今夜は、サラダと煮っ転がし。
ヒコさんにも食べていけばと誘ったが、なんだか明日は早いらしい。 ものすごく残念そうに、肩と尻尾を落として帰って行った。 だから今夜は簡単に、タコをサトイモと煮た。 魔界にも醤油があるのが微妙に嬉しい。 わたしはエプロンをかけ、トマトを切っている。 こうして、夕暮れどきに夕飯を作る生活にも、だいぶ慣れてきた。 時計を見るとまだ十八時。 社畜だった頃は、この時間だと、追加の残業が降ってくることにイライラしていたはずだ。 背後では、アオが塗り絵をしている。 クレパスがテーブルの上でカツカツと踊る音がしている。 「それで、絵葉書にはなんて書いたのさ?」 「んー、なんてことは書いてないよ。今度はうちに遊びにきてください。一緒に湖を見ましょう、って」 それでダメなら、何を言ってももうダメってことだろう。 レタスを洗いながら、わたしは答える。 アオが手を止めて、ちょっとためるように言った。 「……一緒に、って、ぼくもいっしょにってことだよね?」 かわいいけど、めんどくさいスライムだな…… わたしはレタスの葉をちぎりながら言った。 「まぁ、そういうことになるね。でもお利口さんにするんだよ」 アオは勝ち誇ったような顔をしてるんだろうな。 言わなくても分かる。クレパスの音が楽しそうに変化している。玄関側に回ると、オークの姉さんが笑顔で手を振っていた。 「こんちは、調子はどう?」 わたしも自然と笑顔になれた。 「おかげさまで、なんかスッキリです」 オーク姉さんは、おなじみの荷車から小包をひとつ取り出しながら、「まずはいつものね」と言った。 「伯爵も懲りない人よねえ」 まとめて送り返したのに、また吸血鬼からのプレゼントだ。 「すみません、今日から受け取り拒否で……」と、わたしはサインしながら、申し訳なくて口をへの字にした。 「でも持ってきてもらってこれだと、お姉さんもストレスになるでしょ……」 オーク姉さんは笑ってくれる 「そんなことないよ、ちゃんと料金は向こうから発生しているからね。そこはご心配なく」 そして彼女は、「で、今日はもう一つあるのね」と、一通の封筒を取り出した。 受け取った封筒の裏面に、わたしの目は思わず輝いた。 差出人に、〝フクロウの森のマヌル〟とある。 やっぱり、マヌルの返事だ!…… 姉さんは、「よかったわね!」と、満面の笑みを残して荷車を引き、去っていった。 * * * 裏庭の湖が、きらきらと揺れている。 縁側のテラスで、わたしは左右を見回し、背後まで確認し、念のため見上げて軒先をチェックする。コウモリもいない。 ──よし。 そして、封筒を手に、ハサミを握る。 マヌルさんが書いたのであろう文字で、〝睡蓮の湖の相川〟と宛先がしてある。字を見つめているだけで、なんだが胸が波立つ。
──翌日、昼過ぎ。 ぽかぽかとした春の光の中で、ヒコさんが訪ねてきた。 彼は、わたしがテラスでチラシの裏に落書きをしていることに驚いた。 「……絵、描けるようになったの?!」 わたしは、はにかんだ。絵というほどのものではないけれど…… 「えへへ、そうなんですよ」 描いていたのは、昨夜のアオがコウモリに食いつこうとした顛末の四コマ漫画だ。 線もヨレヨレだし、下書きも無しの一発描きで、楽しいから描いただけのものだ。 「──ははは! たしかにあいつ、コウモリとか食べそうだ」 でも、ヒコさんには、このとおり好評で良かった。 チャリン……、と、懐のポケットでアプリの通知音がした。 そう。わたしは発見したのだ。こんなラクガキでも正のエネルギーが貯まるのだと言うことを……! 「面白かったよ、また描いたら見せてね」 すると、チャリン……と、またスマホが鳴った。 「なんの音?」と、ヒコさんは興味深そうだった。 「ええと…… なんていうか、仕事、みたいなものかな?」 わたしは誤魔化した。 それにしても、四コマでも人に絵を見せたからポイントが加算になったのだろうか。わたしは少し考え込んだ。……いや、反応が返ってきたことに、わたしの心が嬉しかったからだろうか。 わたしの横で、ちょっと離れてヒコさんがあくびをしながら、「おれも座っていい?」と、縁側に腰掛けた。 「朝から王都に仕事行ってきた帰りなんだ」 「大工さんのお仕事?」 「んにゃ。きょうは魔王さまの王宮で、庭師さ」 ……とっさにピンと来なくて、私
今夜は、サラダと煮っ転がし。 ヒコさんにも食べていけばと誘ったが、なんだか明日は早いらしい。 ものすごく残念そうに、肩と尻尾を落として帰って行った。 だから今夜は簡単に、タコをサトイモと煮た。 魔界にも醤油があるのが微妙に嬉しい。 わたしはエプロンをかけ、トマトを切っている。 こうして、夕暮れどきに夕飯を作る生活にも、だいぶ慣れてきた。 時計を見るとまだ十八時。 社畜だった頃は、この時間だと、追加の残業が降ってくることにイライラしていたはずだ。 背後では、アオが塗り絵をしている。 クレパスがテーブルの上でカツカツと踊る音がしている。 「それで、絵葉書にはなんて書いたのさ?」 「んー、なんてことは書いてないよ。今度はうちに遊びにきてください。一緒に湖を見ましょう、って」 それでダメなら、何を言ってももうダメってことだろう。 レタスを洗いながら、わたしは答える。 アオが手を止めて、ちょっとためるように言った。 「……一緒に、って、ぼくもいっしょにってことだよね?」 かわいいけど、めんどくさいスライムだな…… わたしはレタスの葉をちぎりながら言った。 「まぁ、そういうことになるね。でもお利口さんにするんだよ」 アオは勝ち誇ったような顔をしてるんだろうな。 言わなくても分かる。クレパスの音が楽しそうに変化している。
和室にちゃぶ台を出し、マヌルさん宛の手紙を書きはじめた。 けれども、どうにも文章が堅い。というか、手癖のせいで――なんだかビジネスメールみたいになってしまう。 お世話になっております…… とか書いちゃってるし。 「──だめだな、こりゃ」 はぁ、とため息をつきながら便箋をくしゃりと丸めて、大の字に寝転がる。 天井の染みに目をとめて、ぼんやりと考えた。 最後にプライベートな手紙を書いたのは、いつのことだろう。たぶん、学生のころか。それこそ十年以上前の話だ。 喧嘩をして、しばらく電話に出なかったとき、ハルトから封筒で手紙が届いた。 何日か開けなかったけど、机の片隅に置いたきり、それは心のどこかにずっとあった。 学校で絵を描いている時も、バイトをしている時も。 一週間ほどして、気も晴れてしまったのか、休みの日に封を切ったら便箋に三枚の手紙が入っていた。 小学校のときと変わらないハルトの字に、ちょっとほっとして、電話をかけたっけ。 わたしは畳に体を起こした。 やっぱり手紙は良いな。 面とむかって言えないことも、心をこめて書ける。 ちょっと休憩でもしようと立ち上がった。 廊下に出て、台所へ向かう。 その途中、ふと窓の外に湖が見えて、わたしは足を止めた。
「いっそ名前をつけちゃえば」 わたしも苦笑する。 たしかに他所の人にしたら、なんでこんな中途半端な銅像を玄関先に飾っているのかなんて謎でしかないだろう。 「いやそれが、もうこの銅像には名前はあって……」 わたしは白状するように言った。 「ハルトっていうんです。むかしのカレです」 「あらま! ……じゃあ、例の画家さんは、初恋じゃナイじゃない」 言ってしまえば、そうなんだけど…… 「でも、このハルトとは……好きとかそういう感情じゃなかった気がするんです」 そう聞くとオーク姉さんは、ハルト像の顔を見上げた。 「……なんだか、ちょっとわかる気がするわ」 そして思い出すような、遠い目をした。 「気づいたら近くにいたけれど、いなかった時のことは記憶になくて、離れ離れになるタイミングで心細くなっちゃったって感じかしら」 「そう、空気みたいなかんじで……。幼馴染なんです」 気がついたらそばにいたっていうか、ずっと助けてもらっていた。 オークの姉さんは、「あるよね、そういうの」とうなずきながら続けた。 「後になって効いてくるものよね。親の小言と、初めて付き合った人の思い出って……」 オーク姉さんは穏やかに微笑んだ。 「でもまあ、今はマヌルさんの話しよね」 わたしはうなずく。 家の前の道を、畑に向かうご近所さんが手を上げながら笑顔で通り過ぎていった。 ふと息をついて、オーク姉さんが言った。 「──実はね、私、彼のところにも配達に行くことがあるんだ」 「えっ、ほんとですか? 彼って
荷車を停め、オーク姉さんは小箱を抱えて歩いてきた。 「おはよう。どう? げんきにしてた?」 わたしは腫れぼったい顔をうつむかせた。小さくうなずくが、彼女は目を丸くした。 「……どうしたの? 腫れてない?! 大丈夫!?」 オーク姉さんを上目遣いに覗くと、彼女は心配そうに眉をひそめた。 「ないたの? 気の毒に……なにかあったのね」 昨夜、泣き腫らしたことは、きっと丸出しなんだろう。 わたしは、ちょんまげ頭を掻いて、どう誤魔化したものかと考えた。けれども、よく考えたら、オーク姉さんはこの魔界でただ一人の女性の知り合いだ。 わたしは、長くならい程度に、ことのあらましを話した。 マヌルという画家と、マッチングしたこと。 うまくいかなかったこと。 背中を向けて黙ってしまった彼に、なんと声を掛けたらいいものか分からなくて、黙って帰ってきたこと。 そして、どうやらわたしは、彼に興味を持っているらしいこと…… 照れ隠しに笑おうとするものの、うまく表情が出てこない。 一言でいえば、こうだ。 「──どうも初恋と、失恋が、同時にやってきたみたいです」 そう言いながら笑った