夜は明け、太陽の光が屋敷を照らしていく。
昨日の惨劇が嘘のような穏やかな日常。屋根の瓦に太陽が反射してキラッと輝くと、小鳥たちが飛び立った。
雛はいつも通り身支度を済ませると庭の前を通った。
いつもは必ず朝食の前、庭で朝練をしている伊藤が今日は見当たらない。 不思議に思った雛は、伊藤の部屋へと向かった。部屋の前で立ち止まると声をかける。
「おはようございます。――伊藤さん? 体調でも悪いんですか?」
返事がない。
雛は障子を開けた。
「え……」
血に染まった畳の上に人が倒れている。
血なまぐさい匂いが鼻をついた。倒れている人物の胸には、真っ直ぐに刀が突き刺さったまま。
雛はゆっくりとその人物を見つめた。「い、とう……さん?」
雛は震える体で、ゆっくりと伊藤へ近づいていく。
伊藤の近くでしゃがみ込むと、雛の手足に血がついた。
雛は自分の手についた血と伊藤の顔を交互に見つめる。そして、大きく目を見開く。
「伊藤さん!! 伊藤さん! なんで……どうしてっ!」
雛は伊藤の体をやみくもに揺すった。
しかし、反応はない。 手にはべっとりと伊藤の血がからみついてくる。 それでも、懸命に雛は伊藤を揺すり続けた。そうすることしか、今の雛には考えつかない。
どうか、生きていて、目を覚まして! そう願うことしか……。「伊藤さん! 誰か、誰か! 誰かっ!!」
雛の悲痛な叫びを聞きつけ、神威がすぐに駆けつける。
「どうした! いったい何があった?」
神威は一瞬、伊藤の姿に驚いた表情をしたが、すぐに冷静さを取り戻すと雛の側へ駆け寄った。
そのすぐあとから宇随が駆けつけた。「なんでっ……どうしてこんなっ」
その惨状を目にした宇随は息を呑み、ただ茫然と見つめている。
神威はすぐに伊藤の
二人が交差する。「っ……」 山本はその場にゆっくりと崩れ落ちていった。 神威は刀を鞘に納め、振り返る。 まだ息のある山本が必死で立ち上がろうとしていた。が、足が思うように動かせないのか、生まれたての小鹿野ように足が震えていた。 手の力だけで上半身をなんとか起こし、神威を睨みつけてくる。「山本、俺はおまえを殺さない。 おまえの足は二度と動かないだろう。 これからは、動かないその足と共に、人の痛みを知り、足掻きながら必死に生きてみろ。 ……それが、俺からの復讐だ」 神威は山本に背を向けると、雛の肩を抱きその場を離れようとする。「おい! 待てっ! 許さん! 俺はおまえらを一生許さないからな! 見てろよ、いつか必ずおまえらを地獄に送ってやる!」 地面に這いつくばりながら、喚き散らす山本。 そんな山本を雛はじっと見つめていた。「どうした? あいつに何か言いたいのか?」 神威が問いかけると、雛は神妙に頷いた。 ゆっくりと山本の側へ行き、そっと語りかける。「私はあなたを絶対許しません。 ……でも、私はあなたのことが嫌いではありませんでした。 私に突っかかってくるあなたは、とても人間らしいと思っていたから」 その言葉に、山本の目は大きく開き、視線は雛に向けられた。「人間は負の感情を持つものです。人を妬んだり恨んだり貶めたり。 それを正直に隠さず表現するあなたを、私は信頼できる人間だと思った。 その感情に嘘をついて偽りの姿を見せる人より、私は好きでした」 雛は少しだけ微笑み、優しい眼差しを山本に向けた。 その瞳は純粋で、嘘がないように思えた。「私はあなたと共に夢を抱き、共に生きたかった。 もっと違う形で出会っていたら、いい仲間になれたのでしょうか? ――私はあなたを待っています。もし会いたくなったら、いつでも会いに来てください」 雛と山本の瞳が重なる。
「ははっ、やっぱりな、おまえ女だろ?」 勝ち誇ったような山本を悔しそうに睨む雛。「そんな華奢な体で、男たち相手によく今まで戦ってきたよ、褒めてやる。 しかもその強さ、おまえは天才だ! ……だから余計に腹が立つ。俺より強い女なんて許せねえ。 おまえはここで死んでもらう!」 山本は雛に猛攻撃をしかける。 攻撃の中で、彼は雛の着物をさらに切り刻んでくる。 女であることを言い当てられたことに動揺し、肌を露出していることに気をとられていた雛は、いつもの実力を出せず山本に押されていた。「くっ、この卑怯者!」 雛が山本の攻撃をかわしながら言い返す。「はっ、なんとでも言えばいいさ。 おまえの弱点は女だけじゃないぜ、その甘さもだ!」 彼は雛が本気で山本を殺そうとしていないことを感じ取っていた。 山本は雛の胸を触ろうとする。 雛はその手に気を取られ、ガードが甘くなった。 山本はその隙を狙い、今度は足に仕込んでいた刃を使い、雛の太ももを刺した。「いっ――!」 雛は呻き、山本から急いで距離を取る。 雛が自分の太ももに目をやると、衣服にじわりと血が滲んでいた。 少し深いところまで刃がいったようだ、かなりの痛みを感じ雛は顔をしかめた。「おまえの弱点は女ということと、その甘さだ! 優しさだかなんだか知らないが、おまえも伊藤と同じ愚か者だ! 人のことばかり考えているから、殺されるんだっ」 山本はお腹を抱え、可笑しそうに笑っている。 雛は悔しかった。 こんなにも女であることを悔やんだことはない。 刺された足に力を入れると痛みが走った。 これはかなりやばい展開だ。 早く決着をつけないと……覚悟を決めろ雛!「私のことはどう言われてもいい。だが、伊藤さんを馬鹿にするな!」 雛は痛む足を無視し、感情剥き出しで山本へ突っ込んでいく。「そういうと
圧倒的な数の敵を前にしても、雛、神威、宇随の三人は敵を次々になぎ倒していく。 しかし、隊のあとの二人はその数に押され、追い込まれていってしまう。 雛たちも自分の戦いに集中していて、二人のことを庇いきれずにいた。 そのうち、二人の行方はわからなくなってしまった。 皆がバラバラに誘導され、お互いの生死がわからなくなる。 それでも信じて突き進むしかない。 雛、神威、宇随は臆することなく快進撃を続けていった。 淡々と冷静に攻撃を交わしていく雛。 目の前の敵を斬り倒し、振り向きざまにまた斬る。 今度は二人がかりで斬りかかってきた男たちを、一太刀で吹き飛ばした。 次から次へと現れる刺客たち。 その中から山本が姿を現し、雛の前に立ちはだかった。「よう、斎藤。伊藤隊長は残念だったな」 山本はニヤニヤしながら、楽しそうにククッと笑った。 その言動に違和感を覚えた雛が眉をひそめる。「何? なんで伊藤さんのこと……」 雛たちだって、先ほど伊藤の死体を発見したばかりなのだ。 なぜ、山本が伊藤の死を知ることができたのか。「まさか――」 雛の驚く顔を眺め、山本が嬉しそうに笑った。「やっと気づいたか? そうだよ、俺だ。俺が伊藤を殺した! 俺は黒川様の手下で、おまえらは駒だったんだよ! もうおまえら用済みだそうだ」 舌なめずりしながら、山本は下衆な笑い方をする。 雛の身体は硬直し、一瞬頭が真っ白になった。 目の焦点も定まらない。「な、に……? 何を言っているの」 頭がついていかない雛は、どこかぼーっとした表情で山本を見つめている。 そんな雛の様子に、山本は恍惚と微笑んだ。「くくくっ、ほんとおまえらは馬鹿だよ。 伊藤も馬鹿だったなぁ。根が真っ直ぐというかお人よしというか、だから殺されるんだよ。 まあ、馬鹿な子
夜は明け、太陽の光が屋敷を照らしていく。 昨日の惨劇が嘘のような穏やかな日常。 屋根の瓦に太陽が反射してキラッと輝くと、小鳥たちが飛び立った。 雛はいつも通り身支度を済ませると庭の前を通った。 いつもは必ず朝食の前、庭で朝練をしている伊藤が今日は見当たらない。 不思議に思った雛は、伊藤の部屋へと向かった。 部屋の前で立ち止まると声をかける。「おはようございます。――伊藤さん? 体調でも悪いんですか?」 返事がない。 雛は障子を開けた。「え……」 血に染まった畳の上に人が倒れている。 血なまぐさい匂いが鼻をついた。 倒れている人物の胸には、真っ直ぐに刀が突き刺さったまま。 雛はゆっくりとその人物を見つめた。「い、とう……さん?」 雛は震える体で、ゆっくりと伊藤へ近づいていく。 伊藤の近くでしゃがみ込むと、雛の手足に血がついた。 雛は自分の手についた血と伊藤の顔を交互に見つめる。 そして、大きく目を見開く。「伊藤さん!! 伊藤さん! なんで……どうしてっ!」 雛は伊藤の体をやみくもに揺すった。 しかし、反応はない。 手にはべっとりと伊藤の血がからみついてくる。 それでも、懸命に雛は伊藤を揺すり続けた。 そうすることしか、今の雛には考えつかない。 どうか、生きていて、目を覚まして! そう願うことしか……。「伊藤さん! 誰か、誰か! 誰かっ!!」 雛の悲痛な叫びを聞きつけ、神威がすぐに駆けつける。「どうした! いったい何があった?」 神威は一瞬、伊藤の姿に驚いた表情をしたが、すぐに冷静さを取り戻すと雛の側へ駆け寄った。 そのすぐあとから宇随が駆けつけた。「なんでっ……どうしてこんなっ」 その惨状を目にした宇随は息を呑み、ただ茫然と見つめている。 神威はすぐに伊藤の
伊藤は雛に進言されて以来、黒川への疑念が日々強まっていることを自覚していた。 黒川のことを信頼している伊藤は、その気持ちを晴らすためにも、まずは黒川へ会いにいって直接本人の口から真実を聞きたいと考えた。 伊藤が黒川のもとを訪れると、黒川は快く迎え入れてくれる。「伊藤よ、最近のおまえの隊の活躍は目に見張るものがある。 特にあの斎藤、中村、高橋の活躍は目覚ましい。褒めて遣わすぞ」 新和隊の活躍のおかげもあり、黒川は名実共に、その存在を国中へ広めることに成功していた。「有難き幸せ。……僭越ながら、一つ黒川様にお聞きしたいことがあります」 「なんだ?」 「黒川様の命令にならい、たくさんの命を葬ってきました。 しかし、一向に国はよくなっていないように思うのです。民からも良い知らせはおろか、日々嘆きしか聞こえてきません。 本当に私たちがしていることは、正しいことなのでしょうか?」 その言葉を聞いた黒川の表情は一変した。「何? 貴様、何を言っているのかわかっているのかっ」 あからさまに不機嫌そうな態度に変わった黒川だったが、伊藤は挫けなかった。「失礼を承知で聞いております。 私たちは命をかけ、自分たちの信念のもとに任務をまっとうしているのです。 納得していないことには従えません」 「ふん、おまえたちはただ私の言うことを聞いていればいいのだ。 気分が悪い! おまえの顔など見たくない、帰れ!」 黒川はそれ以降、もう話も聞かず、口もきいてくれなくなってしまった。 伊藤は仕方なくその場はいったん引き、帰路へとついた。 その日から伊藤は、前にも増して黒川についての情報収集に勤しんでいた。 ありとあらゆる手段を駆使し、黒川について徹底的に調べあげていく。 そしてとうとう、伊藤は真実に辿り着いてしまった。「これは、なんてことだ……」 伊藤は、顔を手で覆い、俯き項垂れる。 その背中からは、焦りと悲壮感が滲み出ていた。
沈黙の中、雛は神威のことを考えていた。 前にも思ったが、本当に神威は私のことを女だとわかっていないのだろうか。 さっきは、裸を見なかった? いつも雛が裸の時、視線を逸らしているのは雛が女性だと気づいているからではないのか? 今回のことだって、男を心配して待っていたりするだろうか。 今までの神威の言動を考えると、彼は雛のことを女だと気づいている可能性が高い。 しかし、そうすると何で黙っていてくれるのだろう。 問い詰めたり責めたり誰かに言ったり、なぜしない? それは彼がすごく優しい人だから? 雛はそっと神威を盗み見る。 綺麗な顔―― その横顔に、雛は見惚れてしまった。「ん? ……どうした?」 神威が極上の微笑みを雛に向けてくる。 雛は顔が赤くなるのを隠すため、急いで顔を背けた。 あ、危ない。あの顔は反則だ。「いえ、なんでも」 「そう」 雛の心臓が早い速度で脈を打つ。 私、もしかして、もしかしなくても、神威さんのこと――。 雛はそのときようやく自分の気持ちに気づいた。 雛の顔が茹でダコのように真っ赤に染まっていく。 どうしよう、そんなことに気づいても、私は今、男なのに。 戦いに集中しないといけない。 恋なんかに現を抜かしていてはいけない。 雛は自分を戒めた。 ふと、雛の脳裏に、神威の婚約者である舞の顔が浮かんだ。 そう、そうだよ。 神威さんには、舞さんっていう立派な婚約者がいるんだ。 私がいくら好きになったって……。 それに今はこんな格好だし。 雛は自分の姿を改めて見つめる。 こんな男の格好して、刀を持って人を殺める女なんて、誰が好きになる? あの舞って人は女性らしく、清楚でおしとやかで――とっても女の子らしくて可愛かった。 はじめから結果は見えている。 雛が急に下を向き、落ち込