Masukペットトリマーである佐藤みのりは、婚約者で人気インフルエンサーの桐谷拓也と同棲している。 拓也のペットで「撮影小道具」の犬のマロンの世話の他、家事や雑務を一手に引き受けて、拓也をサポートしていた。 ある嵐の日、みのりはずぶ濡れで震えている子猫を拾う。 ところが拓也は「そんな薄汚い猫なんか、俺にふさわしくない。出ていけ!」とみのりを追い出した。 彼は若い女と浮気していて、みのりを邪魔に思っていたのだ。 婚約を破棄され、家を追い出されたみのりは、拾った子猫の世話を続ける。 手入れされた猫はとても美しく、奇跡の猫としてSNSで大バズリ。世界的な動物写真家・篠宮蓮の目に止まり、写真集が出ることになって――?
Lihat lebih banyak「ルナ&マロン財団」のオフィスは、私の新しい本当の居場所になった。 記者会見から数ヶ月後。 かつては段ボールが積まれていただけの空間は、今ではすっかり機能的で温かい空気に満ちている。 壁には蓮さんが撮影した、財団が支援する保護動物たちの生き生きとした写真が飾られていた。「……そうです。その子はきっと、男性に酷いことをされたトラウマがあるんだと思います。焦らず、まずはあなたが安心できる存在だと、時間をかけて伝えてあげてください」 私はパソコンの画面越しに、ビデオチャットでアドバイスを送っていた。 相手は提携を結んだ地方の小さなシェルターの代表。財団ではこうした団体といくつも提携して、ノウハウと資金を融通している。(これが、私の仕事。私が、本当にやりたかったことなんだ。一匹でも多くの命を、未来に繋ぐこと) 部屋の向こうでは、蓮さんがスタッフと一緒に写真展の準備を進めている。 第一回のチャリティー写真展は、数週間後にニューヨークで開かれる予定だ。写真集『月の光』の評判もあり、前売りチケットはかなりの販売率だと聞いている。きっと成功するだろう。 私たちはそれぞれの場所で、同じ夢を動かしていた。◇「みのりちゃん、おめでとう!」 その日の午後、オフィスのドアを開けて入ってきたのは、私が以前勤めていたペットサロンのオーナーだった。 手にはお祝いの綺麗な花束が抱えられている。「みのりちゃん、本当に立派になって……。あの時は、お店を守るために休職なんてこと言っちゃって、本当にごめんなさいね」「とんでもないです! オーナーが私を信じて、居場所を守ってくれていたから、今の私があるんです。本当にありがとうございました」 過去のしがらみは、もう何もない。心からの感謝を伝え合う。 オーナーは、私の隣で穏やかに微笑む蓮さんの姿を見て、安心したように目を細めた。「素敵なパートナーも見つかったみたいで、安心したわ。みのりちゃん、本当に良かったわね」
財団設立の記者会見、当日。 用意されたホテルの控室で、私はプロのヘアメイクさんに髪を整えてもらいながら、鏡の中の自分を落ち着かない心地で見つめていた。 服装は、蓮さんが「君に似合うと思って」と選んでくれた、若葉のような淡いグリーンのワンピース。 拓也の隣でブランドロゴが目立つ服を着て作り笑顔を浮かべていた頃とは全然違う緊張感が、私の心を支配していた。(私なんかが、こんな場所に立っていいんだろうか。ただ動物が好きなだけの、普通のトリマーなのに……) 緊張で指先が少しだけ冷たい。 私は部屋の隅に置いたルナとマロンのキャリーバッグに目をやった。 二匹は落ち着いたもので、ルナは香箱座りでうつらうつらとしている。マロンはルナの横に寄り添って、軽く尻尾を振ってくれた。あの子たちの姿を見ていると、力が湧いてくる。(大丈夫。これは拓也のための舞台じゃない。私自身とこの子たちのための――それにまだ見ぬ多くの子たちのための、始まりの場所なんだから)◇ 壇上の袖から見える会見場は、スポットライトの眩しさと、大勢の記者が発する熱気に満ちていた。 足がすくみそうになる私に、隣に立つ蓮さんが小さく頷いてくれる。 先にステージに上がった蓮さんが、力強く落ち着いた声で挨拶を始めた。 彼はまず、世界的ベストセラーになった写真集『月の光』への感謝を述べる。その物語の続きとして、財団設立に至った経緯を語った。「……この財団は、私一人では決して成り立ちません。彼女の動物に対する深い愛情と、傷ついた心を癒やす確かな技術。それなくして、この物語は始まりませんでした」 蓮さんが壇上の袖にいる私に、手を差し伸べる。「この財団の心臓部であり、私の最も尊敬するパートナー、佐藤みのりさんです」(パートナー……) 蓮さんは私を対等な仲間として、紹介してくれているんだ。 その言葉に勇気づけられ、私は一歩、光の中へと足を踏み出した。◇ マイクの前に立つ。 用意された原稿はあったけど、私はそれを見ずに自分
それから数週間後。 都心に借りたまだ真新しい匂いがする小さなオフィスで、私たちは初めての設立準備会議を開いていた。 部屋にはまだ段ボールが積まれてたままになっているが、集まったスタッフ全員の顔は希望に満ち溢れている。 ホワイトボードには、「会員制サロン事業計画」「トリマー育成アカデミー設立準備」「第一回チャリティー写真展(ニューヨーク)について」といった、具体的な議題が書き出されていく。 私たちの夢が確かな形になっていく様子を見ていると、実感が込み上げてきた。「会員制サロンの集客は、どうやりましょうか」「奇跡の猫の知名度がある。SNSでの認知度を活かしながら、みのりさんの確かな腕前をアピールしていこう」「育成アカデミーの設立については?」「基金を立てて資金を確保し、アカデミーの場所となる土地と建物を確保しなければ。資金面の問題もあるから、新築だけに限らず、既存の建物をリフォームする形でもいいですね」 などなど、議題は尽きない。 会議の最後に、蓮さんが財団のロゴマークのラフ案をプロジェクターに映し出した。 それは月(ルナ)と、ふわふわの綿毛(マロン)が、優しく寄り添うデザインだった。 オフィスの中を興味深そうに探検していたルナとマロンが、そのタイミングで私の足元にやってくる。 私は二匹を愛情を込めて撫でながら、言った。「この子たちが、私たちの希望のシンボルです」◇ 長い会議が終わって、スタッフたちが帰っていく。 オフィスには私と蓮さん、ルナとマロンだけが残った。 窓の外はもう夜。明かりがぽつぽつと灯って、都会の夜景が広がり始めている。(半年前、私は全てを失った。でも、今は……失ったものより、ずっと多くのものを手に入れた気がする。これが、私の新しい日常の始まりなんだ) 私たちはしばらく言葉もなく、大きな窓の外に広がる夜景を眺めていた。 無数のビルの灯りが、まるで宝石みたいにきらめいている。こんな景色を、こんな穏やかな気持ちで見られる日が
「新しい、こと……ですか?」 私の問いかけに、蓮さんは少しだけ微笑んだ。 彼の考えていた大きな計画を、一つ一つ丁寧に説明し始める。「君の才能と、僕の技術。ルナとマロンがくれた奇跡。これらを僕たちだけのものにしておくのは、あまりにもったいないと思わないか?」「もったいない、ですか……?」「ああ。だから、僕と一緒に財団を作らないか」 蓮さんの口から、信じられない言葉が飛び出した。「行き場のない動物たちを救い、君のような素晴らしいトリマーを育て、命の尊さを世界中に伝えていくための……『ルナ&マロン財団』だ」 彼は、私が持つ高いトリマーの技術を活かした、会員制プレミアムペットサロンの運営を提案した。 さらには後進を育てる専門アカデミーの設立。 それが財団の安定した収益の柱になる、と。(財団? 私が? そんな大きなこと、できるわけない。拓也のサポートですら、満足にできなかったのに) 拓也に利用されて自信を失っていた過去が、私の心にブレーキをかける。「で、でも、私にはそんな、経営の知識もありませんし、人前に出るのも得意じゃなくて」 しどろもどろになる私に、蓮さんは静かに言った。 私の言葉を遮らず、最後まで聞いてから。「知識は、専門家を雇えばいい。僕が欲しいのは、君の愛情とその手だ。君がいなければ、この財団は魂のないただの箱になる」 彼の真剣な言葉が、私の心の奥深くに染み込んでいく。 彼は私に着飾ったインフルエンサーになれと言っているわけじゃない。 ただ、「みのり」のままでいてほしい、と言ってくれている。(……私が、本当にやりたかったこと) 一匹でも多くの行き場のない子を助けるために、トリマーの知識と技術を使えれば。新しい家族へ繋ぐために。新しい幸せを手に入れるために……。 その夢がこんな大きな形で、実現できるかもしれ
あれから数日が経った。 ネットニュースやワイドショーをあれだけ賑わせた拓也たちの騒動も、新しいニュースの波に押されて、少しずつ落ち着きを取り戻し始めていた。 私は蓮さんのノートパソコンで、一連の騒動の結末をまとめた記事を改めて読んでいる。 そこに書かれていたのは、あまりにもあっけない結末だった。 拓也のSNSアカウントは、度重なる規約違反によって全て永久凍結。 坂田クルミは所属事務所から契約を解除され、事実上の芸能界引退。 複数のスポンサー企業がブランドイメージを著しく毀損されたとして、拓也に対して損害賠償
メールの送信完了を知らせる、小さな音が鳴った。(もう、後戻りはできない) 怖くない、と言えば嘘になる。 でもそれ以上に、ここで戦わなければ一生後悔するという確信があった。「コーヒー、淹れ直そうか」 沈黙を破ったのは、蓮さんだった。「いえ、私がやります」「君は座っていてくれ。僕はこう見えて、コーヒーを淹れるのが得意なんだ」 彼は少し笑って立ち上がると、キッチンで手際よくお湯を沸かし始める。 やがて香ばしいコーヒーの香りが漂って、部屋の重い空気を少しだけ和
蓮さんが持ってきてくれたコーヒーの、香ばしい香りが部屋に満ちる。 不思議なことにその温かい香りを吸い込むだけで、私の凍りついていた心が少しだけ溶けていくような気がした。「もう大丈夫です」 私は顔を上げて、蓮さんをまっすぐに見つめた。 足元にいるルナとマロンの体温に、勇気をもらいながら。「もう泣きません。泣いてるだけじゃ、この子たちを守れないから。私が戦わなきゃ。拓也の嘘に、私の真実をぶつけるんです」 蓮さんは、私の言葉を静かに聞いていた。「……拓也という男
炎上から一夜が明けた。 カーテンを閉め切った部屋は、昼間だというのに薄暗い。 テーブルの上には、昨日の夜から手をつけていない食事が、すっかり冷たくなって置かれていた。 私はベッドの布団にくるまり、外の情報を全て遮断していた。 スマホは電源を切って、部屋の隅に追いやられている。もう何も見たくない。何も聞きたくない。(私が有名になんてならなければ、こんなことにはならなかったんだ) 薄暗い中、泣きすぎて腫れた目で私は思った。(私のせいで、オーナーさんにも迷惑をかけた。ルナとマロンも、ネットで酷