9階の窓の外に現れたエリさんに一人で駅裏の公園に来いと言われたので、人に会うのにトレーナーはどうかと思ったので制服に着替え、冬凪がシャワーを終える前に部屋を出た。心配するといけないのでコンビニで買い物して来るとメモを残した。エレベーターに乗ってそれがすぐばれる嘘だと気がついた。こっちのコンビニではリング端末は使えないし冬凪はあたしが現金を持っていないことを知っているから。でも今さら戻るのも面倒なのでそのままでいいことにした。ちょと心配するかもだけど帰って説明すればいいことだし。え? 帰れるよね。エリさんの登場の仕方、ちょっと変だったけども。
公園に行くのには駅構内を通れないので公園とは反対の青物市場側の高架下をくぐって大回りしなければならなかった。駅裏の公園は通称「ふれあい過ぎ公園」。カップルがイチャイチャしてることが多いからそう呼ばれているけれど、本当の名称は知らない。公園の入り口まで来るとそこに行方不明の少女のことが書かれた立て看があった。その時着ていたマイメロメロのパジャマの写真も掲載されている。ビニルが破れ、ずっと雨ざらしになっていたため苔が生えて詳細の文章までは読めなかった。辻沢では誰かがいなくなるなんて珍しくはない。少女だったり、女子高生だったり。いなくなれば青墓の杜や地下道に捜索の手が入るけれど決して見つかることはないのだった。「帰ってきた」辻川町長もその一人だった。今から会うエリさんが辻川ひまわりならば、行方不明の真相を聞けるかも知れない。 公園の中はテニスコートほどの空間で端にバスケットのゴールが一つだけあった。他には遊具もなく、真ん中の電灯の周りに植栽があってそれをぐるりと取り巻くベンチがあった。公園内にエリさんを探したけれどあたしのほうが先に来たようだった。ベンチに腰掛けて待つことにする。そこから柵の向こうにあたしが歩いてきた道が見えていた。 制服を着てきたものの、まだ五月、半袖ではやはり寒かった。時折吹いてくる風に乗って甘い香りが漂ってきていた。周りを見ると公園のすぐ後ろがニセアカシアの林だった。釣り鐘状の小さな白い花がいっぱい咲いていて、昼ならば花の近くでクマバチがフォバリングしいるのが見えたろう。 前に向き直ると隣に気配があった。そして強烈なニセアカシアの香りが鼻を襲った。鞠野フスキの口から鬼子とい言葉を聞いて、この人が残した『辻沢ノート』の鬼子のメモ書きを思い出した。それで今あたしが疑問に思っていることを聞いてみた。「鬼子っていったい何なんですか?」 鞠野フスキは一旦、冬凪に目を向けて肯くのを確認してから、「僕も全てを知ってるわけではないよ。でも調査した範囲で言うとだね」 ともったい付けてから、「潮時のことは知ってるかい?」 それはつい今さっき冬凪に聞いたばかりだった。「はい」「潮時にあの世とこの世が近づくということも?」 それは知らなかったので頭を横に振って応えた。「潮時になると、いつもは全く別の時空に存在する二つの世が月の魔力によって引き寄せられる。するとそこに死にきれぬ者たち、亡者たちが寄り集まってくるんだ。屍人や蛭人間、地縛霊のことだよ」 そうだったんだ。「その亡者たちをあの世に送るため、鬼子は潮時に発現して滅殺して回る。だから三途の川の奪衣婆という人もいる」 ダツエバって初めて聞く言葉だけど、なんだかおどろおどろしげだと思った。冬凪にダツエバって? と聞いたらバッキバキのスマフォで検索かけて画像を見せてくれた。それは薄汚れた衣を着た顔色の悪い山姥みたいな姿だった。これなの? 十六夜やあたしがこんなのだっての? 酷すぎ。「まあ、奪衣婆って言ってるのは僕だけなんだけどね」 は? なんなのこの人。「辻沢のヴァンパイアが殺した屍人を、鬼子があの世に送る役目を担わされてるとすると、眷属のライカンスロープとも言えるね」 ライカンスロープ。人狼か。そっちのほうがなんぼかいいけど、にじみ出る底辺感がなんか嫌い。 冬凪とあたしがスパゲッティを食べている間中、鞠野フスキは真っ赤な顔で鬼子やヴァンパイアについての持論を展開し続けた。興味はあったけど、あたしの脳内でVゲーニンのサンプリングギャグがリフレインしていたため耳に入らなかった。「ナポリタンは焦がしゃぁうめぇ。ナポリタンは焦がしゃぁうめぇ。ナポリタンは焦がしゃぁうめぇ」([SMP]千鳥 大悟)って。 ナポリタンを食べ終わり、カフェラテの上の山椒粉をスプーン
冬凪とあたしが鞠野フスキがいる席に移動すると、真っ赤な顔で、「辻女に帰っても食べるものがないと気づいてね。コインパーキングにホンダ・バモスTN360を置いて居酒屋に入ったら酔っ払っちゃって、今冷ましてるところ。ハハハ」 と勝手に言い訳を始めたのだった。そんなん知らんて。 お水とメニューとが運ばれて来ると、鞠野フスキがそれを店員さんから受け取って、「何でも好きなの注文しなさい」 とあたしにメニューを手渡した。冬凪に、いいの? と目でサインを送って確認をしたら、全然オッケーと目で返してきたので、遠慮無く注文することにした。メニューを見ると、上の方に「パスタ始めました」と書かれたラベルが貼ってあった。ここはイタ飯屋(死語構文)ではなかったのか? いったい今まで何を提供していたんだろう。ピザ専門店だった? それで始めたばかりのパスタのページを見てみると、流石は辻沢だけあって一番最初に山椒スパが大きく載っていて、山椒の実がコロコロとパスタの上に転がしてある写真が付いていた。でも、これはパス。カモミールスパゲッティだのスカンポピザだのこの時には流行だという雑草系も無理。結局、あたしは芋ジャーであることを最大限生かしトマトソースが飛び散る前提でナポリタンを、冬凪はタラコスパを注文した。あとカフェラテ二つ(シナモンで! 笑)。 しばらくして店員さんがトレーに料理を載せて来て、「ナポリタンの方は?」 手を上げる。「タラコスパの方は?」 冬凪が手を上げる。そしてカフェラテが二つ。カップの中を見ると明らかにシナモンでない粉が浮いていた。「追加の山椒はそちらのものをお使い下さい」 店員さんが壁際の調味料ボックスを指して言った。くっそ、ここもデフォで山椒をぶっかける店だったのか。 注文したものがそろったので、「「いただきます。ごちそうになります」」 と言って食べ出した。ナポリタンを口にして最初にピリピリっと来た。隠し味に山椒粉が使ってあるようだ。「なんで山椒をナポリタンに入れるかね」 独り言を言ったつもりが鞠野フスキがそれを受けて、「どうしてだと思う? 冬凪さん」
窓の外の夜空に半月が傾いているのが見えていた。 しばらくして冬凪が泣き止んだので言ってみた。「お腹すかない?」「ひっ!」 大丈夫だから。そもそも鬼子って人を喰ったりするの?「外に食べに行こうよ。結構寒いから制服は着替えた方がいいかも」 冬凪はシャワーを浴びた後、外にあたしを迎えに行くためにわざわざ制服に着替えていたのだ。「3日の予定だったから、外着はこれと学校ジャージしか持って来てない」 マジか。冬凪に着換えを任せるんじゃなかった。うっかりしてた、冬凪はフィールドワークのことしか頭になくって服なんて一週間同じでも平気って言う子だった。それでいてテントとか寝袋とかコッヘルとかはちゃんと持って来てるんだろうけど。「じゃあ、それ出して」冬凪が登山用のリュックから芋ジャー上下を出して渡してくれた。さっそくそれで寒くないコーデする。「こうやって制服の上から芋ジャー着て、スカートの下にも履いたら寒くない」 あたしのコーデを見た冬凪が、「それって、この時代のJKがよくやってる格好。草はえる」 と珍しく死語構文で言った。「いいじゃん。らしくなれたってことで」 ホテルのロビーからすり鉢頭の連中がいないかしばらく観察していた。もういなさそうだったので外に出ると駅前は先ほど以上に人が多くなっていて、地上階にあるお店はどこも混んでいた。ファミレス・ヤオマンはここからかなり歩かなければならないし、途中で鉢頭の連中に再会っていうのもいやだったので、雑居ビルのエレベーターを上ったり降りたりして空いてるお店を探した。「あの連中は何者?」 エレベーターの中で冬凪に聞いてみた。「あれが『スレイヤー・R』のプレイヤーだよ。数人でパーティーを組んでヴァンパイアを狩るリアルゲームの。プレイフィールドは青墓の杜限定のはずなんだけど、ああして街中に現れて迷惑行為に及ぶんだ」 それでか。でもあの人たちの殺気はゲームという感じではなかった。本当に殺されるかと思ったから。「怖かったよね。実際事件や事故が結構あるんだよ。プレイヤーも一般の人も」 なんで
ホテルの部屋に戻って30分が経った。「冬凪、もう出てもいい?」「鏡見て。元に戻った?」「まだみたい」「じゃあ、ダメ」 ヤオマン・INの部屋に戻った途端、バスルームに押し込められた。出ようとしたけれどドアの向こうからものすごい力で引っ張っているらしくびくともしない。訳も分からず便座に座って鏡を見ると、そこに映ったのはあたしの顔ではなく、あの時の十六夜と同じ獣の顔だった。「夏波は鬼子なんだよ」 辻川ひまわりはあたしの腕を切り裂いて一瞬で元に戻る様を見せた。そしてヴァンパイアの自分と組んで辻沢にある人柱をブッコ抜こうと言った。それが十六夜を解放することになるのならと、あたしはそのオファーを受けたのだった。「ねえ、辻沢の人柱ってなんのこと?」 ドアの外にいる冬凪に聞くと、「分からない」 と素っ気ない返事が返ってきた。あんなに辻沢のことに詳しい冬凪でも20年前となると分からないこともあるのだろう。いや待てよ、冬凪が今調査しているのは20年前に辻沢で起こった事件だったはず。「冬凪が調べてることと関係ないのかな?」「要人連続死亡事案のこと? どうかな」 ひどく疲れた声に聞こえた。「疲れてる?」「いいや。疲れてないよ。ううん、疲れてるかも」 どっちなのかな。それからしばしの沈黙。鏡を見ると、裂けていた口も閉じて銀色の牙が端から少し見えているくらいで、ほぼほぼ元に戻っていた。「なんか。元に戻ったみたい。開けてくれないかな」「分かった。ドアから離れてバスタブの中に入ってて」 オーケイ。便座から立ってバスタブに移動する。「いいよ」 ドアがゆっくりと開いて冬凪がバスルームの中を覗いた。その途端に、「おっと!」 と再びドアを閉めた。そしてドアの外から、「正直に報告しようよ。牙生えてるじゃん」 あ、それじゃダメだったんだ。「ごめん。もう少しこうしてるね。でもそろそろ出してくれないと、お腹ペコペコなんだけど」「ひっ!」 外から小さな叫び声がした。
駅裏の「ふれあい過ぎ公園」で広報兼町長室秘書のエリさん改め、ヴァンパイアの辻川ひまわりと共闘の約束をした。そのあと一人でヤオマン・INに戻るため線路沿いの道を歩いていたら、「おい、そこのJK!」 と後ろから声を掛けられた。立ち止まって振り返る間に、数人の男が一定の距離を保ってあたしを取り囲んだ。全員、頭に不格好な三角の帽子を被り手に歪な棍棒を持っている。正面の若い男に目をやるとあたしの顔を見て一瞬たじろいだ。そしてそれはすぐに全員に伝播したのが分かった。すぐさま若い男が全員の怖じ気を払うように声を張り上げた。「こんな時間に季節違いの夏服。あとを付けてみれば、やっぱりだ」 続いて右隣の男が、「しかし、この顔は蛭人間(ひるにんげん)や屍人(しびと)じゃないぞ」 最初の若い男が叫ぶ。「リファレンス係、制服はどこのもんだ?」 その左横の男が大きなリュックを下ろし、中から分厚い紙本を取り出してページをめくり出す。そして中程のページで、「辻沢女子高校の夏服のようです」 と報告した。「辻女か。ますます、らしくなってきたな」「ああ、こいつは妓鬼(ぎき)だ。間違いない」 その影に隠れるようにしている痩せた男が、「俺たちまだ蛭人間殲滅ステージもクリアしてないのにヴァンパイア相手って」 と言ったがその声は震えていた。どうやらそれがあたしから距離を取って近づいて来ない全員の気持ちを表わしているようだった。数秒の後、背後から別の男が、「青墓の青つながりでもしやと思って青物市場に探索に来たらヴァンパイアにエンカウントだ。俺たちは今ものすごく付いてる!」 と言うと、最初の若い男が全員を鼓舞するように叫んだ。「そうだ。これは千載一遇のチャンス。絶対ものにするぞ! スレイヤー!」「「「「スレイヤー!」」」」 一斉に叫ぶと、中の二人が襲いかかってきた。こんなに大勢の男の人に囲まれたら怖いはずなのに、あたしは妙に落ち着いていた。どう反応すれば分かった上に動きがものすごく遅く見えたから。走り寄ってくるのも棍棒を振りかぶるのも全部の動作がゆっくりだった
直視できず背けた目の端に入った傷は最初ほど酷く出血はしていなくて、見ているうちに徐々に出血は止まっていった。そして引き裂かれた傷も自然と塞がれていって、最後はもとの何もない白い肌に戻ってしまったのだった。それどころか前以上のツヤ肌になっていた。あたしの前腕はあたしの知らない治り方をした。 「どういうこと?」 「そうか。これも知らされてなかったのか」 「何を?」 「あんたが鬼子だってこと。このヴァンパイア並みの再生力。今のあんたの顔は、瞳は金色、鼻は横に潰れて、裂けた口から銀色の牙が出ている」 辻川ひまわりは自分たちに向けてスマフォを構えた。その画面に映っていたのは辻女の制服を着た二匹の獣だった。辻川ひまわりの横にいるのが十六夜が獣になった時の顔と同じだということは分かった。あの水の底で「ボクらは沈まない」と十六夜に言われてから何度も自分のことを鬼子ではないかと思って来た。でも確証がなかった。それが今まさに、この顔と一瞬で真っさらに戻った自分の腕で証明された。 辻川ひまわりはあたしの腕をはなして横に座り直した。 「さて、ヴァンパイアと鬼子がこうして対面して何をするかだけれど」 そう言われてあたしは身構えた。今度は本当に襲われるかと思ったのだ。でも、辻川ひまわりはあたしの顔を見つめているだけで何もしなかった。そしてその顔はもうヴァンパイアではなく、もとの広報兼町長室秘書のエリさんに戻っていて、背中の羽根もなくなっていた。 「ヴァンパイアだけではどうにもならない辻沢の問題を協力して解決するってのはどう?」 「ひまわりさんとあたしが協力してですか?」 「そう。先生や妹さんはそのつもりでウチに会わせたみたいだし」 あたしは冬凪に十六夜を解放するのに協力して欲しいと頼んだ。その手段がこれなのだとしたら、そのオファーを受けない訳にはいかないと思った。 「わかりました。協力します。で、あたしは何をすればいいのでしょう?」 「そうだな。あんたとあたしの能力があれば、きっと出来ると思うんだけど」 と辻川ひまわりはあたしの瞳を見つめて、 「人柱をブッコ抜く」 と言ったのだった。 ―――人柱。 それが誰のことか、どうやって取り除くのか、誰によって何のために埋められたのか、あたしはこれから「あの時の辻沢」で辻川ひまわりと一緒に、一柱ずつ解