Mag-log in「久保さん、帰ってくれ。若葉はもうあなたに会いたくないとはっきり言っているんだから。こんないつまでも付きまとっていたら、若葉をもっと苦しめるだけだろ?」竜也の声は冷たく、警告の色を帯びていた。「これは俺と若葉の問題だ。お前には関係ない」直樹は険しい目つきで竜也を見つめる。「お前が俺から若葉を奪ったんだ。必ず取り返してみせる」「奪っただって?」竜也は鼻で笑った。「あなたが若葉を大事にしなかったからだろ?自分の手で突き放したくせに。俺はただ、若葉が一番つらい時にそばにいただけ」二人の間の空気がどんどん張りつめていく。いつ衝突が起きてもおかしくない、そんな雰囲気だった。目の前の光景に、私はただただ疲れ果てていた。もう直樹に邪魔されたくないし、辛い過去ももう思い出したくないのだ。竜也とただ静かに暮らしていきたいだけなのに。しかし直樹は、まるで振り払えない悪夢のようだった。いつまでも私に付きまとってくる。月日は流れても、直樹のストーカー行為は少しも収まらなかった。我慢の限界だった私は、警察に通報した。しかし、直樹は警察に連れて行かれても、しばらくすると戻ってきて、また私に付きまとうのだった。日に日にやつれていく私を見て、竜也は心を痛め、同時に怒りを募らせていた。私を連れて、直樹が見つけられないどこか遠くへ行ってくれようとした。しかし、私は首を横に振った。「ずっと逃げ続けるわけにはいかないよ。直樹が理由で、今の生活まで諦めたくないの」私たち二人が途方に暮れていたとき、予想外のことが起きた。その日、私は竜也と一緒にスーパーへ買い物に出かけた。直樹はいつものように、私たちの後をつけてきていた。道を渡ろうとしたとき、コントロールを失ったトラックが突然突っ込んできた。まっすぐに、私に向かって。「危ない!」竜也がとっさに、私を突き飛ばした。そして直樹は、ほとんど無意識に飛び出し、私をかばって前に立ちはだかった。ドン、というものすごい音が響いた。直樹がトラックにはね飛ばされたのだ。直樹は地面に強く叩きつけられ、流れ出した血が一瞬でアスファルトを赤く染める。私も竜也も呆然としていた。私たちは直樹のもとへ駆け寄り、血まみれの彼を見る。心臓をわしづかみにされたような衝撃だった。
「君が辛い経験をたくさんして、心に傷を負っているのは分かってる。でも、約束する。これからの俺の人生、すべてをかけて君を守る。もう二度と悲しい思いはさせない。だから、俺と……一緒になってくれないかな?」私は竜也のまっすぐな瞳を見つめた。心がじんわりと温かくなるのを感じる。私は頷き、「はい」と答えようとした。その時、どこか聞き覚えのありそうでない声が、突然ドアの方からした。「若葉!」私と竜也が同時に振り返ると、そこには直樹が立っていた。髪はボサボサ、目は真っ赤に血走っていて、ひどく憔悴しきった様子だ。どうしてここが分かったのだろうか?私の顔からはさっと血の気が引き、胸の奥から強烈な嫌悪感がこみ上げてきた。直樹は部屋に駆け込むと、竜也を突き飛ばした。そして私を強く抱きしめ、声を詰まらせながら言った。「若葉、やっと会えた。お前は死んでないって、信じてたよ!やっぱり、生きててくれたんだな、本当によかった」私は直樹を突き放そうと、力いっぱいもがく。「離して、直樹!痛い!」「離さない」直樹は更に強く抱きしめてきた。「もう二度とお前を離さない。若葉、俺が悪かった。本当に、俺が間違ってたんだ。お前のために、仇はとったから。山田家は破産させたし、佳奈も相応の罰を受けた。俺の財産だって全部寄付して、もう何もない。俺にはもう、お前しかいないんだ。俺を許してくれないか?もう一度やり直そう。昔みたいに、な?」私は夢中で直樹の胸を叩いた。涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。「出てってよ、直樹!とっとと消えて!絶対に許さない。あなたは私たちの子供を殺したし、昔の私だって殺したの。私たちの関係は、もうとっくに終わってるんだから。今さらそんなこと言って、何になるの?もう全部、手遅れなの!」しかし直樹は、私に叩かれても、罵られてもされるがまま。ただ、私を強く抱きしめたまま、絶対に離そうとしなかった。「俺が悪かった。俺が最低だったんだ!」涙が私の肩に落ちてくる。「叩いても、罵ってもいい。どんな罰でも受ける。だから、もう俺の前からいなくならないでくれ。一年もの間、ずっと探してたんだ。もう二度と会えないと思ってた。やっと見つけたんだ。もう失うわけにはいかない」その様子をそばで見ていた竜也の表情は険しかった。竜也が直樹を
直樹がこれを見たら、きっと後悔するはずだから。直樹には一生後悔しながら生きてほしい。私はというと、佳奈からもらった10億円を手に、海外でまったく新しい人生を始めていた。直樹から離れ、辛い思い出しかなかったあの場所を捨てた。そうして初めて、こんなにも穏やかで、自由な生活があることを知った。時間ができたから、ピアノ教室にも通い始めた。ピアノが家に届いた日は、嬉しくて夢中で弾いた。しかし、弾いているうちに、ひとつの鍵盤の音が少しずれていることに気がついた。まだこっちに来て間もなかった私は、どこで修理してもらえるのか分からなかったので、現地の掲示板のようなものに、書き込みをしてみた。ピアノを修理できる人はいないだろうか、と。そしたら驚いたことに、次の日にはもう連絡があった。インターホンが鳴って、ドアを開けた瞬間、私は完全に固まってしまった。ドアの前に立っていたのは、なんと高校の同級生だった、夏川竜也(なつかわ たつや)だったのだ。竜也は卒業式の少し前に、私に告白してくれたことがあった。しかし、その時はもう直樹のことが好きだったから、私は丁重にお断りしていた。何年も経つのに、竜也はあまり変わっていなかった。ただ、昔の少年っぽさが抜けて、少し大人びて落ち着いた雰囲気になっている。「若葉?」竜也も少し驚いたみたいだったが、その目には喜びの色も浮かんでいた。「本当に若葉なの?同姓同名の別人かと思ってたよ」私ははっと我に返って、微笑んだ。「久しぶり。こんなところで会うなんて。こういうこともあるんだね」「高校を卒業してから、こっちに留学しててね。それで、そのままこっちで就職して、今は小さな楽器の修理工房をやってるんだ」竜也はそう説明してくれた。「書き込みを見て、住所が近かったから来てみたんだけど、まさか本当に君だったとは」私はさっそく竜也を中に招き入れる。「どうぞ、入って。わざわざ来てもらってごめんね」竜也をリビングに案内して、そこにあった白いピアノを指さす。竜也は丁寧にピアノを調べて、すぐに問題の箇所を見つけてくれた。彼は道具箱から工具を取り出すと、手際よく修理を始めた。その姿を見ていると、私の心になんだか温かいものがこみ上げてきた。今までずっと、私は直樹のことばかり考えて生きてき
直樹の頭は真っ白になり、耳鳴りがした。若葉が死んだ?直樹は狂ったように家を飛び出し、車を飛ばして葬儀場へと向かった。頭の中には、「若葉に会いたい」という思いしかなかった。葬儀場に着くと、職員が白い布をかけた遺体をストレッチャーに乗せて運んできた。直樹は足の力が抜け、その場に崩れ落ちそうになった。震える手で白い布をめくる。そこには、少し変形したプルタブが2つあった。直樹は、ついに堪えきれず涙を流した。「ごめん……ごめん……」彼は遺体のそばにひざまずき、冷たくなった体を強く抱きしめる。「俺が悪かった。お前を信じなくてやれなくてごめん。あんなひどいことを言って……戻ってきてくれよ。指輪を買うからさ。一番大きくて、一番輝くダイヤモンドの指輪を……だからもう一度、やり直そう。な?俺を一人にしないでくれよ、若葉」葬儀場を出ると、直樹はそのまま車で山田家へ向かった。「お前が若葉を殺した!全部お前の仕業なんだろ?」佳奈は目に涙を浮かべながら答える。「直樹さん、何言ってるの?意味が分からないんだけど。若葉さんはあなたと喧嘩して、どこかに隠れてるだけじゃなかったの?どうして……」「まだとぼけるのか?」直樹の目は真っ赤に充血している。「若葉は臆病なんだ。だから、あいつがこんなこと考えつくはずがない。ずっと俺を騙していたのはお前の方なんだろ?」その時、佳奈の父親、山田裕也(やまだ ゆうや)が2階から下りてきた。裕也は険しい顔つきで直樹を見つめる。「久保さん、人の家で大声を出して、一体どういうつもりなんだね」直樹は裕也の方を向き、嘲るような笑みを浮かべた。「娘さんが、妻を殺したんですよ?それでも、おとなしくしていろと?」「何を馬鹿なことを言っているんだ!」裕也は眉をひそめた。「佳奈がどんな子か、俺の方がよく分かってるに決まってるだろ?でたらめを言うのも大概にしたまえ」その言葉に、直樹は冷笑を浮かべる。「山田社長、山田家が力を持っているからって、何でも思い通りになると思ったら大間違いですよ。この数年、こっちだってただぼんやり過ごしてきたわけじゃないんです。山田家がやってきた汚いことの証拠なら、山ほど握っていますからね」直樹は一旦間を作った。「以前は、あなたにも敬意を払っていたし、佳奈が会社に利益をもたら
東都で一番にぎやかな繁華街。直樹は佳奈の後ろを歩いていた。その手には、ブランドのショッピングバッグがいくつもぶらさがっている。けれど、直樹の意識はずっと携帯に向いていた。画面は静かなままで、新しいメッセージの通知は一つもない。若葉が「姿を消して」、もう2日が経っていた。あの崖から戻って以来、表面上、直樹はまったく気にしていないふりをしていた。しかし、心にぽっかりと穴が開いたような感覚なのは、彼自身が一番よくわかっていた。直樹はずっと若葉からの連絡を待っていたのだ。彼からすれば、今回のことは若葉にも非があると思っていた。山田家との関係を断ち切らないように、ただ佳奈と少し仲良くしてただけなのに。若葉は何もここまで大騒ぎする必要があったのだろうか?あげくの果てには子供まで堕し、部外者と結託して茶番まで演じた。それなのに、若葉のほうはさっさと隠れて顔も見せにこない。こっちから頭を下げて探しに行けとでもいうのか?冗談じゃない。「直樹さん!」佳奈の声が直樹の思考を遮る。「一体なにを考えてるの?さっきから上の空じゃない?もしかして、まだ若葉さんのこと考えてるの?」直樹は思わず言い返す。「違う。適当なこと言うな」「じゃあ、なんでずっと携帯を見てるの?」佳奈も食い下がった。「若葉さんからのメッセージを待ってるんでしょ?きっとそうやって、あなたを焦らせようとしてるんだよ」「違うって言ってるだろ!」直樹は語気を強める。「この後、何を食べに連れて行こうか考えてただけだから。佳奈、新しくできたカップル向けのレストランに行きたいって言ってただろ?今からそこへ行こう」直樹は佳奈の手を引いて、くるりと踵を返した。佳奈の瞳に一瞬だけ得意げな色が浮かぶ。「うん、いいよ。直樹さんの言うとおりにする」レストランの中でも、直樹は携帯を手元に置いていた。画面が光ると、彼は目に期待の色を浮かべ、悔い気味に携帯を手に取る。しかし、画面の内容をはっきりと確認すると、その期待は一瞬で消え去った。その一連の動きは、すべて佳奈に見られていた。佳奈の心に、苛立ちがこみ上げてくる。若葉はもう「いなくなった」のに、直樹がまだこんなに彼女を忘れられないでいるなんて。佳奈はわざとステーキを一切れ、直樹の口元へと運んだ。「直樹
「私のせいで二人が気まずくなっちゃったかなって思って。謝りたくて、わざわざ来たの」佳奈はもともと、儚げで可憐な雰囲気の子だった。そんな彼女がわざとしおらしく謝るので、直樹の口調も少しだけ和らぐ。「もういいよ、佳奈のせいじゃない。若葉が自分でことを大きくしただけなんだからさ」私は何も言い返さなかった。私は黙って二人交わす視線を見ていた。そのやりとりだけで、二人の間にある特別な感情が伝わってくる。直樹が狙っているのは、山田家の財産やコネだけでは無かったと、分かってしまった。直樹は本気で佳奈に惹かれているらしい。だって、あの優しい目は、直樹がまだ私のことを愛してくれていた頃に、見せてくれていた目だったから。「若葉さん。ここ数日は私に看病させてもらえないかな?お詫びってことで」そして、佳奈はそのまま病院に残ることになった。だが、彼女に人の看病なんてできるわけがなかった。私がアレルギーのある食材を使ったスープを3回も作ってきて、私は吐きすぎて倒れそうになった。しかし、直樹は佳奈をかばった。「佳奈は何も知らないし、善意でやってくれたんだから、彼女を責めるなよ」私は悔しさをこらえ頷くだけで、何も言わなかった。明日になれば、退院できるのだから。そうすれば、もうこんな辛い思いをしなくて済む。夜、そろそろ寝ようかと思っていたら、突然変な物音が聞こえてきた。目を開けると、なんと直樹と佳奈が隣のベッドでキスをしていたのだ。「佳奈、やめろよ。もし若葉が起きちゃったらどうするんだ?」「大丈夫だよ。若葉さんの食事に睡眠薬を混ぜておいたから……」強烈な屈辱感が、私を飲み込んでいく。しかし、私は一言も声を出すことができない。ただ無理やり目を閉じて、物音を立てないように耐えるしかなかった。二人はしばらくいちゃついた後、ようやく眠りについた。翌朝早く、私は静かに起き上がると、一人で退院した。荷物をまとめて、飛行機でこの街を離れようとしたその時だった。突然、路上で車に行く手を阻まれた。数人の黒服の男たちに、無理やり車に引きずり込まれ、気づいたときには、崖のそばで縛られていた。口にはボロ布まで詰め込まれている。抵抗もできず、崖の外に吊るされるのをただ受け入れるしかない。そして、私のすぐ近く