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第544話

Author: 栄子
理由が分かっていたけれど、知らないふりをした。

「安人の親権を私にくれるって言うの?」

「ああ」誠也は真剣な顔で言った。「俺は戸籍を碓氷家から抜いて、近いうちに海外に移住するんだ」

綾は彼を見つめた。「前にあんなに苦労して安人の親権を取ったのに、今更簡単に諦めるの?」

「前は碓氷グループに後継者が必要だった」誠也は冷静な様子で、少しの隙も見せなかった。「今は碓氷グループも碓氷家も俺には関係ない。海外に行って新しい会社を立ち上げるんだ。立ち上げ当初は忙しくて落ち着かないだろうし、安人を連れて行っても、十分に面倒を見てやれない」

確かに筋が通っている。

綾は目の前の男を見て、嘘をつくのも上手いものだと心の中で思った。

綾は尋ねた。「このこと、安人と話したの?」

誠也は喉仏を上下させた。「まだだ」

「安人は今、あなたにとても懐いているのよ。この数日あなたがいない間、夜中に『お父さん』って寝言を言ってたくらい」

それを聞いて、誠也は驚いた。

綾は続けた。「誠也、安人を私に引き渡してくれるのは、感謝している。でも、安人はもうあなたと一緒の生活に慣れているの。だから、彼の意見も聞いてほしい」

誠也の心臓は激しく締め付けられた。

痛い、痛すぎる。

痛みのあまり、彼はもし本当に海外移住が理由で息子の親権を諦めるのなら、どんなに良かっただろうかとさえ思えてきた。

だが、これは嘘だ。

本当は、自分はもう長く生きられない。

死ぬ前に、できるだけ早く全ての手配をしておかなければいけないのだ。

「近いうちに安人とよく話し合ってみるよ」誠也は込み上げる感情を抑えながら言った。「綾、安人はまだ小さい。今、俺に依存している気持ちも、いずれ時間と共に薄れていく。それに、お前と優希のそばにいれば、彼もきっと健やかに成長できるだろう」

綾は彼を見つめ、少し沈黙した後、言った。「よく考えて決めたことならそれでいい。戸籍を移す日が決まったら、事前に連絡をちょうだい」

誠也は喉仏を上下させた。「ああ」

......

一方で、清子はドキュメンタリー番組の撮影を承諾した。

撮影は全て輝星エンターテイメントが担当し、子供を探す過程が克明に記録されていくのだ。

3日目、警察から連絡が入り、子供が清子の元夫、葛城純一(かつらぎ じゅんいち)の実家で発見されたと告げられた。
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