リシュティナはヴィクタールと店員に何度も礼を言い、二人はにこやかな店員に見送られながら衣類店を後にした。 暫く歩くと、リシュティナがヴィクタールを見上げ、思い切ったように口を開いた。「ね、ヴィル。お父さんの所に行って来ていいかな? お父さん、この城下町で一軒家を買って暮らしてるみたいなの。私の元気な姿を見せたいし、久し振りにお父さんに会いたいから――」「あぁ、勿論いいぜ。何なら一晩泊まってこいよ。二人で積もる話もあるだろうしさ。オレは明日、お前を迎えに行く時親父さんに挨拶するわ。荷物はオレが持って帰るから心配すんな」 ――リシュティナは、フェニクスが掛けてくれた『保護魔法』を常に身に纏っている。 あらゆる障害と攻撃を防いでくれるし、彼女にそういう事態が起きた場合、魔法を通じて瞬時にフェニクスが感じ取る事が出来るのだ。 城下町なら、すぐにリシュティナのもとへ駆け付ける事が可能なので、少しだけ彼女が一人で行動しても問題無いとヴィクタールは結論付けた。「……うん! ヴィル、ありがとう! 行ってくるね」「おぅ。親父さんによろしくな」「うん!」 笑顔で頷くリシュティナの細腰をヴィクタールは片手で引き寄せると、頭を屈めその耳元で低く囁く。「……今日は親父さんに譲るけど、明日の夜はお前を決して離さないからな。覚悟しろよ?」 鼓膜を擽る甘く腰に響く声音に、リシュティナは熟したトマトのような顔になりながらヴィクタールに向かって叫んだ。「な……っ。ヴィ、ヴィルのスケベッ!」「ははっ、そんなんもう十分分かってんだろ? それは『お前限定』だって事もさ」「〜〜〜っ」 リシュティナは両目を瞑ってヴィクタールの胸をポカスカ叩くと、くるりと背を向け走っていってしまった。「こけんなよー。明日の朝迎えに行くからな」 いつまでも初々しいままのリシュティナに愛しさを膨らませながら、ヴィクタールは緩んだ表情を隠さずに城への帰路に就いたのだった。********「元気そうで良かった、リシュティナ」「うん、お父さんも」 リントンの家を訪れたリシュティナは、中から出てきた父の言葉に笑みを浮かべて頷いた。 リントンは半年前と比べて顔色も良く、痩けていた頰に肉が付き目の下の隈も無くなり、目立っていた白髪も少なくなっていた。 あの頃よりも随分と若返ったようだ。 今は
フェニクスの背に乗り、あっという間にラエスタッド城に到着したヴィクタール一行は、門番の知らせを受けバタバタと走って来たウェリトの出迎えを受けた。「もうっ、兄さん遅いよ! 本当に来ないかと思ったじゃないか!」「よぉウェリト、久し振りだな。悪かったな、伝言を受けた精霊が伝え忘れていてさ。さっき聞いたばかりなんだよ。これでも急いで来たんだし許してくれ」「えっ、そうなの? じゃあしょうがないか。とにかく間に合って良かったよ」 先程まで両目を吊り上げ頭から湯気を出し怒っていたウェリトは、ヴィクタールの理由を聞いて目尻を下げすんなりと許した。「おやおやアナタ、お兄さんに似てますねぇ。嫌いではないですよ」「えっ? あ、ありがとうございます……でいいのかな?」「コイツは捻くれ者で好き嫌いが激しいからな。『気に入った』って意味に捉えていいぜ」「そっか。海の精霊様にそう言って貰えて嬉しいよ」「捻くれ者は余計ですよ。ワタクシに気に入られる事はそうそう無いんですからね。頭を深く垂れて光栄に思いなさい」「あ……は、はい……?」 ふんぞり返ってシルクハットが落ちかけているレヴァイに、ウェリトが戸惑い気味に返事をする。「ウェリト、真に受けんなよ。ったく、何様だお前は」「偉大で高貴な海の精霊様ですよ」「なーにが偉大で高貴な海の精霊だ。リィナの唄を聞いてピーピー泣き喚いてたくせに。なぁ“海の悪魔”サン?」「……アナタには特別に母なる海から抱擁をして差し上げましょう。光栄に思いなさい」「それ『海に沈めるぞコラ』って言ってんだろ」 ヴィクタールとレヴァイが言い合っている横で、リシュティナはウェリトに頭を下げ、言葉を紡ぐ。「ウェリト殿下、ご婚約おめでとうございます」「あぁ、ありがとう。リシュティナさんももうすぐ俺の“義姉”になるんだから、もっと気さくに接していいよ」「えっ!?」 ニヤリとするウェリトに、リシュティナの頬が一瞬で赤く染まった。「そうだぜ、リィナ? ウェリトはもうお前の“家族”みたいなもんだからさ、敬語は必要無いぜ」「そ、そうは言っても、心の準備が……っ」「ははっ。リシュティナさん、ゆっくりでいいよ。――兄さん、パーティーに着る彼女のドレスを準備しなきゃだよ。城下町にある王家御用達の衣類店で見てきたら? あそこなら種類も豊富だし、リシュティナ
「ウェリトの婚約披露パーティーが三日後にある? それに参加しろって?」 『美味しいものを食べる』旅に出てから半年以上経った、ある日。 宿屋で休んでいたヴィクタール達に、精霊界から戻って来たレヴァイからそんな情報が伝えられた。 数ヶ月前にウェリトは召喚魔法が出来るようになり、精霊を喚び出せるようになったのだ。 その喚び出した精霊にウェリトがヴィクタール宛に伝言をし、それを精霊から聞いたレヴァイはヴィクタールに伝えるという、所謂仲介役を任されていた。 「聖獣神サマのお守りで一杯一杯なんですが」と、本人は非常に不服そうだけれど。 その伝言は、「たまには城に戻って顔を見せろ」という類のものばかりだったが、今回は本人の婚約披露という、なかなか重要な内容だったようだ。「えぇ。だから、その日までに絶対に帰って来い、らしいですよ」「は? ちょっと待て、三日後ってかなり急な話だな。もっと前から準備していた筈だぜ?」「精霊が弟クンからそれを聞いたのは一ヶ月も前の事ですが、その精霊、うっかり屋さんでして。今までスッカリ忘れていて、昨日ハッと思い出して慌ててワタクシに伝えに来たのですよ」「あぁ、そういう訳か……。ならしょうがねぇな」 それ以上追求せずすんなりと受け入れたヴィクタールに、レヴァイは両目を瞬かせた後、ニヤリと笑った。「そういうアッサリな所、ワタクシ嫌いではないですよ」「ありがとさん。――そっか、アイツが婚約か……。まだまだ子供かと思ってたけど、そういう年になったんだな……。けどやっぱり早いよな? それだけ逃したくなったんだろうな、あの彼女を」 兄の顔でフッと口の端を上げるヴィクタールに、リシュティナはクスリと笑って頷いた。「ふふっ、そうだね。ウェリト殿下に直接会って盛大にお祝いしなきゃだね、ヴィル」「あぁ、そうだな。アイツをうんとからかってやんなきゃだな」「もう、ヴィルったら……」 ヴィクタールとリシュティナは顔を見合わせ、微笑みを交わす。「フェニ、一旦食べ歩きの旅は中断だ。至急ラエスタッド城に行きたいんだが、お前の背中に乗って飛ぶ事は出来るか?」「本来は人を乗せて飛ぶ事はしませんけれど、そういう理由なら仕方ありませんわね。いいですわよ?」「じゃあ、私とレヴァイはここでお留守番しているね。殿下におめでとうって伝えてくれる? 気を付け
泣きそうなリシュティナを無言で見下ろしていたヴィクタールだったが、不意に彼女の両頬に手を添えると、そっと唇を重ねてきた。「っ!?」 突然の口付けに、リシュティナは大きく目を見開くと、アメジスト色の神秘的な瞳と至近距離でバッチリ目が合い、慌てて瞼を閉じた。 ……閉じたはいいが、ヴィクタールがなかなか唇を離してくれない。 息を止めていたので徐々に苦しくなり、息継ぎの為に無意識に開けた口からスルリと彼の舌が入ってきて、更に深く濃厚な口付けがリシュティナを襲う。(っ!?) 経験した事の無い初めてのそれに、彼女はフワフワとした気持ちでただ翻弄されていた。 何度も角度を変えながら口内を攻められ、ようやく唇が離れる頃には、リシュティナの顔は真っ赤に染まり、息がかなり上がっていた。 ヴィクタールは満足気に熱い息を一つ吐くと、リシュティナの頬を優しくなぞる。 「――言っとくけどな、その相手とは何も無かったぞ。裸を見ても何も感じなかったし、その気にもならなかったから帰って貰った。それを知った父上が他の相手を寄越してきたけど、やっぱ同じでさ。元婚約者には、自分から触る気が全く起きなくて。オレって既に枯れてんのかなって心配になってた」「え……」「けど、お前と初めて会った日の夜、お前を押し倒しただろ? その時、初めて“欲”ってモンが出たんだよ。……あの時からもう既に、オレの心はお前に傾き始めていたんだな」 ヴィクタールはフッと目を細めて笑うと、再びリシュティナにキスをする。 「……こういう事をするのも、お前が初めてだ。ずっと触れていたいとか、キスしたいとか、抱きたいと思ったのも、全部お前が初めてなんだよ」「…………っ」 リシュティナの瞳から、ホロホロと透明な涙が溢れ出た。 「不安だったら何度でも言う。お前を誰よりも愛してる、リィナ。――抱いてもいいか? 多分手加減は出来ないが」 その問い掛けに、リィナは濡れたアクアマリン色の瞳を潤ませながら頷いた。 「私も愛してる、ヴィル。手加減なんていらないよ。……思い切り抱いて?」 その彼女の表情と言葉に、何とか踏み留めていた理性がプッツリと切れた。 彼女の寝衣を手早く脱がし、自分も素早く裸になる。「……綺麗だ、リィナ……すごく」 ヴィクタールは恥じらうリシュティナの身
ヴィクタールに手を引かれ、借りた部屋に入ると、ベッドは意外に広くてリシュティナはそっと安堵の息をとついた。「荷物降ろしたら晩飯食いに行くか」「……うん!」 いつも通りなヴィクタールに、リシュティナはホッとしながら頷く。 宿屋の一階の食堂で晩ご飯を美味しく戴き、二人は部屋へと戻ってきた。「リィナ、先に風呂入ってこいよ。この三日間、身体拭くだけだったから早くサッパリしたいだろ?」「うん、ありがとう。じゃあお先に戴くね?」「おぅ」 リシュティナはヴィクタールに向かってニコリと笑うと、浴室に入った。 晩御飯中も今も、やはりいつも通りなヴィクタールに、リシュティナは服を脱ぎながら考え過ぎな自分を窘める。(そうだよ、何も無いよ。私ったら変な想像しちゃって、恥ずかしい……。また寝る時に抱きしめてくれるのかな? 眠れなかったら唄を歌ってあげようかな) 久しぶりの湯浴みに気分が向上し、リシュティナは鼻歌を歌いながら丹念に身体と頭を洗う。 湯船から出ると身体を拭いて寝衣に着替え、歯も磨いたリシュティナは、サッパリと気分良く浴室を出た。「お待たせ、ヴィル。次どうぞ?」「おぅ」 荷物の整理をしていたヴィクタールは立ち上がり、浴室に向かう為にリシュティナの脇を通ろうとした時、不意に身体を屈め彼女の首筋に鼻を近付けた。「っ!?」「……いい匂いだな、楽しみだ」 そう一言言い、ヴィクタールは口の端を微かに持ち上げると、浴室に入っていった。(――“楽しみだ”って、何がっ!?) リシュティナは真っ赤な顔でベッドにうつ伏せで突っ伏すと、布団をポフポフと叩き続け―― ――叩きながらの熟考の末、寝たフリをする事にした。 どんな顔でヴィクタールと接すればいいのか分からなかったからだ。 布団を深く被り、浴室に背を向ける。 すると、後ろから浴室の扉が開く音がした。(えっ? ちょっと早くない!?) リシュティナは驚きつつも、慌てて布団の中で息を潜める。 足音が近付いてきて、ベッドの前で止まった。「………………」 暫く無音の時間が続く。 胸の鼓動がヴィクタールにまで聞こえそうな勢いだ。(し、心臓が破裂しそう……っ)「……リィナ? 寝たのか?」 ヴィクタールの小さな声で質問が飛んできたが、ここで流石に「うん、寝たよ」と返すわけにはいかないので、無言を
『美味しいものを食べる』旅に出てから四日目。 ヴィクタール一行は港町に辿り着いた。「ここは港町だから、様々な地方の食べ物が集まってるぜ。取り敢えずここで一泊して、色々食べてみっか」「大賛成ですわっ!」 ヴィクタールの提案に、フェニクスが紅色の瞳をキラキラと輝かせバッと片手を上げる。「聖獣神サマは『色気より食い気』ですね~」「まぁ失礼な! ちゃんと美にも拘っていますわよ? 見なさいな、この可愛らしく愛らしい姿を!」 フェニクスがドレスの裾を持ち上げ、クルクルと回る。それにリシュティナが黄色い声を上げた。「可愛い、フェニちゃん!」「ウフフッ、でしょう〜?」「……食べ歩きの所為でしょうかね? この数日で太りました? 顔周りと腰回りがぽっちゃりと――」「あらあら“海の悪魔”様? 聖獣神必殺の《業火の炎》を喰らいたいようですわね? この必殺技は特に“悪魔”に効果絶大――」「……すみません何でもありませんきっと空耳ですはい」 今、二人の姿はヴィクタールとリシュティナ以外は見られないようになっている。 こうやってちょくちょく仲良く掛け合いする間柄なので、獣神と精霊という身分の違いはあれど関係は良好のようだ。 それを言ったらレヴァイは嫌がりそうだけれど。「もう日も暮れるし、食べ歩きは明日にするか。宿を探して――」「えぇ~っ!? 嫌ですわ、少し位いいじゃありませんの!」 頬をプクリと膨らますフェニクスの腕を、レヴァイがちょいちょいとつつく。「聖獣神サマ、もしかしてお忘れですか? “アレ”、今夜ですよ?」「え――あぁっ!? そうでしたわ、すっかり忘れていましたわ!」 両目を見開きパンと手を打つフェニクスに、ヴィクタールは首を傾げて問い掛ける。「ん? お前ら、今夜何かあるのか?」「そうなんですの。主様、私とレヴァイアサンはこれから精霊界の“飲み会”に行ってきますわ。明日のお昼前には戻って来ますので」「――へ? “飲み会”?」 精霊界とは似つかわしくない単語が出てきて、ヴィクタールは思わず訊き返してしまった。「はい。一週間に一度、精霊界で開催されるんですよ。そこでは獣神様や精霊の身分関係無くワチャワチャするんです」「わ、ワチャワチャ……」「楽しいので、私は毎週参加していますの。今回はネプトゥーも来るみたいですから、いつもより賑わい