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第3話

Author: 世界ぶっ飛び
「頭おかしいのか?自分で作ればいいだろ。よりによって鈴の飲み物なんか飲んで、彼女のうつを悪化させたいのか?」

そのことで、私たちは一か月近く、ほとんど言葉を交わさなかった。そしてその間に、颯太は鈴へ五回も求婚していた。

もう、そこまでして振り回される気力なんて残っていない。

そう思った瞬間、彼が不意に私を呼び止めた。どこか言いにくそうな濁った目をしている。

「亜衣、お前もこっち来て一緒に食べよう。ちょうど話がある。鈴の部屋の契約が切れるからさ、しばらくうちに住むことになる。お前は、できれば身を引いてやってくれ」

鈴は、甘ったるい笑顔を浮かべて言う。

「亜衣、私がうつ病なのは知ってるよね?それに、颯太を誰かとシェアするのも無理で……同じ屋根の下なんて、想像しただけで気持ち悪くなっちゃう」

颯太は、どこか気まずそうな顔をしながらも、鈴の口元にかかった髪をそっと耳にかけてやった。

胸のど真ん中にいきなり針を一本刺されたみたいで、目の奥までじんと痛んだ。

この人のこういう突然の優しさには、いつだって見返りがセットになっている。

前にも、彼が一度だけ朝ごはんを作ってくれた代わりに、私は「鈴に九十九回プロポーズする権利」をあっさり承諾してしまったのだ。

私はもう、本当に疲れてしまった。冷えた声で、明日には出ていくとだけ告げた。

颯太は、ほんの少し意外そうな顔をして、確かめるように言葉を足す。

「たぶん二か月くらいは住むことになると思う。お前のほうで、もう一部屋探してくれ」

あと二日で私は部隊に戻る。二か月どころか、一生ここを空けるんだって構わない。

私は自分から、リビングのソファに寝床を移した。

最初、颯太は、私は彼と同じ部屋で寝ればいいと提案しようとしていたが、鈴の頬が真っ赤になっているのを見ると、その言葉を飲み込んだ。

その夜、半ば眠りかけていた私は、いきなり乱暴に腕をつかまれ、力ずくで引き起こされた。

「お前さ、ただ鈴に寝室を譲ってやればよかっただけだろ?どうしてそんなに意地悪なんだ!彼女はもともと風邪をひいてるんだぞ!」

颯太の怒鳴り声が、頭の奥に響く。

私の寝室の窓は壊れていて、閉めても隙間風が入る。そのせいで、夜中の冷たい風に当たった鈴の体は、すっかり冷えきって震え出したらしい。

でも彼は忘れている。一か月前、私が寒さで風邪をひいたときに、この窓の不具合ははっきり伝えたはずなのに。

「お前はタフなんだから、布団を一枚足しときゃいいじゃん」と言って、取り合ってくれなかった。

私も外回りの取材に追われ、原稿締め切りにも追い立てられ、窓の修理は気づけば放りっぱなしになっていた。

でも明らかに、今の彼は私の言い分を聞く気なんてない。

鈴は颯太の胸にしがみつくように体を寄せていた。彼は車の鍵をつかむと、そのまま病院へ飛び出していった。

外は土砂降りの雨。

私も前に、一度だけ同じような雨の夜に「病院まで送って」と頼んだことがある。でもあのとき彼は、「大げさなんだよ」と一言で切り捨てた。

私は苦笑して首を振り、ドアに鍵をかけて、今度こそ何も考えずにぐっすり眠った。

その夜のうちに、鈴はまたSNSを更新していた。

【今日も颯太にプロポーズされちゃった。点滴は痛いけど、心はぽかぽか】

その手首には、渡辺家に代々伝わる家宝のブレスレットが光っている。正式な嫁と認めた相手にだけ渡す品だと聞いていた。

私は自分の手首の安物に目を落とし、それを外すと、ためらいなくゴミ箱へ放り込む。

彼は、いつか功成り名を遂げたその日に、このブレスレットを皆の前で堂々と私に渡すと言っていた。

けれど結局、それが収まったのは、別の女の手首だった。

外に出る準備をしながら、私は、隊の上官と電話で予定の最終確認をしている。

「はい、問題ありません。明日には必ず着隊できます」

そこへ、珍しく颯太が家に戻ってきた。

私の手のスーツケースをひと目見るなり、彼の胸の奥に、ふと不安の予感がこみ上げた。

彼は少し不機嫌そうな声で尋ねてくる。

「出張?そんな話してなかったよな。どこ行くの?送っていこうか。明日ちょうど代休なんだし」

一瞬、頭がぼんやりした。こんなの、彼の性格じゃない。

「鈴はまだ病院なんでしょ。私のことで気を散らさなくていいから」

そう返すと、彼はどこか気まずそうに、また珍しく言い訳を口にした。

「昨日の夜は、本当に鈴の具合がひどくてさ、俺だってどうしようもなくて、ああやって機嫌をとるしかなかったんだ。

安心しろ。いざ結婚ってなったら、あのブレスレットは取り返して、お前に渡すから」

おそらく、私が鈴をブロックしたことに気づいたのだろう。

でも、ここを離れる前に揉め事は起こしたくなくて、私はただ黙ってうなずいた。

私のその反応が意外だったのか、彼は少し戸惑ったようだ。そして、いきなりギフトバッグを差し出してくる。中身は、前から私が欲しがっていたブランドのリュックだった。

「遅くなったけど、誕生日プレゼントの埋め合わせ」

付き合って五年になるけれど、誕生日プレゼントをもらえたのはの一年目だけだ。

そんな彼が今日は妙に違っていて、さすがに私も意外だった。

彼は腕時計を指先で軽く叩きながら、ためらいがちに言い続ける。

「鈴さ、休み過ぎで会社クビになったんだよ。病院で死ぬだなんだって騒いでて、さっきようやく寝かしつけてきた」

一ヶ月のうち半月も休みを取る社員を、ここまでクビにしなかった会社の方が、むしろ情け深い。
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