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17.隙間から風が吹く

作者: 杵島 灯
last update 最終更新日: 2025-06-09 17:44:17

「お父様、ご気分はいかが?」

「……ああ、ジゼル……」

 ベッドに横たわったピエールが目を開けて、痩せた顔に笑みを乗せる。

 倒れてから三か月近く経つというのにピエールの容体は一向に回復しない。

 季節が悪い、とジゼルは思っている。

 何しろ今は冬のただ中だ。石で出来たこの城は古く、壁をタペストリーで覆っていてもどこからか入ってきた隙間風が部屋の気温を下げる。

 これまでも父は冬になると体調を崩すことが多かったし、今だって不調が続いているのはきっと寒さのせいだ。

(早く暖かくなってくれたらいいのに。そうしたらお父様だって良くなるわ)

 暖炉の薪がパチパチとはぜる音を聞きながら、ジゼルはベッドの横に置かれた椅子に座る。

「お休み中にごめんなさい。あのね、私、婚約者の候補となる方を決めたの。お父様がこの方をどう思うか伺ってもいい?」

 ピエールが微笑んだまま黙っているので、ジゼルは片手に持っていた書面を父に向かって示す。

「ほら、何年か前にうちの蜂蜜酒を買い始めた国があったでしょう? あの国の第三王子よ。あちらも、うちとの繋がりをもう少し強固にしておきたいと思っていたみたいで、内々にだけど話を持ち込んでみたら、好感触だったの」

「……そうか」

「お父様のご裁可をいただけたら本格的に話を詰めようと思うのだけど、いかが?」

「お前がその王子を良いと思うのなら、このまま話を進めなさい」

「……それだけ? これでも私、どの方にしようかってすごく悩んだのよ」

「悩んだ末にお前が出した答えならば、私は反対しないよ」

 捉えどころのない父の答えを聞き、ジゼルはため息と一緒に「もう」と不満の声を漏らす。

「そもそも。お父様がもう少し早く、私の婚約者を決めておいてくださってたら良かったのよ。私、あと少しで十六歳になってしまうんだから」

「ああ、そうだね……本当に大きくなった。体の弱い私とコリンヌの娘だからね、正直に言えば『大人にはなれないかもしれない』と気をもんだよ。けれどお前は健康に育ってくれた。こんなに綺麗に、こんなに立派に……」

 言って細く息を吐き、父はジゼルへ向けた顔から不意に笑みを消す。

「ジゼル。お前には誰か想う人がいないのか?」

 突然の質問に、ジゼルは何を返してよいのか分からなくなる。一度唾を飲み込み、ようやく頭の中で答えを見つけた。

「急にどうしたの? そんな人、い
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