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第30話 出発②

作者: 月歌
last update 最終更新日: 2025-06-09 22:21:01

◆◆◆◆◆

玄関を出ると、冷たい秋の空気が二人を迎えた。車止めには二台の馬車が整然と並び、御者たちが最後の確認を行っている。

「わあ、立派な馬車!」

リリアーナが目を輝かせると、エレノアが近づいてきて一礼した。

「奥様、リリアーナ様。本日はいつもと少し異なる手配をさせていただきました。長旅が快適になるよう、特別な馬車をご用意しております。」

エレノアが指し示した馬車は、普段のものよりも大きく、柔らかそうなクッションが備えられた座席が窓越しに見える。

「ありがとう、エレノア。気遣いに感謝するわ。」

ヴィオレットは微笑みながら答え、エレノアの案内で馬車に向かう。リリアーナは嬉しそうにステップを上がり、ヴィオレットもそれに続こうとした。

だが、馬車に乗り込む際、ヴィオレットはふと御者の動きに目を留めた。服装はいつも通り、家紋入りのウールコートをまとい、革の手袋をしっかりと装着している。しかし、その動作にはどこか違和感があった。

手綱を握る仕草は慎重すぎるほどゆっくりで、まるで一つ一つの動きを意識しているかのようだった。馬のたてがみに触れる手も滑らかで、普段の力強い馬扱いとは異なり、優雅さすら感じさせる。

さらに、深くかぶった帽子が御者の顔を隠していることが、ヴィオレットの胸に微かな不安を呼び起こした。顔が見えないことで、いつも通りの御者なのかどうか確信が持てない。

――何かがおかしい。

ヴィオレットの心に小さな疑念が生まれる。だが、リリアーナが馬車の中から手招きしているのを見て、彼女はその思いを押し隠すように歩を進めた。

――

馬車の周りには騎馬の護衛が控えており、彼らは静かに周囲を見渡している。茂みの奥や道の先を警戒する様子は普段と変わらず、頼もしく見えた。だが、それでもヴィオレットの視線は御者の背中に引き寄せられたままだった。

「母上、早く!」

リリアーナの元気な声に促され、ヴィオレットは軽く笑みを浮かべながら馬車の中へ足を踏み入れる。しかし、胸の奥に残った小さな疑問は、馬車に乗っても消えることはなかった。

馬車の中に座ると、ヴィオレットはリリアーナが膝にぬいぐるみを置いてはしゃぐ様子を見守る。

「あっ!」

「リリアーナ?」

リリアーナは不意に声を上げると、母親の制止も聞かず馬車から顔を出して侍女の名を呼んだ。

「エレノア!」

「はい、お嬢様。」

「エレノアも別邸に
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