの……」

「具合でも悪いか、佐加江」

ほてった顔をした佐加江を心配して、越乃が額に手を当てた。それを払うように首を横へ振り、越乃の手が肩に降りてきただけで佐加江の鼓動は早くなっていた。

「じゃぁ、行ってくるよ」

夕飯後、神事の準備で村の寄り合いに出る事が多くなった越乃は、家で起こっていることに気付いていない。

浩太は巧妙に世間知らずな元上司の息子を演じ、佐加江の前でだけ本性をあらわにする。

「佐加江さん。さっき越乃さんに何か言おうとしただろう」

「僕は、何も……」

越乃が診療所を出ると同時に浩太が足音を立て、誰もいない診療所へ入ってきた。

足早に佐加江は台所へ向かうが、浩太は診療所から戻って来ない。引き出しなどを開ける音が聞こえ、気になってそっと覗くと何やら探している様子の浩太は、デスク下の金庫を睨みつけていた。

「こ、ここは、おじさんの診療所よ。お願いだから、おじさんに迷惑かけるような事だけは……」

佐加江は爪を噛んだ。

「この中身、何か知ってる?」

佐加江は「知らない」と答え、夕飯の支度を始めた。

服で隠れる所を浩太は何度も殴る。

特に下腹部は身体が壊れるのではないかと思うほど、サッカーのキーパーが敵のゴールラインを目指すような勢いで蹴るのだ。

「なぁ」

台所へ入ってきた浩太に佐加江の身体は強張り、手にしていた包丁を落としてしまった。けたたましい音を立て、避ける間もなかった佐加江の爪先の数センチ先へ落ちる。

「ごめんなさい、ごめんなさい! 蹴らないで」

腹を抱えてしゃがみ込んだ佐加江の怯えた態度が浩太は気に入らなかったのか、訴えも虚しくいつものように佐加江は
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  • あやかし百鬼夜行   蓮華草の花言葉⑧

    窓枠がピシッと音を立て、床が軋む。屋敷の歪みが無くなったのだ。ヌエの鳴き声が聞こえなくなった部屋は、時計の針も止まり無音になった。「んー…」 それに気付かず、佐加江は爪を噛みながら膝を抱え、貧乏ゆすりのように身体を揺らしていた。鼻腔を通る空気さえ、熱がこもっているような気がする。「佐加江」 扉の向こうで、拳を噛んだ青藍が荒ぶる呼吸を整えようと肩を大きく揺らしていた。「佐加江。結界を張ったので大丈夫ですよ、安心なさい。昼間から芳しい匂いが漂っていたので、蘇芳に気付かれてしまいましたが。ここを開けてください、佐加江」「気づいていたなら、もっと早く」「ふふ。いつもやられっ放しの蘇芳に、少しだけ自慢したかったのです。私の番の香りを。しっかりとした紋になるまでは、芳香が他の丙に漏れてしまうようですね。気を付けねばなりません」 濃厚になっていくフェロモンに誘われるように、青藍は我慢できず書斎から駆け上がって来たのだ。蘇芳を帰し、屋敷に結界を張った青藍は、扉の隙間から香ってくる濃密な芳香に鼻を寄せる。青藍の陰茎は痛いほど起立しており、佐加江を連れ帰った時と同じだった。 耳とうを失ったせいか、フェロモンに敏感すぎる身体。初めての佐加江の発情では抑えが利いたが、青藍も今はただの欲の塊だった。「はしたなくて、ごめんなさい」「ならば、私は薄情者です。裁きが下るまでは、佐加江に触れぬようにと思っていたのに、我慢できそうにありません」「裁きって……」「嫌われるような事はしたくない。佐加江、ここを開けてください。発情でつらいのは、佐加江だけではないのですよ。お前が欲しくて欲しくて……、どうにかなってしまいそうです」 しばらくして、返事代わりのようにカチっと鍵が開く音する。青藍が扉をそっと開けると、そこには頬を上気させ、目をトロンとさせた佐加江がぺたりと床に尻をつけ座っていた。「佐加江、……大丈夫ですか」 まるで花が昆虫を誘い込む

  • あやかし百鬼夜行   蓮華草の花言葉⑦

    青藍と蘇芳の夕飯の支度をした佐加江は、寝巻き代わりの浴衣へ着替え、早めにベッドへ入った。 あの後、青藍の書斎を出た佐加江は真っすぐに隣の桐生の元へ向かった。『桐生さん』 『どうした?』『あの、……発情抑制薬、持ってますか?』『持ってないよ。使った事ないし、佐加江君だってもう必要ないでしょ? 鬼君と番になったんだから』 窓の外で、ヌエがヒョーヒョーと鳴いている。この声を聞くと、あやかしは夜が来たと眠るのだが、その勇ましい遠吠えが佐加江には人の声のように聞こえる。「怖いよ」「寂しいよ」と物悲しくて寝つけなくなってしまうのだ。鬼治で聞いたフクロウの鳴き声に、そんな哀愁を感じたことはないのに。 佐加江は、布団をかぶり目をつむって爪を噛んだ。いつから、そんな癖があったのか覚えがないのだが、気がつくとそうしていることが多い。(姿を見られず鬼治へ行く方法がないか、青藍に聞いてみよう……。部屋がそのままだったら、抑制薬がまだあるはずだし) なんとなくではあるが、発情の予感はあった。ただ、青藍は気づいていないようだったから、気のせいかもしれない。 青藍がいない間に発情してしまったら、と思うと不安で仕方がなかった。「はぁ……」 下腹部が書斎を出たころから、チリチリしている。微熱もあるような気がした。ソワソワと落ち着かず、膝を曲げて丸くなった佐加江は、七日後には青藍が家を空けると言う間の悪さを感じていた。 寝巻きの膝の間へ無意識に手を滑り込ませた自分の行動に、神事の事を断片的に思い出した佐加江は震えた。そして、また爪を噛んでしまう。「んふ」 起き上がるだけでも寝巻きが乳首に擦れ、声がもれる。佐加江はベッドから降り、よろよろと歩いて寝室の鍵をかけた。我を忘れてしまう行為が怖いと思ったからだ。欲のまま、村人の萎びた性器に悦んでいた自分がいたのは事実だった。 初めて青藍に抱かれた時よりも、いやらしくなっている自覚はある。そん

  • あやかし百鬼夜行   蓮華草の花言葉⑥

    この世は、昼も夜も逢魔が時の空の色。 時間の感覚が鈍くなるから人は体調を崩しやすい、と桐生の助言を聞いた青藍が雑貨屋で様々なものを買ってくる。人の世の時計、カレンダーなど、庭が見渡せる寝室には物が少しづつ増えていった。 時計の類いは誰でも知っているような有名メーカーの品物ばかりなのに、朝、起きると決まって二時五十七分。日めくりカレンダーは、鬼治で神事が行われた日になっている。しかし、じっと見つめていると、時計はクルクル回りだし、雪のように千切れた日めくりカレンダーもバサバサと捲れあがって、人の世の今になる。 町を歩けば、あやかしばかり。今さら驚くこともないのだが、いったいそれが何を意味しているのかは、謎だった。「蘇芳。お前は、いつまでいるのですか」 「たまに、あっちの様子は見に行ってるから平気だ。死神もここで仕事が二つ済むんだから、大助かりだろ」 盆を手に、佐加江は書斎のある地下へと降りて行く。通った後には、ふわっと幸せな匂いが漂っていた。「青藍、お昼にパンを焼いたの。食べる?」 首の傷はまだ癒えないが、佐加江は桐生と買い物に行ったり、庭で仔狐と遊んだり、好きな花を眺めたりと穏やかな時間を過ごしている。「入って平気ですよ」 書斎の扉をノックして待っていると、青藍の声がしたのに出てきたのは蘇芳だった。本当に二人は良く似ている。角を隠して、目と髪の色を同じにしたらそっくりだ。「ぱん?」 焼きたてを、と冷めないように掛けていた布をとった蘇芳が、一番きれいに焼き色がついた見栄えの良いミルクパンを大きな口に頬張る。それは、青藍に食べて欲しかったパンだ。「こんなの腹の足しにならねぇな」 「別に蘇芳様の為に焼いたわけじゃ……」「お前も、言うようになったねぇ」 青藍は盆にのったパンを、餅のようだと眺めている。「佐加江、これがパンというものですか」 「うん。乾物屋さんで干しブドウ

  • あやかし百鬼夜行   蓮華草の花言葉⑤

    「優しいって、最強」 大好きな酒を控えている桐生は、蘇芳の盃につけた指先をペロっと舐めていた。「はぁ?」 「蘇芳はさ、まだ分からないんだよ。優しさってね、怒鳴られたり罵られるよりも、悔いたり反省するものなのよ」「何の話してるんだ、桐生」「今回のこと。いつか事実を知ったら佐加江君、たくさん後悔することってあると思うんだ。――だから、見逃してやってよ」「大裁きの事か?」 いつもキツイ顔をしている桐生が穏やかな表情を浮かべている。腹に子が宿ると表情が柔らかくなる。それは男でも女でもだ。まだ嫁のいない蘇芳は、それをいつも不思議な気持ちで眺めていた。「……大裁きは俺が決めたことじゃない。親父様方が決めたことだ」 「ほんと鬼」 「鬼だよ、俺は」 ククッと笑った蘇芳が盃を煽り、そのまま寝転んで苦虫を潰したように口をへの字に曲げている。「まあ、なんつうか……。人のする事の方が鬼じゃね?ひと昔前の俺らがしていたことより酷い」「いつか、天狐が太郎を連れて佐加江君に会いに行ったの。やせ細った姿が見ていられなかったって、珍しく落ち込んでたな」「あいつが人を番にするって、大切な人だって、そりゃあ嬉しそうに話してたから、俺も佐加江って奴がどんな人間か気になって水鏡でずっと見てたんだわ」「ねぇ!そんな方法あるなら、なんで鬼君に教えてあげないの?めっちゃアナログよ、鬼君」 「人のすることだ、見えても手出しはできねえ。それに今回は佐加江の意志が固くて、俺らは何もしてやれなかったんだ。それは天狐も同じだろ」 縁側に寄ってきた仔狐たちは、蘇芳がつまんでいる鰹のなまり節が気になるようで、クンクンと匂いをかいでいる。「あの村でそんな事が起こってたなんて、知らなかったよ。俺も天狐に連れ出されなかったら、どうなってたか」「親父様方に進言したぜ、俺は。村の奴等の方が地獄に落ちるべきだって」

  • あやかし百鬼夜行   蓮華草の花言葉④

    「首の傷よりも、この癒えぬ腹の痣のほうが良くありません。怨念がこもっていて、天狐様もいろいろ試してくださったのですが、閻魔様にも解く方法がないか聞いてみます」「うん。ありがとう」 佐加江は腹に添えられた青藍の手に、手を重ねた。「湯加減がちょうど良くて気持ちいいから、入っても平気?」「湯あたりが心配なので、少しだけですよ」 青藍の膝に乗せられ、滑りのある湯に腰までゆっくりと浸かった。佐加江が手を伸ばし角に湯を掛けると、気持ち良さげ青藍は目を細めている。と、奥の方で水音がし、ゆらりと動く影が見えた。「蘇芳、まだいたのですか」「イチャイチャしてる阿保が入ってきたから、奥まで行って戻ってきた。お前ら、ムカつくな!クソ面白くねえ」 ザバザバと飛沫をあげながら歩いてくる蘇芳にきちんと挨拶せねば、と緊張した佐加江は爪を噛んでいた。「あ、あの。先ほどは失礼しました。僕、佐加江と言い……」 「やはり、美味そうな人間だ」 まるで子供をあやすように脇の下を大きな手が掴み、持ち上げられた佐加江は蘇芳と目線が同じになった。「やめてください、蘇芳」「風呂で着物はねぇよ、裸の付き合いだ」「あ……っ、やめて」 腰ひもをスルッと解かれた佐加江は、寝間着を脱がされてしまった。「みんな色々な事情があるだろう」 蘇芳から引き離され、宙ぶらりん状態の佐加江は、舌なめずりをする蘇芳の視線を避けるように、胸と股間を必死に隠していた。「青藍……、蘇芳様から丸見え」 「す、すまない!」 湯に降ろされると思ったよりも深い。ススッと淵に寄り、ふたりに背中を向けた佐加江の頭は蘇芳にワシャワシャと撫で回される。まるで犬や猫に対する扱いだ。「佐加江。もう一度、俺様の事を呼んでみろ」「蘇芳様」 蘇芳がぱあっと表情を輝かせる。普段、地獄で野太い声でし

  • あやかし百鬼夜行   蓮華草の花言葉③

    「そんな醜い紋、人の世では後ろ指をさされるでしょう」 耳とうを引きちぎった青藍の耳は多少、変形はあるものの元の形に戻りつつある。が、そこへ真鍮を通す穴はまだ開けられず、欠けた角はそのままだった。「噛んでくれたんだ……」 青藍の予想に反して、佐加江は嬉しそうな顔をしていた。胸を隠すように寝巻きの肩をずり下ろし、立っていられないのか、その場に座り込んで背中を見ようとしている。その色香に当てられ体温が急上昇した青藍は、風呂へ入る前から湯当たりしてしまったようだった。「一生、消えませんからね!」 「うん」 青藍はつい語尾が強くなってしまう。どうしたら良いのか分からないのだ。番になれないと言われたのに、強引に噛み付いてしまった。罵られる覚悟で、身構えていた青藍は拍子抜けだった。「発情のたびに噛み付くと、だんだんと色が濃くなって」「嬉しい」 少し伸びた髪を除けるようにして、佐加江は指先で紋をなぞっていた。梵字のようなそれは薄墨色で浮き出し、白い肌にできたシミのようだ。人の世で先の時代に罪人へ彫られた刺青のようにも見える。「その紋がある以上、私から離れられませんよ」 「青藍、ありがとう。番にしてくれて」 歓喜に震え、血色を良くした佐加江の頬、赤い唇、白い肌――。どれもが鬼の大好物だった。「もう、どこへも行かない。僕、青藍とずっと一緒にいる。髪の毛が真っ白になって皺だらけになっても、ずーっと傍にいる」「佐加江……」 青藍は、次の言葉が見つからなくなってしまった。なんとなくではあるが、桐生が言っていた「積極的に」の言葉が腑に落ちる。 寝巻きの裾を腰紐に挟み込み、青藍は佐加江を湯が溢れる淵へと座らせた。「疲れたら、言ってください」 「うん。すごく広いお風呂だね」 少しだけ明るい表情を見せるようになった佐加江は、手を湯の中に浸していた。「ここは、

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