現れた京極をじっと見つめる飯塚。(え……? この人が京極正人……? 何て素敵な人なんだろう……)元々惚れっぽく、男性に目が無い飯塚は一瞬で京極に目を奪われてしまった。そこでいつも男性に向ける眼差しで京極に笑顔を向けた。「はい、私が飯塚咲良です。貴方が京極さんですか?」「ええ、そうです。お待たせしたようで申し訳ありませんでした」京極は自然な仕草で飯塚の向かい側に座った。「まずはコーヒーを飲んでからお話しましょう」そしてニコリと微笑んだ――「それで私、頭にきてその日のうちに退職願を書いて総務部の係長に叩きつけてやったんですよ。元々移動してきたばかりで引き継ぎも何も無かったので、さっさと私物を片付けて辞めて来ちゃいました。だって酷いじゃないですか! 私が今迄何の為に努力してここまでこれたか……あの女は全く分かっていないんですよ!」アルコールが入っている訳でも無いのに飯塚は興奮しっぱなしで、まるでマシンガンのように話し続けていた。京極は適当に相槌を打っていたが、話の半分も聞いてはいなかった。(全く、よく喋る女だ。甲高い声も耳障りだし。朱莉さんとは大違いだ。大体俺は昔からお喋りな女と見境なく泣く女は苦手だというのに……)しかし、そんな気持ちをおくびにも出さず京極は熱心に話を聞いているふりをした。(それにしても静香の奴……一体何を考えているんだ? 秘書をやめる? そんな話は聞いたことが無いぞ? まさか鳴海から手を引くつもりなのか……? この俺を裏切るつもりか?)「あの……ところで京極さん。京極さんはおいくつなんですか?」突如飯塚がはにかみながら尋ねてきた。「え? 30歳ですよ」「へえ〜30歳ですか……。私は27歳です。それでお仕事は何をしてるのですか?」「IT関係の仕事を経営してますよ」「ええ!? 社長さんなんですか!? すごい……」飯塚は目をキラキラさせながら京極を見つめる。(何だ? この女。今度は俺に興味を持って来たのか? 冗談じゃない。俺が一番苦手なタイプの女に興味を持たれたらたまったものじゃない)そこで京極は話題を戻すことにした。「それで飯塚さん。貴女はその女性に何をしたいのですか?」すると飯塚は一瞬俯いたが、顔を上げた。「あの女は……私の今迄築き上げてきた会社での地位を一瞬で奪ったんです! 許せない!」「なるほど。
深夜2時――「ん……? これは中々興味深い書き込みだな」自室でPCを眺めていた京極は身を乗り出して画面を見つめる。最近姫宮から鳴海グループに関する情報が入ってこなくなっていた京極は焦りを感じていた。あまりにも連絡がこないので、姫宮に自分から鳴海翔について何か報告することは無いか電話で尋ねても、特に変わったことは何も無かったと素っ気ないものだった。そこで京極はネットの情報を利用して、何か鳴海グループに関して面白い情報が無いか探してみた所、偶然、あるブログを発見したのである。『玉の輿を狙いたい! 乙女雑記帳』4月5日私は鳴海グループ総合商社の副社長の後任秘書に抜擢されていたのに、現在副社長の秘書を務めているS・Hと言う女性秘書から後任秘書の役を解かれ、さらには総務部へと移動させられてしまいました。あまりにも理不尽な仕打ちだったので会社をその日のうちに辞めてきました。皆さん、どう思いますか? あまりに酷いと思いませんか?』(これは鳴海翔との話だ……。それに秘書のイニシャルのS・H……静香のことじゃないか? 何故後任の秘書の話が出ているんだろう……。もしかして静香は秘書を辞めるのだろうか? 俺には何も話してくれていないなんて怪し過ぎる。よし、この女と直に連絡を取り合ってみるか……)そして京極はこのブログにコメントを寄せた——3日後――「あ、今日もコメントとメールを寄せてくれているわ」飯塚が自分のブログを開くとコメントが書き込まれていた。今日飯塚が書いたブログは昼間の出来事についてだった。飯塚は姫宮が昼休みに修也と親し気に2人でカフェでランチを食べている姿を偶然見かけたのだ。修也は背を向けていたので顔を確認することが出来なかった。けれど飯塚を嫉妬させるには十分すぎる光景だった。その時の様子を憎しみを込めてブログに書きこんだのである。『それは酷い話ですね。貴女の様に優秀な方をあっさりと自分の個人的感情で切り捨てるなんてあってはいけないことだと思います。その上、自分は昼休みに男性と食事をしているとはますます許しがたいでししょう。心中お察し申し上げます』「本当よね、この人の言う通りだわ。でも嬉しいな……。私の気持ちを良く分かってくれているから」飯塚は頷くと、今度はメールをチェックして息を飲んだ。『私はこの秘書の知合いです。貴女が望むならこの女性
翔の父親の竜一は一卵性双生児で、竜二という双子の弟がいる。鳴海猛は2人のうち、1人を鳴海グループの後継者にと考えていた。そして候補に挙がったのが次男である竜二であった。竜一は穏やかな性格であったが、弟の竜二は荒々しい性格で、少々強引な手を使っても無理を押し通すというまさに真逆な性格の2人であった。猛は会社を大きくする為には竜二のような性格の人間の方がトップに立つにふさわしい人間と考え、竜二を後継者に任命したのだった。 竜一も竜二もほぼ同じ時期に結婚し、翌年にはお互いに子供をもうけていた。それが翔と修也であった。2人は父親が双子と言うこともあり、顔立ちが良く似ていたが性格は違っていた。皮肉なことに翔は叔父である竜二に似た性格であり、修也は竜一のように穏やかな性格であった。そして翔と修也が小学1年になった時……事件が起こった。 当時、竜二は営業部の課長を務めていたが、部下である若手社員の営業成績が振るわなかったことに苛立ちを募らせていた。そこで竜二はその社員を個人的に呼び出し、ノルマを課した。それは到底若手社員には厳しすぎるノルマであった。竜二はその社員に、もし3カ月以内にノルマを達成できなければ毎月の給料から補填させると言ってきたのだ。その社員は言われた通り、寝る間も惜しんで得意先を必死になって頭を下げて回ったが、結局ノルマを達成する事が出来なかった。思い悩んだ末に、とうとう遺書を書いてビルから飛び降り自殺をしてしまったのだ。その社員は母と子の2人暮らしだった。息子の遺書を発見した母親は嘆き悲しみ、亡き息子の書いた遺書をマスコミに公表した。その事件はあっと言う間に世間に広がり、息子である竜二の失態に激怒した猛は後継者候補の座を剥奪し、グループ会社の最下層に位置する会社へ左遷させた。この事が原因で竜二は離婚することになり、修也は母親に引き取られて鳴海の姓から母方の各務の姓を名乗ることになった。修也親子は猛の恩情にあずかり、鳴海家の邸宅の近くのマンションを与えられて2人はそこで暮らすことになった。 竜二の失態は鳴海グループの汚点であり……竜二の妻と息子の修也は鳴海家の中で存在を抹消され、明日香にも修也の存在は隠されたのだった。だが、密かに翔と修也は家族には内緒で交流をしていた。2人は顔も良く似ていたし、互いに真逆の性格だったが気は合っ
姫宮から各務修也への引継ぎは順調に進んでいた。そして本日、修也は午前中は秘書研修ということで秘書課へ顔を出していた為、久しぶりに副社長室のオフィスルームは姫宮と翔の2人きりとなっていた。「どうだい? 姫宮さん。修也への引継ぎは進んでいるかな?」翔は引継ぎの資料を作成していた姫宮に声をかけた。「ええ、順調です。それにしても彼には驚きです。とても呑み込みが早くて、何でもそつなく出来て……本当に優秀な方なんですね」姫宮は感嘆のため息をついた。「ああ、そうなんだ。修也は……本当に優秀な人間なんだ。だからこそ……」修也はそこまで言って口を閉ざした。「翔さん? どうかしましたか?」姫宮は突然黙り込んでしまった翔を見て首を傾げた。「い、いや。何でもないよ、俺に構わず続けてくれ」「はい、分かりました」そして再び、姫宮はPCと向き合った―― 12時になり、修也が副社長室へと戻って来た。「ただいま戻りました」修也が翔と姫宮に挨拶をした。「ああ、ご苦労だったな。修也」「お疲れさまでした、各務さん。どうでしたか? 秘書課の研修は」「はい、皆さんには親切丁寧に教えていただきました。午後からは引き続き姫宮さんの引継ぎ業務に入らせていただきます」修也はにこやかに返事をする。「それじゃ、姫宮さんと修也……2人で一緒にお昼に行ってくるといいよ」翔は2人に声をかけた。「そうですね。では行きましょうか? 各務さん」「はい、ご一緒させて下さい。それじゃ、翔。行ってくるよ」「ああ。行ってらっしゃい」翔に言われ、姫宮と修也はオフィスを出て行った。そして1人オフィスに残った翔は小さく呟いた。「修也……。お前が俺の秘書になるとはな……。これじゃあ10年前の関係と大して変わりないな……」そしてため息をついた――****「ここが今私が一番気に入ってる店なんですよ」姫宮が連れて来た店は本社ビルの近くにあるカフェだった。このカフェはコーヒーの種類が豊富で15種類の味のコーヒーを提供し、注文に応じてブレンドしたコーヒーを作ってくれるのだ。「姫宮さんはコーヒー通なんですね。僕は普段はインスタントしか飲まないので感心してしまいますよ」コーヒー付きのセットメニューでホットサンドを食べる修也。「でも一度引き立てのコーヒの味を知れば、きっと各務さんもインスタントで
翔は姫宮が連れてきた各務修也を前にし、激しく動揺していた。(修也……何故お前が今頃になって現れるんだ? あれから10年も経つっていうのに……!)一方、修也も黙って翔を見つめている。その瞳はどこか寂し気だった。黙ったまま互いを見つめ合う翔と修也を見て姫宮は声をかけた。「あ、あの……」すると翔が姫宮を見た。「すまない。姫宮さん。彼と2人きりで少し話をしたいんだ。悪いけど30分程席を外して貰えないか?」「はい、かしこまりました」姫宮は頭を下げると部屋を出ていき、2人きりになると翔が口を開いた。「久しぶりだな。修也」「うん、10年ぶりだね」「今まで……ずっとどうしていたんだ?」「お爺さんの紹介で色々なグループ系企業で働いてきたよ。去年まではカナダ支社にいたんだ」「修也! お爺さんじゃなくて会長と呼ぶように言われているだろう?」翔はいつになく強い口調で言った。「あ、ああ……そう言えばそうだったね。ごめん……翔」修也は申し訳なさそうに頭を下げた。「だから、そうやってすぐに頭を下げるのはやめろ。お前だって……鳴海家の正式な血筋の人間なんだから」「だけど僕は……」修也は言いかけたが、翔が睨んでいるので口を閉ざした。「お前……ひょっとしてずっと会長の元にいたのか?」「ずっとじゃない。僕に声がかかったのは大学を卒業してからだよ」「だけど、その後はずっと会長の元にいたんだろう? 俺には内緒で」俯く修也。「黙っているってことはそうなんだな」「ごめん……翔。会長から絶対翔に言わないように口止めされていたから……」「っ!」翔は悔しそうに唇を噛んだ。(爺さんは……始めから俺以外に後継者を考えていたのか!? だから修也のことを今まで内緒にしていたのか……? 父さんはその事を知っていたのだろうか……?)その時、翔は肝心な事を思い出した。「そうだ! 修也、叔父さんは今どうしてるんだ?」「父さんは今下請けの建設会社で社長をしているよ。かなり阿漕なことをして大分世間から恨みを買ってるみたいだけどね」修也は目を伏せた。「叔母さんは元気なのか?」「うん、元気にしてる。今年帰国してから、声がかかるまで大阪支社にいたんだ。でも秘書の話が出てきて、また東京に戻って来たから今は一緒に暮らしてるよ」「叔母さんは……竜二叔父さんと会ってるのか?」「
月曜の朝——翔がオフィスに来ると、既に姫宮は仕事をしていた。何やら書類でも作成していたのか驚くべき速さでキーを叩いてる。「おはよう、姫宮さん」「あ、おはようございます。翔さん」姫宮は手を休めて立ち上がると翔に挨拶をした。「本日から副社長付きの新しい秘書が参ります。翔さんと同い年の男性なので、お互いに仕事がしやすいと思います。取りあえず臨時秘書ということですので、半年だけの秘書にはなると思います。それで……あの、実は……」姫宮は言いにくそうに言葉を濁した。そんな姫宮を見た翔は首を傾げる。「どうしたんだい、姫宮さん。何かあるのか?」「……あの、驚かないで下さいね?」「え? 何に?」「あ……い、いえ。何でもありません。今、彼は秘書課におりますので、これからこちらへ連れて参りますね。では行ってきます」「行ってらっしゃい」翔が返事をすると、姫宮はあたふたとオフィスを出ていった。1人になると翔は呟いた。「一体姫宮さんはどうしたと言うんだ? いつも冷静沈着なのに……らしくないな……?」姫宮が部屋を出ていき約10分後。——コンコンノックの音が聞こえ、ドアの外から姫宮の声が聞こえた。「副社長。新しい秘書の方をお連れしました。入ってもよろしいでしょうか?」「ああ。大丈夫だ。通してくれ」「失礼します」姫宮はドアを開けると1人の男性を伴って中へ入って来た。「副社長、新しい秘書の方をお連れしました」「今日からよろしくお願いいたします」姫宮の背後に立っていた男性は前に進み出て来ると翔を見て頭を下げた。その人物を見て翔は驚きの声を上げた。「あ! お、お前は……!?」**** 話は今から2日前に遡る。——19時半姫宮はメールでやり取りをしていた後任の秘書となる男性と本社ビルの向かい側にあるカフェで待ち合わせをしていた。窓際の一番奥のテーブル席。ここが相手の男性が指定してきた場所だ。約束の時間より10分程早く到着していた姫宮は席に着いて窓の外を眺めていると、不意に人の気配を感じ、声をかけられた。「すみません。恐れ入りますが……姫宮さんでいらっしゃいますか?」「あ、はい。姫宮で……す……。え?」姫宮は絶句した。そこには翔によく似た男性が立っていたからだ。「あ、あの……貴方がもしかして……?」姫宮は目を見開いて男性に尋ねた。「は