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第307話

作者: 夏目八月
絵画展が終わると、天皇は大臣たちと共に上機嫌で帰っていった。

貴婦人たちも次々と辞去していった。今日の出来事で、太政大臣家の京での地位は揺るぎないものになったようだ。天皇自らが訪れたのだから、これほどの面目は他にないだろう。

淡嶋親王妃は去り際、心の中でもやもやしていた。さくらが恵子皇太妃に絵を贈ったのに、自分という叔母には一枚も贈られなかったからだ。

先ほどの絵の購入は天皇や朝廷の官僚たちによるもので、親王様は来ておらず、自分も一女性として男たちと争うわけにもいかなかった。

しかし、買うか買わないかは別として、さくらが和解の印として一枚贈るべきだったのではないか。

だが最後まで、さくらはそのことに触れず、ただ「お気をつけてお帰りください、叔母上」と言っただけだった。

淡嶋親王妃は無理に笑みを浮かべ、「ええ、見送りは結構よ」と答えた。

石段を下りる時、東條夫人が同行していた。率直な性格の彼女は、淡嶋親王妃が手ぶらで帰るのを見て尋ねた。「王妃様、上原お嬢様はあなたに一枚も贈らなかったのですか?あなたは彼女の実の叔母なのに」

淡嶋親王妃の表情が一瞬にして曇った。東條夫人は自分の失言に気づき、慌てて会釈をして先に立って行った。

馬車の中で、淡嶋親王妃はハンカチを握りしめ、心中穏やかではなかった。今日、蘭を連れて恵子皇太妃の宴会に参加し、それから一緒に太政大臣家に来ればよかった。蘭がいれば、きっと絵を一枚もらえただろうに。

今や自分は笑い者になってしまった。東條夫人は口に出して言ったが、多くの人が心の中で同じことを考えているのではないか。自分は叔母として適切に振る舞わなかった、さくらが離縁した時に助けなかったと。

でも、誰が自分の苦しい立場を理解してくれるだろうか。

誰もが自分を王妃だと言い、華やかな生活を送っていると思っているだろう。しかし、夫の親王は臆病で、誰も怒らせたくないがために、自分までもが窮屈な思いをしている。

実は、姉が生きていた頃、淡嶋親王妃は姉を羨ましく思っていた。姉の家の男たちは皆、天下を支える立派な人物だった。戦場で命を落としたとはいえ、その名は永遠に記憶され、少なくとも三代は恩恵を受けられるほどの功績を残したのだ。

しかし、最後に姉の一族が皆殺しにされるとは、誰も予想できなかったことだった。

平安京のスパイの仕業だと言わ
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