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第1400話

Author: 夏目八月
翌朝早く、さくらが禁衛府に戻ったばかりのところを、淡嶋親王妃が門の前で待ち伏せていた。

さくらは彼女と久しく会っていなかった。というより、親王妃の方が長らく屋敷に閉じこもっていたのだ。

今回淡嶋親王が都に連行された際、その息子は捕らえられていない。穂村規正の軍が捜索を続けており、いずれは捕縛されるのは確実だった。

親王妃は息子も連座で腰斬の刑に処せられるのではと案じ、慌ててさくらに助けを求めに来たのだった。

実は淡嶋親王が護送されてきた時点で、既に一度蘭を頼ってさくらに取り成しを求めていた。

しかし蘭は承諾せず、さくらの前で一度も口にしたことがない。さくらがそれを知ったのは、石鎖さんから聞いたからだった。

「さくら!」淡嶋親王妃が足早に駆け寄ってきた。顔は心労で憔悴し切っている。「叔母に用事があるの。どこか人目のつかない所でお話しましょう」

さくらは素っ気なく答えた。「公務が立て込んでおりまして、お時間がございません」

親王妃は慌てて両手を広げて行く手を遮り、すがるような眼差しを向けた。「ほんの少しだけ……従兄をお救いください。あの子は何も知らないのです。何もかも父親に巻き込まれただけで……どうかお助けを」

さくらは親王妃の充血した瞳を見つめ、祖父が都に戻った際のことを思い出した。屋敷に軟禁されていたというのに、親王妃は一度も見舞いに行かなかった。災いが我が身に降りかかるのを恐れて。

天性薄情なのか、身勝手で臆病なのか。理由は何であれ、さくらは相手にしたくなかった。

親王妃の制止を振り切って大股で中に入り、禁衛府の兵に追い払うよう命じた。

背後から親王妃の嗚咽が聞こえてくる。「さくら……本当にそんなに薄情なの?小さい頃、叔母があなたをどれほど可愛がったか、忘れてしまったの?」

さくらが振り返らないのを見ると、親王妃は急に声を張り上げた。「上原さくら!あなたの母上は私を最も愛してくださったのよ。見殺しにするなんて、きっとお恨みになるわ」

さくらは足を止め、振り返って親王妃を見据えた。瞳の奥に氷のような冷たさを宿しながら、冷然と言い放った。「母があなたを大切にしていたことを、まだ覚えているのですね?それなら祖父があなたをどれほど溺愛していたかも、さぞお覚えでしょう?」

親王妃は言葉に詰まった。「わ、私は……」

さくらは踵を返して中に入り、
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