玉封師

玉封師

last updateHuling Na-update : 2026-05-18
By:  鷹槻れんIn-update ngayon lang
Language: Japanese
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幼い頃、妹を奪った鬼女との数十年ぶりの再会。ただ封じるには問題があって……。 玉に鬼を封じる力を持つ青年と、彼に仕える鬼のお話です。

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Kabanata 1

1.六畳一間の朝と、玉封じの鬼①

―序―

 存外簡単に手折れた事に、女は呆けた様子で手元を眺める。

 先程までからすが鳴くような、猫が鳴くような、何とも五月蝿うるさい音が聞こえていたはずなのに、今は嘘のようにしん……と静まり返っている。

 二月二日にみんなですえた、へその灸が効かなかったのは何故だろう?

 毎月一日には必ず服用していた朔日丸さくにちがんなる薬もいかさまだった……。

 出来てしまってから試したけれど、鬼灯ほおずきも効きゃしなかったし……。

 水銀は……怖くて飲めなかったねぇ……。

 でもさ、大丈夫……。

 ほら、この通り証拠は隠滅出来たじゃないか……。

 空にはおぼろに霞んだ下弦の月。

 冬の立ち枯れた木々の伸ばす枝が、人間の骨ばった手の如き影を広げて頼りない月光をさえぎる。

 そんな、闇に融け掛けた空間の中で、女がにぃ……とわらう、その赤い口元だけが妙にはっきりと浮かび上がった。

 昼の明かりのもとで見たならば、さぞかし妖艶な笑みであっただろう。

 美しい女であるが故に、そのどこか狂気に満ちた表情が一層不気味に見える。

 白い襦袢じゅばんをどす黒いあけに染めて月を見上げる女の手には、今まさに生み落とされたばかりの赤子が握られていた。

 片手を女に持たれ、人形のようにゆらゆらと揺れるその乳飲み子は、首をあらぬ方向にだらりと折れ曲がらせて、虚ろな面差しでおんなを見上げる。

 赤子の腹には、まだ臍の緒がぶら下がっていた。

“遊びをせんとやうまれけむ

 たわぶれせんとやむまれけん

 遊ぶ子供の声聞けば

 我が身さへこそゆるがるれ”

 女はそう呟きながら、カラカラとわらう。

 ひとしきり哂ってから、思い出したように、今、己の手でくびり殺したばかりの赤子を愛しそうに抱きしめる。そうしてそのまま闇の中をふらりふらりと彷徨さまよい始めた――。

 遊ブ子供ノ声聞ケバ

 我ガ身サヘコソユルガルレ――。

***

 六畳一間のおんぼろアパートに射し恵む清々しい朝日。

 カーテンの隙間を縫うように、一条の光が部屋を分断している。

 こたつの上の包みを照らした陽光は、そのまま突き当たりの壁に貼り付けられた沢山の写真へと伸びゆく。

 飾られているのは、今にもそこから被写体の笑いさんざめく声が聞こえてきそうな、そんな写真ばかり。

 驚いた事にそれらのどれにも幼児達にほぼ同化した雰囲気で短髪の男が一人。砂場遊びの場面にも、滑り台ではしゃぐ構図にも。時には幼子達同様泥まみれになっていたり、または画面のほんの隅っこの方で彼らを見守る、穏やかな笑みを湛えた保護者だったり。

帝太郎ていたろう、俺が茶碗洗ってる間にカーテン開けとけって言わなかったか?」

 朝の光を目一杯室内に取り入れながら、長身の男が問いかける。

「……ごめん。忘れてた……」

 彼には帝太郎から返ってくる言葉が予め分かっていたのか、それ以上は追及せず、代わりに小さく溜め息をひとつ。

 それから窓を背に振り返ると、ふと目を細めてこたつの上を見遣る。

「……ところでお前、弁当忘れてねぇか?」

「あ」

 丁度靴を履いたところで投げかけられた声に、いけない、いけないと繰り返しながら四つん這いで畳の上を移動する帝太郎。

 スーツにネクタイというフォーマルスタイルなのに、スラックスの膝の部分が擦れて光ってしまうとか、そういう事には全く頓着しないタイプらしい。

 玄関先には黒のロングコートが無造作に投げ出されていた。丈の長いそれを羽織る前だったのは幸いだったかも知れない。

 どうやら壁の写真に写っている人物は帝太郎のようだ。

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1.六畳一間の朝と、玉封じの鬼①
―序― 存外簡単に手折れた事に、女は呆けた様子で手元を眺める。  先程まで烏が鳴くような、猫が鳴くような、何とも五月蝿い音が聞こえていたはずなのに、今は嘘のようにしん……と静まり返っている。 二月二日にみんなですえた、臍の灸が効かなかったのは何故だろう?  毎月一日には必ず服用していた朔日丸なる薬もいかさまだった……。  出来てしまってから試したけれど、鬼灯も効きゃしなかったし……。  水銀は……怖くて飲めなかったねぇ……。  でもさ、大丈夫……。  ほら、この通り証拠は隠滅出来たじゃないか……。 空には朧に霞んだ下弦の月。  冬の立ち枯れた木々の伸ばす枝が、人間の骨ばった手の如き影を広げて頼りない月光を遮る。  そんな、闇に融け掛けた空間の中で、女がにぃ……と哂う、その赤い口元だけが妙にはっきりと浮かび上がった。  昼の明かりのもとで見たならば、さぞかし妖艶な笑みであっただろう。  美しい女であるが故に、そのどこか狂気に満ちた表情が一層不気味に見える。  白い襦袢をどす黒い朱に染めて月を見上げる女の手には、今まさに生み落とされたばかりの赤子が握られていた。  片手を女に持たれ、人形のようにゆらゆらと揺れるその乳飲み子は、首をあらぬ方向にだらりと折れ曲がらせて、虚ろな面差しで母を見上げる。  赤子の腹には、まだ臍の緒がぶら下がっていた。“遊びをせんとや生れけむ  戯れせんとや生れけん  遊ぶ子供の声聞けば  我が身さへこそゆるがるれ” 女はそう呟きながら、カラカラと哂う。  ひとしきり哂ってから、思い出したように、今、己の手でくびり殺したばかりの赤子を愛しそうに抱きしめる。そうしてそのまま闇の中をふらりふらりと彷徨い始めた――。 遊ブ子供ノ声聞ケバ  我ガ身サヘコソユルガルレ――。*** 六畳一間のおんぼろアパートに射し恵む清々しい朝日。  カーテンの隙間を縫うように、一条の光が部屋を分断している。  こたつの上の包みを照らした陽光は、そのまま突き当たりの壁に貼り付けられた沢山の写真へと伸びゆく。  飾られているのは、今
last updateHuling Na-update : 2026-04-30
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1.六畳一間の朝と、玉封じの鬼②
「靴脱げ! 誰が掃除すると思ってんだ!?」「玉ちゃん♪」 そう言ってこたつの上の弁当をくわえると、いざるように後退を始める帝太郎。 いつもこんな風に彼の膝にこすられているからか、畳はあちこちが擦り切れて部屋の古くささに拍車をかけている。  スーツ姿でばっちり決めている風なのに、所々寝癖がついたままの髪。四つん這いになったせいで、ネクタイも少し曲がっている。  帝太郎を見ていると、身の回りに春風をまとっているような、のほほんとした印象を受ける。整った顔をしているくせにどこか憎めない、眠たげな瞳のせいだろう。「……玉郎! 名付け親だからってコロコロ呼び方変えんな」 玉郎と名乗った男は、言うが早いか大股で帝太郎のところまで歩み寄ると、彼の襟首を荒々しく掴んで子猫でも扱うように眼前へ引き上げた。 その動きにあわせたように、一八〇センチ近い長身の背を、艶やかな銀髪が滑り落ちる。 和の出で立ちにエプロンというどこかアンバランスな組合せで、無言のまま帝太郎を睨め付ける。 和装なら割烹着だろ?と言いたいところだが、そんな事を言わせない迫力が、今の彼にはあった。  乱れた髪が顔にかかるのもお構いなしで帝太郎を見据える。 玉郎に比べれば、帝太郎の身長は五センチばかり低いのだが、それにしたって体重は優に六〇キロを超えている。その彼を易々と――しかも片手で――自らの目の高さまで引き上げられる玉郎の膂力たるや相当なものだ。ある意味人間離れしている。 着物――長着――の袂は家事の邪魔にならないようたすき掛けにされているので、力の込められた腕には女性なら誰もが縋り付きたくなるような、均整の取れた逞しい筋肉が見て取れる。 この男、ぱっと見は決してマッチョ系ではないので、案外着痩せするタイプなのかも知れない。 玉郎にあんまり突然持ち上げられたので、思わずくわえた弁当包みを放してしまった帝太郎である。 床に転がった弁当も気になるが、それよりも息苦しさが勝る。喉を締め付ける襟に手をやると、喘鳴混じりの掠れ声で「玉ぢゃんっでば心狭ぁ〜い」 それでも間延びした口調でそう抗議出来たのだから大したものだ。「……玉郎!」 低く抑え
last updateHuling Na-update : 2026-04-30
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1.六畳一間の朝と、玉封じの鬼③
「玉ちゃん、弁当拾って? お尻痛い……」 眉根を寄せて弁当を指差してから、思い出したように腕時計に視線を落とす。「……っと、そろそろ出かけなきゃ。早く行かなきゃ今日もまた遅刻しちゃう」 出掛けに色々あったので、いつもよりも出発が遅くなったみたいだ。  胸の辺りをポンポンと叩きながら上目遣いに玉郎を見遣る。「俺さー、そんなか窮屈で嫌いなんだよ。なあ、どうしても入んねぇとダメ?」 帝太郎に請われるまま、弁当を拾い上げながら、玉郎が心底嫌そうにそう吐き捨てる。「もちろん!」 そんな彼に容赦なく頷いてみせると、帝太郎は首に下げたお守り大の赤い巾着袋から、丸いものを取り出した。 それは丁度ビー玉ぐらいの大きさをした一つの玉で――。  色は一言では表現し難い。  光の加減によって青にも赤にも……いや、その他のありとあらゆる様々な色に変化を重ねる、一時として同じ様相を呈さない不思議な球体。  少々語弊がありそうだが、「虹色の玉」と称するのが最も妥当な線ではなかろうか。「玉封じの鬼って普通主人が呼び出さない限りはこの中に居るモンなんだよね〜? 玉ちゃん、さっきの口振りからするとマトモなお役目に戻りたそうだったしぃ〜」 殊更「マトモ」という件を強調してニヤリと微笑う。  先刻玉郎が告げた言葉を逆手にとって、してやったりと言わんばかりの表情だ。「それにさ、玉ちゃんがそのまんまだとバス料金、二人分取られちゃうんだもん」「……ほざけ」 不満たらたらな玉郎ではあるが、今日はとあるイベントの事もあるし、大人しくしておいた方が無難かな?と考える。「初めて来る子達はどんな感じかなぁ〜」 溜め息をつく玉郎とは対照的に、まるで恋人の事にでも思いを馳せるかのように夢見心地な面貌で呟く帝太郎。 二人の視線は自然と壁の写真へ向いていた。「玉ちゃん、今日もカメラマンよろしくね♪」 帝太郎、実はこの近くの建物をテナントとして借り受け、託児所を開設していたりする。 仕事柄、カメラは必須アイテムだ。 経営者たる帝太郎にとっては、言わば毎日が子供パラダイス。 趣味と実益を兼ねた職業とはよく言ったもので。「……ロリコン……」 いつになく感情のこもった帝太郎のにやけ振りに、思わず口の滑ってしまった
last updateHuling Na-update : 2026-04-30
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3.名前を与えた日①
 あれは雪のちらつく、底冷えのする日の事だった。 師走の中頃。確か日付は十二日。 帝太郎、二十歳の誕生日だ。 通帳、洋服、わずかばかりの食料……。 とにかく自分が大事だと思う物を持てる限り引っつかんで家を出たのが十八の時。 こう書くとまるで家出のようだが、実際のところ両親は帝太郎が家を出る事を了承してくれていた。 お前がやりたいようにやればいい。それは父のセリフであり、困った事があったらいつでも言うのよ、と言ってくれたのは母だった。 我侭を言って家を出たという気持ちが強かったから、なるべく両親を頼るような事はすまい。 帝太郎はそう心に決めて実家を後にしたのだ――。 首から下げた巾着袋に入った玉も、その時持ち出した物の一つだった。 こんな玉、本当は置いて行こうかとも考えた。持っていたって実用性があるようには思えなかったし、何よりお金になりそうにない。 しかし、両親が「これだけは――」。そう言って持たせたがった唯一の品だったから。(そう言えばこの玉、いつから持ってるんだっけ……?) 考えてみると、物心つく前から身につけている。それが無い事を思うと何故だか寂しいと感じてしまう程に。 右も左も分からず、殆ど手探り状態で始めた一人暮らし。 不動産屋には兎に角安いトコ! そう言って格安の物件を紹介してもらった。 無論、未成年である帝太郎に賃貸契約を結ぶ事は出来ないわけで、出て早々で情けなくはあったが、恥を忍んで両親に頼る羽目になってしまった。住まいがなくてはどうしようもなかったからだ。 とは言え、両親からの仕送りがあるわけでなし、一難去ってまた一難……と言った具合に、一人暮らしの道のりはかなり険しいものだった。 帝太郎はとりあえずレンタルビデオショップとコンビニのバイト……なんていう二足のわらじで家計を賄った。幸い丈夫だけは取り柄だったから、朝から晩まで殆ど無休状態で働いても何とか頑張れた。 それでも毎月家賃に三万円取られてしまうのは、バイトの身には結構堪えたものだ。 生活が苦しくなって一番削りやすいのは矢張り食費。一時期、帝太郎はいつも腹ペコ状態だった事がある。 だが不思議な事に、極限に達するまでにはどこか頼りなげに見える雰囲気のお陰か、誰かが何かをご馳走してくれた。 大抵の場合、それは同年代の女の子達で、母性本能をく
last updateHuling Na-update : 2026-04-30
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3.名前を与えた日②
「そりゃぁ、僕ん|家《ち》は普通の家じゃなかったけどさ~……」  それが原因で出てきたのだが、家の事が全く気にならなかったわけではない。  年が十二離れた弟は、元気でやっているだろうか?  時折ふとそんな事を思う。 (僕がいなくなったせいであの子、苦労してるんだろ~なぁ~……)  今の時代には、ともすると古臭くさえ思えてしまう、後継ぎ問題。 ――ギョクフウシ。  父親がよく口にしていたそれは一体何の事だったのだろう? 「インチキ霊媒師の親戚みたいなもんかな?」  決して神社仏閣の類いではないはずなのに、広大な敷地に「|御霊屋《みたまや》」なるものを有していた実家。  子供の頃、何度か入った事があるそこには、燭台に灯る十数本の蝋燭の薄明かりに照らされて、沢山の小さな玉が並べられていた。  その様は、幼い自分にも不思議と神聖に感じられたものだ。そして、その余りの神々しさ故に怖いとさえ思ってしまう場所だった。  そんな建物が、当然のように鎮座している家なのだ。察するに、ギョクフウシというものも、ろくでもないものに違いない。  幼い頃はわけも分からず父親のなすがままになっていた、真言の唱え方や印の組み方なんかの修行。  物心ついてから気付いたのだが、同年代の子達で、そんなものを教え込まれている者は一人としていなかった。  血の影響か、元々そう言う素質に長けていたのか、帝太郎は乾いた大地が水を吸い込むように、それらの技術を難なく身に付けたものだ。 「ギョクフウシ、ねぇ……」  小学校に上がる頃には「みんなと一緒でいたい」という思いから、家業について父に聞こうとすらしなくなっていた。  父も元々多くは語らない人だったから、帝太郎が尋ねない事については口を開かない。だから、それがどんな字をあてるものなのか、今日まで帝太郎は知らずにきてしまった。  ただ、修行だけはある目的のために黙々と続けていた。  仇を討つため――。  幼い頃は、自分にそう言い聞かせていたけれど……本当は自責の念からなのだと今なら素直に認められる。  父の後を継ぐつもりはなかったのに、十八の歳まで家にいる事が出来たのも、また修行を続ける事が出来たのも、多分そのためだ。 (そう言えば父さんも首から同じ物を下げていたっけ)
last updateHuling Na-update : 2026-05-02
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3.名前を与えた日③
『この歌はなぁ、読み人知らずの歌さ。つまりは作者不明。んでもって載ってんのは古今和歌集巻第八、離別歌のところだ。さて、他にご質問は?』  ――と突然、手にした玉からそんな声がしてきたものだから、さしもの帝太郎も驚いて思わず玉を放り投げてしまった。 『げ! てめぇ、何しやがる!』  綺麗な放物線を描きながら宙に舞う玉。  声は、そこからなおも続いている。  カラン……。  乾いた音を立てて玉が床に転がった時、帝太郎はハッと我に返った。 「わ、どうしよぉ!」  慌ててそれを拾うと、眉根を寄せて凝視する。  手の上で何度も転がしてみたけれど、どこにも傷はついていないようだ。どうやら畳とこたつ布団という環境に助けられたらしい。 「良かったぁ~、ひび入ってない……っ!」  ホッとしたのも束の間、突然玉から霧のようなものが噴き出してきたものだから、思いっきり驚いてしまった。  今度は辛うじて放り投げたりはしなかったものの、思わず目をつぶってしまう。 「ったく、やってらんねぇぜ!」  その声に恐る恐るまぶたを開くと、見知らぬ男が仁王立ちで自分を見下ろしていた。しかもその装いが平安貴族然とした|束帯姿《そくたいすがた》……ときているものだから思いっきり不自然で……。 「あ……あの~、どちら様……?」  突然玉から湧いてきたような男に放つ言葉だ。もっと他に言い様があろうに、腰抜け状態で座り込んだ帝太郎の口から放たれた第一声はそれだった。 「……あン? 俺か? 俺は見ての通り『玉封じの鬼』だ」  対する男の返事もどこか間が抜けている。 「タマフウジノオニ?」  ちんぷんかんぷんだといった面貌で、帝太郎が彼の言葉を繰り返す。 「それ、なぁに?」  極めつけはこの一言。 「お、おい、お前、|玉封師《ぎょくふうし》だろ? 俺の|主人《あるじ》のっ!」 「……悪いけど……僕は玉封師なんかじゃないよ」  この|柵《しがらみ》を、やっとの思いで生家に置いてきたというのに……。こんなところで引き戻さ
last updateHuling Na-update : 2026-05-03
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3.名前を与えた日④
 思えば幼い頃からずっと生活を共にしてきた玉である。その玉から出て来た眼前の男が、自分の名前を知っているのは何となく理解出来る。でも帝太郎にとっての彼は、つい今し方までただの玉――お守り――でしかなかったのだ。 「ねぇ、名前とかないの?」 「だから、玉封じの……」 「それ以外」  呼び掛ける度に「ねぇ、玉封じの鬼」なんて言わせる気だろうか? 意図せず溜め息がこぼれる。 「そんなのねぇよ。名前なんざ、随分昔におさらばしちまったし。……まぁ、どうしてもってんなら勝手に付けてくれて構わねぇけど。好きにしな」 「それじゃあ……桃太郎にちなんで」 「|玉太郎《たまたろう》は却下!」 「勝手に付けていいって言ったくせにぃ~!」  眼前の鬼のセリフに、ぶつくさ文句をたれる帝太郎。しかし持ち前の能天気さですぐににこやかな笑みを浮かべる。 「じゃ、|玉郎《ぎょくろう》! これで決定ね。異議は認めませ~ん。よろしくね~、タマ♪」 「た、タマ……?」  唐突に差し出された手を条件反射で握り返してみたものの、帝太郎の言葉に玉郎は思わず目を見開く。 「玉から出てきたからタマ♪」  その発想では玉太郎と大差ないのではなかろうか? 「でも今、玉郎って――」 「それは本名♪」 「じゃ、タマってのは」 「ん~? 猫呼んでるみたいで可愛いから! 僕、ペットって飼った事なかったからさ、一度気分味わってみたかったんだよね~」  理由はそれだけ。  言いながら満面の笑みを浮かべる帝太郎。  いつから俺は愛玩動物になったんだっ!!  そんな事を、声を大にして言いたい玉郎であったが、長年の付き合いで帝太郎の性格は|知悉《ちしつ》しているつもりだ。  結論を言ってしまえば、つまりは何を言っても無駄という事で――。  がっくりと肩を落とすと、 「……せめて『タマ』で切るのだけはやめてくれ……」  消え入りそうな声音でそう呟いてから、恨めしそうに帝太郎を見やる。 「ん~。じゃぁ……玉ちゃん!」
last updateHuling Na-update : 2026-05-04
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4.来るはずの子が来ない朝①
「たっだいまぁ~♪」  上機嫌で『つくしんぼクラブ』の入り口をくぐった帝太郎を、聞き慣れた声が出迎える。 「おかえりなさい! 帝ちゃんセンセ!!」 「なみた君、ただいまぁ~♪ 今日も一番乗りだね~♪」  足元に駆け寄ってきた三歳位の小柄な男の子を視界に捕らえて、満面の笑みを浮かべる帝太郎。  しゃがみ込んで彼の視線に自分のそれを合わせると、良い子良い子をしてあげる。  ここ、『つくしんぼクラブ』には、ほんの一日だけ預けられる子もいれば、一年契約で毎日のように預けられる子もいる。  今、子犬のように帝太郎にまとわり付いているのは、後者に属する子供で、名を青川なみたという。 「帝ちゃんセンセ、それ、なぁに?」  子供というのは実に好奇心旺盛な生き物である。  帝太郎が手にしたナイロン袋を目ざとく見つけると、吸い込まれそうなほど澄んだ瞳で質問を浴びせてくる。 「これ? さ~て何かなぁ~?」 「ヒント1ぃ~。今日は節分で~す♪」  ニコニコと微笑みながら袋を高く掲げる帝太郎の言葉に、菜奈子が歌うような声で付け加える。 「ヒント2ぃ~。小さいくせに当たると滅茶苦茶痛ぇ……」  真剣な顔で帝太郎の手元を見上げるなみた。  そんな彼を軽々と抱き上げると、玉郎が顔をしかめてそう呟く。 「玉ちゃんセンセのきらいなものなの?」 「使い方にもよるな」  肩になみたを載せた格好で、玉郎が大きな溜め息を一つ。 「玉ちゃんはこれだから」  両手の人差し指を角のように立てて頭の両サイドにあてがうと、帝太郎はウインクをしてみせた。 「わかったぁ! おまめさん!」 「当ったり~♪」  突然両手を広げて叫ぶなみたに、玉郎が慌てて手を添える。 「じゃあ……玉ちゃんセンセ、ことしもオニさんやるの?」 「……」  肩の上から自分の顔を覗き込むようにして尋ねてくるなみたに、玉郎は思わず言葉に窮する。 「じゃ、なみた、オニはそと言わない。おまめさんも玉ちゃんセンセ
last updateHuling Na-update : 2026-05-05
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4.来るはずの子が来ない朝②
「ほら、もう三十分でしょう? 本当なら八時までにお父様と一緒に女の子が来るはずだったじゃないです か……」  予定では八時半受け入れ予定になっていた子だが、昨日になって、父親から「仕事の都合がつかないので八時過ぎに連れて行っても構わないでしょうか?」との問い合わせがあった。  子供たちをあやす帝太郎に伺いを立てると、のんびりとした口調で「いいよ」と返った。  それで「少しぐらいでしたら」と答えて受話器を置いたのだ。  いつもなら、帝太郎に忘れて欲しくないことは玉郎にも伝えておくようにしている。そうしなければ駄目だと言うのは分かっていたのに……。  忙しくて言いそびれてしまった。  だから今朝、菜奈子はいつもより気持ち早く出勤して来たのだ。  先ほど帝太郎に請われて本日の受け入れ予定のスケジュールを、意図的に変更前のまま読み上げてみたのだが、帝太郎は全く無反応だった。  あえて口に出すまでもなかったので黙っておいたのだが、やはり帝太郎は女の子の件をすっかり失念している風だった。  それで、内心、早く出ておいて正解だったなと思っていたのだ。  それなのに……。  帝太郎がやって来てしばらくしても、その女の子は一向に現れる気配がなくて――。  そうして今に至る。 「まだなの?」  それは、部屋にいるメンバーを見れば一目瞭然。 「名前は?」 「えっと……」  ガサガサと帝太郎のデスクの上を引っ掻き回す菜奈子。彼のデスクの上が散らかっているのはいつものことだが、そのお陰でこういう時に苦労する羽目になる。 「大事な資料は菜奈ちゃんの机に置いといたほうがいいぜ?」  なみたをあやしながら発せられた玉郎のセリフも、もっともである。  菜奈子はやっとの思いで帳簿を見つけ出すと、 「相沢美紀ちゃん。歳は四歳」  該当ページを開いて帝太郎にそれを手渡す。 「家には連絡してみた?」 「もちろん! 所長が買い物に行ってらっしゃる間にも数回。……携帯にもかけてみたんですよ」 「で?」 「駄目でした」  菜奈子の言
last updateHuling Na-update : 2026-05-06
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5.赤い着物の女①
 相沢圭吾が娘――美紀――を伴って『つくしんぼクラブ』を訪れたのは、翌日木曜日のことだった。  圭吾に連れられた美紀を見て、思わず息を呑む帝太郎。 (……似てる)  美紀には昔帝太郎が失ってしまったある人物にどことなく重なる部分があって……一瞬その子がそこに居るかのような錯覚を覚えてしまった。 (でも……そんなはずない……)  彼女を失ったのはもう二十年以上前の話。だから眼前の少女とは年齢が噛み合わない。  そう思い直してよく見れば、やっぱり別人だ。  たまたま美紀と、自分の知る少女とが身にまとうオーラが似ていたからちょっと戸惑ってしまっただけ。この子とあの子は同一人物じゃない。  気を取り直して微笑むと、帝太郎は他の子供たちを菜奈子と玉郎に任せ、相沢親子を奥にある小部屋――応接室――に通した。「昨日はどうもすみませんでした!」  娘の頭を半ば強引に押さえるようにして自分も深々と頭を下げると、圭吾は開口一番そう謝罪した。 「あ、いえ、お気になさらず……ッ」  そういう場面に慣れていない帝太郎は、しどろもどろの口調で二人に面を上げてくれるよう促す。  圭吾が顔を上げたのと、ドアがノックされたのとが殆ど同時。  帝太郎の、「どうぞ」の声に、コーヒーとココアをトレイに載せて菜奈子が部屋に入ってくる。  圭吾の前にコーヒー、帝太郎と美紀の前にココアを置くと、お辞儀をして退室する。  普通こういった場合、大人にはコーヒーが出されるものだが、帝太郎はあの苦さがどうも好きになれない。だから今、帝太郎の前にココアが置かれているのは単に菜奈子の配慮に過ぎないのだが、少し場違いな飲み物の登場に、室内の空気が若干和む。  しばし、カップから立ち上る湯気を見詰めていた圭吾が、意を決したように口を開いた。 「実は私、来週から五日ばかり出張を控えておりまして……」  そこで自分の傍らで不貞腐れたようにそっぽを向いている娘をちらりと見遣る。 「今までは美紀が嫌がりましたので不安に思いながらも家で一人留守番をさせていたんです。……でも……」 「五日も家を空けなければならない、となるとさすがにご心配になられた?」  こちらも美紀のほうに視線を注ぎながら帝太郎が言葉を紡ぐ。  四歳にしては少し大人びた雰囲気のその子は、ショートカットがよく似合
last updateHuling Na-update : 2026-05-07
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