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第253話

Author: かおる
勇が酒をひと口あおり、言葉を吐き出した。

「正直、俺も驚いたよ。

けど、あの女、雅臣に二百億も要求したんだぜ?

よくもまあ言えたもんだ!」

個室の灯りは薄暗く、航平の顔は影に包まれて、その表情を伺い知ることはできない。

勇は止まらぬ舌で続ける。

「まだ離婚の手続き中だろ?

俺は賭けてもいい。

あの女、どうせ本気で離婚する気なんてないさ」

言葉が途切れたとき、部屋の扉が再び開き、雅臣が入ってきた。

この席は勇の仕切りだった。

しばらく前に怪我をして顔まで台無しにしかけ、ずっと人前に出られずにいた彼は、鬱憤を晴らすように、航平の帰国を機に皆を集めたのだ。

「戻ったか」

雅臣は無表情でソファに腰を下ろし、その声は冷ややかに澄んでいた。

「おう」

航平は応じ、じっと雅臣の顔をうかがう。

「勇から聞いたが......おまえ、星と離婚したそうだな?」

雅臣の眉が、わずかに寄る。

眉目には不機嫌な色が差していた。

「まだ手続きはしていない」

航平の視線が鋭く動く。

言外の含みに気づいたのだ。

「雅臣......おまえ、本当は星と離婚したくないんじゃないのか?」

雅臣が答える前に、勇が鼻で笑った。

「あり得ねえよ。

星なんて、中卒の専業主婦にすぎないんだぞ?

雅臣に未練があるわけないだろ。

早く切り捨てたくて仕方ないんだ!」

そして口を尖らせる。

「雅臣、二百億は絶対に渡すなよ。

離婚した後、どれだけ惨めな生活を送ることになるか、思い知らせてやれ」

航平は脇から諭すように言った。

「でも雅臣、お前たちには翔太くんがいるだろう。

離婚したら翔太くんはどうなる?

何だかんだ言っても、母親以上に子を思って世話できる人はいない」

雅臣の顔は冷たく沈み、手にした酒を一気にあおる。

その仕草には苛立ちがにじんでいた。

「離婚を言い出したのは、彼女の方だ」

「なんだって?」

勇は声を裏返した。

「雅臣、騙されるな。

あれは泳がせて油断させてんだ。

どうせ離婚届受理証明書を取りに役所になんて行かないさ」

だが雅臣は静かに問う。

「もし行ったら?」

「行ったら行ったでいいじゃないか。

おまえはもっといい暮らしができるし、あいつはおまえなしじゃ何者でもないんだ」

雅臣の声は低く重かった。

「俺は一度も離婚な
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