神崎颯真(かんざき そうま)が事故で大怪我を負った。それを聞いた七瀬詩穂(ななせ しほ)は急いで病院へ駆けつけ、大量出血の彼に1000ccもの血を提供した。 彼の仲間たちが「早く帰って休んだほうがいい」と口々に言うものだから、詩穂は仕方なく病室を後にしたのだが、出口まで来たところで、どうしても心配が募り、また引き返してしまった。 しかし、戻った彼女の目に飛び込んできたのは、看護師が自分の血液が詰まった五袋もの輸血パックをゴミ箱に捨てている光景だった。 その直後、隣の病室から天井が抜けそうなほどの笑い声が響き渡っている。 「はははっ、あのバカ、また騙されたぞ!」
View More詩穂の隣で、颯真は異様なほど緊張していた。まさか、自分が詩穂と結婚する日が来るなんて、夢にも思わなかった。あの日、詩穂が「死んだ」と聞かされたときでさえ、彼は遺骨を抱いてでも式を挙げたいとさえ思ったこともあった。だが、神崎家の人々が命をかけて止めたことで、、彼はその思いを胸に秘めるしかなかった。そして今、長年自分を愛してくれた彼女を、そして自分も愛している彼女を、ようやく妻として迎えられる。これからは、必ず彼女を大切にし、決して裏切ることはしないと心に誓った。式が進む中、司会者の合図で二人は誓いの言葉を交わすことになった。本来なら詩穂が先に話す予定だったが、彼女はそっとマイクを颯真の方へ差し出した。颯真はこれまで人前で何度もスピーチしてきたが、これほど緊張したことはなかった。事前に何度も原稿を練り直してきたはずなのに、いざその瞬間になると、口から出てきたのはたった一言だけだった。「詩穂、俺は君を愛してる。一生愛している」その一言だけで、詩穂の目には一瞬で涙が溢れた。彼女は止めどなく泣き続けた。颯真は慌ててハンカチを取り出し、涙をぬぐおうとしたが、なぜか彼女の瞳に深い悲しみを見てしまった。そう、詩穂はただただ悲しかったのだ。もし、過去の復讐などなければ――彼女は本当に颯真の花嫁となり、彼と永遠を誓い合ったかもしれない。だが、全ては確かに起きてしまった。思い出せば胸が締め付けられ、夜も眠れぬほどの痛みとなって。詩穂は深く息を吸い、颯真の手からマイクを受け取った。「颯真、今ここでサプライズがあるの」その言葉に颯真は驚きと喜びの色を浮かべたが、彼はまだ知らなかった。これから自分が地獄に落ちることを。スタッフが壇上に上がり、詩穂から手渡されたUSBをパソコンに差し込む。やがて、会場中央の大きなスクリーンに、颯真があの三年間詩穂に対して行った数々の悪事の映像が映し出された。彼がどれだけ冷酷非情な行動を繰り返し、人命を顧みなかったのか、そのすべてが暴かれていく。その後の出来事は、詩穂にとって夢の中のようだった。彼女は、会場のゲストたちが最初は驚き、やがてざわめき出すのを見た。記者たちが最初こそ戸惑い、次の瞬間にはシャッターを切り始めていたのを見た。そして何より、颯真がまずは呆然
白石家には、双子の令嬢がいる。姉の緋月は傲慢で我がまま、常に強者として弱者を圧倒するような性格だった。そして妹の緋咲は、冷静沈着で感情を表に出さず、他人の手を借りて自分の目的を達成するタイプだった。もともと白石家の人々は、家族の希望をすべて姉の緋月に託していた。だが、誰も予想していなかった――緋月が颯真に夢中な恋愛体質で、彼のために何度も命を懸けて大騒ぎを起こすような人間だったのだ。仕方なく、白石家は家族の未来を妹の緋咲に託すことにした。16歳の時、家族は彼女をアメリカへ送り出し、エリート教育を受けさせた。目標は30歳までに白石家のすべての事業を引き継ぐこと。一日も早く家を継ぐため、緋咲はそれ以来一度も帰国しなかった。だからこそ、詩穂は彼女の存在を全く知らなかったのだ。しかし今回、姉の緋月が颯真の手によって刑務所送りになり、白石家も神崎家からの報復で窮地に追い込まれたことで、緋咲はやっと帰国し家族の事業を引き継ぐことを決意した。たった一週間足らずで、緋咲は自分の家族がここまで追い詰められた原因を全て突き止めた。彼女は、緋月がこのゲームで犯した罪を否定はしなかった。姉が刑務所に入っても、特に気にも留めなかった。彼女が本当に納得できないのは、本当の罪人がいまだに何の罰も受けず、しかも幸福を手に入れようとしていることだった。ゲームを始めたのは確かに緋月だったが、実際に何度も手を下したのは颯真だった。彼の何十回にも及ぶ復讐で、詩穂は何度も命を落としかけた。本来なら、これらの罪を全て合わせれば、、颯真は一生刑務所から出られないはずだ。だというのに、彼は何の罰も受けていない。緋咲はその不条理に納得できなかった。だが、彼の罪を暴くチャンスはなかった。今や神崎家は絶頂期にあり、誰も颯真を敵に回したくなかったのだ。チャンスをじっと待ち続けた緋咲の前に、ついに絶好の人物とタイミングが現れた。「このUSBには、神崎がこれまで犯してきた全ての証拠が入ってるわ。君たちの結婚式当日は多くの財界人やメディアが集まる。もし式の最中に、このUSBの内容を公開すれば、彼は必ず刑務所送りになるわ。安心して、詩穂さんの安全は私が手配する。公開した瞬間に警察が突入して彼を逮捕するようにもしてある。しかも、最愛の人の手で刑務所
この一ヶ月、詩穂は逃げることを考えなかったわけではない。だが、颯真はまるでGPSでも付いているかのように、彼女がどこへ行っても、必ず見つけ出してしまうのだった。その上、彼は彼女に「教訓」を与えるために、彼女の舞踊団での仕事まで止めさせてしまった。もちろん、団長に伝えた理由は、以前ほど理不尽なものではなかった。「久しぶりの再会だから、もっと二人きりの時間を過ごしたい」と言い訳したのだ。そしてこうも付け加えた。「結婚したら、彼女はまた戻るから」と。そう、結婚。あの日の記者会見で、颯真は詩穂の偽の死を公表しただけでなく、一ヶ月後に結婚するとまで世間に発表してしまったのだった。もちろん、そんなこと彼女は何一つ知らされていなかった。だからこそ、会見の後、詩穂は颯真と激しく言い争った。しかし、どれだけ怒りをぶつけたところで、彼との結婚という事実を変えることはできなかった。今日、颯真が彼女を高級ブランド店に連れてきたのも、結婚式で使う品を選ぶためだった。ウェディングドレスに関しては、彼がすでに夜を徹して特注を手配済みだという。支払いを済ませた颯真が控室に戻ってきて彼女の手を取り、優しく微笑んだ。「行こうか」詩穂は何も言わず、ただ彼に手を引かれるまま高級ブランド店を出て車に乗り込んだ。車窓の外の景色が猛スピードで後ろに流れていく。それでも、彼女の瞳に宿る哀しみの色は消えなかった。彼女は颯真と結婚するなんて、望んでもいないし、したくもなかった。しかし、彼から逃れる道は何一つなかった。このまま、愛してもいない男と結婚するしかないのだろうか?膝の上で固く組んだ手は、自然と力が入り、白く浮き上がった指の関節が痛々しいほどだった。結婚式の日が近づくにつれ、詩穂の心はどんどん不安に飲み込まれていく。颯真は、彼女が結婚式に緊張していると思い、気晴らしに連れ出すことにした。だが途中で、彼は会社からの緊急の電話が入ってきた。仕方なく、彼女を先にレストランへ送って、「用事が済んだらすぐに行く」と伝えた。車を降りる時、颯真は無意識に彼女に別れのキスをしようとした。しかし、彼女は慌てて顔を背けてしまい、その唇は彼女の頬に触れるだけだった。颯真は一瞬止まったが、すぐに笑って車を降りて行った。ドアが閉まった瞬間
目の前の狂っている颯真を見て、詩穂はただただ皮肉を感じるばかりだった。「あんた、口では愛してるって言うけど――じゃあ、なぜ緋月が私を陥れたとき、真相を確かめようとしなかったの?なぜ彼女の復讐計画に賛成したの?なぜ真実を私に隠したの?」言い訳なんていらない。私……あのとき、ちゃんとチャンスをあげたの。あの火事の夜、私は聞いたの。戻ってくるの?って、もし、あのときあなたが振り返って私を引っ張り出してくれたら、私は全部、許してあげるつもりだったのに!なのに、あなたはどうしたの?」長く、深い問いかけ。だが返ってきたのは、颯真の沈黙だけだった。あの火事の夜のことは、もう遠い過去だ。颯真ですら、あの夜のことを忘れかけていた。けれど、あの時、彼は、答えなかった。ほんの少し躊躇って、そのまま背を向けて立ち去ったのだ。「炎の中で、私を置いて行ったあなたが……今さら、私があなたのために残るって、本気で思ってるの?」その言葉を最後に、詩穂は彼の横をすり抜けようとした。しかし今度は、颯真がすぐに動いた。「止めろ!」詩穂は、信じられないという目で彼を睨みつけた。「来ないで!」まだ、彼に少しでも罪悪感が残っていると思っていた。なのに、彼は、彼女の逃げ道を断った。颯真はゆっくりと歩み寄り、とうとう彼女の頬に手を伸ばした。「詩穂、今までのこと、全部俺が悪かった。責任も罪も、ちゃんと背負ってきた。だから、もう一度、やり直さないか?まだ俺に怒っているのも分かってる。だから、これから、少しずつでも償わせてほしい」「無理よ」詩穂は勢いよく顔を背け、彼の手をかわした。極度の失望からか、声がかすかに震える。「もう一度、私を壊す気なの?私が死ぬまで追い詰めないと、気が済まないの?」颯真の目に一瞬苦しみがよぎる。だが、すぐに固い決意へと変わった。「詩穂、もう二度と君を死なせたりしない」その日から、詩穂は、颯真に強引に側へと留め置かれることになった。彼女の存在を世間に納得させるために、颯真は記者会見まで開いた。大勢の記者を前に、彼は「詩穂は死んでいなかった。ただ少し喧嘩して家出しただけ」と説明し、こうして彼女が戻ってきたのは、自分が一年以上かけて誠意を尽くしたからだと語った。記者たちは感動の涙を浮かべ、フラッシュが一斉に焚かれた
颯真は、頬に受けた一撃の痛みにしばし呆然としていた。やっとのことで手を上げて、自分の腫れた頬をそっと撫でる。「……夢じゃないのか?」詩穂は、冷たい笑みを浮かべて言い放つ。「夢?ええ、夢よ。最低の悪夢だけどね」そう言って彼女は背を向けて、スタスタと階段を下り始めた。「詩穂!」ようやく正気を取り戻した颯真が慌てて追いかけ、二人がもみ合ううちに、詩穂の足元がふいに滑って、階段から転げ落ちてしまう。「危ない!」颯真は思わず手を伸ばすが、間に合わず、ただ彼女を抱きかかえるようにして共に階下へ落ちた。「ドン!」鈍い音が響き、二人は床に激しく叩きつけられる。颯真が彼女を庇ったおかげで、詩穂は頭が少しクラクラするだけで、大きな怪我はなかった。だが、颯真は床に倒れたまま、後頭部から血がじわりと滲んでいた。「ご主人様!」別荘の中は一気に騒然となり、執事が大慌てで二人を病院へ運び込んだ。これでまた数日が過ぎた。颯真が入院している間に、詩穂は静かに別荘を抜け出そうとした。だが、玄関にたどり着いた瞬間、使用人たちに行く手を塞がれる。詩穂の表情は一気に冷え込む。「……どういうつもり?」二人の使用人は困ったように顔を見合わせる。「七瀬さん、申し訳ありません。ご主人様の許可がなければ、お出になれません」まるで悪い冗談でも聞いたかのように、詩穂は鼻で笑う。「私を閉じ込めるつもり?」返事を待つまでもなく、彼女は二人の手を振り払って外へ出ようとした。とはいえ、ご主人様が愛している相手に無理やり手を出すわけにもいかず、使用人たちはただ追いすがりながら声をかけるしかできない。「七瀬さん、どうかご理解を……!」その声が逆効果になったのか、詩穂の足取りはますます速くなる。そのとき、一台のマイバッハが静かに目の前に停まった。中から現れたのは、顔色の悪い颯真だった。「詩穂」「その名前で呼ばないで。気持ち悪い!」帰国したときから、詩穂は颯真との再会を覚悟していた。自分が神崎家には敵わない。だからこそ、波風を立てないようにと努めてきた。できる限り距離を置き、必要以上に関わらないように――そう決めていた。何かあっても、決して衝突しない。そのほうが自分の身のためだと、何度も自分に言い聞かせてきた。だが
それからの半月、詩穂は公演に追われ、颯真のことを気にする余裕などはなかった。そして、ついに公演が終わり、ようやく待望の休みが訪れる。詩穂はレンタカーを借りてひとり旅に出かけようと準備していたが、そんなとき、颯真の秘書から電話がかかってきた。「社長が大変なことになりました。どうか神崎家に一度いらしていただけませんか」と繰り返して懇願した。颯真の性格を知り尽くしている詩穂は、「またあの人の仕掛ける復讐だろう」と冷めた目で受け流した。けれど、わざわざ問い詰める気も起きなかった。「私は医者じゃないし、彼に何もしてあげられません」それだけを言い残し、返事も待たずに電話を切ってしまった。さらに、もう二度と邪魔されないようにと、相手の番号をさっさと着信拒否リストに入れてしまった。スマホを放り投げると、詩穂はさっさとタクシーを呼び、レンタカー屋へ向かうことにした。タクシーの後部座席で目的地を伝えると、詩穂はそのまま目を閉じ、しばし仮眠をとる。どれほど時間が経っただろうか。運転手に「お客さん、着きましたよ」と声をかけられ、詩穂はぼんやりと目を覚ました。特に疑うこともなく料金を払い、ふらふらと車を降りた――が、目の前の建物を見て、ようやく自分が神崎家の別荘に連れてこられたことに気付く。「運転手さん、道間違えたでしょ!」怒りとも呆れともつかぬ笑いが漏れる中、彼女はスマホを取り出し、再度タクシーを呼ぼうとした。そのとき、豪奢な別荘の門が開き、神崎家の執事が大勢の人を引き連れて出てきた。彼女を見つけると、執事は驚きと喜びの入り混じった声を上げる。「奥さま……いえ、七瀬さん!やっとお越しいただきました!」そのまま、彼女を別荘の中へと招き入れた。久々に踏み入れた神崎家の別荘。一瞬、彼女の心が揺らいだ。あの日、慌ただしくこの家を出て行った。何も持たず、何も振り返らず。屋敷の中はあの頃のまま、まるで時間が止まったように残っている。思わず「自分は本当に離れていたのか?」と錯覚しそうになるほどだった。執事はやけに丁寧にお茶を淹れたり水を持ってきたりしながら、経緯を説明し始める。「ご主人様は、復讐なんてしていません」「あの日、七瀬さんと別れてから彼は別人のようになり、部屋にこもって酒に溺れ、眠っては七瀬さんの名を呼び続
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